「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月09日

ジェリー・アダムズの中東訪問、各メディアの記事のクリップ

ガザに入ったジェリー・アダムズの動向についての記事を列挙します。記事が出た順に。(どういうわけかGoogle Newsのワード検索では捕捉しきれませんので、個別に探してみて、後から追記していくことになると思います。)

■記事(1)
Adams urges talks on Gaza visit
Page last updated at 10:55 GMT, Wednesday, 8 April
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7989676.stm

【内容】
ジェリー・アダムズは水曜日にガザ地区を訪れ、イスラエル側とパレスチナ側の直接対話の必要性を訴えた。

アダムズは、1月の攻撃でひどく破壊されたガザ地区北部を見て回り、「このようなことが二度とないようにしなければならない。そのためには交渉が必要であり、またイスラエルの指導部(政府)とパレスチナの指導部が直接の対話に踏み出すことが必要である。国際社会、特に米国は、それを積極的に促進していかねばならない」と語った。

またアダムズはUNRWAガザ事務所のジョン・ギング所長とも会い、1月の攻撃で破壊されたアイスクリーム工場を訪れ、その経営者とも話をした。

また、ガザに入る前日の火曜日には、アダムズはイスラエル南部のスデロトとクファ・アザ (Sderot and Kfar Aza) を訪問した。

アダムズが中東入りする前に、イスラエル当局者は、アダムズがパレスチナ武装勢力と会う可能性を除外していないことを理由に、アダムズと会うことを拒否し、ガザ入りの許可を出さないとの構えを見せていた。

アダムズは前回、2006年に中東を訪れたときにハマスのメンバーと会っている。

……この記事は以下、4日のエントリで参照したアダムズのブログからの引用。

■記事(2)
Adams meets Hamas PM in Gaza
Page last updated at 07:28 GMT, Thursday, 9 April 2009 08:28 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7991311.stm

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「彼はそこにいた」という事実と、BBCの報道(ひとつ前のエントリの修正)

4月9日16時ごろ(日本時間)に気付いたのだが、ジェリー・アダムズはガザに行っている。

8日にふざけて書いたエントリで、BBC NIが "Israel bars Adams from Gaza visit" という記事を、8日の10:11 GMTに出していることをメモしたが:


最近、どこを見たら何が書かれているのかが非常にわかりづらくなっているシン・フェインのサイトで(ドメインまで変わってるからね。いつの間にardfheis.comで党大会や選挙と直接関係のないアップデートをするようになったんだろう)、「最新ニュース」としてアダムズがガザ地区に入って記者会見を行なったことを伝える記事がアップされていたのが、4月8日の9:36 am (GMTなのかアイルランドの夏時間なのかわからないけれども) より前だ。(記事そのものにタイムスタンプはないが、記事の下のコメント欄の投稿1件目がApril 8th, 2009 9:36 amのタイムスタンプ。)

Gerry Adams in Gaza
http://www.ardfheis.com/?p=1235

ということは、BBC NIの「アダムズ、ガザ地区に入れず」の報道(8日の10:11 GMT or 11:11 BST)があったときには、アダムズは既にガザ地区に入って破壊されたままの瓦礫の山の前で、取材用にセッティングされたロイターやアルジャジーラといった報道機関の取材マイクの束に向かって、「対話の必要性を改めて強調」していた、ということだ。

単なる私の見落としなのか、それとも世界を支配する闇の勢力の壮大な陰謀か……続きは【続きを読む】で!

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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