kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2019年03月17日

変化したアイルランド、首相が男性パートナー同伴で外交

今日、3月17日はセント・パトリックス・デイ(アイルランドの守護聖人、聖パトリックの亡くなった日)で、アイルランドの祝日。世界各地がシンボルカラーの緑に染まるのは、ここ20年くらいの間にアイルランドがプロモーションを成功させたためだが、元々この「3月17日の緑祭り」はアイルランドが発祥というより在外アイルランド人、特に北米の人々が始めたものだ(ソース)。

アイルランドと北米の縁は深い。映画でもその《物語》に関するものは非常にたくさんある。『タイタニック』や『ギャング・オヴ・ニューヨーク』のような歴史大作もあれば、『ブルックリン』のような一人の女性の人生と内面をじっくり描いたものもある。私は今日は10年以上ぶりにジム・シェリダンの『イン・アメリカ』を見た。天使のような子供から目が離せない、センチメンタルなメロドラマ(とてもよく作られている)。



一方、コンピューターの画面の中は通常運転で、ニュージーランドで発生したモスク襲撃テロに関連して極右がなんちゃらといったフィードがあふれていて、アイルランドはBrexitの話とラグビーのSix Nationsの話(25-0だったのに最後に意地を見せてトライを決めて25-7にするあたり、アイルランドらしいと思った)のフィードがたくさんあるが、中には、一部Brexitと関連して、セント・パトリックス・デイでの訪米外交のフィードもあった。

セント・パトリックス・デイでの訪米外交はアイルランド共和国の政治トップだけでなく、北アイルランドの政治トップも行なっており、Brexitがあの状況のなか、DUPのアーリーン・フォスターはワシントンDCから写真をフィードしてきたりしている。

一方、アイルランド共和国はレオ・ヴァラドカー(ヴァラッカー)首相がDCに行っている。彼はアイルランド生まれのアイルランド人だがお父さんがインド出身の医師で(だからアイルランドの白人優越主義者には嫌われているし、「移民」呼ばわりもされている)、アイルランド初の人種的マイノリティの首相なのだが、それ以上に彼が注目されているのは、ゲイであることをオープンにしているうえで与党党首に選出され、首相となったということだ。

同性カップルが珍しくなくなった現在では、外交行事では「男の首相とファーストレディ」や「女の首相とファースト・ハズバンド」というのが慣習だった場面で、「男の首相とファースト・ハズバンド」「女の首相とファーストレディ」ということになることもある。昨年はヴァラドカー首相は確か外交的な場には単独で出席し、カジュアルな場でだけパートナー(男性の医師)を伴っていたと思うが(要確認)、今年はパートナー同伴で外交行事をこなしている。

中でも注目され、ウェブで実況中継のようになっていたのが、現政権の中でもものすごい保守派として知られるペンス副大統領のもとを訪問したときのことだ。


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2019年03月04日

「モモ・チャレンジ」は、心配のあまり、大人たちの反応が過剰になった事案。「フェイクニュース」ではなく。

この2月末、一度見たら目に焼きついてしまうような奇怪な顔写真のついた報道記事のフィードが、Twitterで私の見ている画面にいくつか流れてきた。往年の「口裂け女」と貞子を合体させたような顔写真で、フィードされている記事はガーディアンのものだった(ガーディアン記事のTwitter Cardで表示される写真が、その奇怪な顔のものだった)。「うげ、何じゃこりゃ」とは思って記事URLをクリックして読んだ記事の内容を、いくつかのツイートに分割して投稿し始めた私は、それを途中で中断して投稿したツイートを全部消した。この件については、連続したツイートの一部だけが拡散されても困ると思ったからだ。

というわけで、さくっとツイッターに流して終わるということにはできなかったのだが、かといってブログに書くこともしなかった。「書くほどのことではない」というより、正直、「書くにしても、どこに重心を置けばいいのか」ということがわからなかったからだ。メディアが別のメディアを批判したりしている声がでかかったし、過去に類例があったのを思い出してその記事の外でネット検索で調べてみたがはっきりしないことが多くて、何というか、全体像をつかみかねてしまっていた。

が、この騒動の発端近くにいたのが北アイルランド警察だった(そして「ねとらぼ」に北アイルランド警察のFBのキャプチャが載っていた! PSNIの「ねとらぼ」デビューなんて、想定外すぎる)という奇遇も手伝って、全体を見渡してみることができた。

下記に書いてある。

「こんな怖い話を聞いたんですけど……」で始まったネット上の "都市伝説": 「モモ・チャレンジ」とは
https://matome.naver.jp/odai/2155168676005142901


問題の奇怪な顔写真は使わないように編集してある(画像を非表示にしてある)ので、そういうのがいやな人が見ても大丈夫だ。私個人はそういう編集はあまりしたくないのだが、ああいう「衝撃画像」的なインパクトのある写真を何度も何度も繰り返し目にすることが精神衛生上よくないということは自分の体験からもわかっているので(イスイス団の暴力の最盛期に本当に懲りた)、「検閲」と批判されるかもしれないが、画像を非表示にした。英国のメディアはそういうところは配慮せず、がんがん奇怪な写真を使ってくるので、けっこう消耗する。(元々、例えば米国のメディアより、何というか、センスがアレだし。)

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posted by nofrills at 23:35 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月20日

根拠のない楽観論を吹き飛ばしたはずのホンダのスウィンドン工場閉鎖が、よりいっそうのプロパガンダの機会となっている件。

自動車メーカーのホンダ(本田技研)が、欧州唯一の生産拠点である英スウィンドンの工場を2021年に/2022年までに閉鎖するということが、おとといSky Newsなどで報道され、昨日、ホンダの正式なステートメントで確定された



スウィンドンはイングランド南部、ウィルトシャーにある都市で(ただし「シティ」の格は持っていない)、人口は2011年のセンサスで18万人程度。お手軽にウィキペディアによるとホンダのほか、ミニ(BMV)の工場があり、さらにドルビーやインテルといった企業が拠点を有しており、金融機関やエネルギー企業の英国本部が置かれていたりする。

2016年6月のEU離脱についてのレファレンダムでは、スウィンドンは54.7%が「離脱」に投票していた

「離脱」という選択の背景には、「エリートたちにお灸を据えてやろう」という動機が大きかったこと(「離脱」に投票した人が必ずしも本気で「離脱」するなんて思ってたわけではないということ)や、UKIPがずっと前から喧伝していたような右翼的ファンタジーによる「(彼らの言う)主権回復」という《物語》(あるいは《神話》)があったことは確かであるにせよ、実際に票を投じる人々が「国がEUから離脱しても、自分たちや子供たちの生活には影響はないか、あるいはもっとよくなる」と楽観していなければ、「離脱」に投票するという行動にはつながらなかっただろう。

実際、スウィンドンの「EU離脱」派は、その雇用を支える重要な一部となっているホンダの工場が閉鎖されるなどということは、想定していなかった。それは、投票結果を報じるBBC News記事にも出てくる「EU離脱」派の国会議員の発言にも見て取れる(同記事には「EU残留」派の議員の発言も引用されている)。

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posted by nofrills at 18:30 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月07日

BBCは嘘をつく。そしてしれっと修正する。(「情報として最小限で必要不可欠な限定句を省略する」という手法について)

1つ前のエントリが、結局は、メディアがview数を目当てにスピンした(ミスリーディングなことをわざと書いた)という事案だったかもしれないのだが、6日に、同じようなスピンが行なわれている現場にリアルタイムで遭遇した。

どちらにしても、実際にあった発言の一部を、狭いスペースに入る程度に切り出して(ここに「編集判断」が働く)、そのいわば「短縮版」を、「放流」すれば勝手に「拡散」されていくようなSNSという場に放り投げるだけの簡単な(それでいて手法としては計算されているような)お仕事。1つ前のエントリは、内容としては多少は「社会」的な面もあるにせよ、カテゴリーとしては「芸能ニュース」だったが、ここに書くのはもろに「国際」「政治」のカテゴリーで、つまり「フェイクニュース」という表現で語られるべきことだ。

Screenshot_2019-02-06-21-43-25.jpgさて、何があったか。2月6日の夜、本を読んでいた私は何気なくBBC Newsのアプリを立ち上げてみた。そこで目にしたものに、思わず崩れ落ちた。

先日も書いたが、今の英国――というよりイングランドのBrexit支持界隈のムードは基本的に完全に "Us vs Them" になっている。 "Us vs Them" はすべてを敵味方に分ける考え方で、「我々に賛成・同調しない者は、みな敵だ」という状態。世界のすべての国を例えば「反日か、親日か」で分けて考えるようなことは、便宜的に、考えや状況を整理するためにやるのならまだましだが(それでも私はそういう考え方はとらない)、実際に何か対立や争いがあるときにその枠組みで考えることは、極めて危険なことだ。「自分たちの思い通りにならないのは、敵のせいだ」という思考で物事をみるとき、そこに見えてくるのは「解決すべき問題」ではなく「叩き潰すべき敵」であるだろう。

そういうのが煽られているときに、「敵」が「暴言」を吐いて、我々を「侮辱」している、というストーリーがあれば、煽られている人々はますます感情を高ぶらせて怒りを募らせるだろう。

ここで見出しになっているドナルド・トゥスクの発言も、それを伝えるBBCの見出しも、絶望的なまでにひどいものだと私は見てとった。こんなの、感情を煽ることにしかつながらない。



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posted by nofrills at 08:50 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リーアム・ニーソンの発言の炎上、そしてウィンストン・チャーチル――あるいは「誰の人種主義がどのように、どこまで、人種主義と認められるのか」。

(Twitterだけで終わらせようかと思ったけど、ジョン・バーンズがウィンストン・チャーチルを持ち出してきたのは記録しておくべきだと思い、ブログを書いている。)

映画俳優が不用意な発言をして炎上しているだけだったら、見出しを見るだけで終わっていただろう。だが今回炎上しているのはリーアム・ニーソンだ。しかも炎上の中身が「人種差別」。

リーアム・ニーソンについては、日本では特に「ハリウッド俳優」と見なされているし、「米俳優」と呼ばれることもあるが(実際、米国在住だし米市民権は持っているはず)、出身は北アイルランドである。それも、プロテスタントが多数の地域に暮らすカトリック、という立場にあった人だ。北アイルランド紛争下で個人を常に「集団の一員」と見なすのが当たり前という環境の中に身を置いて、それを体験している人が、今ここで「人種差別」で炎上しているというのはどういうことなのか――記事を読まずにはいられなかった。そして読んで、唖然とした。

私が読んだのは、英国の通信社Press Association(日本で言えば「共同通信」のようなところ)の記事である。これをただの「芸能人の問題発言」とはとらえていなさそうな媒体だからという理由でベルファスト・テレグラフを見に行ったのだが、中身はPAだった。

Liam Neeson: I walked streets hoping to kill black person after friend was raped
The actor has said he wanted revenge for the attack.
February 4 2019
https://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/film-tv/liam-neeson-i-walked-streets-hoping-to-kill-black-person-after-friend-was-raped-37781066.html

PAの記事は、別の媒体(英インディペンデント……あとでリンク)の記事内容をかいつまんでまとめたような記事で、どういう発言があったのか、それがどういう文脈でなされたのかはよくわかる。

いわく、公開を間近に控えた新作映画(またいつもの復讐もの)の主人公の行動について、インディペンデントのインタビュアーが質問したのに対し、ニーソンは「実際にあったことです」と前置きして、自分の体験を語った。発言内容は、次のようなものだ。
「以前のことですが、自分が遠方に行っている間に、友人がレイプされまして。旅から戻ってきてからそういうことがあったのを知ったのです。レイプという状況に、本人は見事に、それは見事に対処していたのですが、私はといえば……まずは彼女に、犯人は誰なのかわかるかと訊いたのですが、わからないと。そこで何色だったのかと (What colour were they?)。彼女の答えでは黒人だと」

「私はコッシュ(棍棒)を持って街を歩き回りました。誰かがちょっかいを出してくるのを待って――こんなことを言うのは、恥ずかしいことなのですが――。1週間くらい、そうしてましたね。黒人のクソ野郎がパブから出てきて、私に言いがかりをつけてきてくれるんじゃないかって思いながら。そういうことになれば、そいつを殺せる、と」

「1週間か、1週間半か、そのくらいずっとその調子でした。彼女に行き先を尋ねられれば『ちょっと散歩にね』と答えていましたよ。『何、どうしたの?』『いや、別に何ともない』というやり取りもありました」

「恐ろしいことでした。今思い返せば、自分がそんなことをしたとは、実に恐ろしい。今まで誰にも明かしたことのない話ですよ。それを(よりによって)ジャーナリストにこうして語っている。実にとんでもないことです (God forbid.)」

「ひどい体験でしたが、そこから私は学んだのです。最終的には『おまえは何をしてるとんだ』思って」

「私はああいう社会の出身で――紛争期の北アイルランドで育ちまして、ハンストで死んだ人たちも数人知ってますし、紛争に深く絡め取られていった知り合いも何人もいます。復讐の必要性というものは、私は理解している。けれどもそれは、さらなる復讐を呼ぶだけです。さらなる人殺しがまた人殺しに。北アイルランドは、それを証明しています。世界中で起きているそういうこと、そういう暴力がその証明です。しかし、初期衝動的に(復讐が)必要だと感じることは、私は(身をもって)理解しています」


一読して、「何と正直な」と感嘆しつつ、呆れかえってしまった。こういうことを、新作映画のプロモーションで、インタビュアーに喋るということの意味がわからなかった。しかもその新作映画が、またいつもの「復讐劇」なんでしょ。私は常々「あの路線つまんないし、リーアム・ニーソンの無駄遣いだからやめれば」と思っているのだが、「復讐」をドラマチックでロマンチックな、一種の「男のロマン」に仕立て上げるお芝居をしながら「復讐はよくない」と言ったところで、説得力ないじゃんね。しかも北アイルランドのベルファストでは、紛争が終わって20年経過してもいまだに、現実にパラミリタリー絡みの殺人事件が発生して、家族が「報復はやめてください」と訴える、ということが起きているのだ。

例えば『スリー・ビルボード』みたいにして「復讐」を描いた作品のプロモーションなら、ニーソンの発言の意義も一応わかると思うけど、事実上シリーズ化している「リーアム・ニーソン主演の復讐もの」にそういうの期待できるかっていうと……。

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2019年02月05日

妄想に規定された、Brexitをめぐる風景(2019年1月以降現在までのざっくりとしたまとめと、覚え書き)

私の見るパソコンの画面の中で、妄想が現実を侵食している。その「妄想」は何も新しいものではない。過去にも見かけはしている。そのときはドン引きしつつ「あー、はいはい」と流したりしていたものだ。しかし、最近――英国会下院でのテリーザ・メイの "meaningful vote" 以降は目に見えて――ドン引きしながらも生温かく見守ることができるという限界を超えている。目にしたら「何これ!」と叫んでしまう。あるいは見なかったことにしてそっ閉じして、その後は近寄らないようにしてしまう。(それがどういうののことかは本稿もっと下の方に書いてある。)

2019年1月15日の "meaningful vote" でメイがEUとの間に取り付けてきた合意(協定)案が歴史的大敗北を喫して以降、Brexit(ブレグジット)をめぐる英国内の論点としては、選択肢は「Brexitしない(英国がArticle 50の発動を一方的に取り消す)」、「期限日(3月29日)の延期」、「合意なし(no-deal)のBrexit」、「再度のレファレンダム(People's Vote)」、そして「メイが持ってきて否決された合意案の修正」の5つになっている。

「Brexitしない」という選択肢は、事実上、理論上のものにすぎない。与党保守党のみならず、最大野党(the Official Opposition)の労働党もEUからの離脱は実行する構えだからだ(2018年12月の時点で、労働党のジェレミー・コービン党首は「総選挙をやって政権交代しても、Brexitは実行する」と明言している)。

同じ理由で、「再度のレファレンダム(People's Vote)」もほぼ可能性はない。2018年10月には、ロンドンでPeople's Voteを求めるデモが、すさまじい規模で行なわれたし、それは日本語圏でもニュースになっていたが、何十万人もが街頭に出たからといって、それがウエストミンスターの議事堂内で討議されることにはならない。労働党は、かなりの数の議員たちがPeople's Voteを支持していても、党執行部は「断固Brexitを推進」の方針を貫いている。そもそも、再度レファレンダムを行なったところで、Brexitしない(EUに残留する)という結論が出るという保証もない(世論調査では「今実施すればEU残留になる」という結果が出ているとたびたび報じられているし、1月以降は企業が次々と英国から出て行くというニュースが続いているので、論理上は「こんなことになるならEUに残留したほうがまし」と考える人が増えていると考えることはできるが、「もうここまできているのだから」と考える人も増えているかもしれない。そもそも「事前の世論調査」があてにならないことは、近年の選挙結果が示している通り)。

というわけで、現時点で現実味のある選択肢として残っているのは、「期限日(3月29日)の延期」、「合意なし(no-deal)のBrexit」、「メイが持ってきて否決された合意案の修正」の3つと言えよう。

そのうち、現政権がやろうとしているのは、「メイが持ってきて否決された合意案の修正」である(当たり前といえば当たり前だが)。その「修正」を要求しているのは、保守党内のBrexit過激派(昔は「欧州懐疑派 Eurosceptics」と呼ばれていた人たちが、今は「Brexit過激派」になっていると思ってだいたいよさそうだ)で、どこをどう修正しろと言っているかというと、例の「バックストップ」である。つまり「バックストップを除去せよ」と。

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2019年01月16日

英国、「議会における政府の大敗」で参照されている「1924年」、そして当時の捏造文書 #MeaningfulVote

howdideachmpvote15janguardian.pngというわけで、テリーザ・メイ首相が長い時間をかけてようやくEUとの間に成立させた合意案が、英国会で採決にかけられたわけだが、結果はとんでもない大差での「否決」だった。ガーディアンに各議員の投票一覧の記事があり、視認性のよいチャートがついている。労働党で党の方針(「反対」)と逆の投票をしたのは3人、保守党では党の方針(「賛成」)と逆の投票をしたのは118人。2日前くらいまでは「棄権者が多いのでは」との観測もあったが、ガーディアンの一覧を見ると、実際には投票していない議員はほとんどいない。議長と、議会非出席主義をとるシン・フェインを除けば、保守党で1人、労働党で3人のみだ。

全体で、「反対」432票対「賛成」202票と、ダブルスコア以上の結果。あまりにとんでもない差がついて、Twitterの画面にはhistoricとか1924とかいった単語が乱れ飛び、早朝の東京で私はついていけなくなってしまった(一度その時間帯に目を覚ましたのだが、Twitter見てるうちに寝落ちした)。

ちなみに1924というのは、「政府は1924年以来の負けっぷり」という文脈で言及されていた数字だが、改めて検索してみると、労働党マクドナルド内閣(第一次)に対する不信任決議のことを言っていると確認できた。このときの結果は「不信任」が364票、「信任」が198票。政府(the government)側のボロ負けの結果、同年10月に行なわれた総選挙では、労働党から保守党へ政権が交代した(議席数はボールドウィンの保守党が412、マクドナルドの労働党が151、アスクィスの自由党が40)。このころ英国は選挙が頻繁だった。1922年11月の定例の総選挙でボナー・ローの保守党が再度政権をとったあと、わずか209日で病気のためローが辞任してボールドウィンが保守党党首となり、1923年12月に再度総選挙が行なわれて、保守党が大幅議席減で258議席、労働党が大幅議席増で191議席、自由党も大幅増で158議席(定数615)とどこも過半数を取らないというhung parliamentの結果に終わり、自由党が労働党を支援したため労働党が数的に不十分な状態で政権を取った(少数内閣)。これが労働党初の政権だったのだが、それが1年ももたず、上述の不信任決議が行なわれて、1924年10月に総選挙となり、労働党が政権を失った。この政権交代劇の背後にあったのが、新聞に掲載された反共主義の偽造文書(今でいう「フェイク・ニュース」)だったというのも何とも言えないというか、「まあそりゃ英国ですから」としか(こんな英国が「モデル」と崇められてきたのが現実ですが)。

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2019年01月15日

英国会、Brexitに関するテリーザ・メイの合意を支持するかどうかの採決が、今日行なわれる。 #MeaningfulVote

先日、立ち寄った書店で、「マンスプレイン」という行為への欲求とはこういうものか、と思い知らされた。Twitterに書いたが、「時事問題」の棚の前で真剣な面持ちで『ブレグジット秘録』(著者のクレイグ・オリヴァーはデイヴィッド・キャメロンの側近で、2016年のレファレンダムの際に「EU残留派」の広報を担った人物だが、その活動は、先日Channel 4で放映されたTVドラマ――「表面的で無責任」と酷評されているし、「離脱派」の不正を追求してきた調査報道ジャーナリストのCarole Cadwalladrは「事実とあまりにかけ離れている」と厳しく批判しているのだが、ドラマの主役となった「離脱派」のストラテジストをベネディクト・カンバーバッチが演じていたので、日本でも何らかの形で見る機会があるかもしれない――でも描かれていたようだ)のページを開いている人に、「Brexitが今ああなってるのは、アイリッシュ・クエスチョンが原因ですと」と教えてあげたいという気持ちになったのだ。もちろん、書店の店頭でそんなことをしてするほど私はエキセントリックではないからそんなことはしなかったが、仕事でその方面の知識が必要な勤め人というよりは、卒論を書く準備をしている大学生か、論文準備中の大学院生のように見えたその人が、私なんかよりもずっと一連の事情に詳しいという可能性もあったにもかかわらず、「教えてあげたい」という善意そのもののような気持ちを抱いたのだ。実際、これがパブか何かで、隣に座った人があの本のページを開いてため息をつくなどしていたら、雑談が始まっていたかもしれない。私自身、あのくらいの年齢のときに、そのようにして見知らぬ人に話しかけられて、それまで知らずにいた知識を得たこともあったのだ(ただし書店の店頭でではなく、パブで、あるいは飛行機や列車のコンパートメントの座席で)。

ブレグジット秘録 英国がEU離脱という「悪魔」を解き放つまで
ブレグジット秘録 英国がEU離脱という「悪魔」を解き放つまで

ともあれ、クレイブ・オリヴァーの『ブレグジット秘録』は、日本語版は2017年9月に出ているが、原著が出たのも2017年6月と、EUレファレンダムから1年ほども経過したあとのことで、そのころには私の関心は「なぜBrexitなどということになったのか」ということからは離れていたため、この本は書店で中をぱらぱらと見た程度で未読である。読めばおもしろいに違いないが、正直、現に毎日目の前に流れてくる「最新のニュース」の前では、「キャメロン政権の内幕」はかなりどうでもよかった。

それら「最新のニュース」は、大きく分けて、4つの要素に分類されえた。1つはメイ政権とEU27カ国の交渉、およびメイ首相のEU離脱の手続き。2つ目は2016年6月のレファレンダム実施に至るまでの「離脱派」のキャンペーンにおいてどのような不正がおこなわれたかという調査報道(これは、ドナルド・トランプが米大統領に選ばれたとんでもない選挙の経緯とともに、主に「Facebookは何をしたのか」「Cambridge Analyticaという企業の果たした役割は」といった観点からなされていたが、2018年を終えた今、わかっている「離脱派」の不正はそれだけではない)。3つ目は、ニュースとしての重要度がぐっと下がるのだが(BBCに至ってはほぼシカトしてるし)EU離脱への抵抗の動き。そして4つ目が、アイルランドだ――「アイルランド」というか、英語での報道でいう「メイのbackstop」だ。

私の関心をひきつけてきたのは、この4つ目である。「アイルランド」だけど、中身は「北アイルランド」のことだ。もっと詳しく言えば「北アイルランドのユニオニスト」だ。北アイルランド自体は、2016年6月にレファレンダムで「残留」が過半数となったが、このとき「離脱」を支持したのがユニオニストの強硬派(つまり、「アイルランド共和国とのつながり」を全力で否定しようとする人々)だった。そして、さらに悪いことに、テリーザ・メイが党内をまとめようとして愚かにも行なった2017年解散総選挙で保守党が単独過半数を割り込んでしまったため、議会での数を維持するために保守党が頼らなければならなくなってしまった相手が、この「北アイルランドのユニオニスト強硬派」、つまりDUPだった。

この事態、決して「ニヤニヤしながらヲチできる」ようなものではない。

第一、北アイルランドは全体としては「EU残留」が過半数だったのに、北アイルランドを代表して下院に議席を得ているのは「EU離脱」の強硬派のDUPだけである。なぜこうなっているかというと、2017年の総選挙で北アイルランドの議席は(元北アイルランド警察トップの夫人で、元UUPで現在は無所属であるシルヴィア・ハーモンの1議席を除いては)DUPとシン・フェインに二分されており、シン・フェインは100年以上続く「議会非出席主義」のため、ウエストミンスターの議席を取っても議会には出席しない。北アイルランドの政党で「EU残留」のスタンスだったUUP(ユニオニスト)もSDLP(ナショナリスト)も、アライアンス(そういう枠組みの外)も、2017年の総選挙では議席数がゼロになってしまい、したがって北アイルランドで「EU残留派」の英議会議員は、ウエストミンスターの議場にいない。そればかりか、「EU離脱派」のDUPの10議員は、キャスティング・ヴォートを握る存在として、保守党メイ政権に協力する立場にある。逆に言えば、DUPの発言権はとても大きい。

北アイルランドはアイルランド共和国とつながっている。かつて「北アイルランド紛争」の時代には、両者の間のボーダー(境界線)に検問が置かれるなどしていたが、「紛争」が終わったあとはシームレスに行き来できる。そのこと自体は、アイルランド島の問題というか、北アイルランドというエンティティの帰属の問題(コンスティテューショナルな問題)でしかなく、つまり、たぶん永遠に解決しないけど、別に解決しなくても曖昧なままそこに置いておいて、解釈次第でどうとでも見えるというふうにしておけばよいというものだったのだが、「人によっては存在しない境界線で、人によっては国境線である」という曖昧な存在のままでいることは、Brexitによって、できなくなってしまった。北アイルランドは英国の一部なのでEUの外、アイルランド共和国はEU加盟国なのでEU内になるからだ。その2つの地域をシームレスに行き来することができたら、「EUから離脱した英国」は、北アイルランドといういわば「裏口」を使って、EUにシームレスにアクセスできることになってしまう。

その「境界線」の問題が、ずーっとひっかかってここまで来ているわけである。途中で「95%はカタがついていて、残るは5%」などと言われていたが、その「残る5%」が(申し訳ないけど)事実上解決不能な「アイリッシュ・クエスチョン」なのだから、もう真顔。その真顔を維持したまま、月日は経過し、今日2019年1月15日はいよいよ、テリーザ・メイがEUと交渉して英国に持ち帰ってきた合意について、英国会下院で採決が行なわれる当日だ。

その採決は、「意義ある採決 Meaningful Vote」と呼ばれているのだが(まるで「明治 おいしい牛乳」のようなセンスである。いや、むしろ「骨太の方針」ってのがあるから、そっちか……)、要するに、「議会で形式的な採決を取り手続きだけを整えるつもりではなく、本気で採決します」ということが表明されている。にもかかわらず、政府 (the Government) に対して議会 (the Parliament) が主導権をとるという(民主主義としては正常な)状態が「英国的なクーデター British coup」と呼ばれるなどし、当然それに対する反論もなされ、めっちゃカオスになってるのが現時点の最新ニュース。

そういうことについてブログに書こうとしていたのだけど実現できぬまま、1月15日の採決当日になってしまった。Twitterではちょこちょこ書いているので、Twilogを参照されたい。
https://twilog.org/nofrills


現在のガーディアン(UK版)トップページ。

guardian15jan2019.jpg




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2018年12月31日

【訃報】サイモン・リケッツ(ジャーナリストにして、Twitter landの良心)

30日、尊敬していた書き手が亡くなったとのニュースがあった。そのニュースの重さを消化しながら、その書き手のブログをまとめて読んだ。「また訃報を聞いてからようやく、その人の成し遂げたこと・遺したものに接するというナンセンスなことをしているな」と思いつつ――その書き手はガーディアンのジャーナリストで、Twitterでの発言も活発だったから、個人的なブログまでは私は読んでいなかった。ジャーナリストなど文章を書き、言葉で生きてきた人の訃報があれば、半ば反射的にいつもしているように彼の(「彼の」というどこかパーソナルな響きのする日本語を使うことに、私はここで違和感を覚えているが、台所できれいにすべきものを重曹やらクエン酸やらにつけている合間の時間に、言葉を精査することは不可能だ)Twitterアカウントを見てみようとしたが、彼のアカウントはきれいさっぱり消えていた。Googleのキャッシュは残っているのでキャプチャを取った

最後のツイートは12月23日。訃報の1週間前だが、時差があるから正確に「1週間前」なのかどうかはわからない。彼のTwitterは大人気だったから(最後のGoogleのキャッシュでは、フォロワー数は49.4kとなっている)、Twitter上での人々の発言には彼のアカウント名への言及が少しはありそうなものだが(訃報の場合、多くの人がリプライを殺到させないように配慮するのか、あるいはほかのマナーのためか、@をつけてのアカウントへのメンションは少なくなるのが通例。でも少しは@での言及があるものだ)、訃報を受けてTwitterでなされる数々の発言には、彼のアカウント名が入ったものはまるで見当たらなかった。最後の投稿から訃報までの1週間ほどの間に、本人がアカウントを消したのだろうか。英国伝統のウィットとユーモアと深い洞察を凝縮し、人間というものについてのかなしみという土台の上に盛り付けたようなあれらの言葉の数々が見られなくなることは、大きな損失だ――広く一般の人々にとって、それ以上に私にとって。

こんなことなら、全部保存しておくのだった。彼の死はいわば「予告された死」であった(末期がんで先が長くないということを、彼は明らかにしていた)。しかし「遺された言葉」の集積体、いわゆる「跡地」になると思われていた場所が消えてしまうことなど、誰が想像していただろう。そう思ってみても、あとの祭りだ。

それを噛み締めながら、彼が消さずに残していったブログを読んだのだ――人々に、Twitterで満足させずにブログを読ませるために、Twitterアカウントを消したのかもしれない。そこには140字/280字の英文には不可能な、饒舌ともいえるストーリーテリングがある。

その中に、こんな言葉があった。
I want everyone to have those same choices I do. I want everyone to be able to live with the freedom that I have. It really is the most simple and basic equality.


「これだ」と思った。何が「これだ」と思ったのかはよくわからない。私の中に出てきた言葉が「これだ」だった。

何が「これ」なのか。「これ」は何なのか――この書き手が一貫して持ち続けていたヒューマニティ。

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2018年12月06日

ナイジェル、UKIP辞めたってよ。

2016年6月のEU離脱可否を問うレファレンダムで「離脱」陣営の(非公式の)顔としてすさまじい存在感を(メディアのおかげで)発揮しておきながら、レファレンダムから10日ほど後にはUKIP党首という責任ある立場を辞めていたナイジェル・ファラージが、このたび、UKIPをすっぱり辞めたという。

その「辞めた」という宣言を、テリーザ・メイがEUとの間でやっとのことで合意し、英国会に持ち帰った離脱プランに関する討議の初日(予想されていた以上の、すさまじい荒れ具合を見せている)にぶつけてくるあたり、おぬしもワルよのう……なんだけど、ナイジェル・ファラージがどんなことを画策してきたところで、今さら驚くには値しない。ああ、そうですか、という程度だ。

しかし、UKIPと手を切ることにした理由が、UKIPの現在のリーダーシップが、「トミー・ロビンソン」という活動家名で知られるEDL創設者(実名はスティーヴン・ヤクスレイ=レノン)を党に招じ入れ、彼の「反イスラム」のレトリックを党のレトリックとしようとしていることだ、という辺り、「驚く」とかじゃなくて何というか、ただ呆れて言葉を失うよりなくなってしまい、逆に言葉が大量に噴出するという感覚だ。

ともあれ、この件を私が知ったのはロイターの速報で、そのあとでガーディアンの記事を読んだのだが、ロイター記事とガーディアン記事が「ナイジェル・ファラージとは誰か」という点においてまるで違うので、それをここに書きとめておこうと思う。


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2018年11月07日

戦没軍人追悼の赤いポピーの季節に絡み合う、Brexitとアイルランドと「英国の二枚舌」

「本決まりになる前」という予想していなかったタイミングで動きがあったので、何か(何が)あったのだろうとウォッチしていたら、伝統芸「二枚舌」が出てきた――本エントリをまとめるとこんな感じか。そこに戦没軍人追悼の赤いポピーなども絡んでくる。まるで一篇の物語のようだ。

英国のEU離脱 (Brexit) をどのようにやるかについての交渉で「最後の5%」が決まらないということは日本語でも報じられているが(リンク先参照。「5%」について「定量的になんちゃらかんちゃら」と言いたい人は、私にではなくリンク先の記事元であるNHKにどうぞ)、動きがあったのはその「5%」の部分だ。つまりthe Irish borderがかかわる部分。

「アイルランドのボーダー」については先日、ざっくりと書いてある(が、「ざっくり」なので、厳密な正確性についてはあまり期待しないでいただきたい。正確なことは各自本を読むなりしてご確認のほど)。それがBrexitの交渉のボトルネックとなっているということは、「関税同盟と英国」で説明したがる日本語圏ではあまり知られていないかもしれないが、英語圏(というかUK語圏)では常識だ。この数ヶ月ずっと、どのメディアを見てもthe Irish borderが焦点となっている。(私はBrexitが決まったすぐ後に「アイルランドどうなるの」と気になりだしたクチだから私の感覚では当てにならないと思われるかもしれないが、その場合、実際に英メディアの記事を見ていただければ、それが事実だという確認が取れるはずだ。)

「アイルランドのボーダー」に関する話し合いは、Brexitに関するほかの分野・項目の話し合いとは異なり、英国とEUだけで行なわれるわけではない。そもそもアイルランド島に「ボーダー」が存在している原因である北アイルランドの代表者(といっても、今は民主的な手続きで成立しているはずの北アイルランド自治議会が機能を停止しているので、法的には非常に曖昧な立場の「代表者」だ)も、アイルランドの代表者も加わる。そのシステムのベースにあるのが1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意、以下その略称を使って「GFA」と表記する)である。

GFAは「北アイルランド紛争を終わらせた」と武力・軍事面で語られることがほとんどだが、実はそれと同様に重要なのは、北アイルランドの問題を北アイルランドだけの問題とすることをやめた(がっさり言うと成立時には北アイルランドは「自治領」で、独自のパーラメントを持っていた。それについても以前書いているが、北アイルランドというのはそういう存在なのだ。じゃあ独立すればと思わずにはいられないのだが、北部6州を他の26州から切り離した人々は「独立国家」になることには興味はなく「英国の一部」であることを求めた――でもロンドンの支配は受けないという)だけでなく、英国政府とアイルランド政府が協議するという手続きを確立したという点だ。つまり、北アイルランドは当面(つまり、帰属について住民の意思を問うレファレンダムが行なわれるまで)「英領」ではあるが、英国の一存で動かせることばかりではない、ということになった。

だからBrexitという「英国とEUの問題」に、必然的に「北アイルランドの問題」もついてきて、それに関してアイルランドが当事者として関わっているのである。

さらに言えば、アイルランドは憲法を普通に明文化していて、だから1998年のGFAのときに「島全体でひとつの国」とする条項、すなわち北アイルランドの領有権を主張する条項を消すということができたのだが、一方で、英国は明文化された憲法を持たない。北アイルランドの帰属の問題は英語ではconstitutional problemと言うが、そのconstitutionが、英国の場合、どこにあるどういうものなのかがよくわからないと言ってもよいような存在で、つまり交渉のときに「だってほら、ここにこう書いてあるじゃないですか」と詰め寄る、的なことができない。

そういう中で、「残り5%」は、いつまでたっても「残り5%」のまま固まっていて動かないのだが、とにもかくにも何とかしなければならないので、北アイルランドの国技である「エクストリーム交渉」が、北アイルランド、アイルランド、英国、EUを巻き込んで続いている、というのが現在の状況である。

しかしそれがようやく動くか、という報道があったのが、アイルランドのお祭り、ハロウィーンが過ぎたあとのことだった。


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2018年09月28日

注目され続ける極右活動家「トミー・ロビンソン」ことスティーヴン・レノンと、ネット上の支持者

tommyrobinsontt27sep.pngふとTwitterの画面を見たら、UKでTommy RobinsonがTrendsに入っている。「また何かやったのか」と見てみると、オールド・ベイリーに出廷したことがニュースになっている。そういえば確かおととい、「トミー・ロビンソンが出廷する日が迫り、大勢の支持者が詰め掛けることが予想されているので、その日は周辺のパブは臨時休業」というニュースを見かけた。おそらく商業の側の自主的な休業判断だろうが、経済的に実害と呼べるであろうものが出ているわけだ。ロンドンは大変に大きな都会なので同一視はできないが、ベルファストの「旗騒動」においては政治的示威行為で経済的に影響が出たという前例を、彼らイングランドの極右活動家たちも十分に踏まえてはいるだろう。その方向性で影響力をweaponiseするということにならなければよいが。

……などということを、しとしと降る雨でとても寒い東京(今日は17度で、明日は25度以上の予報)でぼんやりと考えつつ、Twitterの画面を見てみた。いつもと同じく、報道機関のアカウントからのフィードと、反極右・反レイシズムの調査団体Hope Not Hate (HNH) のフィードが並んでいる。

HNHの今日の最初のフィードは、活動名「トミー・ロビンソン」ことスティーヴン・レノン(スティーヴン・クリストファー・ヤクスレイ=レノンというのが本名)についてまとめられた記事だ。「ロビンソン」ことレノンの名前は、英国、特にイングランドで売れるようになってからもう10年ほどになるが、ここ数年は北米でも名前を定着させつつあるし、さらにここ数ヶ月はスティーヴ・バノンが欧州で極右の連携と連帯をさらにステップアップさせるために活動を活発化させる中で「ロビンソン」ことレノンが注目されている。「ロビンソン」ことレノンは、もはやイングランドの「ローカルな活動家」ではなく「グローバルな極右のシンボル」になりつつあるような印象を私も抱いている。

そういう展開に寄与した要因のひとつは、今年3月、Twitterがレノンを恒久的に出禁にしたことだろうし、さらに大きな要因は逮捕や起訴だ。2017年5月、彼は法廷内でカメラを使用したことにより「法廷侮辱罪」で有罪となった。その後、2018年5月には、判事により報道が規制されていた裁判(ロビンソンらが「ムスリムの連中がいたいけな子供たちを食い物にした」と糾弾している事件。なお、イングランドでは白人によっても同様の事件は引き起こされているが、彼らは加害者が白人の場合は「子供を守れ」的な言動はとっていない)について、法廷の建物の外でネットで実況中継を行い、「平安を乱した罪」で逮捕された。これが広く英語圏の極右の間で「トミー・ロビンソンを解放せよ」というハッシュタグ運動となって広まった

その経緯は、ウィキペディアでは次のように(ソースを細かく示しながら)記載されている。

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2018年08月26日

教皇のアイルランド訪問とシリア難民: 2年前、全然英語ができなかった少女が、8万人の前で語るとき

フランシスコ教皇は難民に関して活発に動いてこられた方だ。2016年4月には、シリアをはじめ中近東から中央アジアにかけての地域から脱出してきた人々がトルコからヨーロッパに入る入り口となっていたギリシャのレスボス島を訪問し、難民として収容されていた人々と握手をし、肩に手をかけ、話に耳を傾ける(必要に応じてそれぞれの言語の通訳者を介して)という活動を行ない、帰りの飛行機にシリア難民12人を乗せていき、「ヨーロッパはもっと難民を受け入れるべきである」ということを、言葉ではなく行動で示していた。

このレスボス島訪問の少し前にキリスト教の東西の教会の対話が行われ、訪問は「東」の教会のトップと一緒に行われたということも、特筆に価するだろう。特に今回のアイルランド訪問で、プレスビテリアン、メソジストなどプロテスタントの教派のトップがダブリン城(「城」という名称だが、機能としては「会館」である)でのイベントへの招待を受けるという形で、教派の垣根が取り払われたことを見ると、フランシスコさんはのちのちまで語り継がれる存在になるだろうけど、その注目ポイントの一つは「宗派間の対話の促進」に置かれるだろうと思ったりもする。

閑話休題。ここで書いておきたいのは難民のことだ。

今回のアイルランド訪問に際し、空港に到着した教皇はサイモン・コヴニー外務大臣とそのご家族をはじめとするアイルランドの人々の出迎えを受けたあと、大統領官邸でのレセプションを受けた。

ちなみに大統領はあの見た目がかわいいマイケル・D・ヒギンズ大統領だが、この方もフランシスコ教皇と共通する部分の多い人道主義者である。下記のスライドショーはGetty Imagesでエンベッドできるようになっている写真から5点選んだが、お2人が並ぶとまるで映画に出てくる「善の長老たち」みたいだ。

Embed from Getty Images

ともあれ、アイルランドに外国の国家元首などが訪問するとこのように大統領官邸でレセプションがあり、そこではアイルランドの軍隊(といってもアイルランドは中立国だし、戦闘機など攻撃能力は持っていない。国連PKOで活躍している)を前に閲兵が行われるのだが、今回の教皇訪問ではその軍隊が陸軍ではなく海軍だった。上記スライドショーの2枚目から4枚目で確認できる通りである。

ここで海軍を持ってきたのは、「難民」が理由だという。アイリッシュ・タイムズの記事より:
He was greeted by the President Michael D Higgins and his wife Sabina in front of a guard of honour made up of members of the Irish naval service. They were chosen to reflect the importance of the naval service in the ongoing Mediterranean operation aimed at disrupting the activities of people smugglers and assisting migrants to prevent loss of life at sea.

https://www.irishtimes.com/news/social-affairs/religion-and-beliefs/papal-visit/syrian-family-of-asylum-seekers-meet-pope-francis-at-%C3%A1ras-an-uachtar%C3%A1in-1.3607785

つまり、アフリカ北岸から欧州を目指して地中海を渡ろうとする人々が海に飲まれて犠牲となることを防ぐための活動において海軍が重要な役割を果たすので、海軍が選ばれたというのだ。アイルランドの大統領は儀礼的な存在で政治には関与しないが、ヒギンズ大統領はこうすることで海軍を讃えると同時に、教皇と世界に対し、「やれることをやっていきましょう」というメッセージを送っているのだろう。

そして、大統領官邸でのレセプションではゲストが記念植樹をするのが慣わしなのだが(アイリッシュ・タイムズ記事によると、1853年から続いているのだとか)、その植樹のセレモニーにたずさわっていたのが、シリアから逃れてきたハッスーンさんたちの家族だった。

一家は男性2人、女性2人と幼い子供3人の7人。一番下の子は1歳だという。



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2018年07月11日

2018年のthe 11th Nightは、近年珍しいほどに不穏な雰囲気だ。

というわけで暑い。近場の地域猫温度計によると35度(いつも人と目が合ったらぴゅーっと逃げていくねこさんが、今日は風通しのよい場所でコンクリの上にぐでーっと溶けたまま、じーっとこっちを見て、立ち上がるそぶりすら見せなかった)。まだ7月上旬ですよね、と思っていたが、今日はもう11日なのだった。

trendsbelfast11july2018.png7月11日。スレブレニツァ虐殺の日(と書くと「スレブレニツァだけないですよ」とか「セルビアだけじゃないですよ」とか「『戦争広告代理店』を知らないんですか」とかいう人から噛み付いてこられるので一応明示しておくと、「だけ」なんてことは言ってませんし、『戦争広告代理店』云々は虐殺が実際にあったことを否定するものではありません。否定論者はどっか行け、しっしっ)であり、北アイルランドでは毎年恒例の「イレヴンス」の日。今年はサッカーのワールドカップでイングランドが4強に残り、決勝進出をかけた試合が行われるっていうんで、私の通常の観測範囲は基本的に「その話でもちきり」の状態に近いが、ふとベルファストを見に行ってみると、やはり微妙に違っていた。

Trendsで1番上にあるBloomfield Walkwayは、この場所に設置されている11th Nightのボンファイアが11thの夜を迎える前に燃えた(燃やされた)ということでニュースになっているのだが、単に「何者かが火をつけた」ということだけではなく、現在の北アイルランドの過激派周りでキーとなる感じということで注目されているらしい。

「過激派」といってもあっち側ではない。そっち側だ。

Bloomfield Walkwayという通りの名をGoogle Mapsに投げても、どんぴしゃのものは見せてくれない(Googleには限界があるということを知るにはいい例だ)。私が見たときには近似値として "Bloomfield Avenue, Belfast" にピンを立ててくれやがったが、その通りにはボンファイアを設置するスペースなどない。つまりGoogleが「間違ってるかもしれないんですが」と言いもせずにしれっと示しているのは、「間違った答え」だ。

この場所を正確に知るには、別ソースから当たる必要がある。7日付ベルファスト・テレグラフの記事より:
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2018年07月08日

"Football is coming home" というお歌と、「イングランド」の包括性

イングランドがスウェーデンを破り、準決勝にコマを進めた。テキスト実況でしか見ていない(映像を見ていない)ので「快進撃」という表現が果たして妥当なのかどうかよくわからないが、ワールドカップでイングランドの「お通夜」を見ることなく「お祭り騒ぎ」を見る、ということが続いていること自体、感慨深いことだ。

特に準々決勝でのスウェーデンとの試合があった今日は土曜日で、Twitterには「結婚式だというのに誰もが気もそぞろ」という報告あちらこちらから上がっている

始まるまでは、あんなに盛り上がってなかったのに。

今回のワールドカップ、事前の盛り上がりがなかったのは、直前での監督解任という異様なことが起きていた日本だけではない。イングランド――というか、UKの一般メディアでも、事前にはあまり関心が払われていなかったのではないかと思う。開催地がロシアであること、そして2018年3月のソールズベリーでの化学兵器による襲撃事件などもあって、ロシアに対する英国の感情は、控え目に言っても「とても悪い」ということも作用しているだろう。大会開幕前によくありがちな「開催地のトラベルガイド」のような記事も見なかったし、逆に「こんなことで開幕できるのか」的な煽り記事(2010年南ア大会のときが本当にひどかった)もずいぶん前にならあったかな、という感じ。

それどころか、開幕直前に愛国タブロイドThe Sunが、ラヒーム・スターリングが右脚に入れたタトゥーを「問題視」するとかいうわけのわからないことをしていて、リネカーさんが「大会前にプレイヤーの気持ちを折ろうとするメディアの奇習」といったことをTwitterで述べていたくらいだ(この「報道」は逆に、スターリング本人にそのタトゥーの理由を説明する機会を与えることとなったのだが。ちなみに彼のタトゥーはM16機関銃で、それを入れた理由は、彼が子供のころに銃で殺された父親のことを踏まえて、「俺は銃は持たない。俺には右脚があるから」ということを表現するため)。

しかし開幕してみれば、ガレス・サウスゲイト率いるイングランドは快進撃で、試合のあった日はほぼ必ず、♪It's coming home, it's coming home... のお歌が(ヴァーチャル空間に)響き渡るという様相だ。



この曲は元々、1996年――1966年にイングランドがワールドカップを手にしてから30年後――の欧州選手権(EURO)イングランド大会のときに、イングランドの公式応援歌としてリリースされた。いろんな意味で「イングランドらしい」曲だ。

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2018年06月26日

言葉だけの世界に基づいて、言葉だけでない世界に実在する人の人生を断ち切るということが起きて(含: 「はてな」の複雑なサービスの説明)

「えっ」としか言葉にならない。ご家族・ご友人・同僚の方々にはどれほどのショックであることか……。私には「深く哀悼の意を表す」といった決まり文句を書くことしかできないが、実際のところ「哀悼の意」以前の「衝撃」の段階で止まっている。

起きてはならないことが、起きたのだ。

25日(月)昼の時点で既に、報道は多く出ていた。そのあとも記事は続いた。「セミナーで講師をしていたIT専門家が殺された」、「その専門家はブロガーでもあった」という方向の報道をいくつか見たが(例えば毎日新聞: archive)、たぶん逆で、「ブロガーが殺された」、「そのブロガーは本職では専門家だった」という事件だ。

記事の見出しを見るだけでも痛ましいが、NHKの記事を2つ見ておこう。

セミナー講師 刃物で刺され死亡 交番に出頭の男が刺したか
2018年6月25日 1時42分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180625/k10011494201000.html (archive)
警察によりますと、刺されたのは、この施設で開かれたIT関係のセミナーで講師を務めた東京・江東区の会社員、岡本顕一郎さん(41)で、セミナーの終了後、トイレで男に背中を刃物で刺され、その後、死亡が確認されました。

男はナイフのようなものを持って自転車で逃走し、警察は殺人事件として行方を捜査していました。

警察によりますと、24日午後11時前に福岡市東区の交番に血のついた刃物を持った男が出頭し、「人を刺した」と話したということです。

警察は、この男が岡本さんを刺したとみて確認を進めています。


ITセミナー講師死亡 逮捕の男 背中や胸を何度も刺したか
2018年6月25日 14時55分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180625/k10011494661000.html (archive)
24日午後8時ごろ、福岡市中央区にある企業の創業支援施設で、IT関係のセミナーの講師を務めた東京・江東区の会社員、岡本顕一郎さん(41)が、セミナーの終了後、トイレで男にナイフで刺され死亡しました。

警察は、交番に出頭した福岡市東区の無職、松本英光容疑者(42)を殺人などの疑いで逮捕しました。

調べに対し容疑を認め、「ネット上で恨んでいた。死なせてやろうと思った」などと供述しているということです。

警察によりますと、松本容疑者は会場の施設で岡本さんを待ち伏せし、背中や胸、首などを何度も刺したということです。

その後、松本容疑者が出頭した直前、インターネット上に、「俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ。『こんなことになるとは思わなかった』なんてほざくなよ。これから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ」などと書き込まれているのが見つかりました。

……

岡本顕一郎さんは、インターネットで「Hagex」という名前でブログを運営し、この中でネットの匿名掲示板やソーシャルメディアでのトラブルなどをいち早く紹介したり、わかりやすく解説したりする、いわゆる「ネットウォッチャー」の1人として知られていました。


Hagexというハンドルネーム/IDは、見れば「ああ、あのブログの人」とわかる程度にはネット上で知っていたが、特に接点はなかった(「はてな」社のサービスのユーザーとしてすれ違うくらいのことはあっただろう)。そのブログはとても有名で、毎日チェックするという人も非常に多そうだ。私個人は「話題になっているときに見てみる」程度でしかないが、私と同様に「読者とは言えないが、知っている」という人を入れたら、氏の書いたものにそれなりの頻度で接している人は、膨大な数にのぼるだろう。

その人が、「ネット上で恨んでいた」という理由で、ネット上の誰かに刺し殺されたという。

事実上「知らない人」のことなのだから、「気の毒に」と思いはしても衝撃などは受けなさそうなものなのだが、実際にはそうではない。ネット上で「脅迫」だの何だのということと無縁ではないためだろう。


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2018年06月11日

英国のEU離脱とロシアの関係についてオブザーヴァーの調査報道記事が出る直前に、「サンデー・タイムズのスクープ」という〈物語〉がBBCなどでもでっち上げられた件

6月10日付のオブザーヴァーで、Brexitを強力にプッシュしたキャンペーン・グループに活動資金を出してきた富豪が、これまで考えられていたより深くロシアとつながっていたという疑惑が裏付けられたという報道があった(オブザーヴァーはガーディアンの日曜版で、ウェブサイトへの掲載は前日の土曜日、9日の深夜というタイムスタンプになっている)。記事に署名があるのは、Facebookとケンブリッジ・アナリティカに関する調査報道で陣頭に立ったキャロル・カドウォーラダー記者。

Arron Banks ‘met with Russian officials multiple times before Brexit vote’
Documents seen by Observer suggest multiple meetings between 2015 and 2017
Carole Cadwalladr and Peter Jukes, Sat 9 Jun 2018 23.35 BST
https://www.theguardian.com/politics/2018/jun/09/arron-banks-russia-brexit-meeting
The communications suggest:

- Multiple meetings between the leaders of Leave.EU and high-ranking Russian officials, from November 2015 to 2017.

- Two meetings in the week Leave.EU launched its official campaign.

- An introduction to a Russian businessman, by the Russian ambassador, the day after Leave.EU launched its campaign, who reportedly offered Banks a multibillion dollar opportunity to buy Russian goldmines.

- A trip to Moscow in February 2016 to meet key partners and financiers behind a gold project, including a Russian bank.

- Continued extensive contact in the run-up to the US election when Banks, his business partner and Leave.EU spokesman Andy Wigmore, and Nigel Farage campaigned in the US to support Donald Trump’s candidacy.


私がこの記事に気づいたのは日本時間で10日の朝8時前のこと。ガーディアンのスマホのアプリをチェックしたときにトップニュースになっていた。

スクショを取っておかなかったのが悔やまれるが(その後、所用を済ませて夕方になるころにはトップニュースはG7サミット閉幕の記事に切り替わっていて確認できず)、Exclusive(オブザーヴァー独占)とは書かれていなかったと思う。だが、形式的には「オブザーヴァーが確認した文書によると」なので「独占」という扱いで出ててもよいはずだ。

「他のメディアにも同じ文書がばらまかれて、各社一斉報道ということなのかな」と思ったが、その時点ではBBCには記事がなく、「各社一斉報道」の線は消えた。

何だろうな、という疑問が解けたのは、所用を済ませたあと、夕方になってパソコンを立ち上げたあとだった。Arron Banksの名前がTrends (UK) に入っていたので、「オブザーヴァーのスクープ(だと私は思っていた)が大反響のようだ」と思いながらクリックすると、目に飛び込んできたのはオブザーヴァーではなく、サンデー・タイムズの記事についての大量のツイートだった。2紙同時報道? ネタかぶり?


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2018年06月03日

A Very English Scandal: ジェレミー・ソープという政治家の疑惑と、BBCの消していなかった調査報道テープ

英国で、1960年代から70年代に活躍した政治家に、ジェレミー・ソープという人がいる。1929年生まれで、最初に国会議員になったときはまだ30歳だった。イートン校からオックスフォード大というエリートコースを歩んできた彼は、名門の出で、父親と母方の祖父は保守党の国会議員だったが、自身は当時党勢を失っていた自由党(1988年以降は自由民主党: Liberal Democratic Party)に入った。1967年には自由党の党首に選出された。

1970年代、保守党と労働党の二大政党の人気が低落する中、自由党は「第三極」として選挙で成功を収めるようになった。保守党のテッド・ヒース首相が足場を固めようとして戦った1974年2月の総選挙で、労働党のハロルド・ウィルソンを相手に大苦戦というか37議席も減らすという体たらくに終わり(2017年のテリーザ・メイの愚かな総選挙によく似ている)、保守党が297議席、労働党が301議席のhung parliamentとなったときには、14議席を獲得していたソープの自由党が保守党の連立相手として交渉が行われた(サニングデール合意によってアルスター・ユニオニストが離反していたため、保守党にはほかに頼れる政党がない状態だった)。しかしこのとき、ソープが得票率と獲得議席の乖離を修正する選挙法改正を求めたことで連立交渉は決裂し(これは2010年の選挙とよく似てるけど、2010年は選挙法改正運動そのものがふにゃふにゃにされて終わってしまった)、保守党のヒースは辞任し、組閣は労働党のウィルソンが行うことになった(その後、同じ年の10月に改めて選挙が行われ、ウィルソンの労働党が単独過半数を取って、安定した労働党政権が発足した)。

1950年代、ソープは、大学を出て法律家(バリスター)の資格を得ていたが、それでは満足に暮らしていけなかったので、テレビのジャーナリズムで仕事をするようになった。元から植民地主義や人種隔離(アパルトヘイト)を改善しなければならない(でないと社会主義に対抗できなくなる)と考えて活動してきた彼は、1950年代の激動の世界情勢を伝えるジャーナリストとして存在感を示していたことだろう。

ジャーナリズムの道は政治家と両立できず、彼はテレビの仕事はやめてしまったようだが、その経験は「テレビ映え」という点で彼の中によい財産として残ったようだ。自由党党首となったソープの会見の様子(下にエンベッドするものの前半)や、TVでのインタビュー(音声なし)のBritish Patheの記録映像を見ると、「この政治家は人気があっただろうな」と思える。





しかもその主張が、「弱者」への思いに満ちている。下記はトラファルガー・スクエアでロンドンの労働者階級の劣悪な住環境を改善すべきと演説しているときのもの。どうでもいいけどハトがすごい。


しかし、このようにキラキラと輝いていた時期には既に、ジェレミー・ソープには隠蔽すべき秘密があった。

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2018年05月21日

ハリー&メーガンの結婚式: We must discover loveというシンプルで力強いメッセージ

英王室には特段の興味はないが、「英国の儀式」類を見るのが好きなので、ハリー&メーガンの結婚式もネット中継で見ていた。式の日取りが告知されて以降の、まさに「フィーバー」としか言いようのない熱狂的な報道は、「政治家は式に招待されない」というこっち系の話題を除いては見出しを見るくらいしかしていなかったので、詳しいことは知らなかったが、それでも式がウィンザーで行われることとか、メーガンさんのお父さんが式に出るの出ないので話が二転三転していたこととかは(最終的には「健康上の理由で断念」ということになり、花嫁の手を取って祭壇に向かう「花嫁の父」役は、新郎の父であるチャールズ皇太子がつとめることになった、ということも含めて)把握できていた。

というか、今回のロイヤル・ウェディングに関する英国の報道は、本当に「熱狂的」としか言えないレベルで、普段から「王室大好き」をアピールしまくっている大衆紙の報道には基本的に接していなくても、正直、うんざりするレベルで騒ぎが展開されていた。きっとネット時代、英国のメディアにとっては、(国外からも)大変に多くのクリック数、view数が見込める貴重な「コンテンツ」なのだろう。どのくらいの大騒ぎだったかというと、伝統的に共和主義(王政廃止論)の新聞であるガーディアンが、特設コーナーを作っていたほど……というか、ガーディアンはウィル&ケイトのときに共和主義の魂を売り渡して熱狂して旗をぱたつかせるようになったので、今さら驚きもしないか。

しかし今回のガーディアンはウィル&ケイトのとき(+その翌年の女王のダイヤモンド・ジュビリーのとき)より、さらにひどかった。申し訳程度に共和主義者/王政廃止論者(Republicという団体)の記事は出ていたが、ほぼずっと熱狂しっぱなしだった。式が終わった翌日になってもまだ熱狂しっぱなしで、トップページの特設コーナーには「こんなに記事いらんだろ」というくらいたくさんの記事が並んでいる……どころか、クリックしようと思ってポインターを合わせると、新婚カップルの上にガーディアンのロゴの入った紙吹雪が舞うようになっている! (・_・)



と、まあそんな感じで私は東京で呆れて、こんな顔→ (^^;) をしているのだが、今回の式が予想に違わず、というより予想をはるかに凌いでぶっとばすレベルで、すごくおもしろかったことは事実である。英王室があれをやったというインパクトは、でかい。マーティン・マクギネスと女王が握手したとか、女王のウィンザー城での宴にマーティン・マクギネスが招待されたとか、チャールズ皇太子がジェリー・アダムズと握手したとかいったことに匹敵しそうなくらいのインパクトを、私の中に残した。「それ、やっちゃうんだ……王室が!」的な。

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2018年04月11日

20年前、北アイルランド和平プロセスが始まった(グッドフライデー合意の署名から20年)〜当時の日本の報道は

昨日、2018年4月10日に、北アイルランド紛争を終わらせた和平合意(グッドフライデー合意こと、ベルファスト合意: 以下、GFA)が、20歳のお誕生日を迎えた。

今から20年前の1998年4月10日、米国のジョージ・ミッチェル上院議員(元)が仕切り、英国のトニー・ブレア首相とアイルランド共和国のバーティー・アハーン首相が調整を行うなどして持たれていた北アイルランドの複数政党・政治団体間交渉の場で、合意文書が署名された(元々の期限は9日だったが、それを突破して翌日にずれ込んだ)。

「複数政党間交渉」といっても、この合意のベースに反対していた極端な人たちは関わっていない。彼らは交渉の場の外で「合意反対」のデモを行っていた……その強硬な反対派が、2003年以降北アイルランド自治議会・政府で第一党となり、2007年以降は別の合意をベースにして、GFAが決めていた権限分譲(パワー・シェアリング)の自治政府に参加してきたが、2017年にその自治政府が崩れて自治議会の再選挙が行われたあとは、GFAが決めていたアイルランド語の公用語化に対する抵抗を理由・口実として自治議会・政府の再起動を阻み、一方で、Brexitに向けて議会の意思統一を図るためという愚かな判断でばかげた総選挙をした結果、英国会下院での単独過半数を失った保守党が、議会運営に必要な数を確保するために非公式な(事実上の)パートナーとしているDUPである。(一文が長い。)

ともあれ、「GFAの20歳のお誕生日」を記念して、北アイルランドではいろいろな主催者がいろいろなイベントを行った。中でも目玉となったのが、ベルファストのクイーンズ大学が主催した、交渉と和平の当事者たちによるパネルディスカッションである。招待客オンリーのイベントだったが、イベント会場から何人かのジャーナリストや学者がライヴ・ツイートし、また冒頭のジョージ・ミッチェルによる基調講演と、ビル・クリントン、トニー・ブレア、バーティー・アハーンの当時の米英アイルランド3カ国首脳を迎えて行われた第3部(進行はミッチェル上院議員)はクイーンズ大学がFacebookの機能を使って生でネット配信していたので(アーカイヴもされているから、いつでも再生可能)、私もここ東京の自宅で生で見ることができた。それらのライヴ・ツイートや私のメモを中心に、2018年4月10日の北アイルランドのことを、Chirpstoryを使って記録してある(#GFA20 のハッシュタグは、このイベントに限らずもっと一般的な「GFA20周年」についての発言でも用いられていたので、それらも少し入っている)。このイベントについても何か書ければよいのだが、あいにくその時間が取れないかもしれない。書けたらまた改めて書きたい。

さて、私は私なりにGFAの20年を祝うために、1998年当時に日本の新聞が北アイルランド和平をどう伝えていたかを確認してみようと思い立った。とはいえ、入念な準備ができていわけではなく、何とか時間が取れた10日当日にダッシュで図書館に行って1998年4月の新聞縮刷版を書庫から持ってきてもらい、10日付(現地では9日の動き)から12日付の一面や国際面をざーっと見る程度のことしかできなかった。行った先の図書館に縮刷版があったのが、朝日新聞と毎日新聞と日本経済新聞だけで、讀賣新聞のはまだ確認できていない(讀賣縮刷版を所蔵している図書館に行くことがあれば、見てこようと思う)。

以下、それら当時の記事を見ていこう。

gfa20-april1998.jpg

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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