kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年11月14日

北アイルランドの「夢」が終わった日

#DareToDream (Dare to dream) という標語を掲げてワールドカップ(ロシア大会)予選のプレーオフまで勝ち進んできたサッカー北アイルランド代表の「夢」が終わった。

daredtodream.png

FIFA(フランス系)と、FA(イングランド)および「英国」を構成するイングランド以外の3つのネイションのサッカー協会との間にある確執というか溝というかそういうものについての《物語》ないし《神話》もあり、北アイルランド代表がプレーオフで当たった相手が、FIFAの本部が置かれているスイス(ブラッター前会長もインファンティーノ現会長もスイス人……後者はイタリアとの二重国籍)だという時点である程度はシニカルな見方がされていたのかもしれないが、私が見ている範囲では、少なくともファーストレッグの試合が終わるまでは、そういうのには気づかなかった。Twitter上で見る北アイルランドのサポさんたちは、いつものごとく「わぁい(お歌歌ってぴょんこぴょんこ)」な感じで明るく楽しくしていた。「ポジティヴなヴァイブを送ります」ってやつだ。

しかし11月9日にベルファストで行われたファーストレッグの試合以降は、空気感が固くなったように感じられた。主審(ちなみにルーマニア人)の意味のわからない判定によってスイスにPKが与えられ、このPKが決勝点となってホームの北アイルランドは0-1で負けを喫したのだ。

結局、このPKによって得たスイスのアウェイ・ゴールが、プレイオフ全体の結果を決めた。12日にスイスのバーゼルで行われたセカンドレッグの試合で、北アイルランドは得点を挙げることができず、試合は0-0のドローで終了。結果、スイスがワールドカップ本大会出場権を手にすることとなった。

この日は英国圏では戦没者追悼の日曜日(リメンブランス・サンデー)で、追悼のシンボルである(というより、ここ2年ほどの間に明確に「愛国心のシンボル」となり「掲げない奴は愛国心がない」という踏み絵のような存在になってきているが)赤いポピーの花輪をささげる儀式が、北アイルランドのサポさんたちが試合のために赴いたバーゼルでも行われていた(映像の最後に注目。これがリハーサルを重ねて行われている儀式ではないことがわかるだろう)。








この峻厳な儀式の映像のほかには、現地から伝えられてきた「サポーターの様子」はいつもと同じく「どこでもお歌」だった。2016年ユーロ(フランス大会)でもそうだったんだけど、今回はサックス奏者まで同行してえらいこっちゃになっている。




前日からバーゼルに行っていた人たち(スイスで宿泊代金を出せる余裕のある層)は穏やかに交流の一時をすごしていたようだ。


試合当日。すっかり出来上がってる人々。バーゼルのビールの在庫を飲みつくした感ある。


↑この映像でちらっと出てくる「ワニ」は、もちろん、今年3月に「おもしろい結果」を出した北アイルランド自治議会選挙のときのワニだと思うが、そのワニが北アイルランド代表のサポとしてバーゼルにまで行っているということ、それが極めて和気藹々としているということに、改めて感じ入るものがある。ワニはアーリーン・フォスターの悪口を由来として、シン・フェインのシンボルになってしまったものなのだ。そしてシン・フェインといえば、「反サッカー」だ。ジェリー・アダムズはサッカーが好きではなく(「スポーツたるもの、もっと激しくなくては」と言っているが、理由はそれだけではないだろう。北アイルランドでは、典型的アイリッシュ・ナショナリストの反英感情を最も端的に表すもののひとつが「サッカー嫌い」だ)、Twitterで饒舌なアダムズはゲーリック・フットボールについてはよくツイートしているが、サッカーの試合については単にスルーしている。ただし今年亡くなったマーティン・マクギネスは元々家が熱狂的な主義者だったわけではなく、サッカーも好きで、NI自治政府2トップの1人としてサッカー代表についてもTwitterで発言していた。マクギネスが生きていたら、今回のこの「快進撃」を楽しんだことだろう。



バーゼルでの試合後、私のNIのリストは静かだった。試合前はにぎやかだったのだが(リストに入ってる人が何人か行っていたし、それがなくても報道機関のフィードや現地からの映像のRTなどがあった)、試合後は静かだった。プレイヤーたちは全力を尽くした。サポも燃え尽きたのだろう。





ただし、それが「完全燃焼」だったかはわからない。代表の公式アカウントは別としても、英メディアのサッカー・ジャーナリストも含めいくつものアカウントが「疑惑の判定」(ファーストレッグでのPK)のことを言っている。






Twitter Momentsも「疑惑の判定」を前面に押し出している。



監督を讃える声が多い。





一方、冷たいのがアイルランド(共和国)の一部方面だ。こんなのいちいち取り上げることもないだろうと自分でも思うのだが、今のこの「既成事実を受け入れたうえでの、明るく楽しい北アイルランド」をすべての人が歓迎しているわけではないということは記録しておかねばなるまい。ただし下記のようなものは、発言主が「極端」な界隈の人だということは、一応、注記しておく必要もあるだろう。


「北アイルランド」の帰属問題というもろに政治的な問題が絡んでくるので軽く流すわけにはいかないのだが、「北」と「南」の対立にはそういうハードなことよりも多少軽い側面もある。いや、本当に「軽い」のかどうかといわれると疑問だが、表面的には「軽い」ように見える。「軽い」というか「わかりやすいbanter」に見える。むろん、下記の写真にあるURLがどういうURLなのかも知っている。一歩踏み込めば、「イングランドでプレイしながら、レッド・ポピーの着用を拒否しているアイリッシュのフットボーラー」のことでぎゃあぎゃあ騒いでいる界隈だ。それでもなお、「軽い」と思える。それは、北アイルランドの「夢」が終わった試合が行われた日、すなわちリメンブランス・サンデーに見たその他のツイートの影響かもしれないが。


この「アンリのハンド」の件は、アイルランド側からもおもしろおかしく提示されている。


なお、アイルランドは今日14日にホームのダブリンでデンマークとの試合を行ない、本大会出場権を得るかどうかが決まる。ファーストレッグではアウェイに乗り込んで、例によって「特に意味なくその辺の人を盛大にお祝いする会」が開催され、有名ランジェリー店から出てきたお客さんが大スター扱いされていた。お祝いされたお客さんもノリがいい(笑)。


最後に、バーゼルでスタジアムに向かう北アイルランド・サポさんたち。You are my sunshine, my only sunshineを歌っている。ワニもいる。セクタリアンなお歌じゃない。「伝統」のお歌でもない。「君はぼくの太陽だ。ぼくのただひとつの太陽だ。きみがいるから、ぼくは幸せだ」。




You dared to dream, mate. It would have been a great craic if we could meet in Russia.

ノーザン・アイリッシュといえばこの人、ジェイムズ・ネスビット(俳優)。




上にクリスティーン・ランパード(フランク・ランパードの配偶者)のツイートを埋め込んだが、北アイルランド出身でテレビのサッカー番組キャスターとして広く知られている彼女は、今年、レッド・ポピーではなくホワイト・ポピーを着用し、非難を浴びているという。
https://www.belfasttelegraph.co.uk/news/uk/christine-lampard-wears-white-poppy-what-does-it-symbolise-36299874.html

その件については、また別項で書ければとは思っている。

※この記事は

2017年11月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼