kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年05月02日

映画The Journeyの予告編と背景: イアン・ペイズリーとマーティン・マクギネスの「旅路」を描いたコメディ(!)

映画The Journeyの予告編が公開されていた。センチメンタルな味付けがなされた全編真顔のコメディであることは、よい感じでわかりづらく明らかだ。出てくるのは英国首相トニー・ブレア、MI5で部下をつかねて事態をまとめる指揮官、車の運転手、そして「DUPの党首、ドクター・イアン・ペイズリー」と「IRAのマーティン・マクギネス」



予告編には、"Based on actual events" と出てくるが、この映画で描写されているようなことは実際には起きていない。いわゆる「事実に基づいた映画」ではなく、「事実(実際の出来事)から、作家が想像力を膨らませて作り出したフィクション」である。

舞台は2006年10月のスコットランド、セント・アンドルーズ。北アイルランド自治議会(議事堂のある場所の名をとり、「ストーモント」と呼ばれる)は2002年の「ストーモントゲイト」(IRAのスパイが議会に入り込んで情報収集を行っているとして議会が停止された。しかし2005年に「スパイ」たちへの起訴が取り下げられ、そのような事実があるのかどうかさえわからなくなった)で停止され、英国(ウエストミンスター)の直轄統治 (direct rule) が行われていた。「ストーモントゲイト」後の2003年に行われた自治議会選挙では、それまで(つまり停止された議会において)ユニオニストの第一党だったUUPが第一党の座から転落し、1998年の和平合意(グッドフライデー合意、GFA)に反対してきた「過激派 hardliners」のDUPが取って代わった。ナショナリストの側でも、「IRAの政治部門」であるシン・フェイン(SF)が、それまで第一党だったGFAを主導したSDLPをしのぐ議席数を得た。「IRAによるスパイ活動」で停止した自治議会を何とか再起動させなければならないのに、「有権者の意思」に任せたら「30年以上、反IRAの急先鋒であり続けている人物の党」と「IRAの政治部門」がトップに来るという結果になってしまい、当時まだ全然不安定だった「北アイルランド和平」に携わる人々、誰もが頭を抱えた。そのまま、交渉 (talk) への努力は続けられたが、DUPとSFではそもそも話 (talk) になるはずもなく、全てが難航した。2005年7月下旬には、IRAが武装活動の停止を宣言したが(結局のところ、最大の妨げとなっていたのは「IRAがまだ存続しているのに」ということだった)、それではユニオニスト強硬派にとっては全然足らなかった。ユニオニストにとっては「IRAが消えてなくなること」こそが必要だった(まあ、どうなれば「IRAが消えてなくなった」と認められうるのかがわからないのだが……今もまたIRAと関係がないはずのSFの政治家が、IRAの死者を追悼する行事でスピーチを行って炎上中だ)。

GFAで設置されたストーモントの議会(アセンブリー)は、一般的な議会の「与党と野党」というシステムではなく、各政党の獲得議席数に応じて閣僚を割り振る「パワー・シェアリング(権力・権限の分譲)」のシステムで自治政府(北アイルランドではExectiveと呼ばれる)を構成する。「多数派」であるユニオニストが権力を独占してナショナリストを虐げてきたかつての議会(パーラメント)と自治政府による政治が武力紛争を引き起こしたので、これからはそういうふうにならないようにしようということで設計された制度だ。しかしDUPは、「IRAと権力分譲をするなどありえない」というスタンスを貫いてきた政党で、それが2003年の選挙では有権者の最大の支持を集めた。ストーモントの再起動ったって、根本的に矛盾している。

そして「北アイルランド和平」の当事者たち(北アイルランドの諸政党、英国政府、アイルランド共和国政府、米国政府を含む国際社会)による「合意の形成」へ向けた交渉は、熾烈を極めた。

「交渉」と一口に言うが、かの地でのそれは、後に北アイルランド自治政府のトップとして、2003年当時DUPの「ナンバー2」であったピーター・ロビンソンがジョークのネタにしたとき(下記)私がモニターを見ながらお茶をふくことになった、「北アイルランドの国技・交渉」(「エクストリーム交渉」)である。
Peter Robinson is telling jokes. He says if negotiations become an Olympic sport in London 2012, NI will enter a team and lift the gold medal, and then enter negotiations about which anthem should be played and which flag should be raised.

As it happened: Northern Ireland deal ※ヒルズバラ城合意のこと
Page last updated at 09:31 GMT, Friday, 5 February 2010
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8499926.stm


このときにロビンソン、マクギネスと並んで記者会見を行った英国のゴードン・ブラウン首相の難事を成し遂げ肩の荷が下ろせたという嬉しそうな様子と、アイルランド共和国のブライアン・カウエン首相のくたびれ果てた様子(ギャグがすべるほど)は忘れようがない。決着したときには当事者誰もが人間性の回復を喜ばずにはいられないほどの交渉。

そういう苛烈な交渉が、「ポスト紛争社会」の北アイルランドでは何度も重ねられてきた(今も、1月下旬のストーモント議会の解散から、3月2日の議会選挙を経て行われている超長期の交渉の最中である――とはいえ、現時点では、6月8日投票の英総選挙のために中断されてはいるが)。映画The Journeyはそういった交渉のひとつを題材にし、その後、どのようなことが起こったかに基づいて着想されたフィクションである。

The Journeyが題材としているのは、2006年10月のセント・アンドルーズ合意に際する交渉だ。上述したとおり、このとき、2003年の選挙でDUPとSFが、ユニオニストとナショナリスト両陣営の第一党となっていたが、自治議会・自治政府は機能していなかった。GFAで発足した北アイルランド自治の「パワー・シェアリング」の仕組みでは、両陣営の第一党から1人ずつ選出した「ファースト・ミニスター」が2人1セットで自治政府のトップとなる(「ファースト・ミニスター First Minister」が2人というわけにはいかないので、獲得議席数が少ないほうの1人は「副ファースト・ミニスター Deputy First Minister」となる)。2003年の選挙の結果、正副ファースト・ミニスター(FMDFM)となることになっていたのは、DUPのイアン・ペイズリーとSFのマーティン・マクギネスだったが、この2人がFMDFMとなり、ペアで動くようになろうと納得するなどということは、ありとあらゆる比喩表現を駆使しても足らないくらい「不可能と思われる」ようなことだった。映画予告編では、36秒くらいのところで、(風貌からというより何よりしゃべり方から)トニー・ブレア(とわかる登場人物)が「奇跡でも起こらない限り、この2人が協同するということはありえない話だ」と言っている。

そして実際には、「奇跡でも起こ」ったのだろう。セント・アンドルーズでの交渉は、決裂や結論の先送りに終わらず、「合意文書を取り交わす」という建設的な形で結実した。その上に、今から10年前の2007年3月の「アダムズとペイズリーの直接会談」があり、同5月のストーモント自治議会の再起動があった。現在(2017年5月)でもなお、イアン・ペイズリーとマーティン・マクギネスの名前を入れてGoogleで画像検索すると、テレビの子供向け番組でおなじみのドタバタ劇のペアになぞらえて「チャックル・ブラザーズ(にこにこ兄弟)」と呼ばれた自治議会再起動の日の写真がトップに表示されている。

ipmmcimg.jpg


今年3月にマクギネスが亡くなったとき、この写真を撮影したポール・フェイスさんが超レアものの写真をTwitterにアップしていた。



このころのことを、先日のマクギネスの葬儀のときのエントリで、私は次のようにまとめている。

イアン・ペイズリーは「シン・フェインとのパワーシェアリング(権限分譲による行政権の担当)など論外」、「GFAは死んでいるので、お葬式をしてあげなくては」などという発言を繰り返していたが、どういうわけか軟化して、2006年10月にセント・アンドルーズ合意でシン・フェインとのパワーシェアリングに同意したのだ。その1ヵ月後には自治議会が再起動されるはずだったのだが、その再起動当日に、1988年3月16日にベルファストのミルタウン墓地で行なわれていたIRAメンバーの葬儀を拳銃と手榴弾で襲撃したロイヤリストのマイケル・ストーンが、火薬というか花火を詰めたバックパックを背負って「アダムズとマクギネスをぶち○す!」と叫んでストーモントの議場に乱入しようとして取り押さえられるという騒ぎが発生したため、自治議会の再起動は延期された。ちなみに、起訴されたストーンは法廷で「すべてはアート・パフォーマンスだった」とわけのわからない主張をして、そして認められず、その後また獄中に戻っている(ストーンは「紛争」中の殺人での刑期が、GFAによる特例で短縮されて出所していたのだが、要するに「仮釈放」の状態なので、条件に違反したら刑務所に戻されることになっていた)。

1988年にストーンがミルタウン墓地を襲撃したときの標的はジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスで、葬儀を取材に来ていたはずが襲撃を目撃することになってしまった報道のフォトグラファーやカメラマンたちが、ストーンからの攻撃を受けたリパブリカンたちの姿をとらえている。今回、マーティン・マクギネスが亡くなったときに各メディアが組んだ写真特集にはほぼ必ず、そのミルタウン墓地襲撃時の写真が入っていた。ベルファスト・テレグラフの特集では1枚目だ。マーティン・マクギネスは、彼自身、何度も殺されかけたことがある人物だ。「紛争」において、武装勢力に参加していて、一方的に誰かを殺す側だった者などいない(一方的に殺される側だった人たちはいる。「民間人」である)。

……こうして、どんどんどんどん話がつながっていく。「意識の流れ」に任せていたら、いつまでたっても書き終わらない。

そんなこんなで、途切れていそうで途切れていないつながりの中で、2006年にマイケル・ストーンに再度襲撃されかけたマクギネスだが、もちろん「テロリストが花火を背負って議事堂に突入(未遂)」したくらいでは本質的には何の影響もなく、2007年5月8日、ストーモントはファーストミニスターにイアン・ペイズリー、副ファーストミニスターにマーティン・マクギネスという顔ぶれで再起動した。トニー・ブレアやバーティ・アハーンといったゲストを迎えて行なわれた希望に満ちたセレモニーはBBCのサイトなどで中継され、私もそれを東京で見ていたのだ。大口を開けてガハハ、ガハハと笑うイアン・ペイズリーと、その隣で同じように笑っているマーティン・マクギネスを、「何ですか、これは」という気持ちで見ていたのだ。

それから10年を待たずして、マーティン・マクギネスは逝ってしまった。……


http://nofrills.seesaa.net/article/martin-mcguinness-funeral-derry-londonderry.html


……この調子だと、また書き終わらないな。(^^;)

ともあれ、2006年10月に「奇跡でも起こ」った結果として、(同年11月の「マイケル・ストーンの乱入」というハプニングによる予期せぬ延期を経て)2007年5月にストーモントの自治議会・自治政府が再起動し、現在に続く「ポスト紛争社会」の北アイルランドが本格的に動き始めた。

2000年代半ばはまだ、ネット上で北アイルランドの人々が集う場で「おい、ベルファストに日本人観光客が来てるぞ。写真見ろ」「マジか」「うおおお、本当だ」という感じで盛り上がり、「平和」というか「脱軍事化」が意味することの大きさがひとつひとつ実感されていくような段階だったが(今はもう、観光客など珍しくもない。先日、議会選前にストーモントの議事堂で中国人の団体さんがジェリー・アダムズに遭遇して、通訳者が雑な仕事をしたためになぜか「ベルファストの市長」と認識していたということが「お笑い」としてBBC News NIのサイトにアップされていたが、それは観光客にニューズヴァリューがあったのではない)、2007年の自治議会・自治政府再起動と、その後の「普通の政治の継続」によって、いろんなことがノーマライズされ、人々はひとつひとつ確認し、自信を深めていった。「もう、紛争の日々には戻らない」という言葉が、ただの言葉ではなく人々の意識の中で確実に息づいていき、「かつては考えられなかったこと」が現実に起きていった――イアン・ペイズリーとマーティン・マクギネスが肩を並べてニコニコ笑っているなどということが現実に起きているのだ。何が起きたっておかしくない。というより、何だって現実になりうる。北アイルランドを見ていると、「シンボル」の持ちうる強さに衝撃を受けることがたびたびあるが、ペイズリーとマクギネスの関係というのは、そういった「シンボル」の中でも、2007年以降で最もアイコニックなものだ。

映画The Journeyを作った監督のニック・ハムも、脚本のコリン・ベイトマンも、そういう事態の展開をリアルタイムで、次にどうなるのかがわからない状態で見てきた。2人とも北アイルランドの人だ。

映画は2015年10月に撮影が開始され、2016年秋には世界各地の映画祭などで上映されはじめていたが、年が明けても英国では劇場公開が決まらず、ビデオスルーになることが告知されていた。





それが、どこでひっくり返ったのかを私は記憶していないが(ニュースを見逃したのだろう)、5月5日(金)に英国で劇場公開されることになった。それを前に、今週いくつかのメディアにこの映画の紹介記事が出ている。だが、ガーディアンの記事は到底読む価値があるとは思えないし(Twitterに書いたのだが、延々と読まされ、結局書かれているのは「僕はこのジャンルが好きだから、こんなのが見たいなあ」という筆者の願望だけという脱力必至の記事。昔、音楽雑誌でよく見た「この新人バンドのデビュー作はビートルズのこのアルバムを思わせる。僕はビートルズではそのアルバムが一番だと思う。なぜかというと……」型のクソ記事と言い換えてもよい)、というかこの映画については昨年秋の時点ですでに監督・脚本家のインタビュー記事が出るなどしていたので、そちらを読んだほうがよほどよい。同じく、ガーディアンから。

How Paisley and McGuinness's journey to peace ended at Venice film festival
Andrew Pulver
Wednesday 7 September 2016 12.00 BST
https://www.theguardian.com/film/2016/sep/07/paisley-mcguinness-journey-venice-film-festival-nick-hamm-colin-bateman

映画のタイトルのThe Journeyというのは、ひとつには比喩的な意味(紛争から和平プロセスへの移行と和平の定着のことでもあり、またペイズリーとマクギネスの間の、相互が「友情 friendship」と呼ぶのにためらいを見せなかった関係の構築の過程のことでもある)、もうひとつは、2006年に交渉が行われたスコットランドのセント・アンドルーズから北アイルランドへの帰途という文字通りの意味を表す。

映画は、その交渉からの帰りの道中、ペイズリーとマクギネスが一緒だったという事実から、どのようなことがありえたかについて、ベイトマンらが想像力を膨らませて描いたフィクションである。

上記ガーディアン記事(2016年9月)で、監督のニック・ハムはこう述べている。
“Paisley and McGuinness not only had a friendship but also a semi-political relationship of need. There’s no doubt that these two individuals were implacably opposed to each other, but what fascinated us was how these two people – so different in age, morality and politics – ended up having a friendship. And it was a friendship that to a certain extent underpinned the peace agreements after 2006. If they hadn’t had that relationship, it’s my understanding that the back-channelling that went on after that would not have been so successful.

“How do you dramatise that? We knew for a long time that Northern Irish politicians often travelled together, to avoid getting shot or blown up, basically. They had an underlying agreement, even though they never admitted it. That for us was the starting point.”

「ペイズリーとマクギネスの関係は(個人的な)友情であったかもしれませんが、それと同時に半分は政治的な必要性によって築かれた関係でした。互いに仇敵として反発し合っていたことは明々白々たる事実です。その2人が――年齢も離れていて、道徳観念も政治理念もかけ離れた2人が、最終的には友情を構築した。その過程に興味をそそられずにはいられなかったのです。この2人の友情は、2006年以降の(複数の)和平合意を安定させる一大要因となったことも確かです。もし彼らの間に友情がなかったら、その後水面下で行われた取り組みも、これほどの成功を収めていなかったのではないかと私は思います。で、それをドラマで描くにはどうしたらよいか。北アイルランドの政治家たちは、暗殺を警戒して、(ユニオニストもナショナリストも)同じ便で移動することが多いということはずいぶん前から知っていました。はっきりと認めたことはなかったにせよ、根本の部分では合意があった。映画の着想はそこから始まりました」(要旨。原文を書き添えない形でのコピペはご遠慮ください)

脚本のコリン・ベイトマンは、映画の脚本や小説で活躍する書き手だが、元々は地域メディアのジャーナリストだった人だ。
The script for The Journey was written by Colin Bateman, the prolific Northern Irish novelist, who says that the lack of concrete information made his job a little easier, and allowed for some manipulation of detail to improve the film’s dramatic potential. Bateman says: “It would be difficult to set a film on a small jet so we made the decision to put the film in a car; that allowed us to stop, have them get out, and things like that.

“After the script was written, we went and met with both the Paisley and the McGuinness camps, and they each told us completely different versions of what happened on the plane. The Paisley side said: ‘Oh they got on fine, they were joking and laughing right from the start.’ The McGuinness side said: ‘Nothing happened, they just said hello.’ That freed me up. At the end of the day, all films based on historical events are fiction anyway – even documentaries. If you weren’t there, you’re just putting things together afterwards. This is drama: we’re not pretending it’s 100% fact; it’s a story that explores how things might have got to where they are today.”

セント・アンドルーズからの帰途、飛行機に同上したペイズリーとマクギネスがどんな様子だったのかがわからない(公開されていない)ことで、逆に仕事がやりやすくなったと言うベイトマンは、「実際には2人は小型のプライベート・ジェットで移動したのですが、それでは映画には難しいので、移動には車を使ったということにしました。そうすることで足止めを食らわせたり、2人を車の外に出したりといったことができたんですね。脚本が書き上がったあと、ペイズリー側とマクギネス側、双方の人たちに話を聞きに行ったのですが、双方、言ってることがまるっきり一致しない。ペイズリー側は『あちらは打ち解けた雰囲気で、最初から冗談を飛ばしては笑っていました』と言い、マクギネス側は『別に何も。挨拶程度はしましたがね』と言う。それで自由になれました。結局、歴史上の出来事に基づいた映画って、どれもこれもフィクションじゃないですか。ドキュメンタリーでさえフィクションです。その場に居なかった者は、あとからあれこれ情報の断片をまとめていくことしかできない。それに、これはドラマです。100パーセント事実だ、なんて謳ってはいません。今日の現実がどのようにしてもたらされたのかを探ってみるストーリーです」

... However, Bateman says, at the start of the St Andrews talks “they had literally never spoken to the unionists”, and, according to Hamm, refused to cooperate with the UK government in security matters, and were not part of the unspoken travel agreement. “They didn’t have any of that,” says Hamm. “The Northern Ireland office used to rent private jets, and we knew the one that McGuinness and Paisley shared had been rented from Chris de Burgh. That was hilarious in itself.”

“What happened on that journey we don’t know, but what we do know is very soon after that they sat together in Stormont, privately, and started to make sense of the peace agreement.”

ベイトマンは、「セント・アンドルーズでの話し合いが始まったときには、シン・フェインはユニオニスト側とは話をしたこともなかった」と言う(1998年GFAの交渉でも、GFAで発足した自治議会・政府でも、シン・フェインがサシでユニオニストと話をするということは行われていなかったのは確か)。ハムは、「シン・フェインは、治安・保安上の問題に関しては英国政府との協力を拒んでいたし、暗黙の了解が為されていた移動時の合意にも参加していなかった。英国政府の北アイルランド庁がプライベート・ジェットを貸し出していたが、マクギネスとペイズリーが同乗した機は、歌手のクリス・デ・バーが貸し出したものだったと。その事実だけでも爆笑ものでしょう。そして、その機内で何が起きたのかはわれわれにはわからない。けれども、そのすぐ後にストーモントでペイズリーとマクギネスが肩を並べて座り、和平合意を意味のあるものにしていったということは確実なのです」

ハムは、「偏りのない作品を作りたかったが、それは毒のないものという意味ではない」とも語り、作品には政党からの口出しは受け付けなかったとしている。コリン・ベイトマンだからね……部外者としては、笑っていいのかいけないのか反応に困るが、笑わずにはいられないというコメディの作者だからね。









マーティン・マクギネスが急逝していなかったら、きっと今頃はこの映画についてのインタビュー記事が各メディアに出ていたのだろう。

劇場公開を前にベルファスト・テレグラフに出た監督インタビューには、このようにある。
Q. Did Martin get an opportunity to see the film before he died?

A. I don't know for sure, but I believe he watched it with his family. What's important to state is that at no point in the process did McGuinness or the Paisley family ask for or demand any editorial control.

I didn't show either party the script, and neither party asked to see it.

My job was not to make a biopic of either man, but to fairly represent their arguments and give them space to express their grievances to each other.

http://www.belfasttelegraph.co.uk/life/features/the-journey-director-nick-hamm-it-was-a-story-that-had-to-be-told-35667552.html


2010年のヒルズバラ城合意のとき、ロビンソンとマクギネスはそれぞれこのように述べていた。このような言葉が、彼らの中にあったのだ。
DUP leader Peter Robinson is up now. He says it's "a good day for Northern Ireland", adding: "We have laid the foundations for a better future for us all."

Martin McGuinness of Sinn Fein says he is "a minister for all citizens". He adds: "We need to confront and defeat all kinds of hatred."

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8499926.stm


それが作家の想像力で、コメディとして描かれる。しかもその作家が、コリン・ベイトマンだ。見たくならないはずがない。だが日本公開は……DVD/BDは出るかもしれない。

で、The Journeyの予告編のこの場面。車が動かなくなって、ペイズリーとマクギネスが森の中を歩いていて遭遇した、打ち捨てられた教会の中でのシーン。

thejourneytr.jpg


これって、『死にゆく者への祈り』ですよね…… (・_・) (「いやいや、気のせいだ」とか「これだからオタクは」といわず、先を読んでください。コリン・ベイトマンが「自由にフィクションを作った」って言ってますしね……)


※このクリップでは1分30秒くらいから。でも映画見たことのない人は全部見てね。前のシーンからつながっているので。

この『死にゆく者への祈り』は、ジャック・ヒギンズの小説を映画化したもの。人を殺すことにうんざりしきって組織を抜けたがっているIRAのメンバー(映画ではミッキー・ロークなんだな。「映画に出てくるIRAがかっこよすぎるだろ」シリーズのトップ。第2位はOn Devil's Ownのブラピ)が、組織からも警察からも追われながら、脱出用のパスポートを入手するためにギャングの殺しの仕事を請け負い、その殺人現場を神父(映画ではボブ・ホスキンス)に目撃されてしまったことからドラマが展開する。詳しくは原作本か映画DVD(輸入版のみ……DVDがずっと出てなかったんだけど何年か前に出た)を参照。

4150402663死にゆく者への祈り (ハヤカワ文庫 NV 266)
ジャック・ヒギンズ 井坂 清
早川書房 1982-02

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B0007URSUIPrayer For The Dying [Import anglais]


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で、この作者の「ジャック・ヒギンズ」、本名はハリー・パターソンという。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jack_Higgins

そして、フィクション映画The Journeyに……





The Journey
http://www.imdb.com/title/tt4826674/






ちなみに、2007念5月の「チャックル・ブラザーズ」の写真を撮影した報道写真家のポール・フェイスさんは、マクギネスのもう1枚のアイコニックな写真の撮影者でもある。



マクギネスの葬儀でも、新聞などに大きく掲載された写真を何点も撮影していた。


















※この記事は

2017年05月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:20 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼