kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年06月10日

米大統領は教皇をSir扱いする。

昨年のG8サミットでは、ついうっかり "Yo, Blair" と言ってしまったのがマイクに入ってて、全世界を騒然とさせたブッシュ大統領閣下であらせられるが(en.wikipediaで個別エントリになってるのには大笑いだが、どうやら米メディアでは「YoじゃなくYeah/Yaだ」としていたようですな。あたしゃ英メディアしか見ないし耳もBrit英語仕様なので "Yo, Blair" だと思ってますけど)、今年はG8サミット直後に、よりによって教皇を相手にやらかしていた模様。AFPさん記事から。(→英語でのAFPさん記事は、とりあえずカタールのメディアに掲載されているのが見つかったが、ほかのメディアでも掲載されていると思う。)

http://nofrills.seesaa.net/article/44449162.html?1463633117

米大統領は教皇をSir扱いする。: tnfuk [today's news from uk ] via kwout
[コード消去・代替画面挿入/2016年5月]



なお、AFPさんのレポートでは、教皇がGWBに対し「Sant'Egidio community の方々とお会いになられるご予定とか」と訊いたのに対し、GWBが "Yes, sir." と返答した、ということが伝えられているが、オーストラリアのブリスベン・タイムズでは着席する前に「お会いできて嬉しいです、サー」みたいなこと("It's good to be with you, sir")を言っていたと伝えられている。

通常、というかふつうは、教皇に対してはYour/His Holiness (またはHoly Fatherを用いることも) と言う。「はい、そうです」という場合は "Yes, Your Holiness." と言い、「教皇さま(聖下)は〜されるご予定です」は"His Holiness is going to do 〜." と言う、という具合だ。(英国のエリザベス女王について "Yes, madam." ではなく "Yes, Your Majesty." と言ったり、"Her Majesty is 〜." と言ったりするのと同様である。)

んなのあったりまえじゃん!と思うのだが、ブッシュ大統領閣下におかれましてはそんなのあったりまえじゃないらしい。

というのは、ブッシュ大統領閣下の「教皇に向かってSir」は今回が最初ではないのだ。

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posted by nofrills at 20:47 | Comment(5) | TrackBack(1) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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