「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2009年02月20日

アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件の「裁判」、被告全員に無罪の評決(英報道まとめ)

アンナ・ポリトコフスカヤ射殺事件で起訴されていた4人の被告について、無罪 (not guilty) との評決が出された。理由は証拠不十分。検察側は異議申し立てを予定しているらしい (BBC says "Russian prosecutors said they would appeal against the verdicts delivered by the jury.")。この裁判は、ガーディアンのルーク・ハーディングが "the chaotic and frequently amateurish trial" (混乱していて、素人がやっているようにぐだぐだの状態になることも何度もあった)と書いているように、いろいろとかなり滅茶苦茶だったらしい。

Anna Politkovskaya trial: Four accused found not guilty
Luke Harding in Moscow
guardian.co.uk, Thursday 19 February 2009 16.54 GMT
http://www.guardian.co.uk/media/2009/feb/19/anna-politkovskaya-verdict

February 19, 2009
Four cleared over murder of Russian journalist Anna Politkovskaya
Tony Halpin in Moscow
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article5766881.ece

Politkovskaya suspects acquitted
Page last updated at 14:16 GMT, Thursday, 19 February 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7899472.stm

ロイターの映像。最初は被告入廷の様子で、報道のカメラでびっしり。次に裁判所の建物の外で、またもやかなりすごい数の取材カメラの前で、被告の弁護士(若い)が「正義が為されましたが、これは同時に、真犯人がまだどこかにいるという意味です」ということを英語で語っている。(先日殺害されたマルケロフ弁護士とバブロワ記者の名前も出てくる。)そのあとで、ポリトコフスカヤ家の代理人であるカリンナ・モスカレンコ弁護士の「本当の犯人を見つけなければなりません」という内容のコメント(ロシア語、英語字幕つき)。
http://www.guardian.co.uk/media/video/2009/feb/19/anna-politkovskaya-verdict

17日には朝日新聞が、被告人の弁護士が、「FSBやカディロフ政権の人々が事件に関与していると検察側が認めた」と語った、というインタファクス通信の報道を紹介していた。
http://www.asahi.com/international/update/0217/TKY200902170293.html

【続きを読む】


posted by nofrills at 10:30 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む