kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2017年06月28日

英、保守党とDUPとの合意成立 (Coalition of chaos)

2週間ほどかかって、ようやく……と言いたいところだが、たぶん、おおかたの人はそんな交渉が続いていたことなどもう忘れているだろう。「まだやってたんですか」っていう感じ……北アイルランド・ウォッチャーにとっては、「早かったな」感もあるのだが。

保守党とDUPの「閣外協力」(←日本語圏の用語。英語では "confidence and supply (または supply and confidence) deal" という。野党側の内閣不信任案に賛成しないことと、与党側の予算案に賛成することを意味する)が、26日、正式に合意された(合意全文はこちら)。同日夜(日本時間)のBBC Newsのサイトはこうなっていた。

BBC News: http://www.bbc.com/news
bbcnews26june2017-min.png


BBC News > UK: http://www.bbc.com/news/uk
bbcnews26june2017b-min.png


BBC News > UK > Northern Ireland: http://www.bbc.com/news/northern_ireland
bbcnews26june2017c-min.png


これで、英保守党は北アイルランドのDUPと「事実上の(非公式の)連立関係」と言える間柄(ただしDUPは閣僚は出さない。日本語では「閣外協力」という用語に相当する)になったわけだ。何が起きているかというと、まさに風刺画家や風刺作家が表現していた通りだろう。6月13日付のBBCの「まとめ」より。
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-40250023
A recurring theme for political cartoonists is a weakened Theresa May, beholden to a higher-than-mighty DUP, as commentators speculate on the price the prime minister, and the Irish peace process, might pay for the party's support.


テリーザ・メイの保守党が、勇ましく「強く安定した政権」を掲げて楽勝ムードで臨んだものの、議席減どころか過半数割れという「(笑)」……もとい「(・_・) タイヘンニいんたれすてぃんぐデスネ」という結果に終わった6月8日の総選挙。しばらくは抱腹絶倒、もとい、真顔で普通に座って、爽快ですらある高揚感を覚えていたが、そのムードが長続きしなかったことは既に書いた通りだ。

そして、その高揚感が「なーんだ、何も変わらないじゃないか」というものになった直後には、「これは変わらない以上に、最悪の結果だ」と言わざるを得なくなったことも、既に書いた通りだ。

すなわち、保守党が北アイルランドのDUP (the Democratic Unionist Party) と組もうとしている。あの、ホモフォビックで創造論で地球温暖化懐疑論で「恐竜」と呼ばれるDUPと。しかも、1998年の和平合意(ベルファスト合意、通称「グッドフライデー合意」で略称はGFA)では、英国政府は北アイルランドの政治に関しては「中立」(どの側にも立たない)ことになっているのに!

それについては、少しは整理しておこうとしたものもあるので下記も参照(こういうのを参照しもせずに、「わかりづらい」などの文句をネット上に書かないでください)。

保守党がDUPに「閣外協力」を求めている……今、英国で起きようとしていることが、いかに深刻であるか
https://matome.naver.jp/odai/2149719116817721901

本エントリで初めて当ブログを見る人は「DUPって何ですか」と思われるかもしれないが、当ブログにとって「DUP」は基本用語だし、DUPについてはもううんざりするほど書いてきているので(結局うんざりしてアップロードできる状態にしてない記事もいっぱいある)過去ログをあさっていただきたい。DUPは日本の報道用語では「民主統一党」とされるが、「統一」という訳語はアイルランド(および「アイルランドの一部としての北アイルランド」)の文脈ではややミスリーディングである。「ユニオニスト」「ユニオニズム」は英国ではひとつの政治思想(the United Kingdomのunionを維持すべきという立場)なので、どうしても日本語化しないと理解できないのなら「民主ユニオニスト党」がよいだろう。DUPの「ライバル政党」であるUUP (the Ulster Unionist Party) についても同じである。

蒸し暑くてたるいので日本語圏の報道は見ていないのだが、Yahoo! Japanのようなポータルで目にする見出しを見る限り、DUPについては「地域政党」と説明されているようだ。それは完全に正しい(全然間違っていない)のだが、それだけで全てではない。なぜなら北アイルランドはただの「地域」ではないからだ。ウェールズとは違う。スコットランドとさえも違う。北アイルランドは、UK国内だけで何かを決められる「地域」ではない。

それに、DUPを「単なる地域政党」と思っていると、えらい目にあう。何しろ「国技・エクストリーム交渉」(2015年の記録を見るとわかるが、北アイルランドの外の人はこれに参加するとゲッソリやつれてしまうほど過酷である)で、シン・フェインの政治家たちを床に伸してしまうのがDUPだ。
Writing on his blog Léargas, Mr Adams said the Sinn Fein teams negotiated for 120 hours last week but most of this time was “about keeping the NIO from messing things up, about neutralising unhelpful interventions from the governments, getting rid of pre-conditions and creating the space for positive discussions between ourselves and the DUP”.

He added: “No one should think that everything is going to be perfectly hunky dory from here on if the DUP sign up to this agreement. On the contrary, the process of change will continue to challenge everyone. It is also a journey. This week’s work has prepared the ground for the next phase.

“The deprivations of this last week and all the other inconveniences like sleeping on the floor, which accompany such negotiations, are a small price to pay.”


実際、ナメてかかっていたテリーザ・メイと首相官邸はえらい目にあったのだが――「交渉」が始まってすぐにダウニング・ストリートは「合意に達した」とアナウンスしたが(そしてそれが全世界にニュースとして広まった)、すぐにDUPから「合意になど達していない」とクギをさされ(NIヲチャ的には「ですよねー」)、「合意に達したと発表したのは間違いだった」と認めるという失態をさらした。そしてそれから2週間、DUPがダウニング・ストリート10番地をカオスに叩き込んでいる様子は、ロー・キィながらも、日々伝えられてきていた。こちらはひたすら真顔キープの修行の日々だ。

ともあれ、英国時間で8日の夜に投票所が締め切られ、即時開票がスタートして出口調査の結果が公表されたときには保守党の過半数割れが確実視されていたが、おそらくダウニング・ストリートではその瞬間に「できること」の検討に入っていたことだろう。それも単純に「数」だけで考えて。

まずは2010年に今回と同じくハング・パーラメント(どこも過半数を取らず)という結果に終わったときに保守党が連立した相手のLibDems(自由民主党)との連立もしくは何らかの協力関係が検討されたに違いないが、そんなものは5秒で消えただろう。LDは強硬なまでに「EU残留」を主張している。今回の総選挙は「EU離脱」を進めるための政界がらがらぽんを意図していた。その結果、保守党とLDが連立なり協力なりすることはありえない。もちろん、LDの側からも即時、「保守党との関係お断り」との発言が出た。

他に大量の議席を持っている党といえばスコットランドのSNPだが、ユニオニスト(UKのunion維持)であるUKの主要3政党にとって、理念的に、声高に「スコットランド独立」を唱えているSNPとの連立ないし協力関係は、基本的に論外だ。(90年代に労働党がSNPの意見も聞いて、スコットランド自治というものを実現させたことは事実だが、それは「unionの維持」が前提の権限移譲だ。)

ウェールズのPCは、従来「プログレッシヴ」の立場だったが、ウェールズ自治議会の選挙を見る限り、労働党とは仲が悪くなってきていてUKIPとの関係を強化しつつあるようだが、ウエストミンスターではものの数に入るような議席数を獲得していない。緑の党も、保守党とは政策理念が相容れないということ以前に、議席数が1つしかないからこういうときに話題に上ることもない。

保守党は、長く北アイルランドのUUPと関係をもってきたが、今回、そのUUPはウエストミンスターで全議席を失った。

というわけで、「連立なり何なりできる相手」としてメイが検討できたのは、DUPだけだっただろう。

北アイルランドの「脆弱な和平」への認識があれば、そこで引き返すと思うんだよね。GFAがあるのだから。しかしテリーザ・メイという人は、北アイルランドにはまるで配慮しているそぶりはない。そもそも6月8日の総選挙実施を4月19日に告知するということ自体、北アイルランドのことを考えていたらできないようなことだ(当時、北アイルランドでは、3月の自治議会選挙後にストーモントの自治議会を再起動させるべくエクストリームな交渉が行なわれていた。その交渉が決着しないうちに、交渉当事者たちが相争うような選挙をやろうってんだから、何考えてんすか、としか言いようがない)。

まあ、それでもメイはメイなりに配慮はしたのかもしれない。だから「連立」は言い出さず、最初から「閣外協力」の線だった(DUPの側も「連立」は言い出していないと思うが。そんな、表に出るようなことより、「バックシートから操縦する」ことのほうを望むだろう)。

6月9日付けでFTはこんな見出しで記事を出していた。

Theresa May seeks to cling to power with Northern Ireland party
https://www.ft.com/content/bab19c20-4cf6-11e7-a3f4-c742b9791d43?mhq5j=e1

Mrs May’s decision to stay on as prime minister came despite several Tories calling on her to resign as leader. Although the Conservatives return as the largest party in parliament, Mrs May had called the snap election to enlarge her majority − instead, the Tories lost 12 seats.

Tory MP Anna Soubry said the prime minister should “consider her position” after running “a disastrous campaign”.

...

The deal between Mrs May and the DUP is reminiscent of the late 1970s, when James Callaghan’s Labour government remained in power after losing its majority partly with the support of the more moderate Ulster Unionist party, which lost both its parliamentary seats on Thursday night.

Mr Callaghan’s turbulent years with the Ulster Unionists could set an ominous precedent; the DUP has already sent mixed signals about its loyalty to Mrs May, with Ms Foster, the DUP leader, suggesting it would be “difficult” for the prime minister to remain in office for long.

“It will be difficult for [Mrs May] to survive given that she was presumed at the start of the campaign . . . to come back with maybe 100, maybe more, in terms of her majority,” Mrs Foster told the BBC.


実際、ここで言われている通り、「北アイルランドの地域政党」と中央の大政党との何らかの関係構築というのは、別に目新しいことではない。FTのこの記事では労働党とUUPのことが書かれているが(70年代のこれ、一種の「黒歴史」で語ろうとする人が労働党にあまりいないので、当時をリアルタイムで知る人でなければ知らないかもしれない)、保守党とUUPはもっと公式な関係にあった(直近では2009年から12年、UCUNFとしてUUPと保守党北アイルランド支部が合同していた)。

しかし、UUPではなくDUPと、というのは、新しい。

キャラハン労働党の時代、つまり70年代に、UUPが「穏健派」であったかどうかというとかなりうーんなのだが(南アのアパルトヘイト政権を担っていた与党を、たとえより過激な集団よりはマイルドだったとしても、「穏健派」とは言わないでしょう。それと同じ)、その時代のDUPといえば過激派も過激派、超過激派で、警察も警戒していた。イアン・ペイズリーは過激な活動家で警察の監視対象で、騒ぎを起こしては留置所に入れられたりしているし(ソースはピーター・テイラーの本)、ピーター・ロビンソンは武装してアイルランド共和国に越境して「侵略」ごっこをやって共和国に逮捕・起訴されてたりする。今、DUPの国会議員としてウエストミンスターに議席を持っている政治家には、その時代からのDUP党員もいる(グレゴリー・キャンベルなど)。そのころのDUPは、ウエストミンスターにとってはまさに「論外」だっただろう。

しかしその後、1998年和平合意(GFA)をUUPが推進する一方で、「何が何でもNO」のDUPがロイヤリスト/ユニオニスト/プロテスタントのワーキングクラスの支持を集めるようになり、2003年には北アイルランド自治議会で第一党となった(このNI自治議会を設置することを可能にしたGFAに、DUPは断固反対しているのだが、そういう皮肉なことになるのは、アイルランドでは特に珍しくない。というか、選挙ってそういうものだよね。その点、Brexit後の英国会をBrexit支持者で固めることができると考えたテリーザ・メイは実に浅いと思うのだが)。

でもそのころ、ウエストミンスターの議会では「政権の安定性」など真剣に検討されることではなかった。イラク戦争という愚行がありながら、ニュー・レイバー(労働党)のトニー・ブレアの安定性は揺るがなかった(だからニュー・レイバーの連中はあんなにも傲慢で尊大だったのだが)。2003年にNI自治議会でDUPがUUPを凌いだあとのウエストミンスターの選挙(総選挙)は2005年に行なわれたが、このときは労働党は48議席減とはいえ、355議席を勝ち取り(その前、2001年の選挙結果が400議席超えてたからね、異常)、「安定」のために汲々とする必要などまるでなかった。

その後、2007年に(ようやく)トニー・ブレアが退陣してゴードン・ブラウンが労働党党首となり、自動的に英国の首相となると、「お前は選挙で選ばれていない」だとか「解散総選挙しろ」だとかいった圧力は強まったが、ブラウンは(慣習法での)5年の任期を待ち、2010年まで選挙はしなかった。

そして行なわれた2010年の総選挙で、当時トニー・ブレアをコピーしたような「リベラル」なイメージで売っていたデイヴィッド・キャメロンの保守党が、嫌われ者のブラウンの労働党を凌いで第一党となったが、キャメロンの保守党はあれだけの追い風にも関わらず過半数を取れず、LDと連立することで何とか過半数を取って連立政権を発足させた……のだが。

この選挙でのことは当ブログには記録してあるので、関心がある方は各自あさっていただきたいのだが、ものすごい久々に二大政党のどっちも過半数を取らない「ハング・パーラメント」という結果を得て、メディアが「パニック報道」じみたモードになる中、二大政党はそれぞれ「数」を得ようとあの手この手の画策を開始した。特に、数の上で第2党だった労働党の「スピンドクター」の暗躍は胃がむかむかするようなものだった(「暗躍」といっても、新聞に論説を寄せたりあれこれ情報を流したりするようなもので、KGB的なものとは違うのだが)。このとき保守党が306議席、労働党が258議席で、LDの57議席が労働党に加われば315議席で保守党の議席数を上回る。このため、労働党+LDの連立政権という可能性が、真剣に取りざたされていたのだ。マンデートなんかありゃしないのだが、ウエストミンスター・システムの政治は「数」だ。議会全体の過半数、326議席をとるには、労働党と繋がっている北アイルランドの「地域政党」であるSDLPの3議席に加え、ウェールズのPCの3議席と緑の党の1議席に……などという計算が真面目になされていた。

そのとき、8議席を有していたDUPは、労働党にとってさぞや魅力的だったことだろう。だが、私が記憶している限り、労働党がDUPに正式に話を持ち込んだということは報じられていなかった。「打診」程度はあったのかもしれないが、それは正式な話ではない。

だが今回、テリーザ・メイの保守党が「数」のために正式にDUPに話を持っていき、「DUPなんかと(非公式とはいえ)連合しようとするなんて!」という(ややヒステリックな)反応が引き起こされたあと、「労働党だって同じことをしようとしてたんだぜ」という情宣がネット上で行なわれていたようだ。いわく、2010年の総選挙後にゴードン・ブラウンがDUPに話を持っていっていたのだ、と。








Redditのスレが参照しているのは6月11日付のMetroの記事で(ちなみにMetroはデイリー・メイルの系列である)、この記事は「発言の紹介」だけで、追加の情報があるわけでもないし、裏も取ってない(「記事」というより「まとめ」に過ぎない)。しかしそれが「報道」として広範囲に流される……いわゆる「フェイク・ニュース」の流れ方と同じだ。

このスレでwreatheというユーザーが「さくっとググってみた」といって2010年の記事をいくつか列挙している。ゴードン・ブラウンとDUPで検索して、めぼしいものを拾ったのだろう。最初のはウエストミンスターの政治とは関係のない話(北アイルランドの和平プロセスの話)。2番目は5月の選挙直後、5日付の記事で、北アイルランドのジャーナリスト(エイモン・マリー)によるガチの記事。選挙の結果、過半数には遠いながらも第一党になった保守党のキャメロンがDUPと手を結ぶのではないかと見られていたことがわかる(が、キャメロンはそうしなかった。あの人は、北アイルランド和平についてはメイジャーからブレアへと引き継がれてきた流れをよく理解していたと思う)。

そして3番目が6日付のデイリー・テレグラフ記事で、DUPのピーター・ロビンソンが公開したゴードン・ブラウンからの書簡についてのものだ。ロビンソンは、DUPが保守党の提案する緊縮財政に反対していることを明確にしており(ただしそれは「北アイルランドにおいて」の話)、また当時UUPが保守党と連合してUCUNFという集団だったことから、「保守党&UUPか、労働党&DUPか」という立論をしている。(DUPは「保守」政党だが、経済政策ではいわゆる「大きな政府」志向。だがそれも「再分配」志向というか、税収を頼みにするというより、(特に企業税を)減税しておいて、補助金を受けるというような感じ。)

しかしこれは、LDが保守党との連立にYesと言ったことで、「第2党の労働党があちこち寄せ集めて何とか過半数を取る」という目論見が崩れ去ったときに、そのまま立ち消えになった。

ただし、「労働党のゴードン・ブラウンがDUPに話を持ちかけた」という事実だけは消えない、というわけだ。

その攻撃は、「あのときのゴードン・ブラウンと同程度に破れかぶれになっているテリーザ・メイってどうよ」という反撃を簡単に誘発するものでしかないのだが、ぱっと見の印象では「うぬぬ、労働党の偽善がー」というさらなる共感となって広がるだろう。グイド・フォークスやデイリー・メイルが得意な煽動ではある。

まあ、ぶっちゃけ、本質的には「DUPのようなトンデモ政党に協力を要請したこと」が問題なのではない。そういうことなら2008年(ブラウン政権)下院で対テロ法を押し通すときにも行なわれた

今回メイがやったことは、そのようなワン・イシューごとに協力を取り付けることではなく、政権そのものを維持するために協力を取り付けることだった。そしてそのことはGFAでの「英国政府とアイルランド共和国政府は中立(いずれかの勢力に肩入れしない)」という前提をひっくり返した。

DUPは元々、GFAなど屁とも思っていない。その延長線上に自分たちの権力があることを、一応認識はしているのだろうが(だからこそ「シン・フェインとのパワー・シェアリングに賛成した根拠はGFAではない。セント・アンドルーズ合意だ」と強調しているのだ)、GFAのことはたぶん全然気にしていない。あの合意を勝ち取るための交渉において、DUPは部外者だったのだ。UUPやSDLPやシン・フェインやPUP(UVFの政治部門)やUPRG(UDA関連)が交渉している間、その外で「反対、反対」と叫んでいたのだ。最終的に、交渉の場で納得できずに席をけって退席し、当時属していたUUPを離党してDUPに鞍替えしたジェフリー・ドナルドソンは、今では「サー」つきの身分になって(なぜ彼が「サー」になってるのか、私は知らない)、「DUP所属国会議員の大物」として、DUP下院議員団のチーフであるナイジェル・ドッズと並んでダウニング・ストリート10番地前に立ち、また、メイの保守党の側の代表者と合意文書を交わしている。

GFAに基づく北アイルランド和平プロセスに、今回のテリーザ・メイの愚かな選挙とその結果がどのように影響するのか、また影響しうるのかは、まだ読むべきものを読めていないので、いずれ改めて。

以下、今回の合意成立のニュースに関するツイートのログ(少しだけ)。Twitterでバズっていた「カネのなる木」は、総選挙前にジェレミー・コービンやダイアン・アボットの政策を揶揄して保守党筋が使っていたフレーズ(「大学の学費を撤回? 財源はどうするんです? 金のなる木はありませんよ!」、「警察の人員維持? 財源は(略」という調子だった)。あと、「事実上の連立政権」ということで、DUPCoalitionというフレーズが反対派の間で使われているが、これはCoalitionというのは不正確だ(pact, allyなどなら正確)。




































保守党と保守党を支えるメディア(The Sun, the Daily Mail, the Daily Telegraph, the Timesなど)は、ジェレミー・コービンの労働党を攻撃するため、"Coalition of chaos" というフレーズを多用していた。「労働党が第一党になるにしても単独過半数はないだろう。その場合、労働党は誰と連立するのか。UKのunionをぶっ壊そうとするSNPなどナショナリスト政党か。そんなものはカオス連合(coalition of chaos) だ」。

6月8日の選挙後、そのフレーズがそっくりそのままブーメランでテリーザ・メイの頭に突き刺さっている。「NHSや警察や大学のためにはメイがどこにもないと言っていた金のなる木を、メイは見つけた!」という立て札もいっしょに。

だが、"coalition of chaos" というフレーズがメイの頭に突き刺さったのは、もう2週間も前のことだ。そんなもののインパクトはもう薄れている。グイド・フォークス・ブログなどは元気にカウンター情宣を展開している。

目の前に見えるブリテンは、まるで北アイルランドのように、分断されているように感じられる。

一方の北アイルランドは、DUPがもぎとってきたカネで分断のあちらもこちらもウハウハしている。

アイリッシュ・ニューズ(ナショナリスト側に軸足のあるメディア):



※この記事は

2017年06月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:00 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/451274513
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼