kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2019年01月16日

英国、「議会における政府の大敗」で参照されている「1924年」、そして当時の捏造文書 #MeaningfulVote

howdideachmpvote15janguardian.pngというわけで、テリーザ・メイ首相が長い時間をかけてようやくEUとの間に成立させた合意案が、英国会で採決にかけられたわけだが、結果はとんでもない大差での「否決」だった。ガーディアンに各議員の投票一覧の記事があり、視認性のよいチャートがついている。労働党で党の方針(「反対」)と逆の投票をしたのは3人、保守党では党の方針(「賛成」)と逆の投票をしたのは118人。2日前くらいまでは「棄権者が多いのでは」との観測もあったが、ガーディアンの一覧を見ると、実際には投票していない議員はほとんどいない。議長と、議会非出席主義をとるシン・フェインを除けば、保守党で1人、労働党で3人のみだ。

全体で、「反対」432票対「賛成」202票と、ダブルスコア以上の結果。あまりにとんでもない差がついて、Twitterの画面にはhistoricとか1924とかいった単語が乱れ飛び、早朝の東京で私はついていけなくなってしまった(一度その時間帯に目を覚ましたのだが、Twitter見てるうちに寝落ちした)。

ちなみに1924というのは、「政府は1924年以来の負けっぷり」という文脈で言及されていた数字だが、改めて検索してみると、労働党マクドナルド内閣(第一次)に対する不信任決議のことを言っていると確認できた。このときの結果は「不信任」が364票、「信任」が198票。政府(the government)側のボロ負けの結果、同年10月に行なわれた総選挙では、労働党から保守党へ政権が交代した(議席数はボールドウィンの保守党が412、マクドナルドの労働党が151、アスクィスの自由党が40)。このころ英国は選挙が頻繁だった。1922年11月の定例の総選挙でボナー・ローの保守党が再度政権をとったあと、わずか209日で病気のためローが辞任してボールドウィンが保守党党首となり、1923年12月に再度総選挙が行なわれて、保守党が大幅議席減で258議席、労働党が大幅議席増で191議席、自由党も大幅増で158議席(定数615)とどこも過半数を取らないというhung parliamentの結果に終わり、自由党が労働党を支援したため労働党が数的に不十分な状態で政権を取った(少数内閣)。これが労働党初の政権だったのだが、それが1年ももたず、上述の不信任決議が行なわれて、1924年10月に総選挙となり、労働党が政権を失った。この政権交代劇の背後にあったのが、新聞に掲載された反共主義の偽造文書(今でいう「フェイク・ニュース」)だったというのも何とも言えないというか、「まあそりゃ英国ですから」としか(こんな英国が「モデル」と崇められてきたのが現実ですが)。

What eventually helped to bring down the first Labour government was the fear surrounding the alleged Communist threat. Conservatives were quick to point out any 'Red' (Soviet) influence in Britain, one example being the 'Campbell Case'. The Communist J. R. Campbell had been prosecuted by the government for publishing an article calling on troops not to fire on strikers. When Labour withdrew the prosecution, it was seen by many as a 'Red' influence on the leadership. H. H. Asquith, the Leader of the Liberal Party, called for the appointment of a committee of enquiry, as this would allow Labour time to survive the scandal, but MacDonald would not allow it. He said that if MPs voted in favour of the enquiry, then the government would resign. They consequently voted for the enquiry with a large majority, so MacDonald announced that the Labour government would resign after only nine months in office. Soon after this resignation came the emergence of the Zinoviev letter, which has become part of Labour Party mythology.

The Daily Mail published a letter apparently written by Zinoviev, the head of the Communist International (Comintern), which asked supporters to prepare for imminent revolution. It is now known that the Zinoviev letter was a fake (documents released by the Public Record Office in 1998, finally revealed the letter to have been a forgery), but it scarcely helped Labour during their election campaign. The Liberals were also becoming increasingly restive about continuing to support the government, while MacDonald's inability to delegate tasks to subordinates was also a factor in Labour's demise...

https://en.wikipedia.org/wiki/First_MacDonald_ministry#Fall_of_the_government


このZinoviev letterについては、英語版ウィキペディアに独立した項目があり、詳しく述べられているので、そちらを参照。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zinoviev_letter
Historians now agree that the letter had little impact on the Labour vote−which held up. It aided the Conservatives by inducing a collapse in the Liberal vote; this led to a Conservative landslide.


つまりこの捏造文書は労働党の支持を切り崩すことはなかったが、労働党を支援していた自由党を見事に切り崩し、その結果、保守党が圧勝した、とのこと。

今のこのタイミングで、この「1924年」が参照されているのは、単に「政権側の負けっぷりがすごかった」という数値的な話にすぎないのかもしれないが、人は物語を求める生き物であり……などということを書いていたら、本筋にたどり着けなくなってしまった。

ロンドンのラジオ局LBCで政治番組プレゼンターを務めているジェイムズ・オブライエンさんは、15日の報道を見聞きしながらメモを取っていたが、その中にこんなのがある。





ことBrexitに関して(またドナルド・トランプを選出したときの米大統領選に関して、およびマリーヌ・ルペンが決選投票にまで進んだときの仏大統領選に関して)、BBCの「中立」の建前は存在してこなかった。BBCはあからさまに「Brexit推し」だった。BBC Newsのウェブ版でも(個々のジャーナリストがどうこうということではなく)全体の編集方針がそうなのだということははっきりわかるほどだったが、実際に現地でTVやラジオに接していると本当に恥ずかしげもなくあからさまに「Brexit推し」をしていると確信されるくらいで、Twitterでは頻繁にそのことについての批判がなされていた。しかし、オブライエンさんがメモっている上記の事例は、常軌を逸している。いまだMEP(欧州議会議員)ではあるがUKIPを離党したナイジェル・ファラージは英国政治にもはや何の役割も意味も持っていないはずで、その人物に公共放送局が公共の電波で語らせ、公共放送局に属する司会者が何も口を挟まず、異論を述べる役回りを押し付けられたのが、「ブレアの腹心、スピンドクター」として一般国民から侮蔑と嫌悪の対象となっているアリスター・キャンベル。やってることが汚すぎて、笑うしかないレベルだ。



採決の結果が出たあとのオブライエンさんの発言にはこうある。


「本当の狂気は今始まったところ。どういうふうに終わるのか、誰にもわからない」

そして、オブライエンさんのツイートの一番上にpinされているのは、この言葉だ。


「これ、一から十まで完全に不必要なんだよね。実にあっさりと忘れちゃってるけど」


下記はオブライエンさんの著書。読んでみたい。

How To Be Right: … in a world gone wrong
How To Be Right: … in a world gone wrong

版元の解説より:
https://www.penguin.co.uk/authors/1083269/james-o-brien.html
Every day, James O’Brien listens to people blaming benefits scroungers, the EU, Muslims, feminists and immigrants. But what makes James’s daily LBC show such essential listening – and has made James a standout social media star – is the careful way he punctures their assumptions and dismantles their arguments live on air, every single morning.

In the bestselling How To Be Right, James provides a hilarious and invigorating guide to talking to people with faulty opinions. With chapters on every lightning-rod issue, James shows how people have been fooled into thinking the way they do, and in each case outlines the key questions to ask to reveal fallacies, inconsistencies and double standards.




「british parliament 1924」でウェブ検索すると、1924年の英国会について書かれたページだけでなく、2019年1月15日の英国会での採決について書かれたものも、関連のNewsとして表示されている。

britishparliament1924searchresults.png

(なお、私が使っている検索エンジンのQwant.comはフランスの検索エンジン。Googleと違って検索履歴とかを取らないとのことで、Google代替として使っている。私はUK英語で設定して使っているが、日本語の検索でも支障なく使えている。Googleに自分のユーザーとしての情報を集めることに抵抗がある方には、よい選択肢のひとつとなるのではないかと思う。)

※この記事は

2019年01月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:00 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼