「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年04月14日

Real IRA、イースター声明で、デニス・ドナルドソン殺害(2006年)を認める。

BBC NIには、まだ記事がない。ガーディアンにもまだない。

real-donaldson.png3月にReal IRAが英軍基地を襲撃し、Continuity IRAが警官を射殺し、以後でっかいカーボムが北アイルランドに入ったとかいった話もありつつ、ラーガンが荒れ、ベルファストが荒れ、デリーではpunishment shootingが相次ぎ、またデリーのシン・フェインのオフィスは放火されたそうだが(そして1981年ハンストの資料が焼失。dissidentsは燃やすものを間違えすぎ)、1916年のイースター蜂起を記念する「リパブリカン」にとっては一年で最も象徴的な意味の強い週は、とりあえず、ものすごく大きな事件はないままで終わりそうだ、と思っていたイースター休暇の最後の日である13日、ベルファスト・テレグラフに、Real IRA: We murdered Denis Donaldson という記事が出た。

いきなりすぎて意味がわからなかった。

ベルファスト・テレグラフのこの記事から、アイルランド共和国に拠点のあるthe Sunday Tribuneの12日(日曜)付けで出ている関連記事を何本か読んだ。

Exclusive - Real IRA: We will take campaign to Britainという記事は、12日のRIRAについてのサンデー・トリビューン報道のまとめ的な記事。それから、この新聞のこの記者が書いた分析記事。また、How Real IRA Killed Denis Donaldsonという記事は、RIRA幹部が語ったデニス・ドナルドソン殺害の詳細で、これは私は途中で読むのを断念した。あまりにもむごすぎる。それから、月曜日のデリーでのイースター蜂起記念行事で読み上げられるRIRA/32CSMの声明。これも、途中で読むのをやめた。ドナルドソン殺害声明だけでなく、いろいろと勇ましいことが語られているが、基本的に打ち上げ花火だろう。

会ったこともなく、言葉を交わしたこともない人たちに対しては極めて失礼な言い方だが、「こいつら狂ってる」としか思えなかった。なぜそこまでフィジカル・フォースに固執するのか、別の道が見えているというのに(人口増加率を見れば、ユナイテッド・アイルランドが、遅くとも何十年かのスパンで現実的な可能性だということは見えているのに)。軍事的な解決策などないというのが、この30年の紛争の結果、やっとわかったことであるはずなのに。

Real IRAとサシで取材できる仲のThe Sunday Tribuneのスザンヌ・ブリーン記者は、次のように書いている。
Its language is uncompromisingly militant. There are none of the nuances we came to hear from Sinn Féin and Provisional IRA figures from the mid-1980s onwards. If the Real IRA had a slogan it would be, 'An armalite in one hand and we don't do ballot boxes'.

その言葉遣いは解釈の余地なくミリタントである。1980年代半ば以降のシン・フェインとProvisional IRAの人々に見られた微妙なニュアンスというものは一切ない。もしもReal IRAにスローガンがあるとすれば、(80年代シン・フェインおよびIRAの「片手にアーマライト、片手に投票箱」ではなく)、「片手にアーマライト、だがわれわれには投票箱は無用」というものであるだろう。

http://www.tribune.ie/news/article/2009/apr/12/northern-editors-analysis/


こいつらの脳みそは何だ、筋肉か。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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