kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年06月06日

2012年ロンドン五輪のロゴ

昨日、はてダの方にちゃちゃっとメモしたのだが、2012年ロンドン・オリンピックのロゴが決定した。はてダの方にはピーター・サヴィルのコメントをメモしてあるが、このロゴ、非常に微妙な感じというか、こういうのって80年代にあったよなぁという感じというか、そういう感じがする。なお、ピーター・サヴィルは「全体的に座りが悪いし、フォントがひどいが、インパクトはある」という主旨のコメントをしている。

問題のロゴは下記で見られる。http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/6719805.stm
http://main.london2012.com/en/news/archive/2007/June/2007-06-04-12-06.htm

で、このロゴの背景を説明する動画として公式サイト(london2012.com)に上がっていたものが下記。(※公式から消えていると思ったら、BBC記事によると、てんかん発作を引き起こす可能性がある映像として公式サイトからは削除されたとのこと。ご注意ください。)
http://www.youtube.com/watch?v=QorkoY1sVt4


これを見ても、どういうコンセプトでこのロゴが作成されたのかはよくわからない。80年代のTop of the Popsの映像(YouTubeでいろいろ見られるはず)を連想するだけで。ロンドンのオリンピック組織委員会では「インターネット世代にも親しみやすいロゴを」とか何とか言っているが、意味不明だ。明らかに80年代だよね、このセンス。

80年代の子供向け番組のオープニングとのマッシュアップ。違和感なさすぎ。
http://www.youtube.com/watch?v=hPjF8iL8qA4

もちろんというべきか、このロゴは不評も不評、大不評で(最も大きな理由のひとつが、このロゴのデザインに£40万という巨額の予算が費やされているということである)、決定後は新聞社のサイトでも個人のブログでも「何だあれは」系の意見をいくつも見かけた。というか、ほめている記事を見た記憶がない。

否定的反応を伝える記事の一例:
http://sport.independent.co.uk/olympics/article2614589.ece

みなさんの声@BBCの606:
http://www.bbc.co.uk/dna/606/A23431826
(「カジャグーグーみたいだ」とか「ナチのSSのマークみたいだ」とか、散々ですな。。。)

そういうなか、BBCでは「みなさんの考えたロゴ」をin picturesでまとめて紹介している。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/6719747.stm
【続きを読む】


posted by nofrills at 23:58 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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