kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2018年08月17日

英語の冠詞についての優れた本2冊

実用積読技能検定1級保持のみなさん、こんにちは。その技能に磨きをかけすぎた私は、ここしばらく「ネットにつなぐな、本を読め」を標語に、積読してあった紙の書籍1冊と電子書籍2冊(いずれも読みかけだった)を完読したのですが、懲りもせずまた積読本を増やしてしまいました。だって「おれ、この本を読み終えたら、あの本買うんだ……」と思っていた本なんですもの。

4887245734英語冠詞大講座
猪浦 道夫
ディーエイチシー 2016-01-20

by G-Tools


もちろん、積読技能は日々磨きをかけねばならないので、この本も積読中です。とはいえ、購入する前に都心部の大型書店で中を見て、第1章から第5章は「それかー」とか「そこかー」と言いながらノリノリで一気読みしてしまったので(といっても30ページ程度)、まったく手付かずというわけではありません。第7章も、すぐに必要としていたことが書かれていたため、早い時期に読んでしまいました。

目次は下記の通り。これよりもさらに細かい(小見出し入りの)目次が、版元のサイトにおいて画像で提供されています。(さらに、各章ごとの本文中の表&収録できなかった表もDLできるようになっています。)

第1章 序論―冠詞とは何か
第2章 冠詞が名詞に与える様々な情報
第3章 名詞の分類
第4章 名詞の4つの世界
第5章 名詞の各語形がもつ本質的な意味
第6章 不特定概念の名詞の分析
第7章 一般概念名詞の分析
第8章 特定概念名詞の分析
第9章 無冠詞名詞のまとめ
第10章 固有名詞と冠詞の徹底研究
第11章 「原則」を修正させるファクター
第12章 形態と統辞上の注意
Appendix 表
演習問題

https://www.dhc.co.jp/goods/goodsdetail.jsp?gCode=895210


目次の最後にちょろっと1行だけ出てくる「演習問題」が500題もあって、解答解説とあわせて本の厚さの半分を占めています。だから、全体で352ページの本ですが、読むところは180ページくらいです。180ページ程度、読み始めたらすぐに読めてしまうはずですが、何しろ中身が濃い。「怒涛の知識」な感じだから、勢いに乗って読んだほうが逆に頭に入りやすいかもしれないけど、年も年だし、昔のようには勢いに乗れない。

その濃い中身の本に何が書いてあるのか、10字以内でまとめよと言われたら(誰もそんなこと言わないけど)、「英語って、変だよね」ということです。すばらしい。そう言ってくれる本を待っている百万人(推定)にとっては必読の1冊。

著者の猪浦道夫さんはめっちゃたくさんの言語がおできになります。外大のイタリア語学科卒、同大学院ロマンス言語学研究科修了で、12ヶ国語の翻訳にたずさわり、7ヶ国語の語学研修講師ができるという方で、「ポリグロット外国語研究所」の代表を務めておられるということで、あたしなんざドジでノロマな亀でしかないという現実に秘儀「あー、あー、聞こえない」の術を駆使して立ち向かうよりないという感じですが、そういうパースペクティヴをお持ちの方が、英語の冠詞(および冠詞に必ずついてくる名詞……いや、主客が逆転してるか、名詞についてくるのが冠詞なので)について「ここが変だよ」と指摘してくださるので、「ですよねー」「なるほどー」「ですよねー」「なるほどー」連発で読み進めていくうちに、ああ、スッキリ!

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posted by nofrills at 11:00 | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月12日

【実例】"The team is 〜" か、"The team are 〜" か(集合名詞とアメリカ英語とイギリス英語)

サッカーのワールドカップのときに、英国のメディアの試合実況記事を見ながらちょこちょこ書いていた「イギリス英語」の特徴的用法について、先ほど読んだ記事で「アメリカ英語」の実例が出てきたので、ささっと書いておこう。これは多かれ少なかれ英語を真面目に(つまり「通じればいいんだよ」的な態度とは離れたところで)勉強しているとぶつかる壁のひとつで、細かいっちゃー細かいところなのだが、こういうところでどうしたらいいかわかんなくなって書き進めなくなってしまうことも多い。こうやって書いて検索可能な形にしておけば、いずれどなたかの役に立つこともあるだろう。

その「特徴的用法」というのは、《ひとつの集団》を意味する語(集合名詞)を単数として扱うか、複数として扱うかということに関するもの。例えばthe teamという語が主語になるとき、be動詞がisになるか(アメリカ英語)、areになるか(イギリス英語)、一般動詞(例えばhave)がhasになるか(米)、haveになるか(英)、という違いがある。

この場合必要なことに絞ってざっくり前提を説明しておくと、「集合名詞」というのは、見かけ上複数形でないものを言う。例えばThe New York Yankeesはそれ自体複数形なのでここで説明する単数・複数のルールとは関係なく常に複数扱いされるのが自然だが、ArsenalとかManchester Unitedとかになるとイギリスでは複数扱い、アメリカでは単数扱いというケースが見られるようになる。音楽のバンド名でも、例えばThe Rolling StonesとかThe Beatlesといったものはそれ自体が複数形だから特にconflictを起こすことはないのだが、BlurとかOasisとかOne Directionとかだとややこしくなる。(ちなみに私がこの「アメリカ英語とイギリス英語の違い」に気づいたのは、NMEとかMelody Makerを毎週読んでたときのことで、インターネットなんて環境がないことはもちろん、英語の本(洋書)も今のようには簡単には入手できず、なかなか「これ!」という説明に出会えなかった。)

現代において、一般的な日本の学校で教えられるのはアメリカ英語で、ほとんどの人がその《ひとつの集団》が「まとまって行動しているときは単数扱い、個々の成員について言うときは複数扱い」と習うはずだ(区立中学→都立高校と進んだ私もそうである)。ネット上に数限りなくある英語話者向けの文法解説サイト(多くは書籍に基づいている)でも、そのように説明されていることが多い。例えば、アメリカの専門家が書いた文法解説、grammarbook.comでは:
If these nouns are acting as a unit, use a singular verb.
Example: The team is heading for practice this afternoon.

If the sentence indicates more individuality, use a plural verb.
Example: The team are eating with their families tonight.

--- Subject and Verb Agreement with Collective Nouns

つまり「チームが練習する」ときはチームが1つのまとまりとなって行動しているので単数扱い、「チームがそれぞれの家族と食事する」ときは個々の成員の行動を言うので複数扱いとなる、という説明だ。これがオーソドックスな解説だろう。

しかしこの件について、コメント欄(おお、古き良き、機能しているコメント欄よ!「思いついたことの書き捨て場」でないコメント欄よ!)で次のようなやり取り(質疑応答)が行われている。

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posted by nofrills at 10:00 | 英語/実例 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月11日

2018年のthe 11th Nightは、近年珍しいほどに不穏な雰囲気だ。

というわけで暑い。近場の地域猫温度計によると35度(いつも人と目が合ったらぴゅーっと逃げていくねこさんが、今日は風通しのよい場所でコンクリの上にぐでーっと溶けたまま、じーっとこっちを見て、立ち上がるそぶりすら見せなかった)。まだ7月上旬ですよね、と思っていたが、今日はもう11日なのだった。

trendsbelfast11july2018.png7月11日。スレブレニツァ虐殺の日(と書くと「スレブレニツァだけないですよ」とか「セルビアだけじゃないですよ」とか「『戦争広告代理店』を知らないんですか」とかいう人から噛み付いてこられるので一応明示しておくと、「だけ」なんてことは言ってませんし、『戦争広告代理店』云々は虐殺が実際にあったことを否定するものではありません。否定論者はどっか行け、しっしっ)であり、北アイルランドでは毎年恒例の「イレヴンス」の日。今年はサッカーのワールドカップでイングランドが4強に残り、決勝進出をかけた試合が行われるっていうんで、私の通常の観測範囲は基本的に「その話でもちきり」の状態に近いが、ふとベルファストを見に行ってみると、やはり微妙に違っていた。

Trendsで1番上にあるBloomfield Walkwayは、この場所に設置されている11th Nightのボンファイアが11thの夜を迎える前に燃えた(燃やされた)ということでニュースになっているのだが、単に「何者かが火をつけた」ということだけではなく、現在の北アイルランドの過激派周りでキーとなる感じということで注目されているらしい。

「過激派」といってもあっち側ではない。そっち側だ。

Bloomfield Walkwayという通りの名をGoogle Mapsに投げても、どんぴしゃのものは見せてくれない(Googleには限界があるということを知るにはいい例だ)。私が見たときには近似値として "Bloomfield Avenue, Belfast" にピンを立ててくれやがったが、その通りにはボンファイアを設置するスペースなどない。つまりGoogleが「間違ってるかもしれないんですが」と言いもせずにしれっと示しているのは、「間違った答え」だ。

この場所を正確に知るには、別ソースから当たる必要がある。7日付ベルファスト・テレグラフの記事より:
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2018年07月08日

"Football is coming home" というお歌と、「イングランド」の包括性

イングランドがスウェーデンを破り、準決勝にコマを進めた。テキスト実況でしか見ていない(映像を見ていない)ので「快進撃」という表現が果たして妥当なのかどうかよくわからないが、ワールドカップでイングランドの「お通夜」を見ることなく「お祭り騒ぎ」を見る、ということが続いていること自体、感慨深いことだ。

特に準々決勝でのスウェーデンとの試合があった今日は土曜日で、Twitterには「結婚式だというのに誰もが気もそぞろ」という報告あちらこちらから上がっている

始まるまでは、あんなに盛り上がってなかったのに。

今回のワールドカップ、事前の盛り上がりがなかったのは、直前での監督解任という異様なことが起きていた日本だけではない。イングランド――というか、UKの一般メディアでも、事前にはあまり関心が払われていなかったのではないかと思う。開催地がロシアであること、そして2018年3月のソールズベリーでの化学兵器による襲撃事件などもあって、ロシアに対する英国の感情は、控え目に言っても「とても悪い」ということも作用しているだろう。大会開幕前によくありがちな「開催地のトラベルガイド」のような記事も見なかったし、逆に「こんなことで開幕できるのか」的な煽り記事(2010年南ア大会のときが本当にひどかった)もずいぶん前にならあったかな、という感じ。

それどころか、開幕直前に愛国タブロイドThe Sunが、ラヒーム・スターリングが右脚に入れたタトゥーを「問題視」するとかいうわけのわからないことをしていて、リネカーさんが「大会前にプレイヤーの気持ちを折ろうとするメディアの奇習」といったことをTwitterで述べていたくらいだ(この「報道」は逆に、スターリング本人にそのタトゥーの理由を説明する機会を与えることとなったのだが。ちなみに彼のタトゥーはM16機関銃で、それを入れた理由は、彼が子供のころに銃で殺された父親のことを踏まえて、「俺は銃は持たない。俺には右脚があるから」ということを表現するため)。

しかし開幕してみれば、ガレス・サウスゲイト率いるイングランドは快進撃で、試合のあった日はほぼ必ず、♪It's coming home, it's coming home... のお歌が(ヴァーチャル空間に)響き渡るという様相だ。



この曲は元々、1996年――1966年にイングランドがワールドカップを手にしてから30年後――の欧州選手権(EURO)イングランド大会のときに、イングランドの公式応援歌としてリリースされた。いろんな意味で「イングランドらしい」曲だ。

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2018年06月26日

言葉だけの世界に基づいて、言葉だけでない世界に実在する人の人生を断ち切るということが起きて(含: 「はてな」の複雑なサービスの説明)

「えっ」としか言葉にならない。ご家族・ご友人・同僚の方々にはどれほどのショックであることか……。私には「深く哀悼の意を表す」といった決まり文句を書くことしかできないが、実際のところ「哀悼の意」以前の「衝撃」の段階で止まっている。

起きてはならないことが、起きたのだ。

25日(月)昼の時点で既に、報道は多く出ていた。そのあとも記事は続いた。「セミナーで講師をしていたIT専門家が殺された」、「その専門家はブロガーでもあった」という方向の報道をいくつか見たが(例えば毎日新聞: archive)、たぶん逆で、「ブロガーが殺された」、「そのブロガーは本職では専門家だった」という事件だ。

記事の見出しを見るだけでも痛ましいが、NHKの記事を2つ見ておこう。

セミナー講師 刃物で刺され死亡 交番に出頭の男が刺したか
2018年6月25日 1時42分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180625/k10011494201000.html (archive)
警察によりますと、刺されたのは、この施設で開かれたIT関係のセミナーで講師を務めた東京・江東区の会社員、岡本顕一郎さん(41)で、セミナーの終了後、トイレで男に背中を刃物で刺され、その後、死亡が確認されました。

男はナイフのようなものを持って自転車で逃走し、警察は殺人事件として行方を捜査していました。

警察によりますと、24日午後11時前に福岡市東区の交番に血のついた刃物を持った男が出頭し、「人を刺した」と話したということです。

警察は、この男が岡本さんを刺したとみて確認を進めています。


ITセミナー講師死亡 逮捕の男 背中や胸を何度も刺したか
2018年6月25日 14時55分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180625/k10011494661000.html (archive)
24日午後8時ごろ、福岡市中央区にある企業の創業支援施設で、IT関係のセミナーの講師を務めた東京・江東区の会社員、岡本顕一郎さん(41)が、セミナーの終了後、トイレで男にナイフで刺され死亡しました。

警察は、交番に出頭した福岡市東区の無職、松本英光容疑者(42)を殺人などの疑いで逮捕しました。

調べに対し容疑を認め、「ネット上で恨んでいた。死なせてやろうと思った」などと供述しているということです。

警察によりますと、松本容疑者は会場の施設で岡本さんを待ち伏せし、背中や胸、首などを何度も刺したということです。

その後、松本容疑者が出頭した直前、インターネット上に、「俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ。『こんなことになるとは思わなかった』なんてほざくなよ。これから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ」などと書き込まれているのが見つかりました。

……

岡本顕一郎さんは、インターネットで「Hagex」という名前でブログを運営し、この中でネットの匿名掲示板やソーシャルメディアでのトラブルなどをいち早く紹介したり、わかりやすく解説したりする、いわゆる「ネットウォッチャー」の1人として知られていました。


Hagexというハンドルネーム/IDは、見れば「ああ、あのブログの人」とわかる程度にはネット上で知っていたが、特に接点はなかった(「はてな」社のサービスのユーザーとしてすれ違うくらいのことはあっただろう)。そのブログはとても有名で、毎日チェックするという人も非常に多そうだ。私個人は「話題になっているときに見てみる」程度でしかないが、私と同様に「読者とは言えないが、知っている」という人を入れたら、氏の書いたものにそれなりの頻度で接している人は、膨大な数にのぼるだろう。

その人が、「ネット上で恨んでいた」という理由で、ネット上の誰かに刺し殺されたという。

事実上「知らない人」のことなのだから、「気の毒に」と思いはしても衝撃などは受けなさそうなものなのだが、実際にはそうではない。ネット上で「脅迫」だの何だのということと無縁ではないためだろう。


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2018年06月11日

英国のEU離脱とロシアの関係についてオブザーヴァーの調査報道記事が出る直前に、「サンデー・タイムズのスクープ」という〈物語〉がBBCなどでもでっち上げられた件

6月10日付のオブザーヴァーで、Brexitを強力にプッシュしたキャンペーン・グループに活動資金を出してきた富豪が、これまで考えられていたより深くロシアとつながっていたという疑惑が裏付けられたという報道があった(オブザーヴァーはガーディアンの日曜版で、ウェブサイトへの掲載は前日の土曜日、9日の深夜というタイムスタンプになっている)。記事に署名があるのは、Facebookとケンブリッジ・アナリティカに関する調査報道で陣頭に立ったキャロル・カドウォーラダー記者。

Arron Banks ‘met with Russian officials multiple times before Brexit vote’
Documents seen by Observer suggest multiple meetings between 2015 and 2017
Carole Cadwalladr and Peter Jukes, Sat 9 Jun 2018 23.35 BST
https://www.theguardian.com/politics/2018/jun/09/arron-banks-russia-brexit-meeting
The communications suggest:

- Multiple meetings between the leaders of Leave.EU and high-ranking Russian officials, from November 2015 to 2017.

- Two meetings in the week Leave.EU launched its official campaign.

- An introduction to a Russian businessman, by the Russian ambassador, the day after Leave.EU launched its campaign, who reportedly offered Banks a multibillion dollar opportunity to buy Russian goldmines.

- A trip to Moscow in February 2016 to meet key partners and financiers behind a gold project, including a Russian bank.

- Continued extensive contact in the run-up to the US election when Banks, his business partner and Leave.EU spokesman Andy Wigmore, and Nigel Farage campaigned in the US to support Donald Trump’s candidacy.


私がこの記事に気づいたのは日本時間で10日の朝8時前のこと。ガーディアンのスマホのアプリをチェックしたときにトップニュースになっていた。

スクショを取っておかなかったのが悔やまれるが(その後、所用を済ませて夕方になるころにはトップニュースはG7サミット閉幕の記事に切り替わっていて確認できず)、Exclusive(オブザーヴァー独占)とは書かれていなかったと思う。だが、形式的には「オブザーヴァーが確認した文書によると」なので「独占」という扱いで出ててもよいはずだ。

「他のメディアにも同じ文書がばらまかれて、各社一斉報道ということなのかな」と思ったが、その時点ではBBCには記事がなく、「各社一斉報道」の線は消えた。

何だろうな、という疑問が解けたのは、所用を済ませたあと、夕方になってパソコンを立ち上げたあとだった。Arron Banksの名前がTrends (UK) に入っていたので、「オブザーヴァーのスクープ(だと私は思っていた)が大反響のようだ」と思いながらクリックすると、目に飛び込んできたのはオブザーヴァーではなく、サンデー・タイムズの記事についての大量のツイートだった。2紙同時報道? ネタかぶり?


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2018年06月03日

A Very English Scandal: ジェレミー・ソープという政治家の疑惑と、BBCの消していなかった調査報道テープ

英国で、1960年代から70年代に活躍した政治家に、ジェレミー・ソープという人がいる。1929年生まれで、最初に国会議員になったときはまだ30歳だった。イートン校からオックスフォード大というエリートコースを歩んできた彼は、名門の出で、父親と母方の祖父は保守党の国会議員だったが、自身は当時党勢を失っていた自由党(1988年以降は自由民主党: Liberal Democratic Party)に入った。1967年には自由党の党首に選出された。

1970年代、保守党と労働党の二大政党の人気が低落する中、自由党は「第三極」として選挙で成功を収めるようになった。保守党のテッド・ヒース首相が足場を固めようとして戦った1974年2月の総選挙で、労働党のハロルド・ウィルソンを相手に大苦戦というか37議席も減らすという体たらくに終わり(2017年のテリーザ・メイの愚かな総選挙によく似ている)、保守党が297議席、労働党が301議席のhung parliamentとなったときには、14議席を獲得していたソープの自由党が保守党の連立相手として交渉が行われた(サニングデール合意によってアルスター・ユニオニストが離反していたため、保守党にはほかに頼れる政党がない状態だった)。しかしこのとき、ソープが得票率と獲得議席の乖離を修正する選挙法改正を求めたことで連立交渉は決裂し(これは2010年の選挙とよく似てるけど、2010年は選挙法改正運動そのものがふにゃふにゃにされて終わってしまった)、保守党のヒースは辞任し、組閣は労働党のウィルソンが行うことになった(その後、同じ年の10月に改めて選挙が行われ、ウィルソンの労働党が単独過半数を取って、安定した労働党政権が発足した)。

1950年代、ソープは、大学を出て法律家(バリスター)の資格を得ていたが、それでは満足に暮らしていけなかったので、テレビのジャーナリズムで仕事をするようになった。元から植民地主義や人種隔離(アパルトヘイト)を改善しなければならない(でないと社会主義に対抗できなくなる)と考えて活動してきた彼は、1950年代の激動の世界情勢を伝えるジャーナリストとして存在感を示していたことだろう。

ジャーナリズムの道は政治家と両立できず、彼はテレビの仕事はやめてしまったようだが、その経験は「テレビ映え」という点で彼の中によい財産として残ったようだ。自由党党首となったソープの会見の様子(下にエンベッドするものの前半)や、TVでのインタビュー(音声なし)のBritish Patheの記録映像を見ると、「この政治家は人気があっただろうな」と思える。





しかもその主張が、「弱者」への思いに満ちている。下記はトラファルガー・スクエアでロンドンの労働者階級の劣悪な住環境を改善すべきと演説しているときのもの。どうでもいいけどハトがすごい。


しかし、このようにキラキラと輝いていた時期には既に、ジェレミー・ソープには隠蔽すべき秘密があった。

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2018年05月21日

ハリー&メーガンの結婚式: We must discover loveというシンプルで力強いメッセージ

英王室には特段の興味はないが、「英国の儀式」類を見るのが好きなので、ハリー&メーガンの結婚式もネット中継で見ていた。式の日取りが告知されて以降の、まさに「フィーバー」としか言いようのない熱狂的な報道は、「政治家は式に招待されない」というこっち系の話題を除いては見出しを見るくらいしかしていなかったので、詳しいことは知らなかったが、それでも式がウィンザーで行われることとか、メーガンさんのお父さんが式に出るの出ないので話が二転三転していたこととかは(最終的には「健康上の理由で断念」ということになり、花嫁の手を取って祭壇に向かう「花嫁の父」役は、新郎の父であるチャールズ皇太子がつとめることになった、ということも含めて)把握できていた。

というか、今回のロイヤル・ウェディングに関する英国の報道は、本当に「熱狂的」としか言えないレベルで、普段から「王室大好き」をアピールしまくっている大衆紙の報道には基本的に接していなくても、正直、うんざりするレベルで騒ぎが展開されていた。きっとネット時代、英国のメディアにとっては、(国外からも)大変に多くのクリック数、view数が見込める貴重な「コンテンツ」なのだろう。どのくらいの大騒ぎだったかというと、伝統的に共和主義(王政廃止論)の新聞であるガーディアンが、特設コーナーを作っていたほど……というか、ガーディアンはウィル&ケイトのときに共和主義の魂を売り渡して熱狂して旗をぱたつかせるようになったので、今さら驚きもしないか。

しかし今回のガーディアンはウィル&ケイトのとき(+その翌年の女王のダイヤモンド・ジュビリーのとき)より、さらにひどかった。申し訳程度に共和主義者/王政廃止論者(Republicという団体)の記事は出ていたが、ほぼずっと熱狂しっぱなしだった。式が終わった翌日になってもまだ熱狂しっぱなしで、トップページの特設コーナーには「こんなに記事いらんだろ」というくらいたくさんの記事が並んでいる……どころか、クリックしようと思ってポインターを合わせると、新婚カップルの上にガーディアンのロゴの入った紙吹雪が舞うようになっている! (・_・)



と、まあそんな感じで私は東京で呆れて、こんな顔→ (^^;) をしているのだが、今回の式が予想に違わず、というより予想をはるかに凌いでぶっとばすレベルで、すごくおもしろかったことは事実である。英王室があれをやったというインパクトは、でかい。マーティン・マクギネスと女王が握手したとか、女王のウィンザー城での宴にマーティン・マクギネスが招待されたとか、チャールズ皇太子がジェリー・アダムズと握手したとかいったことに匹敵しそうなくらいのインパクトを、私の中に残した。「それ、やっちゃうんだ……王室が!」的な。

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2018年05月09日

「ずっと一緒にいようねと言ったのに」という歌で、アイルランドがユーロヴィジョンに勝ち残る。

何年ぶりだろうか。毎年恒例、広域欧州+αの国別対抗歌合戦ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト (#Eurovison) のセミ・ファイナル(と呼ばれる予選ラウンド)を、アイルランド(以下「あたしのアイルランド」)が勝ち抜けて、5月12日(日本時間では13日未明あたり)に行われるグランド・ファイナルにコマを進めた。

今年のあたしのアイルランドの代表はRyan O'Shaughnessyというアコギ1本持って歌うシンガー・ソングライターで、曲はTogether. 歌詞はこちら(折りたたまれているのをクリックで表示させてください)。



※なお、Ryan O'Shaughnessyには「ライアン・オショーネシー」というカタカナが当てられているし、そう聞こえる場合もあるのだが、本人の発音(リンク先冒頭)ではghを発音していて「オショーフネシー」というように聞こえる。この辺はアイルランド島の中でも地域差などがあるのかもしれない。

「何年ぶりだろうか」と思って検索すると、すぐにIreland in the Eurovision Song Contestというページが見つかるのが、英語圏の情報の分厚さである。前回、あたしのアイルランドがグランド・ファイナルに進んだのは2013年、Ryan Dolanという歌手の "Only Love Survives" という曲だ(曲名自体がものすごいユーロヴィジョン的)。



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2018年05月05日

バスク武装組織ETAの解体(北アイルランド和平関係者が式典に出席)

バスクのETAが解体したということを、5月4日に日本語圏のニュースで知った。英語圏では月初には既に伝えられていたようだが、私は気づかなかった。英語圏の報道は相変わらずトランプがどうのこうのというゴシップめいた記事満載で(今月に入ってからは、大統領選前に「トランプはすっごい最高に健康、めっちゃ健康すげぇ」みたいな医師の診断書が出ていたが、それはトランプ自身が口述筆記させたものだった、新たに弁護士になったルディ・ジュリアーニが、ストーミー・ダニエルズへの口止め料についてトランプの説明と矛盾することを言っているとかいうので大騒ぎ。今日もまたNRAの集まりで「ロンドンはナイフ殺人がすごいですよ、まるで戦場」とか言ってるっていうのでトップニュース。ばかばかしい)、いきおい、ニュースチェックが雑になってしまう。さらに、こういうどうでもいいゴシップ(に見えるけど、トランプの方針の一部……「常にニュースになっていること」自体が目的だから)に、天変地異系ニュースなどに比べれば緊急性は劣るがニュースとしては比較的重要なトピックが、埋もれるか流されるかしているので、「報道機関のサイトのトップページを見て、その日のニュースをチェックする」というやり方では見落としが多くなってしまって困る。かといってTwitterではどうしてもアメリカのユーザーが多いから話題も「アメリカ」寄りになりすぎて、実際には「米国内では重大なニュースなのかもしれないけど、うーん……」というものを「普遍的重大ニュース」と誤認してしまうこともあり、いろいろと悩ましい。

ともあれ、ETAである。

テロ組織「バスク祖国と自由」解体宣言 800人超殺害
パリ=疋田多揚2018年5月4日21時25分
https://www.asahi.com/articles/ASL545GVQL54UHBI01M.html
 半世紀にわたりスペイン・バスク地方の分離独立を主張してテロを重ねてきた武装組織「バスク祖国と自由」(ETA)が3日、組織を完全に解体したという「最終声明」を出した。

 ……

 ETAは、スペイン北部からフランス南部に広がるバスク地方の独立を求める組織。1959年に結成され、68年からテロを始めた。政治家や警官、市民ら800人超の命を奪ったテロ組織だが、近年は当局による摘発強化で弱体化が進み、11年には武装闘争の最終的な停止を宣言。先月には地元紙に、これまでのテロの犠牲者に謝罪する声明を寄せ、解体は間近とみられていた。


50年も武装活動を行ってきたETAによる死者数が「800人超」というのを「案外少ない」と感じてしまうのは、昨今の所謂イスラム過激派の異様な殺戮が当たり前になってしまったせいではなく、北アイルランド紛争の約30年間にIRA (PIRA) が1705人も殺害していることと、無意識に比較してしまうからだ(ちなみにロイヤリスト側は諸組織合計して1027人を殺している。英当局と警察は、UDRも入れて361人)。当事者にとっては、そんなことはどうでもいいことで、私のような完全な部外者が「少ない」という馬鹿げた感想を漏らすことも、耐え難いことだろう。

だが、バスクの和平プロセスには、一足先に和平プロセスを開始した北アイルランドの当事者たちが深く関わってきたのであり、ここで北アイルランドと比較してしまうことは「無関係なものを持ち込んでいる」と非難されるべきことでもない。というか、和平プロセス以前にいわゆる「武装闘争」の時代から、IRAとETA(およびそれぞれの政治組織)は強く結びついてきた(「共闘」の関係にあった)。

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2018年04月11日

20年前、北アイルランド和平プロセスが始まった(グッドフライデー合意の署名から20年)〜当時の日本の報道は

昨日、2018年4月10日に、北アイルランド紛争を終わらせた和平合意(グッドフライデー合意こと、ベルファスト合意: 以下、GFA)が、20歳のお誕生日を迎えた。

今から20年前の1998年4月10日、米国のジョージ・ミッチェル上院議員(元)が仕切り、英国のトニー・ブレア首相とアイルランド共和国のバーティー・アハーン首相が調整を行うなどして持たれていた北アイルランドの複数政党・政治団体間交渉の場で、合意文書が署名された(元々の期限は9日だったが、それを突破して翌日にずれ込んだ)。

「複数政党間交渉」といっても、この合意のベースに反対していた極端な人たちは関わっていない。彼らは交渉の場の外で「合意反対」のデモを行っていた……その強硬な反対派が、2003年以降北アイルランド自治議会・政府で第一党となり、2007年以降は別の合意をベースにして、GFAが決めていた権限分譲(パワー・シェアリング)の自治政府に参加してきたが、2017年にその自治政府が崩れて自治議会の再選挙が行われたあとは、GFAが決めていたアイルランド語の公用語化に対する抵抗を理由・口実として自治議会・政府の再起動を阻み、一方で、Brexitに向けて議会の意思統一を図るためという愚かな判断でばかげた総選挙をした結果、英国会下院での単独過半数を失った保守党が、議会運営に必要な数を確保するために非公式な(事実上の)パートナーとしているDUPである。(一文が長い。)

ともあれ、「GFAの20歳のお誕生日」を記念して、北アイルランドではいろいろな主催者がいろいろなイベントを行った。中でも目玉となったのが、ベルファストのクイーンズ大学が主催した、交渉と和平の当事者たちによるパネルディスカッションである。招待客オンリーのイベントだったが、イベント会場から何人かのジャーナリストや学者がライヴ・ツイートし、また冒頭のジョージ・ミッチェルによる基調講演と、ビル・クリントン、トニー・ブレア、バーティー・アハーンの当時の米英アイルランド3カ国首脳を迎えて行われた第3部(進行はミッチェル上院議員)はクイーンズ大学がFacebookの機能を使って生でネット配信していたので(アーカイヴもされているから、いつでも再生可能)、私もここ東京の自宅で生で見ることができた。それらのライヴ・ツイートや私のメモを中心に、2018年4月10日の北アイルランドのことを、Chirpstoryを使って記録してある(#GFA20 のハッシュタグは、このイベントに限らずもっと一般的な「GFA20周年」についての発言でも用いられていたので、それらも少し入っている)。このイベントについても何か書ければよいのだが、あいにくその時間が取れないかもしれない。書けたらまた改めて書きたい。

さて、私は私なりにGFAの20年を祝うために、1998年当時に日本の新聞が北アイルランド和平をどう伝えていたかを確認してみようと思い立った。とはいえ、入念な準備ができていわけではなく、何とか時間が取れた10日当日にダッシュで図書館に行って1998年4月の新聞縮刷版を書庫から持ってきてもらい、10日付(現地では9日の動き)から12日付の一面や国際面をざーっと見る程度のことしかできなかった。行った先の図書館に縮刷版があったのが、朝日新聞と毎日新聞と日本経済新聞だけで、讀賣新聞のはまだ確認できていない(讀賣縮刷版を所蔵している図書館に行くことがあれば、見てこようと思う)。

以下、それら当時の記事を見ていこう。

gfa20-april1998.jpg

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2018年03月25日

骨折生活のディテール (2) 〜8週を過ぎてかなり回復

12月に骨折したあとの「右手が使えない」状態での日常生活について、1月の末に書いた記事の続きを書いておこうと思っていたが、なかなかその時間が取れずにいた。今もほかにすべきことは山盛りなのだが(例えばケンブリッジ・アナリティカに関する3月17日以降のガーディアンの怒涛の報道についてのページは、アップデートが全然追いついていない。今もまた新展開があって、さらに次のスクープが来てる。ことは「FBのデータが持ち出された」だけではない)、とりあえずケガからの回復の過程について書いておこう。腕を骨折した人はこんなふうなんだ、ということで、自分が骨折していなくても想像力を働かせるための材料としていただければと思う。実際、想像以上に細かい部分で不自由になるということは、1月の末に書いた通りだ。

なお、その記事が、あたかも受傷直後から炊事用のゴム手袋を使えていたかのように読めてしまうかもしれないのだが、受傷直後は右手は痛くて何もできない。手首に負荷をかけるようなさわり方もできない感じで、きつきつのゴム手袋はもちろん、ふつうの防寒用の手袋でさえつけられなかった。ゆるゆるのもふもふ素材の指なし手袋というか手首ウォーマーならなんとかなったので、厳寒期は右手はそういうのを着けてしのいでいた。左手は防寒用の手袋をしていたが、右手が使えないので大変だった。装着するほうは左手だけでなんとかなっても(正確には、椅子に腰掛けて手袋に手を突っ込んで、手首のゴムのところをひざなどに当てておいて、手袋の中に手をぎゅっと押し込む感じ)、外すのは片手ではできず、うちら世代なら必ず通じる「片平なぎさ方式」を使わざるをえなかった。気分は復讐に燃える悲運のピアニストである。

そんな日々も遠くなり、現在は右手の機能は、受傷前の(体感で)6割くらいまでは回復してきた。

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2018年03月19日

「怒り」か「退屈」か――イラクから来た爆弾犯(ロンドン、パーソンズ・グリーン爆弾事件)

ロンドン、パーソンズ・グリーンの地下鉄爆破テロで起訴された18歳の男に、先週、「殺人未遂で有罪」とする判決がくだされた(被告が何年獄中で過ごすことになるのかは、まだわからない)。

「パーソンズ・グリーンの地下鉄爆破テロ」と言っても、通じないかもしれない。写真を見れば思い出すという人もいるかもしれないので、まずはGetty Imagesの写真。

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この事件で、今回有罪となった男が地下鉄車両内に持ち込んだ爆発物は部分的にしか爆発せず死者が出なかった。だから「テロテロテロテロ」と騒ぐことが大好きなメディアも観客(そう、「観客」)も大して注目しなかった(それは幸いなことではある)。被害らしい被害の詳しい報道はないと思うが、それでも大火傷を負った人がいることはBBCなどでも報じられている。

報道がどうたらということは、まあ、今はどうでもいい。二次的なことだ。

事件が起きたのは今からほぼぴったり半年前の2017年9月15日のことだった。金曜朝の通勤時間帯に、ロンドン地下鉄ディストリクト・ラインの列車内に持ち込まれていたスーパーの買い物袋が、列車がパーソンズ・グリーン駅に到着したところで突然火を噴いた。列車内に炎の玉が飛び、何人かに火傷を負わせたが、爆発としての威力は小さく、2005年7月7日のような事態は避けられた。同駅はロンドン市街部の少し外側にあり、周辺は基本的に住宅地というか何の「標的」もない地域で、そのタイミングでの爆発(発火)が犯人の意図通りかどうかはわからないと事件発生直後から伝えられていた。当日のことは、「NAVERまとめ」を利用して記録してある

ParsonsGreen1.jpgディストリクト・ラインは19世紀に開業した古い路線で、「ロンドン地下鉄」ではあるけれど厳密には「チューブ」ではない(でも地下鉄全体の通称がtubeだからそのように呼ばれている)。密閉空間ではなく上が空いているか、あるいは完全に地上を走っている。また、駅は都心部ならば開業時より拡張されたり建物が建て替えられたりしているかもしれないが、パーソンズ・グリーンのような都心から外れたところの駅は往時の駅舎がそのまま使われている。つまり、駅が(今の基準でみれば)とても小さく、出入り口の間口が狭い(写真参照。出典はWikipedia)。そのため、爆発があった列車を下りて退避した人々が一度に狭い出入り口に押し寄せたことで、群集事故のような状態が生じた。それはおそらく、爆破を試みた犯人は意図していなかったことだろう。それでも誰も死ななかったことは、実に、不幸中の幸いだった。

同年5月23日のマンチェスター・アリーナ爆弾事件のショックもまだ残っている中で、首都ロンドンの地下鉄で発生した爆弾事件は、幸いにも爆発物が不発だったため、被害という点では衝撃は少なかったかもしれない。しかし、事件直後に警察が容疑者関係先として非常線を張って調べたのが、「移民街」や「都心の民泊施設」などではなく、ロンドン近郊の「閑静な住宅街」だったことは、場が静まり返るような衝撃を与えていたように見えた。より詳しく言えば、その「閑静な住宅街」に暮らす篤志家の高齢のご夫婦が受け入れている難民の子が、容疑者だったのだ。

英国外に脱出しようとしていたところをドーヴァーで逮捕され、起訴されたその容疑者が、この3月半ばに「殺人未遂」で有罪判決を受けたアハメド・ハッサン(18歳)だ。イラク人で2年前に親を失った子供の難民として英国に来た。英国では教育を受け、成績優秀で表彰もされていたという。

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2018年03月16日

訃報: スティーヴン・ホーキング博士

スティーヴン・ホーキング博士が亡くなったことについて、特に何かを書ける素養を私は持ちあわせていないが、楽しくお茶をふいて……いや、真顔でお送りすべきだろうということは強く思うので、そういうのをちょっとメモっておきたい。

ホーキング博士は天才物理学者だそうだが、物理の素養がない私には何がどう「天才」なのか、実はわからない。信頼できそうな人たち&機関がみんな「ホーキング博士は天才物理学者」と言っているのでそれが前提になっている。個人的には、ALSという残酷な病で身体を動かす能力を奪われながら、テクノロジーを駆使し、思考を言語としてアウトプットできるのだということを示してくださった方というインパクトが何より鮮烈だ。そして、見た目では止まっているように見えても、人の中は、ものすごくたくさんのことが高速で動いているんだということについても……同じ病で早く亡くなったトニー・ジャット先生が、最後の何ヶ月かの日々の一部(ALSで自由を奪われた人の日常)をガーディアンを通じて公開していたが、それについて「ホーキング博士と同じ」ということで自分も理解がいったし、ジャット先生を知らない人にもわかってもらいやすかった。ホーキング博士が積極的にメディアなど公の場に出て発言していたことの意義は、その発言内容の意義とは別に、ある。それもとても大きな意義が。

そういった活動の一環、というか、英国外のうちらが「しまった、この人、イギリス人だった」と思ってしまうようなユーモア感覚を示す場として、ホーキング博士はTVのコメディにゲストとして出演したことがある。

英国では毎年春に、Comic Reliefというイベントが行われる。日本でいえば「24時間テレビ」のようなチャリティの風物詩で、お笑いの人を中心に、芸能界とメディア全体が赤い鼻をつけて盛り上がる。そのイベントの2015年のとき、BBCの連続コメディ番組Little Britainの「車椅子の人を介助するルー」のネタで、ホーキング博士が「介助される側」として出演した。ただし、そこはもちろん、ただ「介助される側」で終わりはしない。すごい展開を見せるクリップは必見である。英語わかんなくてもたぶん話はわかる。


LO RES - Comic Relief 2015 - Little Britain with Stephen Hawking from daffylondon on Vimeo.



そしてこの2年後、2017年(昨年)のがこちら。





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2018年02月17日

フロリダ州の高校銃撃事件容疑者が白人至上主義団体に所属していたという事実は、確認できていない(活動家のホラにAPが釣られた模様)

APが釣られるとさすがに影響がものすごく大きいようなので、取り急ぎ、メモ程度のことを書いておく。結論だけ先に書くと、「フロリダの高校銃撃犯が、現地の極右団体に所属していたという話は、団体を率いる活動家のフカシで、でたらめ」ということだ。ニコラス・クルスが白人至上主義団体にいたという事実は確認されていない。(そういう思想を持っていたことは否定されていない。ただ、団体への所属という事実はないと思われる。)

以下、詳細。

2月14日、バレンタインデーの米国からのニュースは、米国らしく血まみれだった。メリーランド州フォート・ミードにあるNSA本部ではゲートのところで銃撃・発砲があったと伝えられた。3人が負傷しており1人が逮捕されたという話で、ゲートの脇の不思議な位置に、フロントグラスに銃弾の痕が見て取れる車があって、捜査当局者がお仕事中という空からの写真・映像が配信されてきたが、それはそれっきり沙汰止みとなっていた(たぶん、何があったか明らかにされることなく、忘却されるだけだろう)。死者が出たというニュースは見ていない。

そのNSAのニュースの続報に何となく注意を向けていたときに流れてきたのが、「米フロリダ州の学校で銃撃事件が発生」というヘッドラインだった。

アメリカの学校で銃撃事件が発生したというヘッドラインを見ても、私はいちいち反応しない――そのくらいしょっちゅう起きているし、サンディフック小学校でのあのめちゃくちゃな銃撃事件のあとでも特に何も変わらなかったんだから、アメリカ合衆国はあの問題に対処できない(対処できるシステムを備えていない)としか考えられないし、そう結論してしまっているからだ(服部君、ごめんなさい)。BBC Newsのトップでも発生を報じていたが、「またか」的なことでもニュースバリューはあるしね……。

しかし、今回フロリダ州のパークランドという名の町で起きた学校銃撃事件の詳細が流れてきたときには、さすがに目がさめた。「死者少なくとも15人」という速報(元のTweetの時刻は日本時間で15日の朝7時50分、R/Tの時刻は朝8時過ぎ)などだ。そのときにはもう初報から何時間も経過していて、Twitterはすでに人々の「声」で埋まっていた。そのいくつかはR/Tしたし、Twilogで(元のツイートが削除などされない限りは)いつでも閲覧できるのでそちらをご確認いただきたい(中には、「バレンタインデーですね。大切なあの人に銃を贈りましょう」という販売店の宣伝ツイートをNRAがR/Tしていたが、高校銃撃事件発生でR/Tを取り消した」という報告などもある)。ここではこの事件そのものについて書くことは目的ではない。

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2018年02月12日

ジェリー・アダムズがシン・フェイン党首を退いた。

3か月近く前に、「2ヶ月以上前に告知され、『ついに』と思ったことではあるが」と書き始めているので、都合、6か月近くの猶予というか待機時間があったのだが、それでもやはり、またしても、「ついに」という感覚に包まれている。

この件に関心・興味がある人で、このニュースに接して「ついに」という感覚を覚えない人はいないだろう(あるいは、昔は関心を向けていたが最近は見ていなかったという人は、「まだやってたのか」と思うかもしれないが)。

一応、淡々と記録しておくという目的では、「Naverまとめ」を利用して、現地報道機関のフィードや記事を書いた人などのフィードを一覧できるようにしてある。特に3ページ以降は基本的に「リンク集」で、ツイート内に入っているURLから記事を確認していただくことが目的である。私のフィルターバブル内からさらに厳選してあるので、アイリッシュ・タイムズとBBCニュース北アイルランド、ベルファスト・テレグラフが中心だ。(アイリッシュ・インディペンデントとかRTEとかベルファストのニューズレターはほとんど入っていない。)

ジェリー・アダムズが、シン・フェイン党首の座を退く。
https://matome.naver.jp/odai/2151825107742330101


アダムズが引退したのは、臨時党大会で正式に次の党首がメアリ・ルー・マクドナルド(2009年から副党首としてニュースにもよく出てきたダブリン出身の政治家)に決まった2018年2月10日(土)で、日本時間ではちょうど日付が11日になったころ(現地では午後3時ごろ)にメアリ・ルーの演説が始まった。全文は党のサイトで読めるようになっている。(アダムズはフロアにはいたが、発言はなかった。)

メアリ・ルー・マクドナルドの演説は、要するに「これまでの路線を継続していく」という確認で、何かがドラスティックに変わるわけではないということを強く印象付けるものだった。だが、少なくとも見た目は大きく変わる。アイリッシュ・リパブリカンは元々、1910年代の独立運動のころから女性が前に出ていたし、今更「女性党首」で驚くような人は誰もいないだろうが、35年近くも「ジェリー・アダムズの党」だったシン・フェインが、アダムズの娘くらいの年齢の女性政治家が率いる党になるという変化は、「慣れるまでに時間がかかる」ような性質の変化かもしれない。個人的にはこれで、何となく漠然と「アイルランド」を認識してて「アイルランドの政党といえばジェリー・アダムズのシン・フェイン党」と思っているような人が、Brexit関連のニュースなどに際して、最も重要な与党(の中心)FGの発言や、最大野党FFの発言にはまったく関心を示さないのに、正直政治的意思決定という点では外野にすぎないSFの発言には「ほう!」的に反応してみせる、とかいうばかげたことが減ってくるんじゃないかなと思う。

で、NAVERのページを作るときに、メアリ・ルーとアダムズの写真を(NAVERでライセンス取ってるから自由に使えるようになってる)Gettyの報道写真で探して使ったのだけど、そのうちの一枚のこの写真は、これまで見たことがなくてちょっと見入ってしまったものだ。

写真が撮影されたのは2017年3月23日。場所はデリー。マーティン・マクギネスの埋葬のときのものだ。教会でのミサはオンラインで中継されていて見ていたのだが、棺が教会を出たところで中継が終わってしまったので、墓地での埋葬までは生では見ておらず、そこでアダムズが何を語ったかはあとから報道で知った。だから、墓地に設営された演台に上ったアダムズが口を開くまでの様子は知らなかったのだ(ということに、今更気づいた)。

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2018年01月29日

骨折生活のディテール

kght01.jpg2018年初めて見た夢は、「うーん、うーん、どうして今日はこんなに荷物が重いんだろう」という夢だった。「うーん、うーん、重い……」と右手を見下ろしたときに目に入ったのは、ギプスをあてて包帯でぐるぐる巻きにしてある自分の右腕だった。

何とわかりやすい。(・_・)

……と思って、そのときはもう一度寝た。だがその後も何度か「荷物が重いという夢」を見ることになった。今どきのギプスは、昔の石膏製とは違ってグラスファイバー製で軽いと説明されはするが、日がな一日装着していればやはり重い。しかも何日もの間ずっと着けているわけで、そのころには骨折にともなう炎症の痛みなのか、腕を同じ形にしているため、およびギプスの重さを支えているための筋肉痛なのか、何が何なのかわからなくなっていた。

受傷後1ヶ月を経過して、そういう「うなされる」ような状態もおさまってきたし、ギプスも取れた(最初は「お風呂に入るとき以外は着けていてください」だったのが、しばらくして回復が順調であることが確認された段階で「家の中にいるときは外して、日常動作の中で肘の曲げ伸ばしをしてください」となり、その次にはギプスなしで日常生活を送るようにと指示された←今ココ)。まだ手首の回転はしてはいけないし――人間の体の構造上、肘の関節内の骨折で、手首の回転ができなくなる――、肘に力が加わるような動作はできない(ずっしりくる荷物は持てないし、手をついて体重をかけるようなことは絶対にだめ)が、理学療法を受け、教えられたストレッチやマッサージをしていくうちに、徐々に関節の稼動域が回復しつつある。それでもまだ、90度くらいしか曲がらないので、「右肘を曲げて右手で右肩を触る」というような動作はできないし、右手で食事もほとんどできない。それでも、先週までは大きな(長い)フォーク&スプーンを使っても左手でしか食事できなかったのが、今週は(子供みたいな持ち方をして肘を高く持ち上げねばならないとはいえ)右手でも何とか食事できるようになったし、右手で鼻の頭を触るという動作もできるようになった(約1ヶ月ぶりに右手をそえて鼻をかめたときには「おお」と思った)。顔の角度を工夫しさえすれば、パウダーとブラシで眉毛も右手で描ける(既に、眉毛くらいは左手で書けるようになっているのだが)。当面の目標は右手でお箸を使い(もう1ヶ月以上、お箸で食事していない)、アイラインが引けるようになることだが、そこに到達するにはまだまだ時間がかかるだろう。

そう、前方不注意の自転車に思い切り衝突されて転ばされただけで、こんなにも長期にわたり、こんなにも不自由な生活を強いられる。

以下はそのディテールの記録である。単に「片手が使えない」というだけでは想像のつかないようなディテールだ。単に「一時的に片手(それも利き腕)が使えない状態になった」といっても、抽象的に何となく想像してみるのと、実際にそれを体験してみるのとでは全然違うというか、想像が及ばないところが生活動作の細部のあちこちにある。そういったことを記録しておこうと思う。

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2018年01月17日

【訃報】ドロレス・オリオーダン(ザ・クランベリーズ)――そしてZombieという曲

15日(日本時間では16日早朝)、各メディアでその「急死」が報じられた。最新の報道では「疑わしい死ではない(事件性はない)」と報じられているが、死因などはまだ明らかになっていない。何よりもまだ、身体が暖かいような段階で、そのようなことは取り沙汰/詮索すべきことでもない。一般人にとって重要なのは、彼女は死んでしまったという事実だけだ。彼女のあの声は二度と発せられることがない。

ドロレス・オリオーダン (Dolores O'Riordan). 1971年9月生まれ。まだわずか46歳だった。

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1990年代、「グランジ」がメインストリームの音楽になり、あのガサついた音に対抗するかのように「ブリットポップ」がもてはやされ、スウェーデンのポップが流行し、ほか非ロック系ポップソングがラジオや商店のBGM(有線放送)で流れてきていた時期に、日本では「アイルランド音楽」が大きく注目されたことがあった。それもザ・ダブリナーズとかザ・ポーグスとかではなく、女性が歌うものだ。エンヤのCDは売れまくり、雑誌には大きな広告が出ていて、街のあちこちに大きな看板が出ていた。「おしゃれ」さや「癒し系」を演出したい店は店内でエンヤのCDをかけていたし、CMでも使われていたから、エンヤの信じがたいほど透明な声は、文字通り毎日耳にしていた。シネイド・オコーナー(当時の表記ではシンニード・オコーナー)の顔と名前が一致しない人は「リアルタイムの洋楽」に関心のない人に限られていただろう。ドロレス・オリオーダンが「紅一点のヴォーカル」だったバンド、ザ・クランベリーズもそういう中でヒットした。当時、いろいろとロック〜フォーク系の女性ヴォーカルものが売れていたから(スザンヌ・ヴェガとかマジー・スターとか)、そういう流れもあったかもしれない。

ザ・クランベリーズのファーストに入っていたDreamsという曲は、「生茶」というペットボトルのお茶のCMに使われたから、聞き覚えのある人は多いだろう。(確か松嶋奈々子だったと思うので、90年代というより00年代に近いほうだろうか……今調べてみたら発売は2000年だそうだ。)



そしてこの声。一度聞いたら忘れられないようなこの声の持ち主が、2018年1月15日に、レコーディングのために訪れていたロンドンのホテルで、まだ46歳という年齢で、死んでしまったのだ。

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2017年12月31日

前方不注意の自転車に激突され、骨折した……いや、骨折させられた。

「おい」と思った次の瞬間には衝撃を受けていた。その衝撃を受けた瞬間、「ハンドルを離さないと、自転車ともつれて、よけいひどいことになるな」と思ったことははっきり覚えている。私はそうしたのだろうか。そうしたのだろう。実際、そうしていたから、肩も頭も無事なんだろう。

幸い、自転車は壊れなかった。相手の自転車と絡み合って外せなくなるようなこともなかった。っていうか倒れたのはこちらだけ。つまり一方的に倒されたのだ。相手は側の構造物の壁に自分の自転車をもたせかけ、無傷で立ってたのだから。

Twitterですでに書いているが、「来週はもう仕事納めですね」ってときになってから、自転車で事故にあった。双方自転車だ。こちらは基本スピードなど出ないタイプのミニベロ車(折り畳みを街乗りで使っている)、相手は、私は自転車には特に詳しくないので特定はできないが、ロードバイクだかクロスバイクだか、とにかくスピードが出る種類の自転車で、「あさひ」などのショップでよく見かけるブランドのもの。それが、猛スピードで真横から突っ込んできた。といっても「交差点での事故」ではない。当方は道路(歩行者と自転車が通れるようになっている公道)を減速して左側走行中で、相手は商業施設の自転車置き場からその道路に出るための細い通路を、スピードを出して、道路手前で一時停止もせず、つっこんできた(そもそもその通路は、自転車に乗って走行すべき通路ではないのだが)。

負傷して通院し、処方箋を出してもらって湿布薬や痛み止めを受け取りに行く薬局で、薬剤師さんが「どうしたんですか」と声をかけてくれるので、「あの施設の横の自転車置き場からの通路を爆走してきた自転車に衝突されたんですよ」、「えー、こわい。あそこ、歩行者もいっぱいいるじゃないですか」、「ですよねー。それに通路は自転車乗車禁止ですけど、それでも乗ってくるのがいるし、それも猛スピードで、前方確認してない」、「ながらスマホとか、今多いですもんねー」、「一瞬だったんでそこまでは確認できなかったんですけど、そうかも」などと話す。事故現場はここの最寄り駅近くではないのだが、日常の足として自転車を使う人なら十分に毎日の行動範囲に入るし、施設名を挙げて「あの横」というと、「あー、あそこ、やばいっすよね」的な「ヒヤリ・ハット」なエピソードが出てくる。

路面にたたきつけられてしばらく息もできず、痛みに固まって、ただ「路面、冷たい……」ということしかわからない状態で、身を起こすことなど当然できずにいた私に、「すみません」の一言もなく、カジュアルな「だいじょうぶかい」という言葉を何度かかけ、倒れて起き上がれずにいる人間に手を差し出してとっとと起こそう(あちらにしてみれば「助け起こそうとした」つもりかもしれないが)とした相手、スピードを出して自転車に乗って移動すべきでないところを猛スピードで突進してきた相手は、30歳くらいと思われる男だった。自転車はクロスバイクなのかロードバイクなのかは私にはわからなかったがママチャリではなくそういう系で、前かごなどはついておらず、荷物を運ぶような用途ではなく乗るためだけに使われていることは明白で、つまり、そんな自転車で、歩行者と共有している道路を、そんなスピードで走ってんの、といわずにはいられないようなもの。しかも奴が走ってきたのは「道路」ですらない。駐輪場から道路に出るまでに使う「通路」だ。「自転車は押して歩きましょう」と注意喚起されているような通路。

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2017年12月17日

《記憶》と《記録》。反共作戦のためラオスに介入したCIAの一員だった父親の真実を、ジャーナリストとなった息子が知るとき

BBC Newsのサイトでこんな記事を読んだ。

大学に進む前の夏のことだ。古いボルボに乗って、父と私はドライブに出かけた。父と私だけというのは、それまでなかったことだ。シートベルトを着用し、車を発進させた。砂利道には砂埃が舞った。

信号待ちで停車中、「ピーター、そろそろお父さんたちの仕事のことを伝えておこうと思う」と父はハンドルを指でこつこつと叩きながら言った。信号が青になり、車は大通りに出た。

「スパイなんだ」

父は真顔で冗談を言う人だった。しかし、いつもの冗談にしては非常にわざとらしいし、それに面白くも何ともない。日常の買い物をするショッピングセンターと電柱がひしめき合っているような郊外地の街を抜けながら、父は私に、もう40年近く、密かにCIAの仕事をしてきたのだと語った。

父はなーんちゃってと言うわけでもなく、沈黙が重苦しくなってきて、ああ、これは冗談じゃないんだ、と私は思った。

「母さんは知ってるの」と私は尋ねた。

「ああ、母さんか。母さんも、同じ仕事だ」と父は言った。

(親がCIAの秘密工作員だったというと)人からよく「おかしいなと思ったことは何もなかったんですか」と訊かれる。なかったですね。兄弟たちも私も、何も疑わしいと思わなかった。

両親は国務省で書類仕事にいそしむ役人なのだと思っていたが、実際のところ、仕事の内容がどういうものかはよく知らなかった。だいたい、成長過程にある子供にとって親がやってることといえば、耐え難いほど凡庸なことに決まっている。実はそうではないのだということに気づくには、もう少し大人になる必要がある。

1960年代、米軍兵士たちがC-130からベトナムの地に降り立っていたころ、CIAはラオスで極秘戦争を戦っていた。冷戦の最盛期で、CIAは私の父と工作員の一団を、ラオスの高地に住むモン族 (Hmong) に武器を与え訓練を施すために、送り込んだ。その目的は共産主義勢力パテート・ラーオと北ベトナムとの戦いだ。

CIAがモン族を強化していたのか、それともモン族を雇用していたのかははっきりとは判断しがたい。事態が過去となった今では、双方ともが、彼らのためになるよう協力していたのだと考えているようだ。

しかし、CIAの人々の多くは、モン族のレジスタンスは敗北するに決まっていると認識していた。ウシアブの群れが水牛を倒そうとするようなものだと。ベトナム戦争が終わったあと、CIAは突然ラオスから撤退し、それによりモン族の人々は、数千人単位で、ひょっとしたら数万人単位で脱出せざるを得なくなった。

これが、父にとって、中央情報局(CIA)での最初のミッションだった。

My father fought the CIA's secret war in Laos
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-42314701
(英→日、拙訳)


2人きりのドライブで息子のピーターに事実を告げた数年後、父親のアランは他界した。死の床で彼は息子に向かい、ラオスでやったことを誇りに思っていると告げた。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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