kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月15日

「またあの人か」的な著名人の暴言を、アパルトヘイトという非道とネルソン・マンデラについて、より広く知られるきっかけにしていくために

2月11日、リアルタイムでは見ていなかったのだが、産経新聞に「移民を受け入れ、人種で分けて居住させるべき」という主張の文が掲載されたことで、Twitterの日本語圏には非難、怒り、ドン引きなどなどの反応がたくさん出されたという。「人種で分けて居住させるべき」、つまり「人種隔離(それを英語ではracial segregation, または単にsegretationと言い、南アフリカの言葉ではapartheidと言う)をすべき」という主張の主は、曽野「またあの人か」綾子氏。

個人的に、2月11日はリアルタイムではISISに拘束されていた人道支援者、ケイラ・ミュラーさんの死亡確定の報が消化しきれずにいる中で、アメリカでの「メディアはなぜ報じないのか」の怒りの声(一度に3人も殺された事件で、事件とあればヘリを飛ばすのがお約束視されている全米ネットが報じるまで9時間とか10時間経過していた)ばかりにTLが埋め尽くされるのを見て消耗しつつ、イランの革命記念日に関する非常に抑制的なトーンのツイート(イラン国内から、また在外イラン人のジャーナリストから)を見て、シン・フェイン系統が「ネルソン・マンデラの釈放から25年」で深々と回想するツイートをぽつり、ぽつりと流してくるのを見ていたが、当の南アの人たちのアカウントは、私がフォローしている範囲では、ズマ大統領の施政方針演説前ということでの報道記事のURLをツイートしているような感じだった。私の見ていた範囲では、日本語圏は、米国の「コメディ・ニュース」の雄たるジョン・スチュワートの引退発表(年内のいつか)が話題で、それは英語圏ではもっとしつこくて(view数、クリック数がかせげるんだろう)、私は正直fed upするほどだった(ジョン・スチュワートはかなり好きだけど)。同時に、NBCのハンサムな看板キャスターが実はとんでもない大嘘つきのフカし野郎だったということが軍人筋の告発でバレたあとの処分(6ヶ月の停職)についてもしつこく流れてきた(ダン・ラザーと比べてせつなくなってた)。盗作がバレたファリード・ザカリアも何事もなく仕事してるようだし(さすがにジャーナリストはスルーしているが、米政府系のアカウントからRTされてきたりする)、アメリカも何だかねー、という心境になっていたのだが、私の場合、別にアメリカには特段の興味はない(メディア周りのゴシップなら英国ネタの方が好物)。

ともあれ、「曽野綾子が変なことを言っている」というのも正直「またか」だし、「日本ではマンデラ釈放から25年目の記念日だということも通じていない」のも「またか」でしかなく、つまり自分にとっては特に何の意味も持たないことだった。ほかにやることがあるのでそっちの資料を読むほうが大切だ。

しかし、そういう「またか」がよくないこと、というか、いけないことだという意識はどっかにはあって、それが明文化されていることばが、私がフォローしているどなたかのRTで13日に回ってきたときには、「またか」で終わらせてはいけないんだけどね、と思った。




それに加えて、あの津山直子さんが抗議文を書いておられるということを知った。
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/archives/sonoayako-sankei20150211.html





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posted by nofrills at 01:55 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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