「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月30日

"British Iraqi pull-out imminent"

【UPDATE@20:30ごろ(日本時間)】
英軍から米軍への権限移譲の儀式が、BBC Worldで中継されています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/7753036.stm

basra-handover.png

※さらに追記→日本時間20:50に儀式が終了しました。

BBC Newsのトップページのキャプチャ:


以下、17:30に投稿したもの。

【続きを読む】


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「みんなの翻訳」とjamendo.com

ばたばたしていたのでエントリにするのがすっかり遅くなってしまいましたが、4月8日(お釈迦様のお誕生日でありカート・コバーンの死が報じられた日である)に、「みんなの翻訳」のウェブサイトが一般公開されました。
http://trans-aid.jp/



これは情報通信研究機構 (NICT) 言語翻訳グループ東京大学大学院図書館情報学研究室の共同プロジェクトです。開発には非常に質の高い辞書を出しておられる三省堂さんが協力しています。

「みんなの翻訳」は翻訳支援のサイトです。「翻訳支援」というのは、機械翻訳のように原文を投げると翻訳文を作ってくれるという機能(「翻訳」という作業が自分ではできない人のためのもの)ではなく、「翻訳」という作業ができる人にとって、その作業を簡単にするというようなことです。具体的には、辞書引きと調べものの手間などを大幅に軽減してくれ、「翻訳」という作業に集中できる、ということになります。

「みんなの翻訳」を使って翻訳の作業を行なうときに使用するのが、「QRedit」という高機能エディタです。QReditは、原文表示ウィンドウと翻訳文作成ウィンドウの2つの画面が同時に参照できる2ペインのテキストエディタで(同時スクロール化)、クリックでポップアップする辞書がついています。この辞書が三省堂さんの『グランドコンサイス英和辞典』(36万語)です。さらにすごいのは、このポップアップ辞書は単語だけではなく連語・熟語も認識してくれるという点。

詳細は、「みんなの翻訳」の「初めての方へ」をご参照ください。
http://trans-aid.jp/help/firststepguide/

また、「QRedit」を使って作成した翻訳文は、元々の文書が「公開OK」のライセンス(Creative Commonsのライセンスなど)や「公開すべし」の条件(GNU GPLなど)の場合、また原文著者からの許諾がある場合は、「みんなの翻訳」のサイト上で公開できます。(著作権法の「例外規定」が適用される場合は例外ですが。)この点については、下記ページをご参照ください。
http://trans-aid.jp/help/firststepguide/pubornot.html

【続きを読む】
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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