kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年08月08日

アイルランドが荒波に翻弄されすぎな件(一夜にして現れた砂浜の話)

1つ前のエントリで言及した山本正氏の『図説 アイルランドの歴史』(河出書房新社「ふくろうの本」)には、下図のような帯がかかっている(オレンジ色なのはシリーズ共通で、アイルランドの文脈でいう「オレンジ」とは関係ないと思うが、それでも何か笑ってしまう)。

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歴史の荒波に翻弄された「妖精の国」「緑の島(エメラルド・アイル)」
古代から現代までを俯瞰する画期的通史!
(略)
豊かな文化を育むも苦難の歴史を歩んできた
アイルランドのすべてがわかる! 決定版!


「歴史の荒波」というのはただのクリシェ(常套句)だが、アイルランドを翻弄した「歴史の荒波」ならぬ、「リアル世界の荒波」の記事が出ているのに気づいたのは、8月5日の夜だった。本はまだ本棚から取り出したままになってて、この帯の「荒波に翻弄」の文字列に、しばしにやにやしていた(傍から見たら相当不気味だ)。

アイルランド島の西海岸、島の上半分(北半分)で一番出っ張ったあたりにあるメイヨー州アカル島 (Achill Island)。島だが本土とは非常に近く、橋でつながっている。この島の名で画像検索すると、うちら凡人が「アイルランド」と聞いて思い浮かべるような、丈の短い草が表面を覆っているだけの、でこぼこした岩肌っぽい土地に海、という写真が多く並んでいる(中には羊がもこもこしているものもある)。

アイルランド島の西海岸は大西洋からの強風で土が吹き飛ばされてしまうため、木が根を張ることができず、森・林や茂みのようなものがなく、ただ芝生のような草が地面を覆っているということを初めて知ったとき、ちょっとほっとくと木々の間に蔦やら葛やらが繁茂して濃密な空間をつくる日本のこの環境ではそこらに出るのは「お化け」や「妖怪」や「キツネ、タヌキ」だが(私の曾祖母は生前、「若いころに山でキツネに化かされたことがある」と言っていた)、アイルランドでは彼らが潜む木の陰もないから、「妖精」なんていう可愛いものがふわふわと飛んでたりするんではないか、などという他愛もないことを思った。

妖精が実在するとは、もちろん私は思っていない。しかし、妖精がいると考えた人々は実在した。その人たちがそう考えたのは、そういう考えにつながるような不思議な出来事があったからだろう。曾祖母が「キツネに化かされた」と考えたような不思議な出来事に遭遇したように。

そして、アイルランドで昔、人々が「妖精がいる」と考えたのは、こういうことがある(あった)からかもしれない、というニュースに私がネットで遭遇したのは、今年5月のことだった――メイヨー州のアカル島というところで、33年前、荒天の中消えてしまった砂浜(砂が全部なくなってしまった)が、一夜にして復活したというニュースだ。




33年前に消えた砂浜が、一夜にして復活する(蘇る)という、どう考えても「妖精のしわざ」としか思えない――いや、思いたくないようなこと(詳しくは上のリンク先を参照)が起きてから3ヶ月近くが経過し、現地はとっくに夏休みシーズン。

Achill Islandの画像検索をするとサーフボードを持った人がビーチに下りていく写真があったりもするので、この島はサーフィンで有名なのかもしれないが、突如33年ぶりに現れた砂浜もまた、多くの人が訪れているようだ。

多くの人といっても、世界的なリゾート地とは違って地元の人・近隣の人が海水浴やサーフィンに行く程度だし、そういう海水浴場でも日本のそれのように混雑しているわけではなさそうだが。




ガーディアン記事のTwitter Cardの写真がちょっとドキっとしてしまうような写真だが、セクシーさの欠片も感じられないような単なるすっぽんぽんという写真が物語る通り、非常にリラックスした、まったりとした内容の記事だ。

アイルランド島の東海岸の都市、ベルファスト在住の記者は、車で島の反対側までやってきた。件のビーチがある村は、L (Keel) とM (Keem) の真ん中という言語学的には不可能な位置(笑)にあり、Dooaghという。場所はここ:


私には、この地図だけではほぼ何もわからないが、海に詳しい人(船に乗る人、釣りをやる人、サーファーといった人々)ならこれを見るだけでも何かピンとくるものがあるかもしれない。

この村の砂浜は、33年前の1984年の嵐のときに砂がほとんど全部持っていかれて以来、岩地を薄く覆う砂の上に、大きな石などがごろごろと転がっているというかなり荒涼とした光景になっていた。その砂浜に、今年、一夜にしてふかふかの砂が戻ってきた。

取材に訪れたガーディアン記者は、この砂浜で、犬を連れた近隣の人や泳ぎに来た人と出会い、話をする。この、記者と人々との邂逅が、何と言うか、とてもよいのだ。例えばこんな感じ。

While I am chatting to Marie and John, a woman approaches and asks John if he ever knew a Mrs Kilbane way back. John says there was a man called Kilbane who drowned with two friends while fishing at night for salmon, and wonders whether she might have been related to him. The woman – her name is Terry Hennessy, Moran as was – says she doesn’t know anything about a drowning. She hasn’t been on Achill since she was “a young one”. “I’m 44 years married, so it must be 50, 51 years,” she says. Then, all she did was dance every night – “and we weren’t even drinking”. She introduces us to her husband, Louis, and daughter Jan. They live in Kildare town, on the opposite side of Ireland, but were in Westport, an hour’s drive away, the previous night for a wedding and, with Dooagh being in the news, thought they would make the journey. Louis has never been on Achill. Jan was here once for an adventure holiday, though possibly a different order of adventure from the one Terry remembers. “The west of Ireland fellas were mad-out.”


ひとつの環が閉じぬうちに、別の環につながっていくこの感じ。そして語られる33年という時間の流れと、現実的なこと(「ブルー・フラッグ・ビーチ」、すなわち「遊泳・海水浴に適した水質と環境を有するビーチ」として国家が認定する場所のこととか、「60年代や70年代は夏の海水浴といえばAchillだったけど、最近ではみんなスペインなんかに行ってしまう」という話とか)。一夜にして砂浜が現れるなんて夢の世界のお話のようだけど、ここは夢の世界じゃない。アイルランドだ。でも……

Mind you, she tells me that the “crowds” of tourists she sees every morning walking down on to Dooagh strand are taking their lives in their hands: this was never a beach where you would have taken your kids. Yet I am looking past her shoulder at several children playing happily in the sand, including the toddler daughter of Linda Brownlee, the photographer, whose family have been coming to this part of Achill for 20 years. Linda’s sister-in-law, whose children are on the beach, is Eileen Ryan, née Kelly – Marie’s niece.

“We always swam here,” Eileen says, “and surfed.” (“Eileen is a lifeguard,” Marie says. “Used to be,” Eileen says. “You don’t stop,” says Marie.) Eileen’s husband, Mick, remembers noticing more sand at Dooagh around about the St Patrick’s weekend. When I tell him I’m still finding it hard to imagine that thousands of tonnes of sand could be thrown up, just like that, he takes me up to the rocky part of the beach and shows me a couple of broken slabs of concrete with rusted metal poles sticking out of them. Those were bicycle stands, he says, dislodged from the car park in the last really big storm three or four years ago, when there were waves in gardens 30ft back from where we are standing. Don’t underestimate the power of the sea, in other words. All the same, he thinks there may have been “a whole load of balloons” sent up about the miraculous return: an opportunity seized on to generate much-needed publicity.


こんな記事、読んだら目がとろーんとなって、頭がぽやーんとなってしまう。

Much later, as the sun is getting round to thinking about going down (we are very far west: the sun is in no great hurry), I spot another couple walking in the shallows arm in arm, him with his trousers rolled up and his shoes in his hands. When they arrive back at the car park, I ask them whether they have come here specially to see the beach. No, the man says, they live on Achill. They have walked this beach many a time.

Even when it was stony?

“Even when it was stony.”

You must prefer it now that it’s sandy.

“It’s easier on the feet, all right.”

And what if the tides were to surge again next winter and take away those thousands of tonnes of sand?

“Well, the sound of the waves on the stones was nice, too,” he replies evenly.


記事の最後は、かつてサメ漁の漁師だった80代のマイケルさんの話。地元の人で、この島の海岸についてはだれよりも詳しいという人。

記事を読み終わるころには、私の頭は完全にぽわーんとなっている。

それはきっと、私が外国人だからではない。ロンドンで、ダブリンで、ベルファストで、エディンバラで、カーディフでこの記事を読む人の多くが、同じようにぽわーんとなるだろう。

この流れ。潮の流れ、時間の流れ。

そして、この記事を読んだあと、この島についてウィキペディアやマップなどで基本的な情報を調べようとしてGoogle検索したときに、2014年のこんなBBC記事があることを知った。出た当時は私は読んでなかったと思う(今初めて見たと思うので)。

The Irish island that children learn to leave
20 August 2014
http://www.bbc.com/news/magazine-28690534

アイルランドのバブル経済(「ケルトの虎」)が崩壊してIMF+EUのベイルアウトを受けることになったころの記事だ。アイルランドの田舎(特に西海岸)からは常に人(若者)が都会に出て行っていたが(映画『Kings』がそういう映画だったよね。西海岸からロンドンに移り住み、建設業で大物になったアイルランド人の物語)、この記事が報告しているのは、アイルランドからどんどん人が出て行くという厳しい時代のことだ。

2017年の今はどうだろう。2016年のBrexitのあと、非常にゆっくりとしたペースで進んでいく「EUと英国との離婚」のため英国を後にするEUの機関や国際的な企業は、新たな拠点を英国と同じ英語圏であるアイルランドに見出そうとしている。

つい2ヶ月足らず前に、人種的マイノリティ(インド系とアイリッシュの混血)でなおかつカムアウトしたゲイ男性としてアイルランド共和国で初めて首相となったレオ・ヴァラドカーは、8月5日の「ベルファスト・プライド」に合わせて北アイルランドを初訪問したが、レインボー・カラー的な意味で北アイルランドの保守的な層(社会のごく一部と思われ)をこじ開けると同時に、Brexit後の「アイルランド全体」(島全体)について実は何も考えていない英国の首相や閣僚たち(「最新テクノロジーを導入すればボーダーの問題は解決できる」とかいっちゃうくらいお花畑)の態度と発言で、北アイルランド(とアイルランドでも北アイルランドに関心が高い界隈)では熱い注目を浴びている。

何しろ、このアカウントがこの調子ですよ。




アイルランドを洗う次の波は、たぶん夏休み明けにやってくる。

ちなみにAchillのような西海岸の厳しい環境の土地は、歴史をさかのぼれば、クロムウェルのアルスター入植によって東側のベルファストなどから追い立てられた「原住民」が移住した場所である。



本稿で言及した本:
4309762530図説 アイルランドの歴史 (ふくろうの本)
山本 正
河出書房新社 2017-04-24

by G-Tools

※この記事は

2017年08月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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