kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2018年11月27日

ジャッキー・チェンとピアース・ブロスナンの「北アイルランド紛争もの」映画の劇場公開決定とのことで、本棚の本を紹介したときのログをまとめてアップする

2019年GWの公開が決まった映画について、「北アイルランド紛争(北アイルランド問題)について知ってないと難しいかも……」という感想がちょこちょこあるようだが、うちの本棚の中身の一部のリストは、少しはお役に立てるだろうか(→本エントリについて、「前置きは不要」という方向けのショートカット)。

nibooksall.jpg


話は少しさかのぼる。もう1年ほど前のことだが、ある新作映画をめぐり、私が観測するネット上の英語圏で一斉にお茶ふき大会となったことがある。当時の報道のヘッドラインを並べてみよう。

The film where Pierce Brosnan plays a Gerry Adams type figure is coming to Netflix - here's what the critics made of it
https://www.dailyedge.ie/pierce-brosnan-gerry-adams-netflix-3712273-Nov2017/

Pierce Brosnan as Gerry Adams: the movie you need to see now
https://www.irishtimes.com/culture/film/pierce-brosnan-as-gerry-adams-the-movie-you-need-to-see-now-1.3327490

(・_・)

(この時点で「人名わかんないよ」って方は、まずはこっちからどうぞ

この映画のポスターやトレイラーが公表されたのはさらにその数ヶ月前、2017年夏のことで、そのときにも私が観測するネット上の英語圏では一斉お茶ふき大会が起きていた。



Pierce Brosnan as an ex-IRA government official in The Foreigner film poster looks even more like Gerry Adams than Gerry Adams
https://www.independent.ie/entertainment/movies/movie-news/pierce-brosnan-as-an-exira-government-official-in-the-foreigner-film-poster-looks-even-more-like-gerry-adams-than-gerry-adams-35857696.html

その時代(2017年)を生きていないと、単に「役者ってすごいな」という話になってしまうかもしれないが、2017年夏といえば、3月にマーティン・マクギネスがこの世を去り、11月にジェリー・アダムズが党首の座を退くまでの間に位置しており、何というか、手を血で染めまくった世代のIRA/シン・フェイン指導部が退いて(「IRA/シン・フェイン」という表記には問題があるが、ここでは便宜的に使用する)、同年年頭にマクギネスが退いたあとシン・フェインの北アイルランドのリーダーを引き継いだミシェル・オニールのような「紛争を知らない子供たち」の世代、手に血がついていない世代が、「アイルランド全島規模の政党であるシン・フェイン」を率いてアイルランド政治に深くかかわっていこうとするようになるまでの間の時期だ。

2017年夏には、ジェリー・アダムズの声を日常のニュースで聞かなくなる日々なんて、想像できなかった。同年11月の党首引退から1年経過した現在、それは何の違和感もない日常の一部になっている。むしろ、たま〜にアイルランドの議会関連のニュースなどで久しぶりに声を聞くと、ぎくっとなってしまう。時間が経過するということは、そういうことだ。接点がなくなって、日常の中では忘れていても、きっかけさえあれば、リアルタイムの流れとは別に自分の中に流れている「記憶の流れ」が、再度表面に出てくる。あの声を聞くと、グッドフライデー合意 (GFA) 後にIRAの武装解除をめぐってもめていた2000年のニュース(私がロンドンにいて直接TVで見ていたニュース)を思い出す。そのころはまだ、Real IRAがロンドンで活動していたし(彼らの最後の実行された爆弾攻撃は2001年8月のイーリングのパブ爆破だった)、Real IRAはIRA(Provisional IRA)とは別の団体ではあるが、GFAからまだ2年で、「北アイルランド紛争は本当に終わったのか」という疑念が支配的だった。その不安。

ともあれ、「アダムズの声をニュースで聞かない日常」について想像しようとしても想像できないという段階にあった2017年夏、ジェリー・アダムズという人物が既に「歴史化」されていく過程にあるということを見せ付けたのが、この「有名な映画スターが、アダムズの容姿をコピーしている」という現実だった。

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2018年11月01日

ハロウィーンの日、本場アイルランドについて、今熱い「ボーダー(境界線)」について、改めてまとめてみる

ハロウィーンの日、本場、デリー(アイルランド)/ロンドンデリー(北アイルランド・英国)の毎年恒例のパレードは今年もネットで中継されるようだ。本場のパレードがどういうものか、見たい人は、チェックしておいていただきたい。ごく最近になってハロウィーンというものが入ってきた日本では「仮装してバカ騒ぎができる日」という変な受容がされているが、元々は死者が帰ってくるというケルト(キリスト教以前)の「お盆」のような日だ。仮装するのは、そのときに一緒にやってくる悪霊をびっくりさせて追っ払うためだそうだ。

今年、2018年は1993年から25年(四半世紀)の節目の年だが、1993年の10月といえば、北アイルランド紛争で最も血なまぐさく陰惨な「暴力の連鎖」が起きている。あとから見ればそれが「最終盤」だったのだが、当時、暴力の真っ只中にいた人たちは、それが「最終盤」だとは思っていなかっただろう。

その1993年の「暴力の連鎖」については、5年前(20周年のとき)にまとめてある。

20年前の1993年10月、シャンキル・ロードからグレイスティールへ、暴力は連鎖した。
https://matome.naver.jp/odai/2138320196046648301

そして25年経過した2018年、北アイルランド紛争とは直接関係のないことで、また、北アイルランドが前景化している。いや、正確には「北アイルランドが」ではなく「アイルランド島にあるあのボーダー(境界線)が」と言うべきだろう。

その「ボーダー(境界線)」は、日本語では「国境」と呼び習わされているが、あれを「国の境」と呼ぶことができるかどうかはとてもデリケートな問題で、私個人は「国境」とは呼びたくない。その理由は、しばらく前(「パレスチナ国」が、名目だけであるかもしれないが、できる前)のイスラエルとパレスチナの間のボーダーを「国境」と呼ぶことはできないことの理由(パレスチナが「国」ではないから)とは、似ているようで違う。アイルランドはさほど大きくない1つの島であり、1つの島が1つの国であるのが当然だという考えに、私が寄っているからだ。

その「1つの島が1つの国」の考え方をするのが、20世紀以降のアイリッシュ・ナショナリズムである。彼らは「アイルランドの統一」、つまり「統一アイルランドの実現」を望んでいる。IRA(を含むリパブリカン)の政治的暴力の大義はそれであった(彼らが求めていたのは「北アイルランドの独立」ではない、ということは、何度も書いているとおりである)。

周知の通り、アイルランドは、1921年のアングロ・アイリッシュ条約で「南」の26州と「北」の6州に分断された。両者の間に引かれたのが、2018年の今問題になっている「ボーダー(境界線)」だ。

アイルランドは古くから、アルスター、マンスター、レンスター、コノハトの4つの地域に分かれていたが、1921年に確定された現在の「ボーダー」はそれに従っているわけではない。アルスターのうち、一番北にあるドニゴールと、南に近いキャヴァン、モナハンの3州は切り離され、「南」の一部ということにされた。その理由は、「北」はプロテスタントが数的優位に立っていなければならなかったことにある。「プロテスタントの住民たちが望んで、カトリックのアイルランドではなくプロテスタントの英国の一部として留まることになった」という形式が、絶対に揺らいではならなかったのだ。

「アイルランド問題」は20世紀のものだが、その実、本質的には19世紀の植民地主義の積み残しだ。そして英国は「好き勝手に境界線を引くこと」について、間違ったことだとか問題だとかいった見方は全然していなかった。彼らの思う「合理的」な境界線を、現地を無視して引くことに、何も問題は感じていなかった(最もわかりやすい例としては中東を見よ)。「アルスター」の歴史は英国の恣意的な境界線によって一貫性を断ち切られ、「北」の6州と「南」の3州に分けられて、さらに「アイルランド」全体が「北」の6州と「南」の26州に分けられた。そして「南」は、「アイルランド自由国 the Irish Free State」となり、「アイルランド共和国 the Republic of Ireland」となった。

そのままだったら、「アイルランド共和国」は「南の26州から成る国家」で確定されていただろう。しかし現実にはそうはならなかった。アイルランド(南)には常に、「1つの島で1つの国家」という理念があった。ざっくり説明すれば、26州から成る「アイルランド共和国」は仮のもので、いつかは「アイルランド国」として32州から成る国家になるのだ――という理念だ。アイルランドの憲法(アイルランド共和国の憲法、と言うと不正確になるのだが、実質的にはアイルランド共和国の憲法と考えておいてよい)は、そのために、「アイルランドは36州から成る」ということを明文化していた。「1つの島が1つの国」という形式を明文化していたのでる。

一方の英国は、明文化された憲法というものを持たない、とてもややこしい存在である。

1990年代、「北アイルランド紛争」が武装勢力の武装活動停止という大きなモメンタムを得て交渉交渉また交渉の日々の末に「和平合意」という形で終わったとき、当事者は北アイルランドの各武装勢力と各政党と、英国政府と、アイルランド(アイルランド共和国)政府で、それぞれが譲歩した。

北アイルランドの武装勢力は活動停止と武装解除という譲歩を行なった(武装解除すべき勢力が武装解除し終わったのは11年後だったが)。政党は武装勢力の代弁者である政党にも政治の場を与えることに同意した(この同意をしなかった政党がDUPである)。

英国政府は「北アイルランドは絶対に何があろうともずっと英国の一部」という立場をさらに少し緩め、「そのうちにそういう風向きになったら、実際にアイルランド島に住んでる人たちで投票をして、帰属を決めていい」というスタンスを明示的に取るようになった(英国が譲った部分がとても小さいということに留意)。

そしてアイルランド(アイルランド共和国)は、憲法から「アイルランドは36州から成る」という条文を削除した(憲法修正。レファレンダムで支持を得て決定された)。

これが1998年の和平合意、すなわち「ベルファスト合意」もしくは「グッドフライデー合意」である(英語圏の報道などでは「グッドフライデー合意」の呼称が一般的で、略称はGFAである)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Good_Friday_Agreement

そしてこの合意の結果、「北アイルランド」は将来的にはどうなるのか、結論できていない、ということになった。

The agreement acknowledged:

- that the majority of the people of Northern Ireland wished to remain a part of the United Kingdom;
- that a substantial section of the people of Northern Ireland, and the majority of the people of the island of Ireland, wished to bring about a united Ireland.

Both of these views were acknowledged as being legitimate. For the first time, the Irish government accepted in a binding international agreement that Northern Ireland was part of the United Kingdom. The Irish Constitution was also amended to implicitly recognise Northern Ireland as part of the United Kingdom's sovereign territory, conditional upon the consent for a united Ireland from majorities of the people in both jurisdictions on the island. On the other hand, the language of the agreement reflects a switch in the United Kingdom's statutory emphasis from one for the union to one for a united Ireland. The agreement thus left the issue of future sovereignty over Northern Ireland open-ended.

https://en.wikipedia.org/wiki/Good_Friday_Agreement#Status_of_Northern_Ireland


この点の理解が、日本語圏では十分でないようで、「あー、あのー、ちょっとそれは……」という記述に遭遇することは、珍しくない。

以下、書きかけ。

とりあえず、いい本あるから読んでちょー。見て楽しく、読んで勉強になるすばらしい1冊:

図説 アイルランドの歴史 (ふくろうの本)
図説 アイルランドの歴史 (ふくろうの本)



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2015年07月06日

承前: 映画Hungerについての日本語ウィキペディアのエントリーに大幅に手を入れました。

前項の件、つまり映画Hungerについての日本語版ウィキペディアの件、今の限界までやりました。誰かの書いたものを修正するというのは神経をすり減らす作業で、精神的にくたくたです。〆て作業時間約3時間。どなたか、北アイルランド紛争を「政治」として語ることができてしっかりした知識がおありの方、検証をお願いします。

Was (※内容がデタラメです):


Now (※検証してくださる方、主要なソースはこちらです):


あと、1セクション足しました。この映画はこういう解説がないと「わからない」ようなので。



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映画Hunger (ハンガー/静かなる抵抗)がオンライン配信でみられる。

1980年から81年のロングケッシュ(メイズ)刑務所内でのアイリッシュ・リパブリカン(IRAとINLA)の獄中闘争を、新入りのリパブリカンの囚人と、看守と、治安当局の新人という複数の視点から「セリフ」なしで「説明」を廃して描き出しつつ、1981年3月から5月のボビー・サンズのハンガーストライキと死の《物語》を(ある意味「クサい」ほど類型的な「キリストの物語」の図像にのっとって)ほぼ言葉なしで語った映画、Hunger (スティーヴ・マックイーン監督) が、DVD・ブルーレイを買わなくても、ネット配信で見られることを、先日知った。

配信業者は楽天SHOWTIMEで、以前は月会費制だったそうだが、現在は見たいものだけその都度支払ってレンタルで購入するというスタイルになっている(楽天市場のアカウントは必要)。

『HUNGER/ハンガー』のタイトルで登録されており、「15歳以上」の指定(刑務所内での看守から囚人に対する暴力の描写、射殺シーンなどがある)。

ただ、「あらすじ」のところが日本語版ウィキペディアからの流用で、これがデタラメなので(何をどう見たら「あの看守がリパブリカンに同情的で、彼が殺されたのでサンズは暴力はやめてハンストに転じた」などと解釈できるんだろう……あの映画のなかで唯一あえてがっつりセリフ入りの、17分の長回しの神父とのやり取りは聞いてなかったんだろうか。あと「ブランケット・プロテスト」についてもまったくデタラメでそれが致命的)、作品情報のコメント欄に一言入れておいたが、ウィキペディアを直さないとね……。(それについてはこれ。)

注:↓↓↓デタラメです↓↓↓

注:↑↑↑ここまで、デタラメです↑↑↑

いや、芸術作品(映画もそのひとつ)は原則、別にどう解釈してもいいんだけど、英語圏で実際に起きた出来事を映画化した作品の「あらすじ」として他人に伝えるときは、英語版ウィキペディアくらい見ようず。。。⇒ウィキペディアのエントリは書きなおしました

映像配信はSDだけでなくHDもあるが(現状、SDが400円+税、HDが500円+税、それぞれ2日間)、むろん、DVD・Blu-rayでも買える。下記はBlu-rayだが、DVDはこちらにある




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2015年06月05日

北アイルランド紛争の《言葉》と《シンボル》と《意味》が満載されたさわやかなコメディ映画『ピース・ピープル (An Everlasting Piece)』

連休中にGoogle Playのキャンペーンで無料で1本見られるというので予約しておいた映画を、5月の月末になって、ようやく見ることができた(→Google Playのページ)。

既に書いた通り、「タダなら見てみてもいいかな」程度だったのだが、いい映画だった。むしろ、これまで見てなかったのが残念だ。タダなんてそんなすいません、また代金払って見ます、と思っている。DVDも中古ならある。

B0035QHWJIピースピープル [DVD]
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 2010-03-18

by G-Tools


本にせよ音楽にせよ映画にせよ、流通の際に「記録媒体」(結局「物流」が必要となる「モノ」)を伴わず「データ」だけで届けられるようになったら、「埋もれていた作品」や、「自分好みの、世間的には "マイナーな" 作品」が見たい人のところに届きやすくなるだろうと言われていたが、実際に自分でそれを体験できることは、私の場合はこれまであまりなかった。今回のこの映画を知ったのは、(友人・知人・よく読んでいる新聞やブログが言及していたからではなく)Google playというオンライン映像配信の場で「北アイルランド」を単に検索したことがきっかけだが、検索結果のヒット件数が多くなく、全部を検討する余裕があったからだ(そして、検索結果に出てきた映画はほとんど全部見たことがあった、ということも)。それでも、何より決め手になったのが「タダなら失敗してもいいかな」ということで、正直、紹介文などを見ても全然ピンと来ていなかった。

映画紹介文(見終わったあとも、この紹介文で、たとえ300円でもお金を出して見る気になっていたかどうかは疑問。実際にはこの映画は、この「!」の連続から想像されるような、「飛び跳ねて叫んで逃げ回ってのドタバタ」ではない):
北アイルランド。院内理容師のコルムとジョージは、退屈な毎日を送っていた。そんな時、カツラ販売人の男と出会い、手ほどきを受ける。二人は販売独占権の獲得を目指して"ピース・ピープル社"を設立。早速、自慢のカツラを引っさげて営業を開始する。しかし、世の中そんなに甘くない。行く先々でトラブル続き。ライバル会社は現れるし、警察やIRAの面々まで巻き込んで大騒動に!はたして彼らはカツラを売りさばいて一儲けできるのか!?


以下、この魅力的な映画について、まともな解説のようなものが日本語で見つからないので、少し書いておきたい。これをインターネットに流すことで、また誰かが「検索して出会った」ということになればよいと思う。

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2012年01月15日

アイルランドにとって、シンボリズムとして極めて重要な10年間

2012年はアイルランドにとって、シンボリズムとして極めて重要な10年間の始まりである。

ここでいう「アイルランド」は、主に現在のアイルランド共和国だが、現在の北アイルランドも含む。というか、ここで「重要」になってくる事実の数々は、なぜ現在、両者が別々なのか――「国境」(英語では「国」の概念を前提しない、borderという表現だが)に隔てられているのか――ということにかかわる。

それは、2012年から100年前の1912年に始まり、それから10年後の1922年に結論が出た問題だ。

1912年4月、アスクィス内閣のもと、ロンドンの英議会で第三次となる「アイルランド自治法案 the Home Rule Bill」が提出され、審議入りする。前年、議会法が改正され下院の優越が確定しており、この法案は可決・成立が有力視されていた。

こうして1800年の合同法(連合法)で「グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国 the United Kingdom」となった「国」の、「およびアイルランド」の部分が切り離される可能性が現実的なものとなったのだが、「連合」の維持を望む人々、つまり「ユニオニスト Unionist」たちはこれに激烈に反対した。アイルランド島においては、ユニオニストは北部に多く、彼ら北部のユニオニストたちは同年9月に「アルスター誓約 Ulster Covenant」(男女合わせて50万筆に近い署名を集めた)で自治法案への反対を、これ以上にはないくらいに明確に示した。
http://en.wikipedia.org/wiki/1912_in_Ireland

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2009年05月05日

the NI Troubles FAQ, 最新の目次

UPDATE: 2009年5月5日

http://nofrills-nifaq.seesaa.net/ の最新の目次:
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/110201124.html


■更新内容:
【写真で見る「北アイルランド紛争」】のコーナーを新設、これまでこのブログにあった記事を移植。

・もはや「FAQ」の体をなしていないのは、「FAQ」にしようと思うといつまで経っても更新できないからです。すみませんがしばらくはただ見ていてください。あるいは、私が書いたものを元に、勝手に「FAQ」を作っていただいても構いません。その場合、私の記述が参照している元のソースを必ずご確認ください(9割は英語です)。

※これまで、ここにも目次を丸ごと貼り付けていましたが、作業があまりに煩雑なので、ここでは最新更新情報と、「北アイルランドで誰かが暴れている」=「IRAだ」というあまりに短絡的な連想が少しでもなんとかなってほしいので、「基本編」の項目だけ置いておくことにします。

■今さら誰にも訊けない、北アイルランドの基本編:
→【続きを読む】の下に

■「北アイルランド紛争」の基本編:
→【続きを読む】の下に

【続きを読む】
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2008年12月04日

北アイルランドのシンボリズムのお勉強の時間です (2)

第一回:
http://nofrills.seesaa.net/article/108830700.html

さて、第二回目の今日は、BBC NIのトップページからの出題です。



上記キャプチャ画面で最も大きな写真が、覆面+銃の人物の写真です。明らかに「武装組織」です。ではここで問題。これはロイヤリストでしょうか、リパブリカンでしょうか。

画像だけで簡単に判断することができます。銃とか迷彩とかを手がかりにする必要はありません。

答えはCMのあと!

1844880214The UDA
Henry McDonald
Penguin Ireland 2005-06-02

by G-Tools


1840187581The Billy Boy: The Life and Death of LVFLeader Billy Wright
Chris Anderson
Mainstream 2004-03

by G-Tools


B00000FAOWFour Days in July [VHS] [Import]
Brid Brennan, Des McAleer, Paula Hamilton, Charles Lawson, Mike Leigh
Water Bearer Films 1998-11-11

by G-Tools


【続きを読む】
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2008年11月24日

間諜……じゃなくて「館長」だよ―― "the Northern Ireland Troubles FAQ" 仮オープンのお知らせ

※エントリのタイトルは素で誤変換出ました。なぜ?(「官庁」ならまあ使うけど「間諜」は使わないよ、ふだん。)

さて、「軍事板常見問題&良レス回収機構」さんのキャプチャ:
joukenni.png

……というわけで、先月、コメント欄で何となく始まった「軍事板常見問題&良レス回収機構」さん(以下、「常見」さん)とのコラボ企画、「北アイルランド紛争FAQ」、既に「常見」さんの管理人さんからはメールで「質問リスト」をいただいて打ち合わせみたいなのもしてあって、あとは私がどう進めるか次第というところまで来ています。

で、最初はこのブログでやろうかと思っていたのですが、そうするとログがものすごい速さで流れて行ってしまって結果的に見づらいだけになるのは、ジェ [検閲により削除されました] が、Provi [検閲により削除されました] [検閲により削除されました] であったことより明らか、つまり火を見るより明らかなので、「北アイルランド紛争FAQ」専用のブログを作りました。下記です。現在、テスト運用中です。

the Northern Ireland Troubles FAQ
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/



内容は、ふだんこのブログで北アイルランドについて書くときに「自明のこと」として書かずにいることや、前提として扱っていることについての説明、つまり非常に基礎的な解説が主体となる予定です。

現時点では下記の「FAQ」のアップが完了しています。よろしければご覧ください。

【質問1】 北アイルランドってどこですか。
【質問2】 北アイルランドの面積や人口はどのくらいですか。
【質問3】 北アイルランドの主な都市といえばどこですか。
【質問4】 北アイルランドに州はいくつありますか。
【質問5】 北アイルランドの地図ください。できれば日本語の。
【質問6】 「アルスター」と「北アイルランド」は違うのですか。

to do: 所沢さんに連絡する。
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2008年11月14日

写真で見る「北アイルランド紛争」(2)

2009年5月5日
このエントリの内容は、the Northern Ireland Troubles FAQに移植しました。

この記事に含まれていた写真の解説は、下記URL(目次)からご参照ください。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/118498941.html#parttwo

以下、オリジナルの投稿は一部だけアーカイヴ目的で残します。




今年8月に紹介のエントリを書いたthe Belfast Telegraphの写真特集、"A Conflict in Pictures" がアップデートされました。写真が追加されて、合計で73点のギャラリーになっています。

A Conflict in Pictures
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

これに伴い、前回のエントリのURLの修正などを済ませたところで(また修正加えないといけないかもしれないけど)、追加された写真について。

今回追加された39点は、いずれも白黒写真です。「歴史的」なものが多いのですが、90年代のものもあり、キャプションに「1962年」――「紛争」の前――とあるものもあります。ちなみに、1962年というと、ヴァン・モリソンがThemを始める前で、ゲイリー・ムーアが10歳で、SLFのジェイク・バーンズが4歳。デリーに行くとファーガル・シャーキーが4歳。ベルファストに戻るとスティーヴン・レイが18歳で、ケネス・ブラナーが2歳、バリミナでリーアム・ニーソン10歳。ジェイムズ・ネスビット (1965年生まれ) はまだ生まれていない。……って何の話だ。

というわけで、【続きを読む】ではそれぞれのキャプションをもとに簡単な解説を書いておきます。

簡単な解説ですが、超大作です。さくっと読めるものではないので、その点はご了承ください。

また、超大作すぎてコメント欄を設置する余裕がないので、このエントリにはコメント欄はありません。コメントをつけたい場合はとりあえずコメント投稿用ページにお願いします。

【続きを読む】
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2008年10月30日

北アイルランドのシンボリズムのお勉強の時間です

BBC NIトップページから今日の重要ニュースの記事を見てみたら、記事の伝えていることと記事に付属している現場写真とに見られるあまりに濃い「北アイルランドのシンボリズム」に、お茶をふくどころか固まってしまったので、唐突に、お勉強のお時間にすることにしました。あちこち見てみます。

記事はこれ:
Man is injured in city gun attack
Page last updated at 23:01 GMT, Wednesday, 29 October 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/foyle_and_west/7698956.stm

「デリー(ロンドンデリー)で水曜日の午後9時ごろ、ショットガンを持ち覆面をした男2人がブックメイカー(賭け屋)の店に入ってきて、店にいた人全員に伏せるように命じた。35歳の男性が両脚を撃たれたが、命に関わるような怪我ではない。店を出たガンマン2人は車を乗っ取り逃走、しばらくして車はクレガン・ハイツで発見された」という事件を報じる記事。

ブッキーに押し入って「金をよこせ」というわけでもなく、ひとりの男性の両脚を撃ってさようなら、というのは、どう読んでもほにゃらら(←あくまでも憶測なので伏せますが)です。

で、この物騒な記事についている写真が:

【続きを読む】
posted by nofrills at 19:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | northern ireland/basic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

【資料集】1998年8月15日、午後3時10分、オマー

15TH AUGUST 1998
THE OMAGH BOMB

To honour and remember
31 people murdered
and hundreds injured
from three nations,

BY A DISSIDENT
REPUBLICAN TERRORIST
CAR BOMB.

TO HONOUR & REMEMBER
15TH AUGUST 1998


  1998年8月15日
  オマー爆弾事件

  非主流派リパブリカンの
  自動車爆弾テロで
  被害を受けた
  3ヶ国の出身の
  31人の犠牲者と
  数百人の負傷者に
  敬意を表し、忘れないために


※写真は、オマーのメモリアル・ガーデンの中央に立てられていた石碑。FlickrユーザのmissfitzさんのCC写真をクロップ&モノクロ加工。(この石碑が、10周年のメモリアル・モニュメントの設置で、この場所からどかされたらしい。)

【続きを読む】
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2008年08月12日

写真で見る「北アイルランド紛争」

2009年5月5日
このエントリの内容は、the Northern Ireland Troubles FAQに移植しました。

この記事に含まれていた写真の解説は、下記URL(目次)からご参照ください。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/118498941.html#partone

以下、オリジナルの投稿は一部だけアーカイヴ目的で残します。




「北アイルランド紛争」というと「IRAの爆弾」ばかりが語られますがそれだけではありません。ベルファスト・テレグラフが、"A Conflict in Pictures" という写真特集をやっています ("The Troubles in pictures" ではない、というのは興味深いですね)。全部で34点。1970年ごろから2005年ごろまでをカバー。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/photo-galleries/article13909724.ece

いろいろな意味で強烈な写真集です。キャプションのつけかたも「ベルテレ性」が強烈だと感じられます。

【続きを読む】ではそれぞれのキャプションをもとに簡単な解説を書いておきます。

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2008年08月09日

【北アイルランド紛争の基礎】1971年8月9日、インターンメント開始。

Monday 9 August 1971
Internment

In a series of raids across Northern Ireland, 342 people were arrested and taken to makeshift camps. There was an immediate upsurge of violence and 17 people were killed during the next 48 hours. Of these 10 were Catholic civilians who were shot dead by the British Army. Hugh Mullan (38) was the first Catholic priest to be killed in the conflict when he was shot dead by the British Army as he was giving the last rites to a wounded man. Winston Donnell (22) became the first Ulster Defence Regiment (UDR) solider to die in 'the Troubles' when he was shot by the Irish Republican Army (IRA) near Clady, County Tyrone. [There were more arrests in the following days and months. Internment was to continue until 5 December 1975. During that time 1,981 people were detained; 1,874 were Catholic / Republican, while 107 were Protestant / Loyalist. Internment had been proposed by Unionist politicians as the solution to the security situation in Northern Ireland but was to lead to a very high level of violence over the next few years and to increased support for the IRA. Even members of the security forces remarked on the drawbacks of internment.]

http://cain.ulst.ac.uk/events/intern/chron.htm


1971年8月9日。当時の北アイルランド自治政府(ユニオニスト独占政権)の首相、ブライアン・フォークナーの命令で、「デメトリウス作戦」が開始された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Demetrius
http://cain.ulst.ac.uk/events/intern/index.html

この作戦は、作戦名でよりむしろ、大文字で書き始める「Internment インターンメント(強制収容)」として知られている。簡単に言えば、「カトリックで『それ』っぽい連中は片っ端からしょっぴいてロングケッシュに入れておく」(ゆえに「強制収容」)ということ、もう少しだけかたい言い方をすれば、「具体的な容疑で起訴するなどの見込みのない段階で『テロ容疑者』(である/になる可能性のある者)の身柄を拘束し、施設に拘置しておく」ということが、北アイルランドで1971年8月9日に始まったのである。

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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