kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年08月28日

「想像の共同体」を背負った拳が巨額のマネーを生む。

普段、アイルランド&英国のニュースが入ってきやすいようにしてあるので、格闘家(総合格闘技)のコナー・マクレガーの話題は非常に頻繁に見かける。マクレガーは、私がモニターの中で見ている世界では誰もが知るスポーツ界のスーパースターで、ファッション・アイコンでもあり、格闘技に興味がなくてもいつの間にか顔と名前が一致するようになってしまっているような人だ。だから、米国時間で26日(土)夜、日本時間で27日(日)昼間にラスヴェガスで行なわれた「世紀の一戦 the Fight of the Century」のことは、開催が決まったときから日常的に記事見出しなどを見かけていた。

ちなみに「世紀の一戦」という表現は、1971年に行なわれたボクシングのモハメド・アリとジョー・フレイジャーの試合について使われたのが一番有名なようだが、実際にはそう銘打たれた試合は、20世紀には1910年、1921年、1938年に行なわれており、フレイジャーとアリの試合は「世紀の一戦、その4」だったようだ(ここに記載がないだけで、他にもそう銘打たれていた試合はあったのかもしれないが)。21世紀に入ってからは、2015年のフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオの試合が「世紀の一戦」とされており、今回、2017年のメイウェザー対マクレガーの試合は21世紀2度目&メイウェザーにとって2度目の「世紀の一戦」だった。これからもきっと何度でも「世紀の一戦」は行なわれるのだろうが、メイウェザーはこれで引退してしまったので、メイウェザーにとっての「世紀の一戦」はこれが最後となるようだ。

なお、私は個人的に格闘技には特に関心はなく、試合も見ていない。本稿は試合そのものについては扱わない。この試合をめぐるムードというかナラティヴについてのメモである。

それにしても、この試合の事前の過熱っぷりはすごかった。BBCのようなメディアでも、普段、ボクシングであれ総合格闘技であれ、こんなふうに試合が話題になることはないというくらいに大きな話題になっていた(だから、総合格闘技にもボクシングにも特に関心のない私でも、いつどこで行なわれる試合で、どんな選手がこぶしを交えるのかといったことは自然と把握していた)。試合で動く金もハンパではなく、何かもうみんながギラついた感じで見つめているという感じだった(マクレガーの試合がいかにカネを生むかということについてはスポーツナビの高橋テツヤさんの記事が詳しい。UFCデビューの前週まで役場に並んで生活保護を受けていたマクレガーが、巨額のマネーを叩き出すようになるまでを振り返っている)。

だがアイルランドでの熱狂は、そういうギラつきとはちょっと違っていた。コナー・マクレガーは、本人がアイリッシュ・トリコロールの旗(アイルランド国旗)を多用するなどしてアピールしまくっている通り「アイルランドの息子」だ。「うちのコナー・マクレガー」だ。

かくして、ラスヴェガスは、試合前にこういうことになっていたという(撮影地点はマンダレイ・ベイ・リゾートのようだ)……サッカー系の大手Twitterアカウントが「アイリッシュがその場を掌握したときには何もなすすべなどなくなる。そのことを、アメリカのセキュリティは素直に受け入れるべきである」と述べるような状態に。




欧州サッカー系にはおなじみの光景だが、ここでも大半がサッカーのアイルランド共和国代表のユニのようだし、セルティックのユニの人もいるし、何の試合だかわからん(笑)。そして実際に「ベスト・ファンズ・イン・ザ・ワールド」の只中で、なすすべなく立ち尽くす黄色いシャツの施設セキュリティ。

そして黄色がなすすべなく立ち尽くしている間に緑がどんどん増えて、こうなった(笑)。


これ↑の別角度。エスカレーターに乗ってる人の目線でおもしろい。


スクリーンでのビューイング会場に入る列でも……


ラスヴェガスでお歌を歌って楽しくやってたのは、全員ではないかもしれないが大半は明らかにアイルランド島のアイリッシュだ……彼らでなければこれはできないお祭り騒ぎである。しかしアイリッシュは、本国にいる人数よりも国外に移住した人の人数のほうが多くなっている。アイルランド島のアイルランド人より、北米の「アイルランド系米国人」の方が多い。というか「多い」というレベルではない。ウィキペディアの項目にある数値によると、アイルランド島が約640万人(共和国が約460万人、北アイルランドが約180万人)であるのに対し、米国には4000万人以上だ。ちなみに英国には1400万人で、この中には親や祖父母やそれ以前の世代がアイルランドから英国に移住しており英国で生まれたという人々(アイルランド系英国人)もいれば、アイルランド生まれで自分の代で英国に移住したり、仕事などのために英国に転居したりしている人々もいる。

『想像の共同体』のベネディクト・アンダーソンは、スコットランドに起源を持つ英国系アイルランド人である父親が仕事で赴任していた中国でイングランド人の母親のもとに生まれ、祖先はアイルランド自治要求運動やユナイテッド・アイリッシュメンの活動(1798年の蜂起の際)に関わっていて、本人のミドルネームの「リチャード・オゴーマン」は、1848年の反乱の指導部に加わっていた親戚筋の人物に因んでいるというくらい、アイリッシュ・ナショナリズムを自分の中に持っていた(というか、持たされていた)。1936年に生まれたアンダーソンの一家は、1941年に日本軍の侵攻から逃れて米カリフォルニアに渡り、1945年にはアイルランドに移住している(アンダーソンが9歳のときだ)。アンダーソンはその後、イングランドのイートン校に進み、ケンブリッジ大で古典を修め、米コーネル大で東南アジアの研究者となった。

そのアンダーソンは、もし存命だったら、「アイルランドの息子」の試合のためにラスヴェガスのホテルに緑のシャツを着て集結し、アイリッシュ・トリコロールの旗をぱたぱたなびかせてぴょんこぴょんこと飛び跳ねながらみなで一つの同じ歌を歌っている人々の中の「想像の共同体」について何と言っただろうか。

……なんてことを、Twitterのハッシュタグを見ながら思ってしまったのは、あまりに成分が濃かったからだろう。そして、Twitterでハッシュタグを使いながら「世紀の一戦」について英語で何か発言している人たちが、名前やアバターの顔写真から判断するに、ネイションの枠などあらかじめ飛び越えていたということもある。

For the entire week leading up to the epic Conor McGregor vs. Floyd Mayweather Jr. fight Saturday, it's been whispered like a mantra, equal parts wishful thinking and warning.

"The Irish are coming."

Everyone was in place, playing their parts with a carefully honed expertise. McGregor was the brash newcomer, intent on disrupting a sport that has followed the same basic template for 100 years. Mayweather was the proud veteran, lacing up the gloves one more time to establish his place, not on the contemporary scene he already rules, but among the all-time greats.

But without the fans, so steadfastly confident in their countryman and unafraid to voice their opinion, volume rising with each beer, fight week was missing its soul.

No more.

On Friday, as McGregor posed on stage at the official weigh-ins, a maniacal gleam in his eye, the deafening noise in the T-Mobile Arena made one thing perfectly clear−the Eire has arrived.

The flag is everywhere−green, white and orange the new official colors of the Strip. Their presence is felt as chants of "Ole, Ole, Ole, Ole" break out, seemingly at random, in restaurants, on the street and even in the bathroom.

It's felt as fans stagger around one of their fellows passed out in a corner at the New York casino, Irish flag draped over his body, beer bottle defying the odds and gravity by staying upright in a sea of people. It's 11 a.m.

...

While the technical gurus behind the scenes fret about keeping their equipment cool, in front of the house, things were heating up. McGregor's frantic weigh-in performance woke something within his countrymen.

"You'll never beat the Irish," he told the crowd. "That's it. You can't beat us. We come in, and we take over whatever we want. Las Vegas is Ireland now."

http://bleacherreport.com/articles/2729599-fight-of-the-century-in-defense-of-conor-mcgregor-vs-floyd-mayweather


それにしてもコナー・マクレガーはよくしゃべる(ダブリンのアクセントで)。


こうやって悪口雑言を並べ立てて数ヶ月間関心を持続させておくことも、興行の一部なのだろう(試合の一部ではないのかもしれないが…… "Talk doesn't win fights" という意味では)。そして、試合が終わったら、試合前の悪口雑言が嘘だったかのように満面の笑みで敬意を示すことも。どちらも本心とは無関係なわけではもちろんない。


こういう「興行」とナショナリズムの熱い関係がここまで明確に示されることは、案外少ないのではないかと思う(オリンピックなどは、ずいぶんプロが関わるようになってきたとはいえ、「興行」ではないし……)。それを示すのがアイルランド人だというのも、「アイルランドにはすべてがある」(岡村昭彦)というあの感覚を引き起こす。

4904701089定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)
ベネディクト・アンダーソン 白石隆 白石さや
書籍工房早山 2007-07-31

by G-Tools




覚え書き。

※この記事は

2017年08月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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