kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2017年06月09日

世界よ、これが英国の選挙だ(爆笑)

英国の総選挙が「おもしろい」結果になった。「Brexitのため、EU残留派を排除して足元を固めたい」という理由から、「2020年まで選挙はしない」としてきたのを撤回して議会を解散し、2017年6月に総選挙を行なうとテリーザ・メイ首相が宣言したのが4月の下旬で、そのときは誰もが「解散総選挙は予想してなかった」と驚いていたわけだが、その結果がさらにまた(少なくとも4月にメイが選挙に打って出たときは)予想外の「ハング・パーラメント(どこも過半数を制することがないという結果)」だ。あんまり有権者をナメくさってるとこういうことになるんだよ、と、爆笑というよりは、ニヤニヤ笑いが止まらないのだが、結果がどうとかいうまじめな話はあとで書く。何しろ、1つ前のエントリで「投票所が締め切られてから3時間、開票が進んでいる」と書きはしたが、そのまま開票が順調に進められても結果が全部出揃うことなく朝を迎えるほどの接戦となっていて、徹夜で票の数え直しを繰り返して朝を迎え、集計人が疲労困憊してしまったのでいったん休憩となり、結果確定が保留となっている選挙区があるような状況だ(しかもそれは、「青」の牙城、ロンドンの超ハイソ地帯のケンジントンだ! ケンジントンが赤くなるなどと、誰が予想しえただろう!)。

というわけで、ずっとメイを支持してきたThe Sunが、「MayではなくDismayだな、こりゃ」と一面ででかでかと書きたてるようなことになっているのだが、そのメイ本人は、当然ながら、比較的早い段階で当選を決めている。彼女の選挙区は、ロンドンから少し西に行ったところにあるバークシャーのメイドンヘッドという選挙区だ。このあたりはイングランドでも保守党が安定して議席を獲得できる安全区。区割り変更で今の選挙区が創設されたのが1997年(20年前、トニー・ブレアの労働党がバカ勝ちした選挙のとき)だが、そのときからずっとテリーザ・メイをウエストミンスターに送り出してきた。

で、ウィキペディアを見ればわかるのだが、前回(2015年)までのこの選挙区の選挙は、至って普通の「保守党の安全区」のそれだった。何もしないうちから当選が確実な保守党の候補に対し、労働党とLDが、特に積極的に勝ちに行くふうでもない候補者を擁立し、この3党が大方の票を集め、そのほかに、候補者1人につき数百票が入るような小政党やシングル・イシューの党の候補者が出る、といった感じだ。2015年、メイが内務大臣として迎えた選挙でも、極左の小政党の候補が55票を持っていったのが目立つくらいで、別に面白みもない選挙だった。

DB15_e3XgAAaKtb.jpg「面白み」と書いたが、英国には、全国ニュースで批判的に取り上げられるような大物政治家の選挙区には、仮装して出てくる系の冗談みたいな立候補者が出てくることがある。それから、何もなくても冗談みたいな「オフィシャル・モンスター・レイヴィング・ルーニー党 (the Official Monster Raving Loony Party)」、つまり「バカ党」の候補者も来る。例えば、イラク戦争後の2005年に当時のトニー・ブレア首相の選挙区がどういう様相だったかを見るのがわかりやすいだろう。主要3党と、イラク戦争で息子が戦死したレジー・キーズさん(反戦を訴えて立候補したが、当選することが目的というより、ブレアと同じプラットフォームに立って反戦を訴えることが目的だった)のほかは、当時はまだ泡沫政党扱いだったUKIPと、UKIP分派のVeritas、そして英極右といえば外せない存在のナショナル・フロント(このときはBNPはここはいなかったのか。細かいことはもう覚えてないが当時はBNPはかなり勢いがよかったのだが)、あとは「ブレアは辞任せねばならない党」とか「高齢者党」、「年金受給者党」に「バカ党」、無所属……といった顔ぶれだ。ブレアが首相でなかったらこの選挙区で立候補などしていなかったであろう候補者がたいへんに多い。

2017年6月の総選挙で、テリーザ・メイにもそういうことが起きた。彼女の選挙区は、前回までのまるで凡庸な様相とは打って変わり、着ぐるみだのかぶりものだのが登場する選挙区になった。選挙管理委員会が定められた形式にのっとって結果を公表し、壇上に並んだ立候補者全員の前で、当選者が「この地区の代表者となることを受諾します」とスピーチを行なっているのを映し出すテレビの選挙速報の画面が、Twitterにいくつも流れてきた。「これだから英国の政治はすばらしい」「民主主義っていいね」といった言葉をともなって。

……と書いているここの右側に示している写真は、それら「面白」候補のものだ。白いスーツに白いテンガロンハットのおっちゃんは「バカ党」の名物オヤジでもある同党党首、「ハウリング・ロード・ホープ」ことアラン・ホープ(同党創設者のスクリーミング・ロード・サッチの没後、同党党首となったのだが、元々バンド仲間だった)。そして右側の黒いかぶりものの人は「バケットヘッド卿」。宇宙のかなたからやってきたスペース・ロードで、これまでにマーガレット・サッチャー(1987年)、ジョン・メイジャー(1992年)の選挙区で立候補したことがあるそうだ。

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英総選挙、開票が進んでいます。

現地8日の午後10時(日本時間で9日の午前6時)に投票が締め切られ、即座に公表された出口調査によると:
Conservative 314
Labour 266
SNP 34
Lib Dem 14
Plaid 3
Green 1
UKIP 0
Other 18
https://twitter.com/BBCBreaking/status/872921211029909506

むろん、出口調査が正確とは限らないし、実際、しばらくの間は保守党寄りの立場の人々の間からあがる「出口調査はあてにならない。前回の総選挙でも……」といった声がTwitterでは非常に目立っていたし、実際に開票が終わった選挙区が出始めるとその数値を根拠として「保守党への票が過小評価されている」との分析がかなり多く見られたのだが、英国は全部小選挙区制だから、「全体として得票が増えても、議席数は減る」ということが普通にありうる(2015年総選挙での労働党がそうだった)。

ともあれ、解散総選挙が告知されたときには「保守党の圧勝」が予想されていたが、5月23日のマンチェスター、6月4日のロンドンと、現首相のテリーザ・メイが内相だったときに見落としていた過激派によるテロが続き、またメイがまともに討論の場に出てこようとせず、「強く、安定した政府」なるスローガンの連呼と、労働党のジェレミー・コービンに対するスミア・キャンペーンに明け暮れる中、投票日直前になって「接戦」という予想が出るようになっていた。それどころか「政権交代もありうる」という事前分析もあったほどだ。

昨年保守党の党首となったメイが「2020年(の事実上の任期切れ)まで選挙はしない」としていた方針を覆し、解散・総選挙という荒業に出た(それも「不意打ちで告知する」ようなことをして)のは、ひとえに「政権基盤の強化」が目的だった。Brexitという難行にあたるため、EU残留派の声が大きいという議会を一新しようとしたのだ。保守党の親EU派議員の重鎮ケネス・クラークは今回の総選挙には立候補せず引退することとなった。

しかし、メイ本人があまりにぐだぐだだった。「強い政府」と叫びながら、国家財政の緊縮を理由に警察官の人員削減。彼女の脳内ではそれでうまくいっていたのかもしれないが、リアル世界ではマンチェスターでは自爆攻撃、ロンドンでは二度にわたって自動車暴走による攻撃が発生し、英国人も外国人も含め数十人が尊い命を奪われた。

そういう中で行われた投票だ。

現状、大変にinterestingなことになっている。投票締め切りから3時間が経過して、いくつか結果が発表されつつあるのでここまでブログに書いたが、詳細はTwitterにて。ケンジントン&チェルシーとかパトニーとか、見所はたくさんある。
https://twitter.com/nofrills



アップデート:
実際の獲得議席数は下記の通り(やはり出口調査では保守党が過小評価されていたともいえるが、おそらく誤差の範囲内だ)。
via https://en.wikipedia.org/wiki/United_Kingdom_general_election,_2017#Results
Conservative 317 (出口調査では314)
Labour 262 (同、266)
SNP 35 (同、34)
Lib Dem 12 (同、14)
Plaid 4 (同、3)
Green 1 (同、1)
UKIP 0
Other 18

Otherってのは北アイルランド枠で、内訳は、DUPが10、Sinn Feinが7、Independent(シルヴィア・ハーモン)が1。そしてこの中から、もう "other" 扱いされなくなる党が出てきたのが今回の選挙結果だが、それは別項にて。
posted by nofrills at 09:24 | TrackBack(2) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

チェルシー・マニングの釈放について(支援目的のベネフィット・アルバムも出ています)

7年前、Instagramはまだなかったよね。そのころ、彼女はまだ公的には「彼」で、名前も「チェルシー」ではなく「ブラッドリー」だった。

「ブラッドリー」は米軍人(情報分析官)で、イラク駐留米軍で仕事をしていて、米軍がイラクやアフガニスタンで何をしてきたかについての現場の記録や大量の外交公電、バラク・オバマが「閉鎖」を公約し、大統領に就任して最初に文書にサインしながら結局は閉鎖することができなかったグアンタナモ収容所での文書類など多くの機密ファイル(と機密指定されていなかった大量の文書)を、「レディガガ」と書いたCD-RWを使って、密かに持ち出した。持ち出されたそれらの記録や文書は、当時はまだ「内部告発サイト」だったウィキリークス(ダニエルもいた頃のことだ)に、匿名で送られた。送り主が誰なのかわからないそれらのファイルは、大手メディアのジャーナリストたちによる検証というプロセスを経て、ウィキリークスと各メディアで公開された。

2010年4月「コラテラル・マーダー」と題されたビデオ:
https://www.youtube.com/watch?v=5rXPrfnU3G0
※今から10年前、2007年7月12日にイラクのバグダード市内で武装勢力による米軍に対する攻撃が発生した直後、米軍ヘリが街路にいる非武装の民間人(うち2人はロイターのジャーナリスト)を標的として攻撃を加える一部始終を記録した軍のビデオ。当時、米軍が何かと連発していた「コラテラル・ダメージ」を皮肉って「実際のところ、殺人だ」というタイトルをつけたのはウィキリークス。

2010年7月「アフガニスタン戦争ログ」を報じたガーディアンのカテゴリー・ページ:
https://www.theguardian.com/world/the-war-logs

2010年10月「イラク戦争ログ」を報じたガーディアンのカテゴリー・ページ:
https://www.theguardian.com/world/iraq-war-logs
※このころまだザルカウィが "al-Qaida kingpin" と扱われてますね。2014年夏以降は「イスイス団のルーツ」となって、ザルカウィがAQとは常に距離を取っていたことが明確に説明されるようになってますが、この頃はまだ「ずっと前に死んだAQのテロリストの親玉」だったので。

2010年11月〜12月「米外交公電」を報じたガーディアンのカテゴリー・ページ:
https://www.theguardian.com/us-news/the-us-embassy-cables

「コラテラル・マーダー」の映像が公開されて1ヵ月もしないうちに、「ブラッドリー」は軍当局に身柄を拘束され、軍の拘置施設(刑務所)に入れられた。オンライン・チャットで自分がこれらの記録を盗み出したと語った相手が、司法取引によって、「ハッカー・コミュニティ」の中からFBIに情報をもたらすようになった人物だったのだ。

それから随分時間をかけて、当局は「ブラッドリー」を起訴し、軍事法廷で裁判を行なった。容疑の中には「スパイ罪」も含まれていたが、最終的には「スパイ罪」は無罪となり、情報を盗み出したことなどで有罪判決が下され、禁固35年というとんでもなく重い刑罰が言い渡された。

軍刑務所に拘束されている間に、「ブラッドリー」はGD(ジェンダー・ディスフォリア、性別違和)の診断を受け、当局には依然として男性扱いされながら、ホルモン投与など性別適合の治療を開始した。名前も「チェルシー」と改名し、「代名詞は女性形 (she, her, her, hers) を使ってほしい」という意思を表明した。

そのチェルシー・マニングが、2017年5月17日、釈放された。任期中、「内部告発者」への締め付けを強める一方だったバラク・オバマが大統領として最後にやった大きな仕事が、情報漏洩で有罪となったマニングの、あまりにも長い「禁固35年」という刑を、大幅に減刑することだった。

……ということについて、本人のツイートやニュースのフィードなどを中心に、一覧できるようにしてあります。

チェルシー・マニングが釈放された。
https://matome.naver.jp/odai/2149531902254898801

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2017年05月21日

【訃報】ブレンダン・ダディ(表に出ないところで和平のために尽力した北アイルランドのビジネスマン)

ニュースがあってから随分時間があいてしまったが、12日、ブレンダン・ダディさんが亡くなった。80歳だった。

ダディさんは地元デリーで大変に成功した実業家だったが政治家ではないし、「著名人」のカテゴリーには入らない。しかし、その死に際しては北アイルランド自治政府トップのアーリーン・フォスター(DUP)もシン・フェイン党首のジェリー・アダムズも、アイルランド共和国のチャーリー・フラナガン外相も、またアイルランドのカトリック教会のトップであるマーティン大司教も哀悼の意を表明したし、15日に営まれた葬儀にはアイルランド共和国のヒギンズ大統領も参列していた。なぜか。それは、ダディさんが、すぐに結果など出ないようなことに、20年以上の時間をかけて取り組んだ結果が、現在の北アイルランドだからだ。

北アイルランド紛争が終結に向かう段階、つまり1994年の停戦と1998年の和平合意(ベルファスト合意、またはグッドフライデー合意)に至る段階での「和平の立役者」は何人もいる。ノーベル平和賞を受けたジョン・ヒューム(SDLP)とデイヴィッド・トリンブル(UUP)、シン・フェインを交渉の場に至らしめた故アレック・リード神父をはじめとする宗教家たちなどなど、ニュースになるような交渉の現場で指導的な役割を果たし、peacemakerと呼ばれうる人々だけでも十指に余るだろう。だが、ダディさんはそういう人々とも少し違う。

権利の平等(「1人1票」)を要求するカトリックの公民権運動と、それを支援する学生運動が合わさって大きなうねりとなり、それに対しプロテスタントの側(の過激派)が暴力を行使したことが、北アイルランド紛争の発端だ(「IRAが独立を求めて立ち上がった」のではない。1968年のデリーとベルファストで起きたことは、1916年のダブリンでのイースター蜂起と同じではないのだ)。当時の北アイルランド自治政府(「北アイルランド」の成立以後ずっとプロテスタントが権力を独占していた)と警察は、プロテスタントの側にいた。公民権運動の学生たちに襲い掛かるプロテスタントの暴徒を、警察はただ見ていた。「カトリック」のコミュニティには自衛の必要性が生じた。そこに、思想的に1920年代で時間が止まっているような武装組織の居場所ができた。はじめは、いわば「少数の変人たちの集団」でしかなかった武装組織は、一般の人々の間に根を張って拡大していった。

自治政府に任せておいても何もしないし、逆にますます悪化するだけだったので、プロテスタント側でもカトリック側でもない「中立」の仲裁者として英軍が派遣された。プロテスタントの襲撃から町を守ってくれる兵士たちを、カトリックの住宅街の人々はお茶とお菓子で歓迎した。このとき、英国政府は「北アイルランドの『トラブル』は、すぐに解決する」と見ていた。しかしそうはならなかった。

「トラブル」が、差別(「二級市民」扱い)という現実の中で、単なる「カトリックとプロテスタントの間のいさかい」ではなく、「アイリッシュ・ナショナリズムと、ブリテン/UKのユニオニズムの対立」であった以上、英軍(というか英国政府)がどのような立場をとるかは自明だ。「トラブル」は、「カトリック(ナショナリスト/リパブリカン)とプロテスタント(ユニオニスト/ロイヤリスト)と英軍」という構図になっていった。1971年8月には、ベルファストで一般市民11人が英軍によって殺された(バリーマーフィー事件)。だが、そのような構図を誰の目にもわかるような形で決定付けたのは、1972年1月30日にデリーで起きたこと、いわゆる「ブラディ・サンデー事件」だった。非武装の一般市民を撃ち殺したという事実を当時の英軍は認めていなかったが、殺された市民たちを知っているデリーの人々には英軍の嘘は見え透いていたし、デリーのみならずアイリッシュ・ナショナリストのコミュニティでもそうだった。「英国は、こちらが何をしようと聞く耳は持っていない。行動あるのみ、武力あるのみだ」という武装組織のプロパガンダは、きわめてリアルな説得力を持って人々の中に浸透していった。

英国政府は、そのように「事態が泥沼化」していくのを手をこまねいて見ていたわけではない。最初は「すぐに終わる」と思っていた軍の介入が長期化するにつれ、打開策を見つけるために「現地とのパイプ」を作ろうとした。ブラディ・サンデー事件の前、1970年代初めのことだ。白羽の矢が当たったのが、ボグサイドでフィッシュ&チップスの店を経営していたブレンダン・ダディさんだった。1936年生まれのダディさんは、このころ30代。公民権運動で熱くなっていた学生たちの一回り年上だ。

ダディさんの店にハンバーガーを納品していた肉屋の配達員は学生たちと同じ年頃だった。彼自身は教育をあまり受けていなかったが(日本で言う「中卒」だった)、配達の際、ダディさんの店で議論にふけっている学生たちに耳を傾けていた。ブラディ・サンデー事件の1972年1月には、彼はわずか21歳にして、デリーのProvisional IRA (PIRA) のナンバー2となっていた。マーティン・マクギネスである。

ダディさんはこの町の「顔役」だった。彼の友人には警察のお偉いさんもいて、情勢が悪化していくなか、公民権運動が続くボグサイドから、武装組織の武器を持ち出させるよう組織と話をつけてほしいという依頼を受けたりもしていた。当時IRAはPIRAとOIRAの両勢力が活動中で、ダディさんはどちらとも話ができる人物だった。

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2017年05月19日

【訃報】クリス・コーネル

「ブラックホールの太陽」がやってきたらしい。でも「そんな気配はなかった」そうだ。米ABCNYTの記事なども目を通したが、下記はガーディアンから。

Soundgarden frontman Chris Cornell died after hanging himself, a US coroner said on Thursday.

Cornell, 52, was found dead in a bathroom in his room at the MGM Grand Detroit hotel on Wednesday night after performing in the city with the grunge band.

Detroit police spokesman Dan Donakowski said that officers were called to Cornell’s room around midnight by a friend of the musician and found Cornell “laying in his bathroom, unresponsive and he had passed away”.

The Wayne county medical examiner’s office said after an initial autopsy the cause of Cornell’s death had been determined as suicide by hanging. “A full autopsy report has not yet been completed,” the office added.

Cornell’s publicist Brian Bumbery said earlier that the singer’s death was “sudden and unexpected”.

...

In the US, the National Suicide Prevention Hotline is 1-800-273-8255. In the UK, the Samaritans can be contacted on 116 123. In Australia, the crisis support service Lifeline is on 13 11 14.

https://www.theguardian.com/music/2017/may/18/soundgarden-chris-cornell-killed-himself-coroner-says




明確に説明する目的で書かれたような遺書があれば別だが、「なぜ」なんてことは、その「なぜ」を持って墓場に行った本人にしかわからない。家族も友人も、その本人でないのだから、わからないだろう。そのとき家族や友人が考えるのは、いや、考えずにはいられないのは、「なぜ気づかなかったのだろう。なぜわからなかったのだろう」ということだ。そしてそれは、その人の内部で「ブラックホールの太陽」となる。

いつかそれに食われるんじゃないか、そう思って日々を過ごしている人は、ものすごく大勢いるだろう。ひょっとしたらクリス・コーネルもその1人だったんじゃないのか(彼の歌詞は、そういう性質のものだ)。そのことがひとつの「思い」につながっていく。そうやって、個人の中のブラックホールは連鎖を引き起こすのだ。この連鎖は、断ち切らねばならない連鎖だ。

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2017年05月06日

極右のフリンジがメインストリームに発言の場を得ていても、もう驚くには値しない(英、元EDLのトミー・ロビンソン)

5月2日にこんなことになっていたのを、5日になってから知った。発端までさかのぼってみよう。

5月1日、ガーディアンのComment is Free (Opinion) のコーナーに、次のような記事が出た。Comment is Freeは、ガーディアンの社説(Editorial)を除いては、社員ではなく外部の書き手が書いた文章が掲載されるが、この記事を書いたのは、いわゆる「イスラム過激派」に対するカウンターの活動に重点を置いたロビー団体・シンクタンクのQuilliamでリサーチャーをしているオーストリア人フリーランスジャーナリストのJulia Ebnerという人だ。

The far right thrives on global networks. They must be fought online and off
https://www.theguardian.com/commentisfree/2017/may/01/far-right-networks-nationalists-hate-social-media-companies

Quilliam(旧称はThe Quilliam Foundation)は、19世紀にイスラム教に改宗して英国に最初のモスクを作ったウィリアム(改宗後はアブダラ)・クィリアムに因んで名づけられており、設立者はかつて実際に「過激派」の組織に属して活動していた英国人3人。「元過激派」として、過激主義に対抗する活動を行おうとこの組織を立ち上げた彼らのうちの1人がマアジド・ナワズ氏である。過激派活動に厳しいエジプトで投獄されるなどの経験をした自身のこれまでを振り返り、なぜ人は過激主義にはまるのかを考察した本を書き、テレビなどでもコメンテーターとして言葉で過激主義の浸透を食い止める活動をしている。Twitterなどソーシャル・メディアももちろん活用している。

0753540770Radical: My Journey from Islamist Extremism to a Democratic Awakening
Maajid Nawaz
WH Allen 2013-05-02

by G-Tools


そのナワズ氏のTwitterに、「トミー・ロビンソン」の名前があった。最近はもうほとんど名前を聞くこともなくなったイングランドの「反イスラム」集団(本人たちは「反イスラム過激主義」と言っていたが)、EDL (the English Defence League) の設立者のトミー・ロビンソンである(この名前は「活動家名」で本名ではないのだが、マスコミも一貫してこの名前を使っているのでそれに倣う)。

ロビンソンは2013年10月に、「組織が人種差別主義者に乗っ取られてしまった」として自分が設立したEDLを抜けているが、この離脱にはQuilliamが深く関わっている。

The turning point came when Robinson and Ansar visited the think tank Quilliam and Robinson witnessed a debate between Quilliam's director, Maajid Nawaz, and Ansar about human rights. Robinson said afterwards to the BBC: "I didn’t think a Muslim would confront Mo Ansar because I thought Mo Ansar was being built as the acceptable face of Islam; and that’s everything that I think is wrong. So when I saw this [debate between Nawaz and Ansar], and I read more about Quilliam and I looked at what Quilliam has done−they've actually brought change, which is what I want to do. I want to bring change. I want to tackle Islamist extremism, I want to tackle neo-Nazi extremism−they're opposite sides of the same coin."

https://en.wikipedia.org/wiki/Tommy_Robinson_(activist)#Leaving_the_EDL


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エディンバラ公の「死亡説」(付: ニセ情報の見分け方)

英国のエリザベス女王(先月、91歳の誕生日を迎えられた)の公務の場には、必ずエディンバラ公(もうすぐ96歳)の姿がある。ご結婚は1947年なので、今年で70年だ。ご夫妻の間に生まれた一番上の息子(チャールズ皇太子)は、68歳……ということを今回改めて確認して、改めて驚いた。

そのエディンバラ公について、日本時間で4日の昼間、ネット上で「死亡説」が流れるということがあった。発端は、英国で草木も眠る丑三つ時にバッキンガム宮殿のスタッフ全員が呼び集められたと報じられたことにあったのだが、その時間帯は英国ではほぼみんな寝ているのでいろいろと制御弁が利かなかったようで、ただでさえ細かいところがわかっていないアメリカの人々の間で「推測 speculation」が一気に「事実っぽいこと」として広まったようだ。その上、ソースを示さずに「英国のメディアによると」などとTwitterに書き込む輩も出現し、さらに王室情報専門のニュースサイト(っぽいところ)が「フランスのメディアが死亡を報じた」と、これまたソースも示さずに記事を出して(すぐに削除されたようだ)、アクセスが殺到してサイトが落ちるくらいにまでなってたそうだ。

その経緯をあとから参照できるようにまとめておいた。

エディンバラ公、公務から引退……のはずが、ネット上に「お悔やみ」とフェイク・ニュースが飛び交う事態に
https://matome.naver.jp/odai/2149390455690544501

おりしも、数日前は「世界報道デー」で、例年のごとく、報道が危機的なことになっている国へ関心を向けるよう促す記事などがTwitterにはたくさんフィードされていたが(今年はトルコがその筆頭だった……ほんの数年前まで「EU加盟」の可能性がかなり現実的だったあのトルコが、ついに)、それに加え、米大統領自ら陰謀論にはまりまくっているという考えがたい状況下にある現在の「報道(と一般の人々が思っているもの)」の抱えている問題点や、ネットで「報道(に見えるもの)」に接するときの注意点がわかりやすくまとめられたフィードもいくつかあった(後述)。

ネット、特にソーシャルメディアという「個人の意見や感想、感情の吐露」が、文脈なく、少ない文字数で流れてくる場では、誰にも何の悪意もなくても、「無根拠な情報」が「情報」としてひとり歩きすることがある。アーセナルのサポが「来シーズンこそはアーセナルがリーグ優勝するに違いない!」というつもりで、その文脈が共有されている人々だけに向けていろいろ省略して「アーセナル優勝!」と書いたものが、遠く離れたところで、イングランドのサッカーに興味はないけれど、友人が熱心なファンなのでチームの名前だけは知っているというような人の目に入って、「そういえば『アーセナル優勝』ってさっきネットで見たよ」というふうに伝言され、それが「『アーセナル優勝』だって」となっていく、というようなことはありうる。誰も「ニセ情報」をばらまくつもりがなくても、「ネットで見たよ」ってだけできわめてカジュアルな感じで「誤情報」が広まる。そこにガチで「ニセ情報」をばらまこうとするデマ屋も入ってくることがあるし、本当に実に混沌としていて、いろいろやりづらくなって、息苦しくなってきたと思う。

息苦しくなってきたんだけど、まだ、個人個人でそれを打開しようと思えば方法はある。「すべてが信じられない」わけではない。「すべてが信じられると思うわけにはいかない」だけで、「信じることができないもの(誤情報・ニセ情報と思われるもの)」をふるいにかけて取り去ることは、個人個人でできるのだ。


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2017年05月02日

映画The Journeyの予告編と背景: イアン・ペイズリーとマーティン・マクギネスの「旅路」を描いたコメディ(!)

映画The Journeyの予告編が公開されていた。センチメンタルな味付けがなされた全編真顔のコメディであることは、よい感じでわかりづらく明らかだ。出てくるのは英国首相トニー・ブレア、MI5で部下をつかねて事態をまとめる指揮官、車の運転手、そして「DUPの党首、ドクター・イアン・ペイズリー」と「IRAのマーティン・マクギネス」



予告編には、"Based on actual events" と出てくるが、この映画で描写されているようなことは実際には起きていない。いわゆる「事実に基づいた映画」ではなく、「事実(実際の出来事)から、作家が想像力を膨らませて作り出したフィクション」である。

舞台は2006年10月のスコットランド、セント・アンドルーズ。北アイルランド自治議会(議事堂のある場所の名をとり、「ストーモント」と呼ばれる)は2002年の「ストーモントゲイト」(IRAのスパイが議会に入り込んで情報収集を行っているとして議会が停止された。しかし2005年に「スパイ」たちへの起訴が取り下げられ、そのような事実があるのかどうかさえわからなくなった)で停止され、英国(ウエストミンスター)の直轄統治 (direct rule) が行われていた。「ストーモントゲイト」後の2003年に行われた自治議会選挙では、それまで(つまり停止された議会において)ユニオニストの第一党だったUUPが第一党の座から転落し、1998年の和平合意(グッドフライデー合意、GFA)に反対してきた「過激派 hardliners」のDUPが取って代わった。ナショナリストの側でも、「IRAの政治部門」であるシン・フェイン(SF)が、それまで第一党だったGFAを主導したSDLPをしのぐ議席数を得た。「IRAによるスパイ活動」で停止した自治議会を何とか再起動させなければならないのに、「有権者の意思」に任せたら「30年以上、反IRAの急先鋒であり続けている人物の党」と「IRAの政治部門」がトップに来るという結果になってしまい、当時まだ全然不安定だった「北アイルランド和平」に携わる人々、誰もが頭を抱えた。そのまま、交渉 (talk) への努力は続けられたが、DUPとSFではそもそも話 (talk) になるはずもなく、全てが難航した。2005年7月下旬には、IRAが武装活動の停止を宣言したが(結局のところ、最大の妨げとなっていたのは「IRAがまだ存続しているのに」ということだった)、それではユニオニスト強硬派にとっては全然足らなかった。ユニオニストにとっては「IRAが消えてなくなること」こそが必要だった(まあ、どうなれば「IRAが消えてなくなった」と認められうるのかがわからないのだが……今もまたIRAと関係がないはずのSFの政治家が、IRAの死者を追悼する行事でスピーチを行って炎上中だ)。

GFAで設置されたストーモントの議会(アセンブリー)は、一般的な議会の「与党と野党」というシステムではなく、各政党の獲得議席数に応じて閣僚を割り振る「パワー・シェアリング(権力・権限の分譲)」のシステムで自治政府(北アイルランドではExectiveと呼ばれる)を構成する。「多数派」であるユニオニストが権力を独占してナショナリストを虐げてきたかつての議会(パーラメント)と自治政府による政治が武力紛争を引き起こしたので、これからはそういうふうにならないようにしようということで設計された制度だ。しかしDUPは、「IRAと権力分譲をするなどありえない」というスタンスを貫いてきた政党で、それが2003年の選挙では有権者の最大の支持を集めた。ストーモントの再起動ったって、根本的に矛盾している。

そして「北アイルランド和平」の当事者たち(北アイルランドの諸政党、英国政府、アイルランド共和国政府、米国政府を含む国際社会)による「合意の形成」へ向けた交渉は、熾烈を極めた。

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2017年04月25日

【フランス大統領選】「フェイク・ニュース!」と叫ぶなら、今だ――ハッシュタグの大量投稿は、誰によるものだったのか。

_95761439_french_election_624_vwithre.pngフランス大統領選挙の第一回投票が23日(日)に行なわれた。決戦投票に進む2人は誰かという点での結果が出るにはあまり時間はかからなかった。事前に言われていた通り、En Marche! という新政党を立ち上げたエマニュエル・マクロンが第1位で、得票率は開票率97%の段階で23.8%、2位がFN (国民戦線)のマリーヌ・ルペンで、得票率は21.5%。あとはこの段階での脱落候補で、共和党(UMPが改組・改称した政党)のフランソワ・フィヨン元首相が19.9%で3位、ベテラン左翼政治家のジャン=リュック・メランションが19.6%、現在政権を担っている社会党のベノワ・アモンが6.4%で、フランスは二大政党のどちらの候補も決選投票に進めなかった。(以上、数値のソースはBBCのこの記事。右のキャプチャ画像も同じ)

FTはこれについて「第1回投票の結果は、1958年にシャルル・ド・ゴールが確立したフランスの政治システムが受けている打撃を象徴している。ほぼ60年を経て初めて、左派と右派の二大政党の候補者がいずれも大統領選の決選投票に進めない結果となった。第5共和制の政党政治の既成勢力が私たちの眼前で瓦解した」とまとめている。「有権者の10人に4人以上がルペン氏か急進左派のメランション氏を支持した……2012年大統領選の第1回投票では、この2人の合計得票率は29%にすぎなかった」という事実に注目する同紙記事は、今回の選挙は「伝統的な左右の対立軸でおおむね政治が認識され、争われてきたフランスにとって……未知の領域」であると述べている。注目すべきはそのことだろう。英国もまた「(政権交代を前提とした)二大政党制」がこの先も続いていくのかどうかは、極めて不透明な状態だ(日本と同様の「与党の一強状態が長く続く」状態になるのではないかと思う)。

BBCは、まともな「報道」系の分析記事として読む気がしないようなぺらっぺらの内容だが(少し前のBuzzFeedや、今のHeavy.comのような「チェックすべき情報のまとめ」記事レベル)、サイドバーなどに表示されて多くの読者を誘導している記事が、"The left is in ruins" とことさらに書き立てている。確かにThe left *establishment*はin ruinsだが(英労働党のエリートさんたちと同じく)、この記事は、「左翼の瓦解」と叫びながら、左翼票を(社会党支持層の中からも)持っていったと思われるメランションについて言及すらしていない(彼もまた、今回の大統領選で「大躍進」を遂げたことは事実だというのに)。そして(あえて「左右」で語るなら)左翼より、ルペンのようなものに代表されようとしているthe rightのほうがよほど深刻な状態にあるのだが、この記事はそういうことはスルーしている。むしろ、BBCの「ルペン推し」は投票前も投票後も全然変わっていない。この記事でも、ルペンは笑顔を浮かべて支持者のセルフィにおさまるというフレンドリーな写真で紹介されている。一方で、決選投票で彼女と対決するマクロンは、警察官とボディーガードと思われる人々に回りを固められて手を振っているという「権威」っぽい写真だ。実際、彼は超エリートさんだが、マクロンを「新星」ではなく「権威」とみなす言説は、ネット上できぃきぃ喚いているアンチ・エスタブリッシュメントのトランプ支持の英語話者の間で相当広く見られる。というわけで、どうもBBCは「極右の台頭」という《物語》を語ることに本気で取り組んでいるとしか思えず、残念極まりない。

前項で述べたように、英国のメディアは多くの場合、投票日前の世論調査でトップとなり、実際の投票結果でもトップだったエマニュエル・マクロン(どうでもいいがフランス語なので、語強勢は後ろの音節に来る。つまり「"マ" クロン」という読み方ではなく、「マク "ロ" ン」である)を、大統領選前の報道ではほぼずっとほとんど無視していた。誰もが見る場所で「フランス大統領選」の話題で出されているのはマリーヌ・ルペンの名前と顔写真、あるいは妻への不正な金銭支給による公金横領の疑いがかかっているフランソワ・フィヨンの名前と顔写真で(まあ、フィヨンに関する記事は訴追に関するものなど、「政治ニュース」ではなく「事件報道」だったが)、トップランナーのマクロンのそれではなかった。第一回投票が終わり、マクロンがトップだという事実が誰の目にも明らかな形で確定した現在は、選挙前のこの笑止千万な状況は終わるかもしれないが、BBCを見ていると、まだこれからも続く可能性も高いなと思う。むしろ、「本当の勝負はこっから」ということで、ますます「ルペン、ルペン」という騒ぎが大きくなるかもしれない。前項で見た通り、ナイジェル・ファラージがマクロンがEU支持であることをTwitterという場でいじりだしているわけで、ファラージが騒げば英メディアは(ガーディアンとインディペンデントを除いて)それになびく。というか、メディアがこれからどう動くかを先頭に立って知らせてくれるのがファラージ、ということになってしまっているのが昨今だ。

英語圏がどんだけ大騒ぎしようと、フランスの人たちにはどこ吹く風かもしれない(が、私はそうであってほしいと思っているから、私の考えることにはいわゆる「確証バイアス」がはたらいているかもしれない)。しかしそれでも、ネット上で、英語圏からフランス大統領選挙を見ていて非常に目立つ奇妙な現象があるということは、それなりにまとめて書きとめておく意味があるだろうと思う。とりわけ一度は――特に「Web 2.0」ともてはやされた時代(イラク戦争の時代)に――大まかにいえば「ネットで人々が発言することは、世界をよくすることだ」と信じる側にいた人々は(私もそのひとりである)、現在、「ネットで人々が発言する」ことが当たり前になったあとに何が起きているかを改めて直視する必要がある。自分に直接は関係のないトピックならば、その「直視」も余計な先入観なくできやすいだろう。そして多くの日本語話者にとって、フランス大統領選挙は「自分とは直接関係のないトピック」の最たるものだろう。

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2017年04月24日

フランス大統領選は「親EU」か「反EU」かの選択だ。「極右の台頭」の文脈に組み込んではならない。

今週水曜日、2017年4月26日は、ピカソが「ゲルニカ」という作品にした都市爆撃からぴったり80年となる日である。
ゲルニカにはバスク地方の自治の象徴であるバスク議事堂とゲルニカの木があり、歴代のビスカヤ領主がオークの木の前でフエロ(地域特別法)の遵守を誓ったことから、ゲルニカはバスクの文化的伝統の中心地であり、自由と独立の象徴的な町だった。フランスの思想家であるジャン=ジャック・ルソーは、「ゲルニカには地上で一番幸せな人びとが住んでいる。聖なる樫の樹の下に集う農夫たちがみずからを治め、その行動はつねに賢明なものであった」と書いている。この爆撃は焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり、「史上初の都市無差別爆撃」や「史上初の無差別空爆」とされることもある。この爆撃は敵国民の戦意をそぐために行われる戦略爆撃の先駆けと考えられており、戦略爆撃は第二次世界大戦で本格化した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AB%E7%88%86%E6%92%83


ピカソの「ゲルニカ」の成り立ちについては、下記の本がとてもよかった。中学生に読めるような易しい本だが、内容は濃い。
4905194326ゲルニカ―ピカソ、故国への愛
アラン セール Alain Serres
冨山房インターナショナル 2012-05

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2014年に第一次世界大戦(当時はただの「大戦 Great War」と呼ばれていたが)開始から100年を迎えて以降、英国の大手メディアで「○○の戦いから100年」という記事を目にすることが頻繁だが、それと同時に第二次世界大戦についても「○○作戦から70年」、「○○事件から75年」(75年はthree quartersで大きな節目として扱われる)といった記事が書かれて日々流れてきている。

加えて、第二次大戦はVEデイで完全に終わったのではなく、めっちゃくちゃになったヨーロッパはその後数年はしばらく大変な状態にあったので、2017年の今もまだ「○○から70年」という記事が流れてくる。先週は、英軍によるヘリゴランド(ドイツ語読みはヘルゴラント)島での大爆破について、対岸からそれを見ていた島の人々の声を軸にした記事がBBCに出た。当時英軍は、ドイツ軍が蓄えていた大量の未使用爆弾を処理する必要があり、「ビッグバン作戦」という作戦を立案して、ドイツの西側の沖に位置する同島で爆破した。同島が選ばれたのは、ここがドイツ軍によって要塞化された一大軍事拠点だったためだった(戦争に負けてもなおいろいろと諦めきれないドイツの勢力が、ここを利用して何かを画策することを事前に阻止するという目的があった)。この爆破は、現在に至るまで、核を使用しない爆発としては最大のもので(当時の英軍による記録映像が同記事に入っている)、当時英軍は150キロも離れた少し内陸のハンブルクにまで、「爆発(の衝撃波)に備えて、建物の窓・扉を開けておくように」という指示を出していた。対岸からは、既に対戦中に島から退避させられていたヘルゴラント島の人々が、自分たちの島が爆破されるのを見守っていた(実際には見ることはできず、音だけだったという)。中には島が破壊されてなくなってしまうと思っていた人もいたが、島は消えてなくなりはせず、1952年に島がドイツに返還されると人々も島に戻り、現在は1,483人が暮らし、免税店目当ての観光客を迎えている。この島はナポレオン戦争の時代に英国が占領し、1890年にドイツに寄贈されるなど、英国との歴史的な関係は浅くない……。

こういった「欧州事情」の記事を見るたびに、部外者の私は改めて、EUがノーベル平和賞を受賞(2012年)したことの意味を思わずにはいられない。当時は「馬鹿げている!」と思ったし、今も「ノーベル平和賞はもう終わりにしたほうがいい」と思っているが(ダルフールやシリアやウクライナや南スーダンを前にしたときにそう思わずにはいられない)、少なくとも、受賞の理由について理解はできる。あのドイツとあのフランスが戦争になるということが考えられない今の現実を構築してきたのは、「欧州共同体」という理念だ。

日曜日(23日)に一回目の投票が行なわれたフランスの大統領選挙は、内政上の課題がもちろん最重要なのだが、それを除いては、まず「Brexit後のEUがどうなるのか、EUをどうするのか」を問うものだ(英国での議論の推移を改めて振り返る限り、「移民がー」というフレーミングは、そのデコイに過ぎない。むろん、そういう語りを積極的に採用して目立つのが移民排斥の「ホワイト・ナショナリズム」の陣営、つまり平たく言えば「ネオナチ」系であるということは確かだが)。「反EU」の候補者でEUを "根本的に変える" 方向で動くのか、「親EU」の候補者で英国が抜けたあとのEUを一層強化する方向で動くのか。

日曜日の投票結果、トップで決選投票に進んだエマニュエル・マクロンは「親EU」の候補者だ。壇上に置かれた旗に明らかなように。

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*via http://www.bbc.com/news/world-europe-39689385

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2017年04月20日

(続)英テリーザ・メイ首相は、なぜ「解散総選挙」を行なうのか、それによって何がしたいのか。

1つ前のエントリの続き。

本文の前にまず、「解散総選挙」についてのまとめのようなチャンネル4ニュースの映像クリップ。


※メイ首相のスピーチの文字起こし:
http://www.telegraph.co.uk/news/2017/04/18/theresa-mays-early-general-election-speech-full/

このスピーチについては、「その目的ならArticle 50発動前にやる(英国民が納得した上でArt 50を発動する)のが筋では……」というのが私の個人的感想。あと、「野党がー」がやたらと多いので、本当の目的はここで語っていることよりむしろ、「自身の足元固め」と「野党つぶし」、「長期安定政権」だろうなと思う(Brexitは交渉だけでは終わらない。その後、軌道に乗せるところまでやらねばならない。何年ものスパンで見ていかねばならない)。

さて、メイ首相が「抵抗勢力」に退場してもらう機会を欲しているということをよりはっきりさせるもう1つの事例が、ハートルプール選挙区のイアン・ライト議員の不出馬表明である。ライト議員は保守党ではなく労働党の人だが、この選挙区で起きていることは、Brexitというものが英国の政治にとってどういうものかをわかりやすく示す一例だと思う。

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2017年04月19日

英テリーザ・メイ首相は、なぜ「解散総選挙」を行なうのか、それによって何がしたいのか。

保守党の超大物、ケン(ケネス)・クラークが、6月の選挙には出馬しないという。クラークは保守党内の「親EU」陣営の代表的な政治家で、1973年に英国がEC(現在のEU)に加わる前から下院議員を務めている。
Two of the best known names in British politics, Labour's Alan Johnson, and Conservative Ken Clarke have both said they will be retiring on 8 June. Mr Clarke is the longest serving MP at Westminster, having first been elected in 1970.

http://www.bbc.com/news/uk-politics-39631768


この「超大物の引退」のニュースが加わったことで、テリーザ・メイ首相が前言を撤回して解散総選挙に打って出た理由が、いっそうはっきり見えるようになったと思う。要するに英国会(下院)でのBrexit反対論を終了させ、「Brexitは英国を二分している」という外からの認識を「英国はBrexitで一致している」という認識に改めさせ、自身について言われる「選挙で選ばれていない首相」という事実に「選挙で選ばれた首相」という事実を上書きしたいのだ。うちら日本人に馴染み深いフレーズを使うなら「抵抗勢力」を――政界の用語の用例がすぐに見つからないので、とりあえず経済界の発言をベースにするが――「駆逐」し、これまた日本人好みの言い方をすれば「全員一丸となって」、Brexitという「難局を切り抜けようとしている」のだ。

ダウニング・ストリートで解散総選挙の方針が宣言されて24時間以内に次々と出た分析・解説系記事より:
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2017年04月18日

英テリーザ・メイ首相がこれまでの発言を翻し、解散総選挙実施へ。6月8日投票。

労働党は、本気で勝ちに行くだろうか。「この選挙で負けた責任を取る」というきれいな形でジェレミー・コービンを退陣させることができる好機として利用するのではないか。

もちろん、「勝ちに行く」だけの力があるかどうかは別問題だ。だが、労働党は、信じがたいほど内向きになっている。2015年総選挙の結果を受けてエド・ミリバンドが退陣し、その後9月の党大会で、多くは「一般党員」たちの支持によってジェレミー・コービンが党首に選ばれてからこの方、労働党(ニュー・レイバー)の上層部やPR部門はずーっと一貫して、「保守党を相手にどう戦うか」ではなく「コービン党首をいかに引きずりおろすか」に注力してきた。「コービンでは選挙に勝てない」という言説はよく流されているし、実際に労働党の議員たちが「コービンおろし」を画策して失敗したことも一度ではない。「だれそれがシャドウ・キャビネットから辞任」というニュースは、少なくとも二度、政治面の大ニュースになった。そのたびに「激震」を引き起こすはずだったのだろうが、実際にはコービンの周辺から「変なのがいなくなってより磐石になった」ような状態だ。現在のシャドウ・キャビネットの陣容には、私でも目を背けたくなる。

そして「コービンでは選挙に勝てない」と大手新聞(ガーディアンのような)に発言の場を持っている特権的な立場の人が発言するたびに、特権などカケラも持っていない一般人がTwitterで「このクソ・ブレアライトが!」と叫ぶ。それが何度も繰り返され、そのうちにどんどん過熱して、労働党支持者が労働党支持者に対して「ブレアライトめ!」というレッテルを貼って回るのが常態化し、実に非生産的で醜悪な光景が展開されるようになったのは、軽く1年以上前のことだ。2016年6月のEUレファレンダムは、そういう空気の中で、イングランドの夏を祝う季節の始まりを告げるグラストンベリー・フェスの初日(木曜日)に行なわれた。

元々、投票前の報道などで「離脱という結論になることはまずない」と言われ続け、投票するために必要な登録をするまでもないかということで棄権した人も多かったと思われるが、コービン率いる労働党は、「EU残留」を看板に掲げながらも、気の抜けたようなキャンペーンをするに留まった。

元々EUレファレンダムは、「EU離脱」派は「変化」だの「取り戻せ」だの、ポジティヴな響きのする言葉を並べて明るいヴィジョンを提供することができた一方で(もちろん「移民制限」というどす黒い思想もあったが、それすら、2016年の英国では以前ほどどす黒くは聞こえないものになっていたようだ)、「EU残留」派は現状維持を訴えるだけで、分が悪かった。ほっといても維持されるであろう現状のために、だれが尽力しようと思うだろう。

そういう事情ももちろんあるのだが、コービンの場合、そういうのとはちょっと違っているとみるべきだろう。「EU離脱」でキャンペーンを展開したのは、ニュースになるのはUKIPのような右翼陣営の離脱派がほとんどだったが、左翼陣営にも離脱派はいた。というか元々「反グローバリズム」は(UKIPやドナルド・トランプのような人たちとはまったくかけ離れた)左翼陣営で盛んに主張されてきたことで、EUについても「反グローバリズム、反キャピタリズム」(「反キャピタリズム」は「富を独占し、悪いことをしてもお咎めなしで銀行家だけがおいしい思いをするのはおかしい」というような考え。必ずしも共産主義ではない)の考えから「よくないもの」、「打破すべきもの」とする主張がある。コービンの立場は元々その立場で、あの人は労働党党首になってなどいなかったら、2016年6月のEUレファレンダムでは左翼の側の「離脱」陣営に立っていたことは確実だ。

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2017年04月15日

日本で桜の花が咲いているとき、日本以外でも桜の花が咲いている。

4月3日は、よく晴れていた。

近場にソメイヨシノの大きな木が2本ある。今年は花が遅かったが、陽気に誘われたように、この日、ようやく五分咲きに近くなっていた。1本目の木の下の右側にはレジャーシートを広げて楽しそうにくつろいでいるお母さん2人と子供たちがいて、左側には小学生の女の子たちが真剣な表情でスマホを掲げて貼り付いていた。この木の枝はけっこう下まで下がっているので、身長が150センチに満たない彼女たちでも、腕を伸ばせば何とか、撮りたいような写真が撮れるのだ。

私は枝の先の方だけを撮って、とりあえず、自転車にまたがってもう1本の大木に行くことにした。

Untitled

Modest ones


もう1本の大木は児童遊園の中にある。少し離れたところから見ると、上の方の枝はまだまだこれから咲くところだ。

Another big Somei-yoshino tree


と、大木のほうから、キラキラと輝くような笑い声が聞こえた。

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2017年04月05日

「Windowsセキュリティでシステムが壊れていることを検出」? 「あと○秒でファイルを削除」? そんな表示が出ても無視すればOK。

ちょうど2年ほど前に、危なく、厄介なマルウェアをインストールしそうになったことを書いたが、今日も変なのに遭遇した。2年前の記事がけっこう読まれているようなので、今日の変なのについても少し書いておこう。

PCでのメインのブラウザはFirefoxで、ポップアップ抑制やトラッキング禁止などの環境は整えてあるのだが、Firefoxは最近のアップデートで重くなりすぎてまったく使えない(たしか51にアップデートされた直後からひどくなったと思う)。というわけでサブのブラウザ、Chromeを使っているのだが、Googleに閲覧履歴などあれこれ溜め込まれるのに抵抗感があるので、適宜、「ゲスト」モードを併用している。「変なの」に遭遇したのは、そのゲストモード使用時だ。

なお、Chromeの「ゲスト」モードでは、通常のユーザーとして設定してある拡張機能などが何も使えない(Incognitoモードでは設定次第で拡張が使えるが、「ゲスト」では無理)。よって、ポップアップ抑制やトラッキング禁止、ドナルド・トランプへのツッコミなど、ふだんサブとして使っているChromeでの環境は反映されない。

で、そのゲストモードを使って、私はFlickrにログインした(Flickrのログインには、米YahooのIDが必要である)。Flickrはログインするとまず、自分がフォローしている人たち(旧称contacts)が新しくアップした写真があれこれ表示される。みんな、上手いなあ……と目の保養をし、遠い異国の風景写真や建物の細部の写真をfaveしたあと、自分のページにアクセスして、何枚か写真をアップロードしようとしたときだったと思う。植物の学名を調べたりするためにいつも横に新規ウィンドウを開いておくので、今回もそうしたところ、突然、このような「警告」が表示された。

nisekeikoku.png


メッセージが表示されている部分のみ拡大すると:

nisekeikoku-c.png


下に、文字起こし(というかテキストデータ化)しておこう。私のIPアドレスなどは伏せるが、文末の「。」が半角ピリオドになっている箇所も忠実に再現しておく。

Windowsセキュリティシステムが破損しています

Windowsシステム: Windows 7

IP: ***.***.***.***

ご注意: Windowsセキュリティによってシステムが壊れていることが検出されました。ファイルは***秒で削除されます.

必須: 下の[更新]ボタンをクリックして、最新のソフトをインストールしてスキャンし、ファイルが保護されていることを確認してください.


この「ファイルは***秒で削除されます」の部分はカウントダウンしていくようになっている。

意味がわからない。「Windowsセキュリティシステムが破損しています」ということは、破損しているのは「Windowsセキュリティシステム」だ。一方、「Windowsセキュリティによってシステムが壊れていることが検出されました」ということは、破損しているのは「システム」でそれを検出したのが「Windowsセキュリティ」だ。で、「おや、これはひょっとして『Windowsセキュリティ』と『システムが破損しています』の間にナカグロなりコロンなりを入れるのを忘れているのかな」と気づくわけだが、カウントダウンの秒数に煽られてパニクってしまったら、そんなことは考えないだろう。

なお、「何を言っているのかわからないメッセージに促されて[更新]を押すなんてことはありえない」などと冷笑気味に言う人もいるかもしれないが、よく訓練されたWindowsユーザーは「意味がよくわからない悪文」をおかしいと思わない。なぜなら、このような意味の分かるような分からないような悪文はWindowsではデフォだからだ。Windows 95から使っている私が断言するが、Windowsの日本語は、センスがまったくよろしくない。それにこのメッセージの日本語の壊れ方は、フィッシング・メールや、LINEでの「iTunesカード買うのを手伝ってくれませんか」詐欺の「変な日本語」ほどではない。だからこのメッセージを見て、カウントダウンに煽られて[更新]ボタンを押してしまう人がいることは、想像に難くない。

だけどこのカウントダウン、何もせずただほっといたら、「残り1秒」のままずーっと停止してた。お茶沸かしに行って戻ってきてもこのままだった。

nisekeikoku3.png


さらにそれから15分か20分かそこらほっといてリロードしてみたら、Not Foundになってた。

nisekeikoku4.png


だから、こんなのはほっといても大丈夫だ。

もう少し詳しく見てみよう。


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2017年03月30日

英国が正式にBrexitの手続きを開始した日のこと&「北アイルランドにとってのBrexit」について(雑な「分離」論に要注意)

29日、英国では朝イチでテリーザ・メイ首相が正式に「EU離脱」の意思をEU側に伝える書状に署名し、英国の代表者がブリュッセルにそれを届けるという手続きが行なわれた。書状を受け取ったEU側の代表者、ドナルド・トゥスク欧州理事会議長(「EU大統領」とも呼ばれる立場)は、「もうすでにミス・ユー状態である」的なことを記者会見で述べた。これから2年をかけて、英国はEUを離脱する。

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※レターは全部で6枚。全文はこちらからPDFで閲覧できる

その「英国」は、正式名称を「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」といい、「グレート・ブリテン」はイングランド、ウェールズ、スコットランドから成り立っている。だから「イングランド、ウェールズ、スコットランド、および北アイルランド連合王国」と言ってもよさそうなものだが、そう言うのも正確ではない……というあたりが実に英国らしくめんどくさい。まず第一に、英国は「連邦」ではない。1997年に政権をとった労働党による改革で、ウェールズとスコットランドに自治議会・自治政府が設置されたが(それぞれ権限には違いがあり、スコットランドのほうが「高度な自治」を行なっている)、イングランドにはそういう自治政府はなく、イングランドの立法は英国全体の立法府(すなわちウエストミンスターの議会、以下「国会」)が行なっている。一方で、北アイルランドは、1921年の「アイルランド分断」によって「北アイルランド」が今のような形で正式に成立して(つまり「プロテスタントがカトリックより多くなるように境界線を引いた上で、アイルランドのほかの部分からもぎ取られて」)以来、ずっと自治議会・自治政府を有し、ブリテン島とは別の政治を行なってきた。これは基本中の基本中の基本である。

「北アイルランド紛争」が生じたのも、単に「IRAがいたから」ではなく、その自治議会・自治政府のもとで、「少数派」である「カトリック系住民」(←日本のマスコミ様用語)が二級市民の扱いを受けてきたことが原因である。南アフリカのアパルトヘイトにもなぞらえられたその差別構造を覆すためには武装闘争しかないと多くの若者たちが信じた現実が、北アイルランドにはあったのだ。議会が常に「プロテスタント」(正確には「ユニオニスト」、つまり「英国との連合・統一 unionの維持を望む人々」)が優位になるよう選挙区割を決めたり(ゲリマンダリング)、住宅や就業といった人がまともに生活するうえでの基本的なことでも、「カトリック」は差別されていたりといった状態だった。元々北アイルランド紛争については「女王陛下に牙をむいたテロ集団IRA」的な漫画チックな説明がなされることが珍しくなかったかもしれないが、そのような勧善懲悪の物語は現実とはかけ離れている。興味がおありの方は、今月亡くなったマーティン・マクギネスについて、政治学者の菊川智文さんが2014年に書かれた電子書籍(Amazon Kindleのみ)にそういった背景がわかりやすくまとめられているので、参照されたい(Kindle Unlimitedに入っている。別途買い求める場合は250円)。

Brexit以降の日本語での「北アイルランド」に関する言説の多く(メインストリームの報道を含む)、特に「(英国からの)分離」という用語でスコットランドと北アイルランドを単に並べている言説は、北アイルランドに関するこの基本的事実を踏まえていそうにないので、注意を要する。北アイルランド(「北部アイルランド」、「北部6州」)は、あらかじめ、「アイルランドとしての統一性」を奪われた存在であり、その統一性を取り戻そうというのが、北アイルランドという領域において「アイリッシュ・ナショナリズム」と呼ばれる思想・理念・運動である。その「アイルランドの統一」のために武力を使うことを辞さない、というより、武力を以てしか「アイルランドの統一」は達成できない、と信じている人々が、さまざまなIRAをはじめとする「アイリッシュ・リパブリカン」(以下、単に「リパブリカン」)である。

https://twitter.com/GerryAdamsSF彼らリパブリカンは、1916年のイースター蜂起から100年という大きな節目を迎えた翌年である今年、"1 Million Voices for Irish Unity" という運動を組織している。Twitterでは@IrishUnityで、FBのページもある。リパブリカンの政党であるシン・フェインの主要メンバーのTwitterのアイコンは、今年に入ってからずっと「赤地に白丸」になっているが(右図参照 via kwout)、それがこの運動のアイコンだ。彼らが求めているのは「北アイルランドの英国からの分離」というよりは、「南北アイルランドの統一」である。その「アイルランドの統一」は、単に人の流れや経済上の結びつきのために国境を開放するだけでなく、国家主権・領土というものを前提とする場合、必然的に「北アイルランドの英国からの分離」を意味する(「英国の一部であること」と「アイルランド国家の一部であること」は、相互に排他的である)。

日本語圏では、アイリッシュ・ナショナリズム/リパブリカニズムについてのそういった基本をふまえずに、単に「分離」として「Brexit後に高まる声」的に処理するという非常に乱暴なことが行なわれ、結果、はなはだしく不正確な印象が漂わされるということになっている。

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2017年03月24日

マーティン・マクギネスの棺はデリーのボグサイドを巡り、葬儀は北アイルランド紛争と和平のプロセスをたどった。

Googleマップを開き、"derry ireland" を検索する。Googleが送り返してくるのは、"Londonderry, UK" だ。

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私の検索ワードも間違っていないし、Googleの検索結果も間違っていない。この町は、そういう町だ。

この町がDerryと呼ばれるべきか、Londonderryと呼ばれるべきかという話になるとやたらとややこしいことになるし、それは「べき」論を超えたもので、この町のことをDerryと呼ぶ人の政治理念・政治思想は「緑」で、宗教はまず「カトリック」だ(稀に「プロテスタント」の人もいるが)。彼らはこの町のことをDoireと書くこともあるが、それは英語ではなくアイルランド語の綴りだ。Londonderryと呼ぶ人は「オレンジ」の側で、「プロテスタント」だ。「緑」の側の新聞はDerry Journalで、「オレンジ」の側の新聞はLondonderry Sentinelだ。私はDerryの人としか話をしたことがないが、Londonderryの人は、そんな機微をとらえていそうもない極東の島国の微妙なロンドン・アクセントのあるジャパニーズ・イングリッシュの使い手が自分の町をDerryと呼んでいるのを聞いたら、とても悲しがるかもしれない。

ああ、都市名だけでこれだけの文字数を楽々と費やせる町。

こういうややこしい町なので、都市名が「両論併記」されることがある。Googleマップでは "Londonderry, Derry" という語順になっているが、一般には "Derry/Londonderry" だ。こういうふうに書くにも、どっちを前にするとかいったことでもめるので、機械的に「アルファベット順」にしてあるのだ。「デリー/ロンドンデリー」は読むにも適しているのでよく用いられるが、書き言葉では "(London)derry" という表現もある。

さて、Googleマップの画面でピンが立っているのは、フォイル川の東岸だ。こちら側は「ウォーターサイド」と呼ばれ、住民の大多数は「Londonderry市民」である。市庁舎だとかメインのショッピングセンターだとかいったものがあるのはウォーターサイドの側ではなく、川の西岸で、そちら側は「シティサイド」と呼ばれる。シティサイドは「Derry市民」と「Londonderry市民」が暮らしていて、前者が多数派だ。このシティサイドの側、マップのキャプチャ画面でLの文字あたりを中心に、マップを拡大してみよう。

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Bloody Sunday Monumentと、Derry City Walls(城壁)の印が現れた。その東側から川にかけて色がついている部分が市街地(城壁の中、旧市街)である。

マップをさらに拡大すると、「レッキー・ロード」や「ビショップ・ストリート」といった地名が現れる。ブラディ・サンデー事件の証言集や事件についての資料を読んだ人なら記憶しているに違いない地名だ。

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デリーの城壁の外側、この辺りが「ボグサイド」と呼ばれる地域で、決して広くはないこの地域は「北アイルランド紛争」について一度でもまともに調べるなどした人なら必ず知っている出来事がいくつも起きた地域である。

さらに拡大すると、Bloody Sunday Monumentに代わり、Free Derry Museumが表示され、その下側にまた何かアイコンが出てくる。

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そのアイコンにカーソルを合わせてみると、それがFree Derry Cornerであることがわかる。

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Free Derry MuseumやBloody Sunday MonumentからFree Derry Cornerを経てさらにまっすぐ進む道を道なりに行くと、進行方向左(方角としては東)に感覚的に90度カーブしているところがある。ここにあるのが「ロング・タワーの聖コルンバ・チャーチ」である。カトリックの教会(チャーチ)だ。

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デリーにはデリー教区をつかさどる聖ユージーン大聖堂(カシードラル)がある。城壁のある高台から見て下のほうに広がる平地にそびえるその尖塔は、デリーの町の風景を特徴付けるランドマークである。一方、ロング・タワーの教会はもっと目立たない、地味な、地元の人々が通う日常的な教会だ。(ちなみに城壁のほうにも聖コルンバにちなんだ豪華な教会があるが、そちらは聖公会=チャーチ・オヴ・アイルランドの教会である。)

マーティン・マクギネスの棺は、ボグサイドの自宅からほんの数百メートル先のその教会まで、ゆっくりゆっくりと時間をかけて、ご家族、およびIRAとシン・フェインの人々の肩に担われて、進んでいった。その道沿いには、地元の人たちにとってはシンボルであり、外部からの観光客を呼ぶ観光資源でもあるボグサイド・ミューラルが点在する。2017年3月23日(木)の夜10時半過ぎ(日本時間)から、デリーからネットで中継されてくるマーティン・マクギネスの葬儀の映像を見ているときに最初に指がPrint Screenキーに向かって動いたのは、ものすごい数の人々と、それらのミューラルの1枚をカメラがとらえたときだった。

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ミューラルに描かれている学校の制服を着た女の子は、アネット・マクガヴィガンという名で、1957年に生まれ、1971年9月6日に14歳で死んだ。ボグサイドで発生した英軍とIRAの「銃撃戦の巻き添い」だ。ブラディ・サンデー事件の約5ヶ月前のことで、アネットは北アイルランド紛争が始まってから100人目の民間人(一般市民)犠牲者で、子供の犠牲者としては一人目だった。

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2017年03月21日

【訃報】マーティン・マクギネス

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こんなに早く、こんなエントリを書くことになろうとは。

martinmcguinnessrip.pngRest in power, and rest in peace.

1月の政界引退表明時のやつれ方が激烈だったので、引退の理由となった「健康状態の問題」は相当深刻なのだと察しがついた。しかしそれは、(本人の意思とは別なところで、アイリッシュ・タイムズのスクープによって)公にされた病名で、説明がつくことだった。あんな病気なのだから、あのくらいやつれて当然だ、と。それに写真や映像は照明によっていかようにもなる。

この人はファイターだから、戻ってくる。そう思っていた。何しろまだ60代だ。

3月2日の北アイルランド自治議会選挙のとき――この選挙について、驚くべきことに私はまだブログの記事を書いていないのだが(選挙後の膠着状態が続いているうちに、タイミングを完全に失った)、3日の開票で選挙結果(DUPのボロ負け、シン・フェインのバカ勝ち――しかし最終的にはわずか1議席の差でDUPが第一党の地位を保持したが、北アイルランドでユニオニスト/ロイヤリストの側の政党のマジョリティが破られ、ナショナリスト/リパブリカンの政党が議席数で並ぶ、などということは、まさに「歴史的」なことだった……その話はまたちゃんと書くよ)がだいたい出揃ったころ、Twitterにいるご兄弟が「マクギネス家、盛り上がってる人がいます!」と口々にツイートしている一方で、本人のアカウントは選挙当日の発言があったっきり沈黙していた。政界引退したあとは、新リーダーのミシェル・オニールにすべてを任せるということを印象付けるため、あえてツイートなどしないようにしているんじゃないかと考えたが、今思えば、それは多分私の側の「正常性バイアス」だった。病気の治療に専念するためという理由で政界引退した人だ、Twitterも静かにはなるだろう。ピーター・ロビンソンなんぞ、完全に姿を消してしまっているわけで(Twitterのアカウントも「DUP党首」だったので、後任のアーリーン・フォスターに譲ってしまった)。だから発言がないのも、もっともなこと、正常なことなのだ。そう思っていた。

どうしても気になってTwitterをチェックしたのは、3月20日のことだった。1993年3月20日、IRAのボムがイングランドの小都市ウォリントンの商店街の鉄製ゴミ箱の中で爆発し、買い物に来ていた人々を無差別的に殺傷した。このボムで殺されたのは2人の子供たち(幼児と中学生)で、IRAの「武装闘争至上主義」は内部からも揺らぐことになったのだが、その後、停戦が成立し、最終的に1998年4月の和平合意(グッドフライデー合意、ベルファスト合意)への流れをシン・フェインのチーフ・ネゴシエーターとして仕切ったマーティン・マクギネスと、ウォリントンで中学生の息子を殺されたコリン・パリーさんは、以後………どうにも要領を得た文章が書けない点はご容赦いただきたい。「意識の流れ」みたいになっていて、それが今できる精一杯のことだ………

ともあれ、マクギネスとパリーさんは直接対面し、「和平」と「和解と赦し(表記基準次第で『許し』)」という重いテーマに真正面から向き合うという活動を公開の場で行なってきた。そして3月20日の記念日に、パリーさんの立ち上げたNGO「ピースセンター」のツイッター・アカウントはいつも通りの「紛争と和平、和解と赦し」に関するニュースのフィードと、記念日の追悼行事(黙祷)についての告知のフィードを流していたが、マクギネスのアカウントは沈黙していた。コリン・パリーさんの個人アカウントは元々まれにしか発言がないのだが、そのときに見たものをRTしたのが3月20日のことだった。

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この3月、1993年のボムで殺されたティム・パリーは、生きていれば、36歳の誕生日を迎えてから半年ほどになっていた。2月、コリン・パリーさんは実業界(IRAのボムの影響を受けまくった人たちは含まれているだろうか)の人々を前に、息子を失ったパリーさんが、ピース・センターを立ち上げるに至ったことの背景を語っていた。そして2月下旬、北アイルランドでまた警察官がディシデント・リパブリカンのボムの標的にされたとき(攻撃は失敗したが)、マーティン・マクギネスはそれを強く非難していた。

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【ネットの使い方】知らなかった植物の名を、インターネットで調べるまで

そこに何が植えてある/生えているのかなんて、気に留めたこともなかったのだろう。歩いていたら、白いチラチラしたものが大量に目に入ったので、「花かな?」と興味を持って近づいてみて初めて、そこに植物が植えてある/生えていることに気づいた。それは大きな建物の裏手、常に日陰になっているような場所で、きちんと間隔を保って立っている大きな木の足元だ。

近づいて見てみると、花であることは間違いないのだが、タネツケバナやハコベやミミナグサのようにわかりやすくかわいいわけでなく、何とも奇妙な花だ。遠目で白くチラチラしていたのは、花弁や花弁のように見えるガクではなく、おしべそのもののようだ(この花には、花弁や花弁のように見えるガク――アジサイの「花弁的なもの」のような――がない)。

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あとでネットで調べよう、と思って写真を撮っていると、「何かある?」と通りすがりの人に声をかけられた。「花だと思うんですけど、何でしょう、これ……」と指さすも、その人も「なんだこれ」と首をかしげるばかり。「花は花だろうねぇ。興味あんなら、むしって持ってっちゃいなよ」と言うその人は、植物と庭いじりが好きだという口ぶりだった(「ガーデニング」というカタカナっぽい雰囲気ではなかったが)。「柵の外に出てるの、いっぱいあるよ。地下茎だろうね。地下茎だからさ、どこまでも増えてっちゃうのよ。引っこ抜いてって植えればこんなん、どんどん増えるよ、あっちにも、ほら!」というその言葉に従っていたら、将来的に私はキュー・ガーデン的なものでも始めることになってしまいかねないので、「いやいや……今から買い物に出かけるところなので」と丁寧にご辞退申し上げた。実際、引っこ抜いた植物を手に持ってスーパーのお豆腐コーナーで厚揚げを選ぶなどするわけにもいかない。

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さらに建物の入り口の方に行くと、柵のないところにも同じ植物が植えられていて、真上からの写真を撮ることもできた。大きく伸びた花穂もあった。

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その大きく伸びた花穂から、「そういえば、『なんとかトラノオ』と呼ぶ植物があったな」とウェブ検索してイブキトラノオという植物についてのウィキペディアの項目を見つけたが、花は似ていてもが全然違うし、それにあちらは高山植物だ。では……とイブキトラノオが属しているタデ科のイブキトラノオ属の一覧を見てみるも、みな花は似ているが植物としては違う。

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2017年03月17日

聖パトリックの日に、緑色ではない一角に接した。

時バエは矢を好む。もとい、光陰矢の如し。米大統領選の結果を見て「おーまいがー、来年はどうなってしまうのか」と言っていたのはつい最近のことのように思えるのに、その「来年」はもう3月の半分以上が過ぎ、今日は聖パトリックの日になってしまった。3月17日である。

聖パトリックの日といえば、東京でもだいたいいつも、風が春めいてきたなあなどと感じるころだが、今年は寒い。自転車に乗って横断歩道で停車中に、マスク越しに鼻まで届く沈丁花の芳香が乗ってくる風も冷たく、午後3時をすぎて日が傾きだしたあとは、昼間はぐるっと巻いていただけのマフラーを、ぐる、ぐると重ねて巻くことになる。

そういえば今日は金曜日で、ということはセント・パトリックス・デーが祝日となっているアイルランドの人々は3連休で、今日どんなに飲んでも二日酔いで仕事にならないなどという心配をする必要がない人も多く、Twitterを見てるだけで酒臭くなるレベルで酒臭いことになるだろう。そういえば水曜日くらいから、BBC Northern Irelandのサイトでは、例年3月17日は酔っ払いでひどいことになるベルファストの学生街が、今年は輪をかけてものすごいことになるのではないかという記事が出てたと思う。

というわけで、まあセント・パトリックス・デイだし、成分補給してくれそうなトラッド系の音楽でも聞くか、なるべくバラエティ豊かな方がいいから、コンピレーション盤を探してみよう……とやってみたら、多すぎて話にならない(笑)。みんな、アイリッシュ大好きだな!

……とか何とかやってるうちに、パディ・ライリーの曲が入った「麗しのベルファスト」というこんぴ盤がリストに出てきた。ダブリン出身で、サッカーのアイルランド共和国代表サポをはじめ、アイルランド共和国のスポーツの試合で観客がよく歌うThe Fields of Athenryとフォークソングの最も有名な歌い手で、ダブリナーズでの活動でも知られるパディ・ライリーの曲が、「ダブリン」や「南(アイルランド共和国)」とはちょっと距離感のあるベルファストをストレートに讃えるコンピレーションに入っているのは、珍しいんじゃないかと思った。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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