「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年02月03日

寒波でイングランド南東部も積雪(写真へのリンク多数)

'best snowman at hoxton sq', by anamobe
* 'best snowman at hoxton sq', a CC (Attribution-Share Alike) photo by Ana Bernardo on flickr

犬は喜び駆け回り、果ては氷柱をおもちゃに楽しそうだが、猫が丸くなるためのコタツはない(けど、とりあえず家に入る)。コマドリのクリス(<写真のdescription参照)の心中を推し量ることはできないが、白鳥は心なしか「ウキウキウェイクミーアップ」な感じで、ロンドンのオープンスペースにはスノウマン大量出現し、オープンスペースのみならず路上にも出現し、人間クリエイティヴィティが見せ付けられる。クレジット・クランチも何のその、このスノウマンはお金持ち(大きいからちょっと重いけどオリジナルサイズ参照)、一方で大金持ちのはずのシティ・オブ・ロンドンの……これは何でしょう、ドラゴン? ともあれ、何なのかがわからない。一方で公園のゴミ箱はやたらと楽しそうだ。

欧州の寒波は、あまり雪が降らないイングランド南部までも雪で覆いつくした。ブリテン島の東岸から西へと雪雲が移動し、ロンドンは雪に覆われて公共交通も麻痺している。

雪の影響については、下記BBC記事のAt-a-glanceから(ページ上部のタブをクリック)。降雪・積雪に加え最高気温が0度とのこと。なお、3日に予定されていたうち対カーディフのFAカップ再試合は、雪のために延期
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7866366.stm

Flickrのグループ、Snowy London 2nd Feb:
http://flickr.com/groups/1044013@N22/

Flickrの "london snow" タグ検索(新しい順):
http://flickr.com/search/?q=london+snow&ss=2&s=rec

寒波は数日前からロンドンに雪を降らし、アップル・レコードの社屋での「ザ・ビートルズ、最後の屋上ライヴ」(1969年1月30日)から40周年を記念して行なわれた再現ライヴも雪の中:
http://flickr.com/photos/fictionelle/3249698258/

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posted by nofrills at 17:58 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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