「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月13日

「ただの数字ではなく」――「ヒルズバラの悲劇」から20年

1989年4月15日、FAカップ準決勝(リヴァプールFC対ノッティンガム・フォレスト)の試合会場となったヒルズバラ・スタジアム(シェフィールド・ウェンズデーのホーム)で、観戦に訪れたリヴァプールFCのサポーター96人が圧死した。「ヒルズバラの悲劇」、英語でいう "Hillsborough Disaster" である。(Hillsboroughは「ヒルズボロ」と表記することもある。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hillsborough_disaster

死亡した96人のうち、3分の1は10代だった。収容能力を超えた人数が、フェンスで区切られた空間に一杯になって身動きが取れず、人々は次々と、胸部圧迫などで呼吸困難になって倒れた。試合は開始6分で中止され、何とかしてテラスから脱出した観客がピッチに逃れ、無事だった観客がピッチサイドの看板を外して担架の代用にし、負傷者の搬出にあたった(この様子がテレビで中継されていた)。当日だけで94人が死亡、4日後に生命維持装置で何とか生きていた14歳の男性が死亡、さらに4年後に、ずっと昏睡状態だった男性が死亡した。

それから20年を迎えようという先週末、UKの各メディアがこの「悲劇」についての記事を出していた。(BBCテレビでは11日に特集番組を放映したそうだ。)すべての記事を見たわけではないが、いくつかははてなブックマークのほうにURLをメモしてある。

11日のリヴァプールFCのホーム、アンフィールドでの試合(対ブラックバーン)開始前の様子の映像は下記。"96 Brothers" と手書きした横断幕、いつも以上に感情のこもった "You'll Never Walk Alone" の合唱に続き、1分間の黙祷。スタジアムのシャンクリー・ゲイトのところにある96人の名の刻まれた碑と、そこに捧げられた花束とスカーフ(あの日の対戦相手だったノッティンガム・フォレストのスカーフもある)。
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/7995038.stm

下記BBC記事は、現在のリヴァプールFCのキャプテンであるスティーヴン・ジェラードのインタビュー(映像&テキスト)。彼自身、単に「チームのキャプテン」である以上にこの悲劇とかかわりをもっている。
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/l/liverpool/7994062.stm

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「中学生レベル」のsmear campaignをやろうとして盛大に墓穴ったらしい労働党に呆れる。

ゴードン・ブラウンの側近(プレス担当)が辞職した。理由は、保守党に対するsmear campaignを行なっていたこと……というより、それがバレたこと。これが、どこからどう見ても、とんでもなくお粗末である。

No 10 official quits over e-mails
Page last updated at 21:02 GMT, Saturday, 11 April 2009 22:02 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/7995044.stm

辞職したのはDamian McBrideという人で、元々は税関や財務省で仕事をしていた役人。サラ・ブラウン(ゴードンの妻)についてポジティヴなイメージを与える方向のキャンペーンをやってたのもこの人。ちょっとしか読んでないけど、プロフィールはこの記事が詳しい。労働党内が「ブレア派」と「ブラウン派」でぎくしゃくしていたときにもごにょごにょしていたらしい。

で、これ、本格的にどうでもいい話だからスルーしようと思ってたんだけど、報道記事を読んでいたら一応メモくらいは、という気になってきた。あまりにも呆れかえったので。

なお、記事があまりに多くて情報があちこちに断片として散らばっている状態なので、細かいことは私も知らない。それを調べようというほどの興味もないので(基本的に、起きたことがあまりにくだらなさすぎる)、細部については、報道機関が一応ウラ取って書いている記事を探してご確認いただきたい。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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