kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年07月04日

Brexitの「立役者」がまたもバックレ

今日の夕方、画面見てるときに、「なんだ、ガーディアン、古いニュースをフィードしてるよ、ははは」と思った。しかしリンク先をクリックしたら「古いニュース」ではなく、今日のニュースだった。UKIPのナイジェル・ファラージが党首を辞めた。2015年の総選挙後に続いて2度目だが、「(すぐに復活した)前回と異なり、今回は戻ってこない」と言っている。



煽るだけ煽って、火をつけて、爆発させといて…ナイジェル、UKIP党首辞めるってよ #Brexit
http://matome.naver.jp/odai/2146762573154992501


一応、全部ここ↑に書いてある。英国では「ボリス・ジョンソンに続き、ナイジェル・ファラージも」ということで呆れ返っている人々の反応が多い。UKIP支持者の間ではファラージは個人崇拝の対象なので(周知の通り、「UKIP支持者」というより「ファラージ信者」といったほうがよいような人が大勢いる)、ショックで呼吸が止まってる人がいなければよいのだがと思う(冗談ではなく。高齢者多いし、「伝統的」な脂っこい食事で動脈とかやばくなってる人も多いだろうし)。

あと、EUレファレンダムの前に「移民ガー」という煽動が行われていたのだが(日本社会で最も的確にそのニュアンスを伝えるためには「外国人ガー」と訳すべきだろう。実際「外国人」の悪魔化による煽動は、石原都知事がやっていた)、それについて誰でもいつでも簡単に一覧できるように、6月11日(土)以降の英国の新聞1面のフィード(BBC記者)も全部アーカイヴしてある(スポーツ面も入れてある)。
http://chirpstory.com/li/321110

印刷メディアがこのようなムードだったときに、ナイジェル・ファラージはテレビやラジオに頻繁に出演し、人々が「これまであまり聞いてこなかったようなこと」を(あの「いい声」で)発言しまくっていた。対するEU残留派は、首相だの財務相だの元首相だのといった「見飽きた顔」ばかりで、しかも話す内容には何も新鮮味はなかった。「残留派」の面々がテレビに映っただけでトイレに立つ人や、テレビを消してしまう人も、きっと多かったに違いない。

これがポピュリズムの実相か、と、私など、あんぐりと口をあけたままになってしまうが。

※この記事は

2016年07月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼