「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月05日

「しかし、私は北アイルランドのラーガンに生まれたのだ」――ドラマFive Minutes of Heavenの「UVFのメンバー」の言葉

今日4月5日、BBC 2でドラマ映画、Five Minutes of Heavenが放映される。日本にいる私にはBBCの放送は見られないのだが、サンダンスでも受賞したこの作品を(日本語字幕つきで)見られるよう願っている。

■追記:
ご参考までに、BBC iPlayerのページはこちら:
http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00jsz96/Five_Minutes_of_Heaven/
少なくとも、スチール写真1枚が見られます(画像の上に文字が表示されているときは、Windowsの場合、画像を右クリック→「画像だけを表示」で)。3月の軍&警察への攻撃でも17歳とか19歳といった年齢の人たちが逮捕・起訴されていますが(19歳の人の起訴はまだかも)、このスチール写真もその「若さ」が……。
■追記ここまで。

このドラマについては、昨年の6月にBBC NIの記事になっていたのを当ブログでトピックにした。
http://nofrills.seesaa.net/article/100847837.html

「北アイルランドの2大スターの豪華初共演!」のこのドラマは、1975年に実際に起きた殺人事件をベースとしている。

1975年10月、アーマー州ラーガン。「北アイルランド紛争」という社会的状況のなか、17歳のアレスター・リトルは、19歳(あるいは21歳)のジェイムズ・グリフィンを撃ち殺した。リトルはロイヤリスト武装組織UVFのメンバー、グリフィンはカトリックで武装組織には属していなかった。

ジェイムズの弟で11歳だったジョー・グリフィンは、ジェイムズが殺される現場を目撃していた。事件のあと、グリフィンの家庭は崩壊してゆく。

リトルは殺人容疑で逮捕され、裁判で有罪となり、ロングケッシュ(メイズ刑務所)に送られた。判事は年齢的に終身刑にはできない彼に、無期懲役を言い渡し、そして彼は12年をロングケッシュで過ごした。そのときに暴力から非暴力への転回を遂げ、出所後は平和活動家として活動、現在は中東など国際的にその活動を続けている。

ドラマは、犯人のアレスター・リトルと、被害者の弟のジョー・グリフィンが実際に対面したら、という想定でのフィクションだ。両者は制作の過程に深く関わり、BBC NIらしい重厚なドラマ(『眠れる野獣』のような)に仕上がっていることは間違いない。

さて、ドラマ放映を前に、英各メディアにキャストなどのインタビューが出ていた。気付いた記事は、4月3日にまとめてブックマークしてある。記事を読んで、リーアム・ニーソンがますます好きになった。言葉というものについて、ものすごく真面目な人だ。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20090403

で、当然のことながら、北アイルランドのベルファスト・テレグラフが最も細かい(<「細かい」というのは視点的な意味で)記事を出していて、実際の事件の当事者であるアリスター・リトルさんの寄稿もある。

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posted by nofrills at 16:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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