「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月03日

ロンドンの治安の調べ方

拙著をお読みくださった方からの「ロンドンのどこそこ区は治安的に大丈夫ですか」という内容のご質問に関連して。(なお、そのようなご質問をいただいても、第一に「どこどこ区」というだけでは範囲が広すぎて厳密には答えようがありません。第二に、東京にいる私には現在の現場の感覚はないので私には直接のお答えはできかねます。その点はお含みおきください。)

現在は英国外にいる人が、今後ある程度の期間にわたってロンドンに住む予定があって下調べをしたいという場合、最も気になるのが「治安」だと思います。そういうときにネットで何が調べられるかという点について。

ただし「治安」とひとくちに言ってもいろいろな側面があるし(成城学園にお住まいの45歳の方と、下北沢にお住まいの20歳の方とでは「治安が悪い」の指し示すものはたぶんかなり違うと思います)、ロンドンの場合は一区画(通り1本)行くだけで雰囲気ががらっと違うことがあるとかいったことは拙著に書いたとおりで(30〜33ページあたりとか)、実際にその場に自分の身体を置いてみることなく、自分にとって安全と感じられる地域であるかどうかはわかりません。これが大前提です。「治安」のようなことについては、ネットで調べられることには限界があります。

その上で、目安として、警察の統計を活用することをお勧めします。

Metropolitan Police(ロンドン市警:いわゆる「スコットランドヤード」)が、「犯罪マップ」をネットで公開しています。
http://maps.met.police.uk/

アクセスすると、このサイトの目的を説明したオーバーレイ・ウィンドウが表示されますので、Continue to view the crime mapsというボタンをクリックして先に進んでください。

このサイトでは、Met Policeが管轄しているエリア(そのため、Cityについては「データなし」です)について、地域区分の最小単位(sub-ward)ごとに犯罪発生率を色分けして示しています。赤ければ赤いほど犯罪発生率が高い、という意味です。

使われている数値は、Met Policeの「犯罪発生データ」(1ヶ月ごとにまとめている)の最新のものです。

Google mapを利用していますので、実際のご利用に際しては、画面の左側にあるGoogle mapのズーム機能で拡大してご覧ください。6〜7回、「+」ボタンをクリックすると、sub-ward単位で表示されるくらいに拡大されます。

【続きを読む】
posted by nofrills at 23:50 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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