kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年11月07日

Twitterがまた落ちた。(2016年11月7日)

日本時間で7日(月)午後、Twitterがまた落ちた。私が気づいたのは3時ごろで、10分か15分で復帰はしたが、復帰後も動作が重たい。

10月22日の早朝に落ちたとき(原因はIoTのウイルス)ととてもよく似ている。というか、ユーザー・エクスペリエンス的には同じである。

今日の不具合に気づいたのは、自分の投稿がInternal server errorとなって投稿できていなかったことによる。ここ3年くらいはめっきり減っているが、この「内部サーバエラー」は「Twitterにはよくあること」なので、とりあえず少し(1分ほど)時間を置いてリロードするなり何なりするのがクセになっているのだが、今日はリロードしてもまだダメだった。即座に10月22日のことを思い出したので、投稿しようとしてエラーになった内容はとりあえずはてブに投げて、しばらく様子を見てみることにした。

10月22日は、ツイートをエンベッドしようとしたときにコードが表示されなかったことで異状に気づいたのだが、今回はどうだろうか。開いていた自分のTLで適当にエンベッドのコードを表示させてみよう。

まず「Embed this」を選んで……

twitterdown_07nov2016.png


……やはり表示されない。

twitterdown2_07nov2016.png


タイムアウトしちゃう。

twitterdown5_07nov2016.png


別のタブでまた自分のTLのURLをたたいて表示させようとしたが、「接続がタイムアウト」になってしまった。

twitterdown3_07nov2016.png


10月22日にTwitterなど多くのサイトが落ちたとき、当ブログの右肩にあるFree Riceのバナー(自分でトリミングして自分でf.hatena.ne.jpにアップしているもの)も表示されていなかったのだが(Amazonのクラウドを使っていると思われる)、今回も同じ症状が出ている。

twitterdown4_07nov2016.png


……などと、キャプチャをとりながら確認しているうちに、Twitterは復帰したようだった。










……と、今、自分のツイートをエンベッドしながら書いているのですが、コードの表示にいつもより時間がかかってます。

このあとしばらくしたところでまた、10月22日みたいに完全に&長時間、落ちるかもしれません。あのときも、不安定だったりもっさりもっさりしていたりしていたあとで、完全に落ちてしまったのを実際に経験しているのですが、よく似た感じがします……。(-_-;)

今回は、ああいうことにならなければよいと思うのですが……中の人たち、がんばってください&感謝しています。

※この記事は

2016年11月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:53 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼