kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2019年04月02日

「新元号の隠されたメッセージ」的な陰謀論が出る日に備えた記録

今日2019年4月1日、新しい元号が決定され、発表された。個人的には、役所の書類の記入でしか使わないと思うが(しかも記入のたびにいちいち「今何年でしたっけ」とか「2018年って平成でいうと……?」とか尋ねることになるに違いないが)、「令和」という元号になったことやその出典が万葉集だということは忘れずにいられるだろう。

その様子を私はTwitterで自分が作成・管理しているNewsのリストで見ていた。このリストは英語圏の報道機関やジャーナリスト、学者が中心で、日本のアカウントも少しはいっているというもので、日本語圏が朝から大騒ぎになってることはここを見ててもわかったが、具体的にどう大騒ぎになってるのかはよくわからなかった。そもそもテレビないし、別に気にならないトピックだからどうでもいいと、ネットの大海に出て様子をうかがうこともしてなかった。

そういう次第で、発表されたあとの騒ぎのようなものも特に見かけていないのだが、ひとつ、秀逸なジョークが流れてきた。それは「令和」という文字の中に「アベ」を読み取るという荒業を見事に成し遂げたもので、座布団5枚くらいあげてもいいんじゃないかと思った。何なら、タモリ倶楽部のTシャツを添えてもいい。

その荒業は、ざっくり言えば、「神」という漢字の中に「ネコ」というカタカナを見て取るのと同じ流儀でなされている。それは、看板に書かれた「神」の字のつくりの一部が消えて「ネ」と「コ」が浮かび上がっている、という偶然の発見が元になっているらしい(本当にそんなふうにきれいに文字の一部が消えた看板が実在したのかどうかは私は知らないが)。実際、「ネコ」と読めはするが、「コ」の字の縦画の長さ(高さ)が足りていないので、とてもアンバランスな字面になっている。でもおもしろいからいい。言葉として意味もあるし、何よりかわいい。

nekotowakaiseyo.jpgこの「神」と「ネコ」はすっごい昔から「ネットのネタ」(英語圏でいうmeme)として有名なもので一種の「パロディ」と言えるものだ。特に有名なフレーズ(元になったフレーズ)が縦書きの「ネコと和解せよ」(より厳密には「ネコ」の部分を半角カタカナにする)で、私が最初に目にしたのはいつだったか、覚えていないが、RSSリーダーが登場する前のこと、つまりウェブサイトの更新を知るために毎日わざわざサイトをチェックするか、「アンテナ」的なものを使っていた時代だったように思う。むろんTwitterとかが出てくるずっと前、ブログとかmixiより前のこと(「Web 2.0」の前のこと)だったと思う。

そのくらい昔からあるから、うちらインターネット老人会の人々は「ネコと和解せよ」と、「コ」の字の高さが足りてなくない横書きのテクストを見ても、元の写真(変になってしまった看板)を思い浮かべることができるし、そもそもそんなルーツなどいわずもがなで、誰にも説明する必要などないことだと了解している。だが、説明が必要ないのは老人会の間でだけのことで、なおかつ「ネット上のネタ」は老人会の面々がかつてよく知っていた「雑誌の投稿コーナー」や「宝島のVOW」のような消え物では全然なく、ネットにアップされて人々の間を流通している限りは、常に「そこにある」状態になる。好事家が古本屋を回って探すようなものではなく、中学生が検索エンジンに適切なワードを放り込むだけですぐに出てくる。そして、20年前のネタが今日のネタのように流行するということも普通にあるし、その場合、そのネタのルーツなど誰も知らなくても、ネタそのものが意味が通っておもしろければ広く共有されていく。

実際、数年前(「数年」といっても老人の言うことなので10年くらいかもしれないが)にTwitterで「ネコと和解せよ」が爆発的に流行ったときには、多くの人が「ネコ」は「神」という文字の一部であるということを認識していないようだった。なぜなら「猫と和解せよ」や「ねこと和解せよ」といった表記も大量に流れていたからだ。解説サイトには横書きで、「コ」の文字も普通にバランスの取れた形で、元ネタの色だけを再現した「ネコと和解せよ」のフレーズが見られた。つまり「元ネタ」がほとんど全く意識されていない形。単にキーボードを「neko」と打鍵しただけで生じる文字列が、「神」という漢字の一部を塗りつぶすという手間のかかる方法で生成する「ネコ(に酷似した文字列)」と同列に並べられていた。

「ネコと和解せよ」はこのフレーズだけで意味を成し、しかもおもしろいから流行ったのだが、そもそも「元ネタ」があると思ってない人も少なくないだろう――そもそも現在、元ネタにされた「神と和解せよ」の看板がどのくらい認知されているのかもわからない。少なくとも都内ではもう何年も見ていない(例えば私の知っている地域では、2010年ごろまでは商店街のはずれの金物屋さんの壁についていた記憶があるが、その金物屋さんもとっくに店を閉めて、風情のある看板建築だった建物は取り壊されて、今はワンルーム・マンションか何かになっている)。

たいていの「ネタ」や「パロディ」は、「元ネタ」が通じないところではウケないし、通じもしない。「元ネタ」が忘れられれば一緒に消えてしまう。「ヒデキ、還暦ぃ」は40代以上にしか通じなかったのだ。しかし、「ネタ」も「パロディ」も、単独で意味が成立してしまえば、それが生じた文脈など忘れ去られても、単独で存在し続ける。

そして、「何かの中に、本来ないもの、意図(デザイン)されていないものを見て取る」という「ネコと和解せよ」式の流儀は、陰謀論と親和性が高い。「陰謀論」を信じる人々は、「アメリカのドル紙幣になんちゃらが組み込まれている。それは暗黙のメッセージだ」とかそういうのを信じている。

だから、この先、この「新元号」のフィーバーがおさまってこの「Twitterのネタ」が忘れられたころに、あるいはTwitterを使っていなくてこれを知らずに今日という日を過ごした人々にまでこれが広まっていったときに、ひょっとしたらこのパロディの作者さんが意図しない方向に行ってしまう*かもしれない*。

「かもしれない」程度のこと、杞憂にすぎない。しかし私はここ数年継続的に、「陰謀論」の壊滅的なパワーを見せつけられている。陰謀論については先日も当ブログでちょと書いたが、そのあとも(ネット上だけでなく)現実世界と強い関連を持つ形でニュースで接している。例えば、つい先日、ニュージーランドで何十人もを殺した白人優越主義者がネットでつながっていたグローバルなホワイト・ナショナリストのネットワークでは、ぶっとい陰謀論が信じられていて(ここではそれについての詳述は控える)、そしてそういった陰謀論ゆえに「自分たちが白人でない者を殺すことは正当なことだ」と信じてしまう人々が出ている。実際に行動に移すのはごくごく少数ではあるが、その裏には「信じている人々」のつながりと、そのつながりの中での「信じていること」の強化と増幅がある。

また、当ブログなどで何度か言及してきた、サンディ・フック小学校銃撃事件についてネット上でしつこく繰り返され続けている「事件などなかった」「本当はだれも死んでない」「事件は銃規制派のでっちあげ」という陰謀論は、事件で子供を殺され、とても冷静で活動的で、悲嘆と癒しをより力強く未来へとつなげていく活動に従事していた科学者を、絶望の淵に追いやる一因となったと思われる。




しっかりとした証拠によって否定されている場合でも、陰謀論は消えていきはしていない。それなりに多くの人々を引き付け続け、語り継がれる。陰謀論というのはおそらく、そのくらい強力で魅力的なものなのだろう。はまったら抜け出せないくらいに。自分だっていつはまらないとも限らない。そもそも陰謀論の思考パターンには、それ自体がおかしなものではないという部分があるから、「まったくのデタラメ」ではなく、一応の説得力もあるのだ。バカにしてはならない。

そしてそういう陰謀論というものは、日本でも日本の事象について見られる。そういう陰謀論を吹聴している人々は、ネットでは蔑称で呼ばれているが(その蔑称はここには記載しない)、世の中の悪いことすべてが日本の現政権のせいだと考えているような言動をとっている。

新元号をめぐってのTwitter上の秀逸なパロディは、それをネタにしたものだ。

そのパロディのツイートは、この文章を書いている時点では削除されてしまっているようで、私がretweetしたものも消えてしまっている。Twitterにはいわゆる「パクツイ」や画像の転載もあるから、検索ワードを「全ての悪いことは現政権のせい」と言い募る人々が現首相に言及するときの表記(つまり「アベ」)にして検索すれば簡単に探し出せるが、ここで画像を再掲することは避けよう。

念のため書いておくが、私は安倍政権の支持者ではない。ネットで声高に批判するようなことはしていないが安倍政権のやってることについては基本的に批判的であり(というか「そもそもありえないでしょ、あんな首相って」という立場)、なおかつ冷笑的である。だが全部を「アベのせい」と位置付ける考え方には与しないし、ましてや「アベのせい」という結論を用意して声をあげるような人々には接触しないように努めている。

そして、そのような結論を用意している人たちの周囲で、今回の元号の件(右翼のみなさんの不興を買うだろうけど、ほんとにどうでもいいと思ってるので用語がすっと出てこない。しばし考えて「改元」ていうんだっけと思ったが、それは風邪薬か……いや、それは「改源」か)で「アベが何としても自分の名を残そうとするぞ」という観測が事前にあって、「"安倍よ永久に" という意味で安久になる」とかいう説がTwitterの個人のアカウントなどで出回っていたのだ(私の見ている範囲にもretweetされてくるので見た。こちとらそんなことよりBrexitウォッチに忙しくて気にしちゃいなかったのだが)。

今回、Twitterでバイラルして、最終的にはツイ主さんが削除した(らしい)「秀逸なパロディ」は、そういった「アベがねじ込んでくるぞ」という観測をネタにしたものだ。

画像は示せないので言葉で説明すると、「令和」には「アベ」の文字が入っている、という無理やりな指摘だ。どのくらい無理やりかというと、「なんでもかんでも666にしてしまう」くらいに無理やりで、つまり見た瞬間にお茶をふくレベルのわかりやすいパロディだ。何でも「アベのせい」と言ってる人たちの高レベルな陰謀論思考(指向)が、うまい具合におちょくられている。

だが、ひとしきり笑ったあと、私は少し怖くなった。今のネットは、この秀逸なパロディの作者氏が考えているほどcivilisedな場所とは思えないし、陰謀論者の中には「陰謀論というものはそれ自体擁護すべきもの」という人々もいるから(やたらと「ガリレオ」を持ちだす系の人たちね)、めんどくさいことにもなりうる。自身かつて「ネトウヨ」で「ラッスンゴレライ」を信じていたというパロディの作者氏は「誰がどう見てもネタというものを作るのは難しい」とおっしゃっていたが、陰謀論者がうごめいているところでは何も「ネタ」になりえないというのは、残念ながら現実だと思う。こうして『1984年』的なまじめ一辺倒の言語空間ができていくのかもしれない。






以上、長くなったが、少し時間が経過して、すでに本体は消滅してしまっているこの秀逸なパロディが独り歩きしているのをもしも目にすることになった場合に、「新元号に現首相への忖度」という説を信じている人に読んでいただくために、「ねーよ」と言って差し出すことを意図してここまで書いた。

だらだらと長くなったのは、ある程度の量のある論考を短くまとめるのがめんどくさいというのもあるが、逆にTwitterに投稿したもののようにあまりに短いと「脊髄反射的に反応しているだけ」とか言われるだけだと思うため。

当ブログのこのエントリは、「文責が誰にあるか」を明らかにするため、出典さえ示しておいていただければ再利用していただいて構わないが、「こんなくそ長いの、読めるかボケ」と思った方は、各自すっきりまとめていただければと思う。

ちなみにURLに設定した文字列は著名な小説の題名のパロディで、impossiblenessなどという単語は英語にはないことは私は承知しているので、ご指摘は無用である。

The Unbearable Lightness of Being
The Unbearable Lightness of Being



追記: これを書いているときに、元のパロディを確認するためTwitterを検索したら、Twitter上の英語圏でこの件について騒いでいるアカウントがあった(プロフィールなどに情報がないのでどこの人かはわからない)。おせっかいかもしれないが、一応リプライをつけておいた。何かもううんざりしてしまったので、私の英語は細部が変かもしれないが、そこは見逃していただければと思う。



で、先方のTLを見たら、元の「秀逸なパロディ」が「マジなもの」と受け取られ、もっと発展させられてた。


Pinned tweetを見ると、従軍慰安婦というユーフェミズムで呼ばれる性奴隷について一家言ある方みたいっすね。こうやって非実在の「サヨクのヒステリー」を英語圏にぶっこんでいきたいんですかね。なお当方、わざわざ英語でまで「日本」にこだわってるわけではないのでいろいろ雑かもしれませんがよろしくお願いいたします。



クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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※この記事は

2019年04月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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