「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月13日

クレイガヴォンで射殺された警官の葬儀。

9日夜、クレイガヴォンで撃ち殺された警官、スティーヴン・キャロルさんの葬儀が、金曜日にいとなまれた。

Killed officer 'never forgotten'
Page last updated at 13:47 GMT, Friday, 13 March 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7940985.stm

Northern Ireland constable's funeral under way
guardian.co.uk, Friday 13 March 2009 13.05 GMT
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/13/carroll-funeral-northern-ireland-police

キャロルさんは、事件現場となったアーマー州のすぐ南、ダウン州のバンブリッジ在住。バンブリッジの人口構成はプロテスタント7対カトリック3くらいだそうだが(ウィキペディア掲載の2001年センサス)、キャロルさんはカトリックで、警察官として20年以上勤務してきた。「紛争」の時代からずっと。
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/11/profile-stephen-carroll-pc

緑色をベースにした北アイルランド警察(PSNI)の旗がかけられた棺は、同僚たちの肩に乗せて教会に運ばれた。霊柩車が進む道沿いには、大勢の人が見送りに来ていた。

そして、「武装闘争」もしくは「政治的暴力」もしくは「テロ」で殺された警官の葬儀としては初めて、シン・フェインの党員が参列した。

参列したシン・フェインの党員には、クレイガヴォン選挙区のジョン・オダウド自治議会議員がいる。この人は事件後いち早くステートメントを出し、「これは武装主義のための武装主義だ」と述べ、「統一アイルランド」という目標は政治的手段で達成すべきであり、警官を撃った集団には「大義」などない、と言い切った人だ。彼は「私たちは新しい社会を作ってきたのであり、その一部として(RUCを解体し)PSNIを作ったのです。そしてキャロル巡査はその新しい社会の一員でした」と葬儀で述べた(ガーディアン記事)。

BBCの記事には、北アイルランド警察トップのサー・ヒュー・オードの弔辞の映像が埋め込まれている。「月曜の夜の電話は、警察の長官としては最も聞きたくない連絡でした」、「その夜、警察に入った住民の方からの電話は、ごく普通にある出動要請でした。そしてスティーヴンはいつものように現場に赴き、凶弾に倒れました。北アイルランドという難しい事情を抱える地にあって彼は怯まず、警官としての義務を果たそうとして、倒れたのです」……。

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「非主流派リパブリカン dissident republicans」についてのメモ (1) ―― RIRAとCIRAの関係、など。

一体、「非主流派リパブリカン dissident republicans」とは何か、というと、通り一遍の「和平に反対する強硬派」とか「武装闘争で統一アイルランドを達成すべきと考えている人たち」とかいった説明は自力でできるのだけれども、それ以上のことはよくわからないので、見た記事についてなるべく細かくメモっている。主にはてなブックマークでdissident republicansというタグをつけてやっているが、それでは流れていくだけなので、ときどきはブログのほうでもメモしてみることにする。

準備として、2月のダウン州でのカーボム発見(Real IRAのもの。爆発前に爆弾処理班が対処)についてメディアの報道からメモったものを読み返したりもしている。たった1ヶ月前のことだが、読み返すと示唆的だなあ……ということはさておき。

アイルランドのエド・モロニーというジャーナリストが、なぜか日刊ヘイトメイルデイリーメイルで、今回の事態について何本か記事を書いている。

モロニーは北アイルランド紛争が専門、もっといえばリパブリカンについての調査報道が専門の有名なジャーナリスト。著作も複数ある(→著作一覧@amazon.co.jp)。私はこの人の著作はまだ読んだことがないが(ディープすぎて読んでもわからないと思うので買っていない)、ちょっと遠回しな書き方をするけれども、記事や著作の抜粋を読んだ感じでは、淡々と書くというタイプというよりは、主張ベースでかなり煽りながら書くタイプの人だと思う。(おそらく意図的に軸足を定めて書いているのだと思うけれど、文字通りには受け取れない感じがすることが多い。例えば、後ろの方で少し参照するけれども、3月10日の記事。特に記事の見出しと、「前提」を示す部分の記述があまりにスゴい。)

11日のメイル掲載の彼の記事に、dissident republicansと呼ばれる諸組織について、他ではあまり見ないようなことが書かれていたのでそれを抜粋しておこう。1998年のオマー爆弾事件についての記述だ。

Divided by bitter internal rancour, these dissidents CAN be defeated
By Ed Moloney
Last updated at 4:02 PM on 11th March 2009
http://www.dailymail.co.uk/debate/article-1161249/ED-MOLONEY-Divided-bitter-internal-rancour-dissidents-CAN-defeated.html

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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