kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2018年03月19日

「怒り」か「退屈」か――イラクから来た爆弾犯(ロンドン、パーソンズ・グリーン爆弾事件)

ロンドン、パーソンズ・グリーンの地下鉄爆破テロで起訴された18歳の男に、先週、「殺人未遂で有罪」とする判決がくだされた(被告が何年獄中で過ごすことになるのかは、まだわからない)。

「パーソンズ・グリーンの地下鉄爆破テロ」と言っても、通じないかもしれない。写真を見れば思い出すという人もいるかもしれないので、まずはGetty Imagesの写真。

Embed from Getty Images

この事件で、今回有罪となった男が地下鉄車両内に持ち込んだ爆発物は部分的にしか爆発せず死者が出なかった。だから「テロテロテロテロ」と騒ぐことが大好きなメディアも観客(そう、「観客」)も大して注目しなかった(それは幸いなことではある)。被害らしい被害の詳しい報道はないと思うが、それでも大火傷を負った人がいることはBBCなどでも報じられている。

報道がどうたらということは、まあ、今はどうでもいい。二次的なことだ。

事件が起きたのは今からほぼぴったり半年前の2017年9月15日のことだった。金曜朝の通勤時間帯に、ロンドン地下鉄ディストリクト・ラインの列車内に持ち込まれていたスーパーの買い物袋が、列車がパーソンズ・グリーン駅に到着したところで突然火を噴いた。列車内に炎の玉が飛び、何人かに火傷を負わせたが、爆発としての威力は小さく、2005年7月7日のような事態は避けられた。同駅はロンドン市街部の少し外側にあり、周辺は基本的に住宅地というか何の「標的」もない地域で、そのタイミングでの爆発(発火)が犯人の意図通りかどうかはわからないと事件発生直後から伝えられていた。当日のことは、「NAVERまとめ」を利用して記録してある

ParsonsGreen1.jpgディストリクト・ラインは19世紀に開業した古い路線で、「ロンドン地下鉄」ではあるけれど厳密には「チューブ」ではない(でも地下鉄全体の通称がtubeだからそのように呼ばれている)。密閉空間ではなく上が空いているか、あるいは完全に地上を走っている。また、駅は都心部ならば開業時より拡張されたり建物が建て替えられたりしているかもしれないが、パーソンズ・グリーンのような都心から外れたところの駅は往時の駅舎がそのまま使われている。つまり、駅が(今の基準でみれば)とても小さく、出入り口の間口が狭い(写真参照。出典はWikipedia)。そのため、爆発があった列車を下りて退避した人々が一度に狭い出入り口に押し寄せたことで、群集事故のような状態が生じた。それはおそらく、爆破を試みた犯人は意図していなかったことだろう。それでも誰も死ななかったことは、実に、不幸中の幸いだった。

同年5月23日のマンチェスター・アリーナ爆弾事件のショックもまだ残っている中で、首都ロンドンの地下鉄で発生した爆弾事件は、幸いにも爆発物が不発だったため、被害という点では衝撃は少なかったかもしれない。しかし、事件直後に警察が容疑者関係先として非常線を張って調べたのが、「移民街」や「都心の民泊施設」などではなく、ロンドン近郊の「閑静な住宅街」だったことは、場が静まり返るような衝撃を与えていたように見えた。より詳しく言えば、その「閑静な住宅街」に暮らす篤志家の高齢のご夫婦が受け入れている難民の子が、容疑者だったのだ。

英国外に脱出しようとしていたところをドーヴァーで逮捕され、起訴されたその容疑者が、この3月半ばに「殺人未遂」で有罪判決を受けたアハメド・ハッサン(18歳)だ。イラク人で2年前に親を失った子供の難民として英国に来た。英国では教育を受け、成績優秀で表彰もされていたという。

彼の顔写真は、判決が出るまで報道では見かけなかった。似ているような似ていないような微妙なところをついているのが常である法廷画は出ていた。







爆発の瞬間の車内ビデオも、法廷では確実に証拠として示されているものだが、一般に公開されたのは判決が出たあとではないかと思う。私は今回初めて見た。(映像の再生をするかしないかは慎重に判断してください。爆発だけでなく災害に関するPTSD持ってる人には勧めません。)



事件当日の彼の行動を記録したビデオ(ロンドンは町中に「防犯」名目の監視カメラが設置されていて、誰もこういう監視からは逃れられない)も、判決が出たあとで初めて広く公開されたのではないかと思う。止め絵になっている映像(爆弾設置後、移動中の列車内でのもの)の1コマを見る限り、彼は監視カメラの存在をはっきり認識していたようだ。(下記映像も冒頭に爆発の瞬間の映像があり、その後爆発後の車内の様子の映像があるので、再生には注意してください。)



Sky Newsがまとめたこの映像の中に出てくるが(1分過ぎたころ)、アハメド・ハッサンは爆発物の中に、ねじくぎの類や先の尖った工具類、食事用のナイフを入れていた。いわゆる「ネイルボム」で、爆発したときの殺傷力を高めるためにこうした金属類を使うわけだが、こういうものを預かり親の家の台所で、預かり親のいないときや寝ているときを狙って作り上げ、金曜朝の混雑した地下鉄の車両内に持ち込んだということだけでも殺意はあったと判断できよう。実際、彼は法廷で「人を殺傷するつもりはなかった。爆発物を作ったのはただ退屈だったから」といったようなことを述べているが、それは通らなかった。

「退屈だったのでネイルボム作ってみた」などという言い訳が通用したら大変なことだ、と誰もが思うだろうが、誰もが、ではなぜそんなことを……という疑問を抱くだろう。

そして彼の場合は、人々が納得しやすいというか短絡しやすい〈物語〉もあらかじめ用意されている。

現在18歳ということは、1998年生まれか、1999年生まれだろう。1999年といえば12月に「砂漠のキツネ」作戦が行われた年だが、この頃に生まれたイラク人は、生まれてからほぼずっと、英米によるイラクに対する敵意と武力行使の中で生きていることになる。彼がまだ記憶がつくかつかないかのうちに、イラク戦争――米英によるイラク侵略――が行われている。

もう15年も前になるとは信じられないのだが、2003年3月20日にバグダードに対する爆撃が開始された。ほどなく、4月9日にサダム・フセイン政権が崩壊し、以後のイラクは選挙や議会や内閣といった民主主義国家の体裁はつけているが、市民生活の面では、再開発が進められてバブリーになっている地域がある一方で、新政権に冷遇されている人々の地域では破壊されたインフラは破壊されたまま放置されていたりといった状態が続いているし、何より、暴力が絶えない。だからこそ、彼のような若者たちが国を脱出して欧州にやってくる。彼らはまともに生きたいのだ(このことを英語ではhope for a better lifeといった形で表現するが、それは「よりよい生活がしたい」ではなく、「まともな生活を送れない環境から脱出し、まともな生活を送りたい」という意味だ)。

しかし、そうして渡ってきた未成年の難民申請者(「難民」として認められたわけではない)が、篤志家夫婦の家に安全な居場所を得て学校にも通い、将来の夢を追求できる環境に身をおきながら、密かに大量殺戮を企て、それを実行しようとしていたとしたら?

パーソンズ・グリーンのボム攻撃は、まさにこのような事例だった。

このことの衝撃は、察するにあまりある。Twitterで見て取れる範囲では、Brexitの旗を掲げている人たちが、欧州大陸でよく見られるようになっている「難民という名目で押し寄せてくるテロリストたち」という〈物語〉を参照しつつ「だから移民など入れるな」と叫んでいる一方で、「本人の努力次第で将来の繁栄・成功が得られる安全な環境を英国が与えれば、英国を攻撃しようとする者はいなくなる」という安全保障神話めいた〈物語〉(そんなものは予め崩壊しているということは、北アイルランド紛争時に英国政府の失業保険を受けながら反英武装闘争にいそしんでいた人々がいることを思えば、わかるはずだが)を信じている人々は、あまり発言していないように見える。



それだけなら、気分はものすごく重くはなるが、まだ単純だ。彼は破壊するためにこの社会に入り込んだのだろう。ならば、そういった人は受け入れないようにすればよいのではないか――しかし、この件、そう単純ではない。彼が危険な傾向を帯びているということは、政府当局は把握していたのだ。



つまり、Prevent送りになるような若者が、一般の篤志家の家庭に養い子として送り出されたわけだ。話がこうなってくると、普段は見もしないデイリー・メイルを参照しなければならなくなってくるのだが……



……記事にアクセスはしてみたものの、毒が強すぎて読めない。養い親が彼のためにハラル・ミートを買っていたとか(受け入れた子がユダヤ教徒だったらコーシャ・フードを買っていただろうに!)、モスクに案内してやっていたとか(受け入れた子がカトリックだったらカトリックの教会に案内してやっていただろうに!)、「だから何」っていうことをリード文でぎゃんぎゃんわめき立てている。だからこれは後回しだ。

BBC:
Parsons Green attack: Iraqi teenager convicted over Tube bomb
16 March 2018
http://www.bbc.com/news/uk-43431303

この記事によると、アハメド・ハッサンはフランス、カレーの「ジャングル」で過ごしたあと、2015年10月にトラックで(トラックにしがみついて)英国入り。その後、親がいない子供の難民申請者として英国に到着した人が最初に入ることになっているサリー州の施設に入ったのだが、2016年1月に入管の役人に「イスイス団と接触していて、『殺すことを訓練された』」と告げていた。また、施設のケア・ワーカーたちは彼は過激派だという懸念を報告していた。
The trial heard that Hassan arrived in the UK in a lorry after having spent time in the migrant camp in Calais known as the Jungle and he was referred to Surrey County Council's social services - a standard procedure for unaccompanied child asylum seekers.

In his January 2016 immigration interview, the teenager told officials he had been in contact with the IS group and had been "trained to kill". Care workers at the home where he was initially placed reported these concerns.


誰かが過激主義にかぶれているのではという通報を受けたとき、英国では政府が運営する対過激派(脱過激主義)プログラムPreventで対応することになる。このプログラムについて基本的なことは2015年に初めてその対象者がメディアで紹介されたときの記録を参照されたい。アハメド・ハッサンに関しては、このPreventプログラムでの対処がなされきっていなかった。
A local Prevent officer visited a week later - and the county's Prevent "Panel" - a team of experts who assess what to do with each reported case of extremism, decided in February that Hassan should receive specialist deradicalisation support.
(イミグレーションでの聴取の)1週間後、当該地域のPrevent担当者が彼の元を訪れ、2月には州のPrevent委員会(報告があったケースそれぞれについてどう対処すべきかを評価する専門家たち)が、アハメド・ハッサンは専門的な脱過激化の支援を受けるべきだと結論した。

The BBC understands it may not have started before the end of July. Hassan's foster parents were not aware of the concerns that he harboured extremist views.
しかし、BBCの取材によると、それが始まったのはようやく7月末のことであった。ハッサンの養い親は、彼が過激主義にはまっているという懸念について、知らされていなかった。

Following the verdict, Surrey County Council apologised, saying its work "wasn't as good as it should have been" in helping to stop individuals from being drawn to terrorism.
判決を受け、サリー州カウンシルは、個々の人々がテロリズムに引き寄せられるのを阻止しようとする上で「すべきことがきちんとできていなかった」と認め、謝罪した。


つまり、Preventプログラムがまともに機能していなかったのだ。

Preventといえば、最近は極右の脱過激化という文脈でも言及されているのを見かけるが、これは2016年12月にNational Actionが「テロ組織」に指定されたことで、極右を「組織的なテロリスト」と扱うことが法的根拠をもってできるようになったために顕在化してきたことで、脱過激化っていうか、情報機関が構成員を丸め込んでごにょごにょ……ということは以前からあった(BNPがぼろぼろになった経緯など、深く掘るといろいろ出てくるはず)。

「イスラム過激派」についても、そのような情報機関によるペネトレーションは行われていて、その一端は毎日新聞の小倉孝保記者がロンドンでの取材をまとめた下記の著作に詳しい(正直、こういうのはなかなか英語では読めないだろうな、という内容)。
4062194848三重スパイ イスラム過激派を監視した男
小倉 孝保
講談社 2015-05-14

by G-Tools


つまり、Preventプログラムというのは、非常に微妙な情報当局の活動と隣接しているわけで、その内容が国民(有権者)の精査を受けるということは、たぶんない。それどころか立法府(国会議員)もすべてをチェックすることはできないだろう。

だから、2015年10月に英国入りしたアハメド・ハッサンが、2016年1月にイミグレ当局者に「自分、イスイス団とつながってたんです」ということを告げるまでの間に何があったのかはわからないし、Preventの担当者たちが彼の危険性について報告していたにも関わらず何か月も(7月下旬まで)事態が動かなかった理由や状況などもわからないだろう。いずれにせよ、Preventはその名称に反して、1人のテロリストが爆弾テロを行なうのを防ぐ (preventする) ことができなかったわけだ。

アハメド・ハッサンという人物がどのような人物なのかについても、各メディアがまとめている。

Parsons Green attack: The Iraqi fantasist who wanted attention
By Emma Harrison & Gaetan Portal
BBC News
http://www.bbc.com/news/uk-43392551

'A duty to hate Britain': the anger of tube bomber Ahmed Hassan
Ian Cobain
Fri 16 Mar 2018 11.29 GMT Last modified on Fri 16 Mar 2018 22.00 GMT
https://www.theguardian.com/uk-news/2018/mar/16/a-duty-to-hate-britain-the-anger-of-tube-bomber-ahmed-hassan

以下、この2つの記事から重要な点をかいつまんで読んでいこう。※ガーディアンのほうが読んでわかりやすいし、格段に具体的ではある。

アハメド・ハッサン・モハメド・アリは1999年にバグダードに生まれた(現在、18歳である)。ファラーという現在25歳くらいの兄がいる。兄は今もイラクにいる。両親は既にない。母親はアハメド・ハッサンが物心つかぬうちに亡くなった。タクシー運転手だった父親は、2006年に爆発で/空爆で死亡した。子供にとっては、「朝、仕事に出かけていった父は、そのまま戻らなかった」ということで、詳しいことは本人はわからないようだ。
He was born Ahmed Hassan Mohammed Ali in Baghdad in 1999. He had an older brother, Fallah, who is now about 25 and is still in Iraq.

His parents died when he was younger, he said. He was too young when his mother died to remember her.

His father, a taxi driver, died in an explosion in 2006, he said.

"He used to go to work and come back evenings, and then he did not come back.

"It was very difficult. I did not understand what was going on. I was in a state of confusion because of fighting, because of bombing."

(BBC)


ガーディアンによると、最初は、父親を殺したのはアメリカ人だと思っていたが、後にイギリス人だと考えるようになっていたらしい(が、よくわからない。2006年にバグダードを見ていたのは米国であり、英国ではない。英国は南部の担当だった)。
His mother had died when he was an infant, he said, and he had been six when his father, a Baghdad taxi driver, had been killed in an air raid. “He used to go to work and come back in the evening, and one day he didn’t come back.” At first he blamed the Americans for this calamity; later he said that he blamed the British.

(The Guardian)


両親を失ったアハメド・ハッサンは、おじによって養育された。12歳のとき(2011年)には学校が終わったらイランとの国境で野菜などを運搬する肉体労働をするようになり、15歳で学業を終えるとそのきつい仕事をフルタイムでするようになった。1日16時間労働で週休ゼロ日という、すさまじいブラック度合いだ。その状況から抜け出そう、英語を見につけて勉強しようという思いで欧州に渡ったのだという。
Hassan was brought up by his uncle. He said he was about 12 years old when he began working part-time as a labourer, moving vegetables and other goods on the Iraq-Iran border.

He left school at 15 to work full-time in the same job - 16 hours a day, seven days a week.

"I was bored in my job and I wanted a better life," he told the jury.

He wanted to learn English and study, so he headed to Europe.

(BBC)


そしてトルコ経由で欧州に入り、イタリアを経てフランスのカレーに到着して「ジャングル」と呼ばれたキャンプで2ヶ月ほどを過ごし、トラックの後ろにしがみついて英国に渡ったのが2015年10月。当時16歳だった。彼はガトウィック空港近くで警察によって発見され、チャリティ団体Barnardo'sが運営するサリー州の施設(親のない子供の難民申請者が最初に入る施設)に入った(ガーディアン記事には、この施設にいるときの彼がとても不安定な様子だったことも書かれている)。この施設にいるときに受けた入管職員の聞き取り調査で、彼は「自分はイスイス団に徴募され、『人を殺す訓練を受けた』」と語った、とBBC記事にはある。これにびっくりした施設職員が、警察と内務省のPreventプログラムに連絡を取った。
...He eventually ended up at the infamous makeshift migrant camp, the Jungle, in Calais, France. Then only 16, he stayed there for about two months before reaching the UK in the back of a lorry in October 2015. He was found by police near Gatwick Airport. He was taken to Bay Tree - a home in Horley, Surrey, run by the children's charity Barnardo's - which he said was a relief after the refugee camp.

It was while he was at Bay Tree, in January 2016, that Hassan attended a Home Office immigration interview. During that interview Hassan claimed he had been recruited by the Islamic State group in Iraq and had been "trained to kill".

Alarmed by what he said, Barnardo's staff alerted the police and the Home Office Prevent programme.

(BBC)
※文ごとに改行されていて読みづらくてかなわないので、引用に際し、適宜パラグラフを作った。


しかし1週間後に施設を訪れたPreventのサリー州担当者は「何も心配することはない」と施設職員に告げ、部屋に例の黒旗を吊るすなど通常ではない行動に注意するようにと言っていっただけ。Preventの担当者とアハメド・ハッサンとの間でどんな話があったのかの記録はない(これが上で述べたような、Preventプログラムの問題点。ま、今の日本のアレを見ると、「記録なんか残されてるわけないじゃん」と思えるかもしれないけど)。
A week later, an official from the local Surrey Prevent programme visited Bay Tree and told staff there was "no cause for concern."

Staff were told to watch out for any unusual behaviour such as him hanging an IS "black flag" in his room. There is no record of any discussion between the Prevent official and Hassan himself.

(BBC)


この辺、ガーディアンだともっと具体的なのだが、「自分、イスイス団にいたんです」発言を聞いた施設職員はおそらく、本人がはしょって話をした可能性を疑ったのだろう、通訳者を入れて(それまで入れてなかったんかい!)2度目に話をきいたところ、イスイス団はおじさんやお兄さんを殺すと脅して彼を強制連行していったのだということだった。そして、この「イスイス団」発言について、今回の裁判のときに法廷でアハメド・ハッサンは「嘘だった」と述べている。同情を引きたかった、難民認定を確実にしたかったのだと(「イラクに戻されたらこの子はイスイス団に入れられてしまうので、英国で難民認定すべき」ということにしたかった)。「ジャングル」にいるときに、そう言えばいいと言われたというのだ(ありそう……難民申請者の間で出回る「こうすれば確実! 絶対に却下されない難民申請」みたいなのとして)。
When a Barnardo’s worker accompanied Hassan to an interview with a Home Office immigration official, she was alarmed to hear him say he had spent three months with Islamic State, “being trained on how to kill”. She insisted on a second interview with an interpreter, during which Hassan said Islamic State had taken him by force, after threatening to kill his elder brother and the uncle who cared for them following the death of their father.

Hassan told the Old Bailey jury that this had been a lie, intended to generate sympathy and to secure asylum status in the UK. It was a story that had been suggested to him, he said, while he was at the makeshift refugee camp outside Calais that is known as the “Jungle”. The camp, he told the court, was a place where “so-called people of experience” dreamed up plausible tales, and sold them to people who were trying to smuggle themselves into Britain.

(The Guardian)


彼の言っていることがよくわからない箇所はまだある。上でも少し触れたが、父親の死についての部分だ。検察は法廷で「アハメド・ハッサンは父親の死に責任があるのは英国と考えている」と述べたそうだが、本人は(「イスイス団にいた」というのは嘘っぱちで)、「父親を殺したのが英国だとは考えていない」と述べ、腰抜けと思われないように、イラクに関する英国の関与に怒りを表現したのだと言ったのだそうだ。
Hassan blamed the UK for the death of his father in Iraq, she (= prosecutor Alison Morgan) said, highlighting that he had previously told Home Office officials that he had been captured by the Islamic State group and was "trained to kill".

But Hassan claimed this was a story he made up to improve his chances of staying in the UK and denied ever having contact with IS.

He said he did not hold the UK responsible for his father's death, saying he expressed anger at Britain's involvement in Iraq so people would not see him as a coward.

(BBC)


ここ、ちょっと話わかんないっすよね。

ガーディアン記事には次のようにある。つまり、法廷で検察側は、アハメド・ハッサンは列車内の人々を殺傷する意図でボムを作った、動機は罪悪感だった、としていた。どういうことかというと、「父親を殺した国に来て安穏と暮らしていることで、イラクの人々を落胆させたと感じていた」のだろう、と。
The crown’s case was that Hassan intended his bomb to explode fully, killing and maiming those nearby, and that he had been motivated by guilt. “You felt that you had let down people in Iraq, for coming here and accepting safe haven in the country that you held responsible for your father’s death,” said Alison Morgan, prosecuting.

(The Guardian)


……と書いているイアン・コベイン記者は、そのような「罪悪感」動機説とは別の可能性を提示している。アハメド・ハッサンはサリー州の篤志家のもとで専門学校に通い、メディア研究をしていたのだが(自然・動物を撮影する仕事につきたかったという)、その学校の先生が、彼は「父の死を理由として、自分には英国を憎む義務がある」と語っていたと法廷で述べているという。そして、ミーティング中に彼のスマホの画面をちらっと見たら、「ご寄付ありがとうございました。イスイス団」というメッセージが見えたという。この先生は特に「(憎む)義務」という表現に引っかかりを覚えていたが、昨年(2017年)6月にまた同じ先生のところに彼からメッセージがあり、「あなたの国は僕の国の人たち (my people) を毎日爆撃し続けている」と言っていたという――2017年6月に英国が爆撃をおこなっていたのは、イスイス団に対してだ。(という可能性を追えば、必然的に、彼は「テロ法」で起訴されなければならなくなるのだが。)
There is another possible explanation for Hassan’s actions, one that had nothing to do with any sense of guilt over the kindness and sympathy he had received in the UK.

The court heard that he had told one of his lecturers at Brooklands that he believed he had “a duty to hate Britain” because of the death of his father. “The anger was really clear,” she said. At one point Hassan had referred to Tony Blair. Glancing at his mobile telephone during one meeting, the lecturer saw a message saying: “Islamic State has accepted your donation.” She had been particularly concerned by the word “duty”.

In July last year, Hassan contacted the same lecturer again, texting to complain: “Your country continues to bomb my people daily.”

A few weeks later he began assembling his own bomb.

(The Guardian)


そしてこのメッセージを送信して数週間後、彼は爆弾を作り始めた。

その爆弾を作る材料――TATPなので、市販の日用品から必要なものを抽出して作る――を、彼は、学校で最優秀学生賞に選ばれたときにもらった£20分のAmazonの商品券で購入した。実習で制作した映像が評価されたのだという。また彼は、携帯電話の売買のオンライン・ビジネスも手がけており、まあまあ成功していたという(出典: ガーディアン)。週に£100ほどの稼ぎになっていたというから立派なものだ(出典: BBC)。

そのまま行けば、5年もしたころには「成功した難民」としてロールモデルになっていただろうに。彼をケアしたチャリティ団体の人たちも、学校の人たちも、何より養い親のご夫婦もそう考えていただろう。トラウマを乗り越え、新天地でチャンスを得て自分の人生を歩み出した若者、と。

一方で、BBCは "The Iraqi fantasist who wanted attention" という記事見出しにしているように、彼の自称する暗い面に注目している。

内向的で、「写真は撮られるより撮るほうが好き」なタイプ。信仰心は篤く、日に5度のお祈りを欠かさない。学校では賢い学生として通っている。反面、彼が言うには何もかもに飽き飽きしており(BBCの記事には、警察が撮影した証拠写真で、彼の自室のドアの内側一面に、BOREDと書かれているものがある)、注目を求めていて、爆弾――いや、日本語でいうなら「爆弾騒ぎ」と彼は位置づけている――もすべてその空想の一部であるという。アクション映画の影響で、逃亡犯として追いかけられることを夢見ていたのだと。そして、2017年9月に地下鉄車両内に持ち込んだ爆発物は、爆発させる目的ではなく、発火させたかっただけだと主張した(が、それは陪審には通じなかったのだろう)。

サリー州の養い親のもとに暮らすようになるまでの間に彼はいくつかの施設を経験しているが、そこでは自殺の危険性があるとして監視下に置かれたこともあった。悪夢にうなされることも多く、夢を見ないくらい深く眠るために体を酷使したり、逆に眠らないようにエナジードリンクを暴飲したりといったことを繰り返していたという。
He said he had trouble sleeping over the summer of 2017, having bad dreams. The restless teenager said he would run to exhaust himself to help him fall asleep.

But other times he would have five or six energy drinks a day to avoid sleep because of the nightmares. He would watch films and TV for hours, he said.

One picture seen by the jury during the trial showed that Hassan had repeatedly written "I am bored" on his bedroom door. He said he had considered suicide "many, many times".

(BBC)


(彼が「テロ法」で起訴されているかどうかはとりあえず措いて、)「テロリスト」というのは、テロリストである前に人間だ。そしてその人間が、こういう人であることもあるだろう、と私はニュース記事を読みながら思うのだ。

法廷で検察官は彼の言い分を鵜呑みにはしないように、という方向で論を張った。大まかに言えば、それだけのことなら、ネイルボムは作らないでしょう、という主張だ。

... prosecutor Ms Morgan called it "a very calculated act of anger".

She said Hassan had packed the bomb with screwdrivers, knives and nails to cause "maximum carnage". He "left nothing to chance" in his planning, she said.

When she asked why he had done it, he said: "I had a fantasy in my head.... The fantasy was not about the explosive, it was about getting away from police."

He was asked why again.

"It was a fantasy. I was bored. I wanted attention."

But Ms Morgan told the jury: "You can be sure it was not an act of attention-seeking or boredom.

"This was someone who wanted to cause death and damage and make good his escape."

(BBC)


ロイヤリストの殺人犯(テロリスト)、マイケル・ストーンが、花火の火薬を抜いてこしらえた爆発物を背負って「ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスを殺してやる」と叫んでストーモントの議事堂に乱入した事件で、ストーンは自身の行動を「パフォーマンス・アートの一環」と主張した(彼は出所後、アーティストとして活動している。絵は特にうまくはないが、「あのマイケル・ストーンの絵」ということでそこそこ商売になってたらしい)。当時は私は主にSlugger O'Toole(北アイルランドで最も優れた政治系グループブログ)でニュースを追っていたが、「アートでした」説にはみんなズっこけていた。判決では、もちろんそんな言い分が通るはずもなく、北アイルランド紛争中の複数の殺人で終身刑だったストーンは、グッドフライデー合意での早期釈放条件に違反したことで獄中に逆戻りとなり、今も塀の中だ。……ということを、思い出さずにはいられない。

……で、デイリー・メイルの記事だが……もうおなかいっぱいなので読むなら少しあとで読むことにする。特に新しい情報はないように思ったが、ということは、Prevent周りは情報ががっちり守られていて外に出てこないということでもあるだろう。メイルは検察の言い分をそのまま即〈事実〉として扱っており、BBCやガーディアンとは別の〈物語〉を語っているが、それもまた、メイルの通常運転だ。

URLだけ。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-5511645/Why-did-Home-Office-place-Parsons-Green-bomber-foster-family.html
http://www.dailymail.co.uk/news/article-5511489/Parsons-Green-foster-parents-speak-out.html

メイルも、BBCやガーディアンと同じく、「Preventプログラムが把握していて、なぜ爆弾製造を阻止できなかったのか」という点には注目している(が、メイルの場合、そういうところより「難民受け入れ」についての煽動目的の〈物語〉のほうが比重が大きい)。

その点については、BBC World At Oneで警察の人の発言が紹介されている。Twitterのフィードを入れておこう(音声あり、字幕つきなので聞き取れなくても大丈夫)。





※この記事は

2018年03月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:33 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼