「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月15日

プロパガンダとホラと「トラディショナリスト」

ひとつ前のエントリに書いた「デニス・ドナルドソンはわれわれが」というReal IRAの宣言だが、どうにも怪しい。サンデー・トリビューンに渡した声明文に書いてあったそれについての一節が、実際の場(デリーでのReal IRA/32CSMによるイースター蜂起記念式典)で読み上げられたものにはなかったそうだ。サンデー・トリビューンには「われわれはこのように奴をやった」という詳細な話まであるのに、それはホラか?

実際、Real IRAの「デニス・ドナルドソンはわれわれが」という主張については、BBCがスルーしている。BBCはデリーでのReal IRA/32CSMによるイースター蜂起記念式典のことは記事を出している。しかし、事前にリークされていたその声明で最もキャッチーだった「ドナルドソン殺害」については、BBC記事にはまったく言及がない (実際にその一節が読み上げられなかった以上、BBCとしては "refusing to give oxygen of publicity" ということだろう)。BBCだけではなく、ガーディアンのヘンリー・マクドナルドもスルーしている。ということは、普通に考えて、RIRAが告白した「殺害の様子」が、警察(アイルランドの、だが)が把握している事件現場と一致しないとかそういう裏でもあるのだろう。

となると、RIRAが「ドナルドソン殺害」の「犯行声明」を出したのは、別の目的だと考えられる――テクストとしてみる限り、RIRAのあの声明を書いた本人が最も重要と考えていたに違いないのは、「裏切り者(スパイ)は許さない」というくだりだ。マーティン・マクギネスにあそこまで言われて黙っていられず、例によって「裏切り者 traitor」が意味の表層雪崩を起こしてカオスになってるのかもと思ったが、各種報道によると、RIRAのヒットリストには、北アイルランド紛争時の「大物スパイ」(Stakeknifeことスカルパティッチ、ケヴィン・フルトンら……フルトンは、スパイとして「大物」だったというより、それを告白して有名になったのだけど)の名前がずらずらと並べられているらしい。武装活動停止宣言前のPIRAがギラギラと狙っていたに違いない彼らの名が。

RIRAが彼らを殺すことに「成功」すれば、「RIRA>>>>>>PIRA」という図式のできあがり、となる。RIRAはそれをして、「俺らすげぇ」を既成事実化したいのだろう。脳みそ(以下略

以上、ソースははてブにメモってある各記事。(いちいちリンクしませんでした。)
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20090415

同じくひとつ前のエントリで言及した、今年のイースター蜂起記念行事でのRIRA/32CSMの声明の一節が、頭にこびりついて私をイライラさせ続けるので、これを爆音で聞いてみたりした。

I got my propaganda I got revisionism
I got my violence in high def ultra-realism

Wanted to cap somebody
Wanted to buck them down
Wanted to pull the trigger
Just to hear the fucking sound
I got my propaganda

―― Saul Willliams, Survivalism_OpalHeartClinic_Niggy_Tardust!(Escaped...


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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