「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年02月12日

1989年2月12日、パット・フィヌケン殺害/イームズ&ブラッドレー報告書について

071713543820年前の今日、1989年2月12日、ベルファストで家族とともに食卓を囲んでいた39歳の男性が、家族の目の前で14発の銃弾を撃ちこまれました。パット・フィヌケン殺害事件です。

フィヌケン事件については、先ほどNI FAQのほうに書きました。といってもほとんどがここの過去記事(2007年の)の再掲で、その後のアップデートが少しと、パット・フィヌケンについてのウィキペディアのページのだいたいの訳。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/114128411.html

さて、20年目のベルファストから、フィヌケン弁護士追悼集会のことが伝えられています。

Finucane death marked 20 years on
Page last updated at 08:24 GMT, Thursday, 12 February 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7884923.stm

北ベルファスト(パット・フィヌケンの家のあるエリア)で行なわれた追悼集会(ヴィジル)には、家族・親戚のほか、シン・フェインのマーティン・マクギネスが出席していたそうです。

また、アムネスティ・インターナショナル(この組織は北アイルランド紛争の根本原因にコミットしてきた組織です。設立者のひとりのマクブライドは北アイルランドのカトリック差別に取り組んだアイルランド人だし)が、フィヌケン事件について「完全に独立したインクワイアリー a fully independent inquiry」を求めるキャンペーンをスタートさせるそうです。

そうなった経緯についても、BBC記事に淡々と書かれています。いわく、2004年にコーリー判事(カナダ人)が、パット・フィヌケン、ローズマリー・ネルソン(両名はカトリックの弁護士でIRAメンバーなどをクライアントに抱えていた)、ロバート・ハミル(カトリックの一般人)という3人の「ロイヤリストに殺されたカトリックのシヴィリアン(=武装組織メンバーでない人々)」の事件についてと、メイズ刑務所内で射たれるという衝撃的な事件で殺されたロイヤリスト超過激派LVFのリーダー、ビリー・ライトの事件についての真相解明のインクワイアリーの実施を勧告し、フィヌケン事件以外の3件については現在インクワイアリーが進行中であるが(それと、BBCには書かれていませんが、アイルランド共和国警察がIRAに情報を流していた事件2件についても、コーリー判事の勧告により、共和国でインクワイアリーが行なわれています)、フィヌケン事件については、英国政府が提案した「インクワイアリー法(2005年)」(<これは、英国政府が極めて恣意的にあれこれできちゃう、という内容の法律)に基づいたインクワイアリーというものに家族らが反対しており、いまだフィヌケン・インクワイアリーは開かれていない。

家族らが求めているのは「完全に公開されたインクワイアリー」で、AIが行なうキャンペーンもそれと同じ。

追悼集会では、フィヌケン弁護士の息子さんで、お父さんがめちゃくちゃに撃たれるのを目撃したジョン・フィヌケンさんは、次のように語っているとか。
"Twenty years on, I'm overwhelmed by the amount of people who have come out to remember him and support us as a family in what we've been trying to achieve."

「20年経過していますが、今日追悼のために、そして私たち家族の取り組みをサポートするために来てくださった方がこんなにも多いことに感無量です。」


それから北アイルランドについてもう一件。下記、Consultive Group on the Pastの「イームズ&ブラッドレーの報告書」の続報。

2009年01月24日 政治的暴力と平和/和平のあいだに 3
http://nofrills.seesaa.net/article/113075567.html

この件については、正直記事を読むだけできつくて(特にオンラインで何年間も一方的にフォローしてきた人たちがこれについて書いてることを読むのはきつい)、ブクマするのがやっとなのだけれど:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/EamesBradley/

Slugger O'Tooleの人たちがこのための特別のサイトを立ち上げて、イームズ&ブラッドレーの報告書(190ページ!)を丁寧に読むという取り組みを始めておられるので、どうかそれをご参照ください。
http://www.consultationonthepast.org/
【続きを読む】
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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