kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2016年02月28日

ベルファストのボクサーと、「クロス・コミュニティ」

カール・フランプトンというプロ・ボクサーがいる。ベルファストの人で、試合をするたびに勝っているので、北アイルランドではしゅっちゅうニュースになっている。そのため、ボクシングには特に関心がない私でも名前と顔が一致する。

そのフランプトンが、28日朝(日本時間)、またニュースになっていた。今回は「北アイルランドのニュース」ではなく「英国のニュース」だった。マンチェスターで行なわれた試合でイングランドのボクサーを相手に判定勝ちして、WBAとIBFの統一王者(スーパー・バンタム級)になったという。試合についてのハッシュタグは、UKでも、また総選挙の開票が行なわれているアイルランド共和国でもTwitterのTrendsの上位に入っていた。
https://twitter.com/hashtag/FramptonQuigg?src=tren

ボクシングは階級だけでなく団体もいっぱいあって、私には全然わからないのだが、フランプトンはIBFのチャンピオン、対戦相手のスコット・クイッグはWBAのチャンピオンで、両者が対戦して統一王者を決定するという試合で、試合が行なわれたマンチェスターはクイッグの地元(ベリー Buryの人)。Twitterでさかのぼって見ると、「スロー・バーナーだな」とか「ペンキが乾くのを見ているようなもの」とか、「最後の3ラウンドは動きがあったが、チケット代の分も楽しめないような試合だ」とかいった評価が多いが、「この試合がつまらないなんて言ってる人は、ボクシングのことは何もわかってない」というボクシング系のアカウントもある。いずれにせよ、最終的には判定で、ジャッジ3人のうち2人がフランプトン、1人がクイッグということで、フランプトンが統一王者の座に輝いた。
http://www.bbc.com/sport/live/boxing/35639187

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2016年02月26日

「壁」が崩されるとき……ベルファストの「ピース・ウォール」の撤去が始まった。

ベルファストには「ピース・ウォール peace wall」と呼ばれるものがあるということは、これまで何度か書いた。「プロテスタント」と「カトリック」の分住が完全に定着している地域で、両者が接する場所に築かれている「隔離壁・フェンス」だ。相互に、相手側の武装勢力やチンピラ集団がもの(火炎瓶などを含む)を投げ込んだりするのを阻止することが主目的のひとつである。

この「壁」がある程度長く伸びたものは「ピース・ライン peace line」と呼ばれていて、東ベルファストのニュータウナーズ・ロードの辺りのものについて結構詳しく書いた記事がある。また2012年の調査報告書についてもある程度書いてある

「ピース・ライン」は、今では「紛争(の跡地の)観光」の目玉だが、報道や現地の人々のブログなどを見る限り、「紛争」が過去のものになった今もこれらが撤去されていないのは、「観光資源だから」というより、「住民が即時の撤去を望んでいないから」と思われる。地域/コミュニティを分断する壁なんかないほうがいいに決まっているのだが、今すぐに撤去することには不安がある、というような複雑な心情は、きれいごとではないリアルな現場には、やはりある。

そういう「壁」を除去するということには、たいへんな思い切りが必要だろう。

その「思い切り」の動きが、北ベルファストから伝えられた。場所はクラムリン・ロードのホーリー・クロス教会(カトリック)の向かい、あのアードイン地区だ。
https://twitter.com/BelTel/status/702904323949400064

夜間だから見づらいが、クラムリン・ロードを進む車の中から撮影された「撤去された壁」の映像。



撮影主(アップロード主)は、この映像に寄せられたコメントに返信して、次のように述べている。

... they are planning to take down 21 different peace walls in Belfast in the next year. I have to be honest, I didn't think it would have been taken down in our lifetime.


「私たちが生きている間に撤去されるとは思っていなかった」。

北アイルランドはまたひとつ、「不可能だと思われていたこと」を可能にした。 (^^)

以下、詳細。

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2016年02月12日

アイルランド共和国総選挙前の党首討論に、シン・フェインの党首も出た。そして討論は……

アイルランド共和国はもうすぐ総選挙が行なわれる。2月3日の議会解散から26日の投票まで、わずか3週間だ。

アイルランドはいわば「小党分立」がデフォとなっている。Fianna Fail (FF) とFine Gael (FG) が「2つの大きな政党」だが、どちらも「中道右派」で、どちらも単独過半数を取るような政党ではなく、より小さな(議席数の少ない)政党と連立を組んで政権をつくる。2011年2月末の総選挙では、FFと緑の党の連立政権が敗北し、FGと労働党の連立政権が成立した。今回の選挙のあとも、FGと労働党の政権が続くという見込みのようだ。

って、こんなつまらない話なら、わざわざブログに書かないわけで。

(・_・)

In Thursday night’s debate he said jurors could have their identities concealed from the court. Others said his plan would end with jurors fleeing overseas and living under fake identities.

When Adams suggested that Labour shared Sinn Féin’s desire to close the court, Burton icily shot back: “That’s a direct lie.” When Adams accused her of making “a mess of justice”, Burton retorted: “You made a mess of terror in this country, Gerry.”

http://www.theguardian.com/world/2016/feb/12/irelands-party-leaders-round-on-gerry-adams-in-tv-election-debate


これは、木曜日(11日)にテレビで行なわれた大真面目な党首討論の模様。

コメディではないし、漫才でもない。(・_・)

そりゃ、「南」の党首討論にシン・フェインが出てきたらこうなるよね。

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2016年02月09日

アイルランドがギャングランドで、その「IRA」はあの「IRA」とは違うという件。

2015年、ベルファストの住宅街で5月と8月に相次いで「IRA」のメンバーが撃ち殺され、ユニオニストの政党が「IRAがまだ存続してるなんて、恐ろしい」的なことを(今さら)言い出したことで、ストーモントの自治議会が機能を停止するということがあった。

その「IRA」は、Provisional IRA (PIRA)、つまり「IRA暫定派」である。北アイルランド紛争(1969〜1998)において「IRA」と言う場合は、紛争のごく初期(OIRAとPIRAの分裂前)は別として、「PIRA」のことを指す(「暫定」というのは、OIRAとPIRAの分裂時の呼び方がそのまま残ったもので、《意味》はないも同然である)。1970年代から90年代初めにかけて北アイルランドで英軍や警察を標的に攻撃を展開し、イングランドでハロッズ、ブライトンでの保守党党大会会場のホテル、ロンドンの地下鉄駅などをボムるなどし、1991年2月7日にはダウニング・ストリート10番地(首相官邸)を迫撃砲で攻撃し、1994年8月に停戦し、1996年2月9日にドックランズ爆弾事件でその停戦を破棄した後に、1997年7月に再度停戦して、以降は軍事的手段(「政治的暴力」)を停止して、政治的手段(選挙)で目的を達成する「和平路線」に切り替えたのは、この「IRA」である。そしてこの「IRA」が、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスが主導する「メインストリームのリパブリカン」である。

2015年5月から8月の事態は、「暴力はやめた」はずの彼らが、(何らかの原因による)内輪もめに際し、銃を使って人を殺しているということだった。何が原因なのかははっきりしないが、「IRA」は軍事組織としてはもはや機能しえないものの、組織の構造は存続しており、武装闘争以外の何らかの活動をしている。それを手っ取り早く言えば「ギャング」ということになるが、あまり気軽に「ギャング」呼ばわりすると、あら、ノックの音だわ、こんな時間にだれかしら……ということにもなるかもしれない。

一方で所かわってアイルランド共和国のダブリン。何しろ、「コカイン使用の実態」に関し、大学の研究チームが行なった調査で、サンプルのすべて(100%)が「クロ」の結果になった(2007年)のがアイルランドである。(この映画の予告編の冒頭、10秒くらいのところにあるような用途で使われる。)そこまでくまなく行き渡っているのは、流通システムがあるからで、その流通システムを運営しているのが「ギャング」である。こちらは何の留保もなく「ギャング」だ。

20年前の1996年6月、ギャングについての調査報道を行なっていたジャーナリスト、ヴェロニカ・ゲリンが、街中を車で移動中に撃ち殺された。彼女の活動と死は2度にわたって映画化されているが、日本語環境でも難なく見られるのは2003年のジョエル・シュマッカー監督、ケイト・ブランシェット主演の『ヴェロニカ・ゲリン』だ。オンラインでも配信されているが(→楽天SHOWTIME)、DVDも出ている。

B0009Q0JZQヴェロニカ・ゲリン 特別版 [DVD]
キャロル・ドイル
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2006-01-25

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この映画にも実名で出てきたGerry Hutchというギャングがいる。他のアイリッシュ・ギャングの親分たちのように贅沢な暮らしをするのではなく、ダブリンのインナーシティで質素な暮らしをしていることで「僧侶 (The Monk)」と呼ばれている(そのあだ名をつけたのは、ゲリンだという)。かつては銀行強盗として悪名を馳せていたこの人物は……うーん、ウィキペディアを読んでも、ちょっと何を言っているのかよくわからない

ともあれ、そんなギャングの名前が、ニュースに出てくるようなことが、ダブリンで起きている。同時に「コンティニュイティIRA (Continuity IRA)」(「プロヴィジョナルIRA」、つまり「IRA」ではない)の名前も出てきている。

Twitterで見たりRTしたりしていたら情報が断片化してしまったので、まとめておこうと思う。断片化していてよいことはないので。

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2016年02月08日

ロンドンのドックランズ爆弾事件(IRA)から、20年になる。

1996年2月9日は金曜日だった。当時、金融・商業の一大拠点として大規模な再開発が進められていたロンドン東部のドックランズ地区は、既に「閉鎖された港湾施設の跡地」、「寂れたウォーターフロント地域」ではなくなっていた。この一帯の港湾施設が現役だった時代に使われていた貨物鉄道の線路を利用して整備されたDLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)が1987年に最初に開通したカナリー・ウォーフ(「ワーフ」は日本語で変な読みが定着したもの)地域は、1990年代初頭の英国経済の不況の時期には低迷していたオフィス需要の増加に沸いていた。つまり、IRAにとっては大きな「経済標的」になっていた。

午後5時半ごろ、ベルファストと、アイルランド共和国の首都ダブリンに電話が入った。「停戦(後述)の終了」を宣言し、カナリー・ウォーフに爆弾を設置したことを告知するIRAからの電話だった。すぐにロンドン警察に連絡が行った。カナリー・ウォーフのサウス・キー駅付近からは人々が退避させられた。

午後7時1分、サウス・キー駅付近に停められていたトラックが爆発した。トラックには500キロの肥料爆弾が積まれていた。再開発で新たに建築された「外壁はほぼ全面ガラス」みたいな建物のガラスが粉々に砕け、退避しきれなかった人々の上に降り注いだ。爆風・衝撃波で飛ばされた重いもの(コンクリート片、金属板など)が飛んだ。「ドックランズ爆弾事件」と呼ばれるIRAのボム攻撃だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/1996_Docklands_bombing
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/february/10/newsid_2539000/2539265.stm

爆弾の被害を記録したAPの映像(後半部分は、「IRAの停戦破棄」を受けてシティで実施された検問の様子):


すさまじい被害状況だが、死傷者は数としては少なかった。死者は2人(逃げ遅れた個人商店主と店員)、負傷者は39人だった。ただし、負傷者の中には四肢切断、失明、身体麻痺の人もいる。

IRAは「われわれは爆発前に告知を行い、人的被害が出ないように退避する十分な時間を与えた。死傷者が出たのは残念なことだが、それは、爆発に間に合うように退避させられなかったロンドン警察の責任である」という内容の声明を出している。(IRAを美化する人たちは、「IRAは爆弾予告を行い、人を退避させる」ことだけを強調するが、それがめちゃくちゃな欺瞞であることは言うまでもなかろう。)

第一報を含む発生時のニュース(複数)を1本にまとめた資料ビデオ(爆発の規模などがまだわかっていない状態で、「IRAの停戦破棄」が中心的なトピック):


この17ヶ月前の1994年8月、IRA (Provisional IRA) は停戦を宣言していた。IRA……ええっと、シン・フェインのいわば「正史」としては、この「1994年の停戦」を、1990年代の最も大きな節目と見ている。英国政府にとってもそれは同じだ。つまり、「1994年の停戦で、実現へ向けて軌道に乗った和平プロセス」は、公的に書かれている《物語》だ。(なお、私はそれを当然だと思っているし、一定範囲で歓迎もしている。)

しかし、「歴史(正史)」は「勝者が書く」ものだ。

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2016年01月30日

1月30日。私が自分の中で、弔鐘を鳴らす日。

毎年のことで、1月30日である。毎年何かしら書いているが、今年も、1972年のあの日にデリーで起きていた出来事を、その時刻(日本との時差は9時間あるので、日本では日付が変わったあとになる)にTwitterで流すよう、botを設定してある。(その前に、30日の午後10時台に「解説」的なものをいくつか流すよう設定した。)それらのツイートは、あとでこのエントリに貼り込むことにしよう。

1972年のデリーでのブラディ・サンデー(血の日曜日)のときだけ、こういうことをしていると、この事件だけを「特別扱い」しているのではないかという気もしてくる。少なくとも、Twitterで私のアカウントを見てくださっている方々にはそう見えるだろう。そして、この事件だけを「特別扱い」することは好ましいことではない。しかし、私が個人的に「北アイルランド紛争」に接した初めてのきっかけが、勉強机の脇に置いたラジオから流れてきたあの曲だったということを、私は個人的に、何度でも確認したい。英語なんか聞き取れるわけもなかったけど、それは伝わってきたのだ。



1972年1月30日、デリーで英軍が非武装のデモ隊に発砲し、13人を撃ち殺した(さらに1人が後日、この日の負傷により亡くなった)。ほどなくして、英軍は「連中は武装しており、軍は攻撃を受けたので反撃した」との虚偽を《真実》として発表し、マスメディアはそれを《事実》として単に垂れ流した。撃ち殺された人たちのご家族・ご友人は、彼らが非武装だったことを知っていた。しかし、「英軍は背中を向けている(逃げようとしている)非武装の一般市民(民間人)に発砲し、撃ち殺した」ということが《事実》であると認められるまで、デリーの人たちは、38年半も待たねばならなかった。

2010年6月15日。1998年に開始が決定され、2000年から4年の歳月をかけて、当時のデモ参加者や英軍兵士を中心に膨大な数の人々の証言を聞き取ったサヴィル卿を長とするインクワイアリ(公聴会)の最終報告書が、予定より何年も遅れて、ようやく公表されたときの、BBC News (Northern Ireland) のウェブページ (via その日の拙ブログ)。



このことについては、毎年この日に、何かしら書いている。

2012年:


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2016年01月27日

シャンキル・ロード爆弾事件(1993年10月)。攻撃計画は事前にIRA内部のスパイから英当局に知らされていたとの報道。

1993年10月23日、土曜日。ベルファストの西側、ロイヤリストの拠点であるシャンキル・ロードの魚屋は、買い物客でにぎわっていた。その建物の2階は、ロイヤリスト武装組織UDAが会合を開くのに使っており、UDAを標的とした爆弾を持ったIRAのメンバーが店に入っていった。爆弾を設置して「爆発するぞ!」と叫び、店の客を外に逃し、2階のUDAを殲滅するつもりだった。しかしその日のその時、UDAはその建物にはおらず、爆弾は予定より早く爆発し、爆弾犯の1人と店にいた「プロテスタント」の一般市民9人を殺した。「シャンキル・ロード爆弾事件」である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Shankill_Road_bombing

この事件のあと、北アイルランドでは「暴力の連鎖」が起きた。「プロテスタント」の側が、「報復」として、「カトリック」の一般市民を標的にした(つもりの)攻撃を重ねた。そのことは、事件から20年を迎えた2013年にざっと書いた。

20年前の1993年10月、シャンキル・ロードからグレイスティールへ、暴力は連鎖した。
http://matome.naver.jp/odai/2138320196046648301


この事件について、英当局は「シャンキル・ロードのUDAの会合場所を狙った爆弾攻撃が行なわれる」ということを、IRA内部に入れていたスパイから知らされていた、という記事が、今日(2016年1月26日)のインディペンデントのトップページに出た。


※写真が出ている「1本指を立ててる迷彩柄のTシャツの男」は無視してください。関係のない話題なので。

Shankill Road bombing: MI5 failed to act on IRA tip-off that may have prevented Belfast atrocity, investigation claims
http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/shankill-road-bombing-mi5-ignored-ira-tip-off-that-could-have-prevent-belfast-atrocity-investigation-a6833541.html


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2016年01月26日

ネット上のイラつくミーム、Be like Billと、リアル世界のIRAを気取る勢力を相手にする北アイルランド警察

"Be like Bill" は、最近急激に流行りだしたインターネット・ミーム(おもしろ画像、ネタ画像)である。棒人形 (stick figure) の絵の横に、「Billはネット上でお手本となるような行ないをする、そんなBillを見習おう」という内容の文言が書かれている。

Be Like Bill meme


ネット上の英語圏の特にFacebookでは、これがあらゆるところに出没しているらしい(私はFBを使っていないので直接にはその氾濫っぷりを見ていない)。あまりにそこら中に出てくるから、人々がイライラし始めているくらいだそうだ。

ミームについての解説サイト、Know your memeのエントリによると、初出場所などは不明だが、最初のは下記の画像だったという。

d6b-m.png


「ビルはネットで見かけたものにムカっときたが、華麗にスルーした。ビルは賢い。ビルを見習おう」

(本来、「スルーする」というのはこういうことだったような気がする。自分自身に向けられた悪意ある言葉についてではなく、ネットで誰かが書いている言葉に「それはおかしい」などと食ってかからないことが「スルーする」だったような……私自身、「U2がIRAのテロを歌った名曲」などという誤った情報や珍説は、いくつもスルーしたが)

この画像は、明らかに、下記の「キーボード・ウォリアー」のミーム(10年以上前からあるもの)パロディだろう。

swi.png


Be like Billの画像は、2015年10月にRedditやFunnyjunkのようなフォーラムに投稿されるようになった。よくあることだが、人々が話をしているところに「俺のことカーッ、俺は差別主義者じゃないゾーッ」などと殴りこんでくるようなのが湧いて出てきたときに誰かがこの画像を投稿したら解散、みたいなお約束になっていたんじゃないかなあと思う。

これが最初に爆発的に流行ったのは、英語圏の外でのことだったようだ。

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2016年01月22日

「私は平等のために粉骨砕身努力いたしております」と言いながら同性結婚に反対する政治家が、北アイルランドでは最大政党の重鎮であるという現実。

21日夜(日本時間で22日朝)のBBC Question Timeのテーマが北アイルランドで、スタジオに保守党政権の北アイルランド担当大臣、テレサ・ヴィラーズ、シン・フェインのチェアマンであるデクラン・キアニー、DUP所属の英下院議員で院内グループを率いるナイジェル・ドッズといった人が招かれていたそうだ。

この日の番組のページで、英国内からの接続なら番組全体が向こう12ヶ月間再生できるほか、英国外からの接続でもゲスト各人の発言の短いクリップなどが見られるようになっている。(収録はベルファストかな。あと、ピーター・ヘインのクリップもあるが、発言内容はNIには関係ない感じ。)
http://www.bbc.co.uk/programmes/b06yms21

北アイルランド・ウォッチャーとしては、シン・フェインのキアニーが、グッドフライデー合意後の政治体制(各政党が獲得議席数に応じた閣僚ポストを配分する形の自治政府)の「次」を見ていることが明確に示されている発言が最も興味深い(こないだ引退したピーター・ロビンソンがその方向性に行こうとしていた)。クリップは下記。
http://www.bbc.co.uk/programmes/p03g5j5b

しかし、Twitterで(北アイルランドではなく)UKという大きなくくりで見ていると、人々が大きな反応を示したのは、宗教保守政党であるDUPのナイジェル・ドッズの「平等」へのスタンスについてだった。(ドッズのクリップはここにあるが、これとは別のトピックについての発言の部分のようだ。)これにより、Nigel Doddsという名前がUKのTrendsに入ってくる程度に反応が大きかった。

DUPは、基本的に、聖書を文字通りに信じるキリスト教根本主義者たちの政党で、同性愛に関しては全然「容認」しないというスタンスだ。北アイルランド基準に慣れてるとそれはそれでスルーできるというかしちゃうのだが、そうでなければやはり「いまどき、これはないわ」という話で、お茶の間はざわざわざわざわとしていたようだ。

その記録を、Twitterが提供しているCuratorというツールを使って、とってある。

https://twitter.com/nofrills/timelines/690302278847234048

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2016年01月15日

俳優って、すごい。ピアース・ブロスナンが、ジェリー・アダムズに激似だ。

「新作映画撮影中のピアース・ブロスナンが、ジェリー・アダムズに激似」という話があって、はいはい、プロモプロモ、それは似ないでしょう、と思って見てみたらほんとに激似で驚愕した。



ピアース・ブロスナン。説明不要だろう。さあ、君も目を♡ にできるぞ。emoji-heart.png emoji-heart.png



この美男すぎる俳優は、007(ジェームズ・ボンド)も演っているし、トニー・ブレアをモデルにした「元英国首相」も演っているのだが:



今回……
He is playing the role of Liam Hennessy, a former IRA member turned government official.

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35312321


……あの、いろいろアレなのでこれ以上は言いませんが、アレですよね、アレ

ほんで、その「アレ」がこれで、あのー…… (^^;)

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2016年01月12日

ピーター・ロビンソンが引退し、アーリーン・フォスターが北アイルランド初の女性政治トップとなった。

北アイルランドでは、女性(たち)が前面に出て行って、局面が大きく変化するということが何度かあった。2008年の米大統領選挙前にまだヒラリー・クリントンが民主党の候補候補だったころにベルファストを訪問した際に、誰かが「男に任せておくと、いつまでも『紛争』やってるから(笑)」と発言していたが(ヒラリーは、北アイルランド和平の功労者のひとりである夫ビル・クリントンと一緒に紛争末期の北アイルランドとかかわっている。ただし彼女が豪語していたように「あたくしがいなかったら北アイルランド和平はなかった」というほどのかかわりでは、絶対にない)、60年代末の公民権運動のバーナデット・デヴリン(後に英国下院議員)、70年代の「ピース・ピープル」(ノーベル平和賞受賞)、そして1998年ベルファスト合意(グッドフライデー合意)の実現においてロイヤリストの囚人と交渉して「最後の一押し」を決めたモー・モーラム北アイルランド担当大臣(当時)といった女性たちは、非常に大きなインパクトを与えることに成功した。

DUPのアーリーン・フォスター新党首は、ガチ保守の男社会において、そのような先例にならうことになるだろうか。

北アイルランド、初めて女性が政治トップに。(ピーター・ロビンソンの引退)
http://matome.naver.jp/odai/2145043971175229501


↑このページ↑に、ピーター・ロビンソンの引退から、アーリーン・フォスターの党首およびNI自治政府ファーストミニスター就任まで、全部書いてある。フォスターがいかに「紛争」の当事者であるかといったこと、ピーターが最後に残したとんでもないジョークも含め。あと、Twitterの@DUPleaderのアカウントがピーターからアーリーンに代わった瞬間も、何とか捕捉できたので、それも記録してある。これで発言のチャンネルもなくなり、今のMLAの任期が終わったら、ピーター・ロビンソンは公的な場から完全に姿を消すことになる。(その前に、NAMA関連のお金の疑惑はケリがつくのかな。)

※アーリーン・フォスターについて、新たに書き足すのも、「NAVERまとめ」で行なう予定。

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2016年01月05日

「この中に、カトリックはいるか?」……キングズミル事件から、ちょうど40年。

北アイルランド紛争は、武装勢力の外見、服装や言葉遣い、アクセント(訛り)などでは、その武装勢力が誰なのか、「どちら側」なのか、区別がつかなかった。

1976年1月5日、夕刻。アーマー州の南部、キングズミル村の近くで、1台のミニバス(マイクロバス)が武装勢力によって停止させられた。バスに乗っていたのは、工場での勤務を終えて帰宅する労働者たち。武装活動とは関係のない、「一般市民(民間人)」である。

One of the most harrowing moments in the whole history of the harrowing of the heart in Northern Ireland came when a minibus full of workers being driven home one January evening in 1976 was held up by armed and masked men and the occupants of the van ordered at gunpoint to line up at the side of the road. Then one of the masked executioners said to them, "Any Catholics among you, step out here". As it happened, this particular group, with one exception, were all Protestants, so the presumption must have been that the masked men were Protestant paramilitaries about to carry out a tit-for-tat sectarian killing of the Catholic as the odd man out, the one who would have been presumed to be in sympathy with the IRA and all its actions. It was a terrible moment for him, caught between dread and witness, but he did make a motion to step forward. Then, the story goes, in that split second of decision, and in the relative cover of the winter evening darkness, he felt the hand of the Protestant worker next to him take his hand and squeeze it in a signal that said no, don't move, we'll not betray you, nobody need know what faith or party you belong to. All in vain, however, for the man stepped out of the line; but instead of finding a gun at his temple, he was thrown backward and away as the gunmen opened fire on those remaining in the line, for these were not Protestant terrorists, but members, presumably, of the Provisional IRA.


ここに引いたのは、シェイマス・ヒーニーのノーベル文学賞受賞の際のレクチャー(スピーチ)の一節である。ヒーニーがノーベル文学賞を受けたのは1995年。前年の1994年にIRAの停戦、ロイヤリスト武装組織の停戦があり、北アイルランド紛争は「和平プロセス」に向かって踏み出していた。(その後、1996年に一時ゆり戻しのようになったが、1997年の英国での政権交代の後に「和平プロセス」は一気に進んだ。)

ヒーニーとキングズミル事件(キングズミルの殺戮)について、検索したら、2011年の論文のPDFが見つかった。リムリック大学のカレッジのひとつでホストされている論文で、これまでに読んだことのないものだ。冒頭に、あの詩が引用されている。



‘Any Catholics among you...?’: Seamus Heany and the real of Catholism
https://dspace.mic.ul.ie/bitstream/handle/10395/1418/O%E2%80%99Brien,%20E.,%20%282011%29%20%E2%80%98Any%20Catholics%20among%20you...%20%20Seamus%20Heaney%20and%20the%20Real%20of%20Catholicism%20%28Book%20Chapter%29.pdf?sequence=2&isAllowed=y

Some 3,600 people were killed in the conflict in Northern Ireland and one might well ask why Heaney chose to discuss this particular atrocity in his Nobel lecture. I would suggest two reasons for this: firstly, because in this particular case, what we might call the Lacanian real of the Northern Irish situation found expression, in the haptic nature of the contact (both destructive and constructive) between Catholic and Protestant that is to be found in this encounter, because for Heaney, the real that is to be found here is in that poetic language which allows the body to speak and which faces death and disaster with some gesture towards the transcendent, with some reaching towards the transcendent and towards the other.



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2015年12月27日

【訃報】ベルファスト・テレグラフのリーアム・クラーク政治部長

突然すぎてもう……北アイルランドの、「この人の記事は読もう」っていう、そういうジャーナリストですよ。(;_;)

http://chirpstory.com/li/298118
http://chirpstory.com/li/298118


Twitterではその視野の広さが本当に際立っていて、「ポスト紛争」を現場で経験した視点からは本当にたくさんのものが見えているのだなあと思わされたし、そういったことも含めて本を書いてくれるのではないかと思っていたのに。(;_;)


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2015年12月17日

補足: 「紛争地」だった都市が、今は「普通の街」であることについて、チャペックの旅行記を読みながら。

1つ前のエントリへの補足。

英国政府が受け入れを決定したシリア難民の最初の一団の受け入れ先となるなど、完全に「普通の街」という扱いを受けるようになったベルファストだが、それがいかに「特別なこと」であるかを少し書き留めておこうと思う。こういうことは書き留めておかないと、即座に忘れ去られるだろう。ロンドンについて、1991年とか92年版の『地球の歩き方』で「街頭にホームレスがあふれ……」と書かれていたことが、90年代後半の「ITバブル」以降はまったく忘れ去られているように(90年代前半を知っていた人たちは、「久しぶりにロンドンに行ったら、ウエストエンドにホームレスがいなかった」と驚いていたものだ)。

下記は現行のLonely Planetのベルファストについての記事の書き出しの部分。

Belfast is in many ways a brand-new city. Once lumped with Beirut, Baghdad and Bosnia as one of the four 'Bs' for travellers to avoid, in recent years it has pulled off a remarkable transformation from bombs-and-bullets pariah to a hip-hotels-and-hedonism party town.

http://www.lonelyplanet.com/ireland/northern-ireland/belfast


このような「旅行ガイド」の「都市の特徴」のような文言は、厳密な《事実》とは限りなく関係ない「キャッチコピー」のようなものだし、ベルファスト、ベイルート、バグダード、ボスニアと列挙するのは「Bで頭韻を踏んでいる」に過ぎない(そもそも「ボスニア」は都市名ですらない)。

それでも、ベルファストはこういう扱いを受ける都市だった。

でも、ずーっと以前には、アイルランド全体がそうだった。

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2015年12月16日

北アイルランドにシリアからの難民が到着。ベルファストのホスピタリティが暖かい。

シリア内戦で家を追われた難民の人々が、遠く離れた受入国に到着しているということがどんどん伝えられだしている。カナダは、最近の総選挙で保守からリベラルへの政権交代があったばかりだが、トゥルードー(トルードー)首相が「カナダが戻ってきました」と宣言し、自らトロントの空港にノーネクタイで赴いて、到着する難民を出迎えている

"This is a wonderful night where we get to show not just a planeload of new Canadians what Canada's all about, but we get to show the world how to open our hearts and welcome in people who are fleeing extraordinarily difficult situations," Trudeau said.

"Tonight, they step off the plane as refugees. But they walk out of this terminal as permanent residents of Canada, with social insurance numbers, with health cards, and with an opportunity to become full Canadians."


上記のアルジャジーラ記事によると、カナダでは入管当局が率先して、#WelcomeRefugees というハッシュタグを使っているともいう。若くてハンサムでテレビ映えのするジャスティン・トゥルードー新首相が空港で難民を歓迎するという映像は、政治的にももちろん利用しがいのあるものだ。

以前から、「難民受け入れといえばカナダ」というのはあって、日本での難民申請が受け入れられなかった人が第三国としてカナダに渡った例などもある。トゥルードー首相が言っているのは、9年間の保守政権のあとで、(米国との国境のこともあるだろうが)そのような「世界のどこかで困っている人を受け入れる国としてのカナダ」が戻ってきたということだろう。

今年、多くの人々を「難民問題」に向き合わせた「溺死した子供」、アラン・クルディ(日本のメディアは相変わらず「アイラン」と表記しているが、それは彼らクルド人を弾圧しているトルコがつけた名前で、クルドの言葉での本当の名前は「アラン」である。英メディアはそれが判明してすぐに彼の名前を変更している)は、おばさんがカナダに暮らしているので、一家でカナダに行ければと考えて移動中にお兄さんとお母さんとともに海に飲まれた(なお、11月末に、アランの親族の一家がカナダに受け入れられることになったとアランのおばさんが発表している)。

……と、カナダからの、いかにも今どきの「劇場型」ぽいニュースが一段落したところで、英国での受け入れ開始のニュースが流れてきた。それも、めっちゃかわいい。 (*^^*)



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2015年12月15日

北アイルランド、「未完の平和/和平」(書籍)

北アイルランドで「紛争」のころからずっと各武装勢力を取材してきたジャーナリストのブライアン・ロウアンさんの本が出た。

1780730926Unfinished Peace: Thoughts on Northern Ireland's Unanswered Past
Brian Rowan
Colourpoint Books 2015-12-07

by G-Tools


amazon.co.jpにも入ったが、まだ直接は買えず、古書も扱う業者がマーケットプレイスに出しているのしかない。今見たところ、3000円以上の値段がついている(日本国内のマーケットプレイスの送料が別にかかる)。

これならたぶん、版元で直接オーダーしたほうが安いだろう(為替レートにもよるが)。配送の時間は、たぶん同じだ(amazonに今入ってる業者はアイルランド共和国の業者なので)。

版元は著者の地元、ベルファストの小さな出版社、Colour Point Booksというところ。サイトで直接注文できる。通貨はGBP(英ポンド)だ。
http://www.colourpointbooks.co.uk/more_details.php?id=1878

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2015年12月12日

「ベルファストの日常」(グレン・パターソンの文章)

21時にアップしようと準備していた記事があったのだが、グレン・パターソンによる新しい文章を読んで、少し寝かせることにしたいと思った。

Welcome to Belfast, where bomb scares are part of daily life
Saturday 12 December 2015 11.00 GMT
http://www.theguardian.com/uk-news/2015/dec/12/belfast-bomb-scares-daily-life

「ボムスケア」が日常生活の一部である街、ベルファスト。生まれたときは「北アイルランド紛争」は始まっておらず、子供のころにその「紛争」が激化して終わりのない状態に入っていった世代の(ちょうど映画『ミキボーと僕』の主人公男子2人と同世代だろう)パターソンは、「セキュリティ・アラート」というい今風の言い方よりも「ボムスケア」というあの時代の言い方で語ることで、何かを描き、伝えようとしている。より直接的な言葉の時代。ちなみにこの文で言及されているFelixとはこのマンガのことだ。爆発物処理の専門家たちのマスコット。

パターソンの文の最初のほうで描かれているのは、「やけにセキュリティ・アラートが出まくってるなあ」と、Twitterの「NIのリスト」を見ながら思った日のことだ。ベルファストとデリーとオマーで、アラートが同時進行していた。警察の新人募集のイベントが行なわれていた。今調べてみたら10月9日のことだ。(そんなに前だったか。)その後のセクションで、「東ベルファストの水曜日」の出来事として描かれている日がいつなのか、調べられそうな気がしない。

そして、パターソンの文はそのことについての文である。「日常」という、書き残されたり語られたりしないような凡庸さについての。

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2015年12月02日

【訃報】「北アイルランド和平」の功労者、西ベルファスト、クロナード修道院のジェリー・レノルズ神父

西ベルファストで「北アイルランド紛争」の始まりから激化の過程をずっと目撃してこられ、「暴力の停止」のために尽力なさったアレック(アレックス)・リード神父が亡くなったのは、2013年11月下旬のことだった。

その2年後、2015年11月下旬に、同じクロナード修道院に所属するジェリー・レノルズ神父が亡くなった。

レノルズ神父は、リード神父とともに「リパブリカン(シン・フェイン)は話をすれば話ができる相手である」ということを当事者すべてに知らせるために努力を重ねてこられた(その過程では、リパブリカンとの粘り強い対話も行なわれた)。しかし文献や報道記事に登場することは、リード神父のように多くはない。リード神父はのちの和平プロセスでIRAの「武装解除」の証人になるなど、全国ニュースに出てくることが多かったが、レノルズ神父はそうではない。

そのことは、レノルズ神父の貢献を小さいものにすることはないが、目立つか目立たないかといえば、目立たない。



以下:

北アイルランド紛争の終結に尽くしたクロナード修道院(西ベルファスト)のジェリー・レノルズ神父死去
http://matome.naver.jp/odai/2144905489030266601

見出しだけ見て終わらせずに、↑↑↑このページ↑↑↑を読んでください。全部ここに書きますので。
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2015年11月25日

「ベルファスト・ボーイ」として社会をまとめたジョージ・ベスト、没後10年

もう10年か……と、過去ログをあさる。

2005年10月27日には一時生命維持装置につながれ、「死期が近い」と本人も考えているという報道について書いている。11月20日には再度生命維持装置につながれたことについて。そして「24日に主治医が『もうあと24時間もたない』と発表していたジョージ・ベストは、たぶんそれから24時間くらいして、他界した」

ジョージ・ベストは、一般的には「マンチェスター・ユナイテッドの往年の名選手のひとり」かもしれないが、北アイルランド、ベルファストにとっては「郷土の偉人(スーパーヒーロー)」である。本人も「俺のようになっちゃだめだ」と語り残していったが、酒に飲まれて身を滅ぼしたたわけ者とはいえ、ベルファストで生まれ育って学校に通い、少年サッカーをして、イングランドのクラブにスカウトされ、やがては大成し、北アイルランド代表チームでもプレイした「この街出身のスーパースター」である。

彼が生まれ育ったのは東ベルファストの労働者階級の住宅街。両親は、イアン・ペイズリーの創設したフリー・プレスビテリアン教会の信徒で、お父さんのディッキー・ベストはオレンジ・オーダーのメンバー。少年時代にジョージ・ベストもオレンジ・オーダーのパレードに参加していた。「オレンジ」の伝統は彼の一部だった(が、のちの放埓なライフスタイルから判断するに、信仰はそれほどでもなかったのかもしれない)。

けれど、彼は「プロテスタントだけ」のヒーローではなかった。ジョージ・ベストが他界してすぐ、2005年11月27日のオブザーヴァー(ガーディアンの日曜)に、アーマー出身でベストより少し年下のショーン・オヘイガン(オハガン)が次のように書いている。

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ジョン・ヒュームの体調のことが、ご家族の口から語られた。

北アイルランド紛争は、2度にわたってノーベル平和賞受賞者を出した。1度目は1970年代の平和(暴力停止)を求める運動、「ピース・ピープル」を始めた市民2人。2度目が1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)を実現させた政治家2人。どちらも、北アイルランドの2つのコミュニティ(「プロテスタント」と「カトリック」、「オレンジ」と「緑」)から1人ずつだ。

その「北アイルランドの4人のノーベル平和賞受賞者」の1人が、ジョン・ヒュームである。
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Hume

http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/portraits-of-literary-greats-seamus-heaney-and-cs-lewis-unveiled-at-stormont-34230429.html1937年1月、デリーに生まれたヒュームは、1960年代の「公民権運動」の中心的な活動家で、1971年に当時の北アイルランド自治政府がナショナリストの若者を主な対象とした「インターンメント」(無期限勾留、強制収容)を開始すると、それに抗議するハンガーストライキに加わった。現在も「資料写真」としてよくメディアに登場する当時の写真で、デリーの公民権運動のデモで放水車の水を浴びて兵士に連行されるヒュームの姿を記録したものがある(キャプチャ via kwout)。

1972年1月30日の、のちに「血の日曜日(ブラディ・サンデー)」事件と呼ばれるようになった英軍による非武装のデモ隊への発砲事件が起きた公民権運動のデモには、ヒューム自身は参加を見合わせていたが、2002年1月、事件の真相究明を行なうインクワイアリで当時のことを証言し、事件の1週間前に英軍が非常に暴力的な態度でデモ隊に対峙していたと語っている。1979年以降、英国政府の対決的な姿勢とシン・フェ……IRAのますます過激化する手法で北アイルランド紛争が「解決し得ない」と言われていた時代を、ジョン・ヒュームは当時のナショナリスト最大政党、SDLPの党首として体験した。

非常に暴力的な状況の真っ只中に身を置きながら、IRAのわかりやすい「フィジカル・フォース(物理的な力、武力)至上主義」とはまるで逆の「非暴力主義」を貫いたヒュームは(それは簡単なことではなかったし、きれいごとでもなかっただろう)、1990年代、the Hume-Adams process と呼ばれる「シン・フェイン(IRA)との対話のプロセス」を、多くの反対の声にも関わらず推進した。これは最終的に、1994年のIRAの停戦という大きな成果に結実する。Sunday Bloody Sundayで "But I won't heed the battle call" と歌ったU2のボノは、1998年5月、グッドフライデー合意についてのレファレンダムを前に「合意賛成」を訴えるベルファストでのAshとの合同コンサートで、SDLP党首として和平への道のりを先導したヒュームと、和平に賛成するという大きな決断をしたユニオニスト政党UUPのデイヴィッド・トリンブル党首をステージに上げて称賛した

以後、「和平プロセス」においてシン・フェインのあんな人やこんな人が「和平/平和の人 man of peace」と持ち上げられるようになるのだが、真の意味での「man of peace」はジョン・ヒュームである。彼はその功績で、2010年に「最も偉大なアイルランド人」に選ばれている

ヒュームは2004年に政治から引退してからは公の場に現れることも減っている。2013年にデリーがCity of Cultureとして大掛かりなイベントを連続して行なったときも、客席に姿を見せたことはあっても、スピーチなどはしていなかったと思う。2014年8月に、ともに「和平」への困難な道を切り開いたアイルランド共和国のアルバート・レノルズ元首相の国葬に参列したときも、ほかの参列者(マーティン・マクギネス、ジョン・メイジャーなど)と言葉を交わすなどしている場面は、ネット中継されていた映像では見ることができなかった。というか、ずいぶん体調が悪そうに見えた。より正確に言うなら、「かつての彼の影」に見えた。

誰が見ても、それは明らかだっただろう。

この11月22日、下記のような記事がBBCに出ている。

John Hume: Former SDLP leader has 'severe difficulties' in dementia struggle, wife says
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-politics-34894724


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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