「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月12日

「君もUDAに入ろう」などというミューラルが、新たに出現したそうだ。

キャリックファーガスでUDAが新しいミューラルを描いたという。それも「UDAへの加入」を勧誘するもの。






最初、「キャリックファーガスのミューラル」についてのツイートがぽんぽんと流れてくるのを見たときには、北アイルランド紛争時のパラミリタリーのミューラルを塗りつぶして、スポーツや文化をテーマにしたものにしようという計画についての話かな、と思ったのだが、そうではなく「新しく描かれた」ものだそうで、唖然としている。

いや、東ベルファストではなくキャリックファーガスで、UVFではなくUDAというのは、「唖然とする」ではすまないことかもしれない。

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posted by nofrills at 04:00 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「反抗」のシンボルとしての "ナチスの図像"――1980年のドイツでの映像を見ていたら、記録されてた細部に気づいた。

「ベルファストはパンク・シティ」だというので1980年の映像を見ていたら、以前は気づかなかったことに気づいた、というお話。発端は、息抜きをしようと見てみたガーディアンの記事だ。

自分の好みに合わせた音楽をかけっぱなしにしておける音楽配信サービスの代表格であるSpotify(日本ではサービス開始すらされていない)とガーディアンが、英国内の各都市について、特定の音楽ジャンルが突出して好まれている(聴かれている)のはどこかということを調べた、というインタラクティヴ記事。

Is Bournemouth really a hip-hop hotbed? The UK's favourite music genres – a city-by-city interactive
http://www.theguardian.com/music/ng-interactive/2015/feb/10/uk-city-music-genre-spotify-interactive


Punk, metal, hip-hop, R&B, folk, pop, jazz, indiepop, indie rock, country, electronic, EDMというジャンル分けで、下記のようにして各ジャンルごとの「王者」を決めている。(普通のrockというか、ストーンズやビートルズのような定番ものはどこに入るのか、といった疑問はあるが、このジャンル分け自体も興味深い。)

Spotify started with a list of the most popular tracks in each city, and another for the rest of the world. They compared lists to see which songs were notably popular in each city relative to the world. The city with the most distinctive tracks in a given genre "won" that genre


ざっと見た感じ、ロンドンのような大都市はこういう「突出」が見られづらいのかなという印象だが、それ以前にベルファストがめちゃおもしろいことになっている。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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