kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年06月02日

「和平の象徴」としてのイアン・ペイズリーと私のウンザリ

以下、6月1日付けのエントリ、「イアン・ペイズリーが引退、ピーター・ロビンソンがDUP党首に」の続き。

If you tell a lie big enough and keep repeating it, people will eventually come to believe it.

十分に大きな嘘を何度も何度も繰り返せば、人々は信じるようになる。


ナチス・ドイツの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉として伝えられるこの言葉は、実際にはウィンストン・チャーチルを批判した文の一節であるそうだが(つまり、「英国は大嘘を繰り返している。あまりに何度も繰り返すから人々がすっかり信じ込んでいるではないか」という話)、なんかもうほんっとそういう気分。

イアン・ペイズリーはman of peaceである、ブライアン・キーナンもman of peaceである、っていう例のあれのことなんですけど。

ペイズリーは北アイルランドの宗派感の憎悪・暴力の扇動者だし、キーナンはIRAの暴力(武装闘争)を主導した人たちのひとり。それが事実。

ただし、どちらも、1998年GFA以降の「和平」において、キーとなる動きをしたのも事実。でもそれって、他の人たちの動きがいろいろとあって、最後の最後に、あの人たちが動いてくれないと事態は動かない、というところで動いた、という話で、最初っから「和平/平和」に尽力してたわけではない。

いやぁ、わかっちゃいるけどそろそろほんとにウンザリしてきた。(これ以上ウンザリ感が高まると、そのことについての関心を失ってしまうというところまで来ていて、そろそろやばい。だからあえてブログで言葉にしてみました。)

というところで、イアン・ペイズリーの引退式についてのBBC記事。記事を書いた人の署名がない。こういう調子の「解説」っぽい記事は、BBC NIでは署名記事になることが多いのに。

Happy return to Balmoral grounds
Page last updated at 22:19 GMT, Friday, 30 May 2008 23:19 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7428830.stm

引退式が行なわれたベルファスト南部のthe Balmoral Showgroundsでは、毎年、イアン・ペイズリーは農業ショーを視察してDUP支持者と言葉を交わしている、といったことが最初に書かれ、選挙のときは開票所となる場所であることが書かれ、そして、1998年のグッドフライデー合意のときには「反対」運動を主導してきたペイズリーにとっては「大敗北」を喫した場所である(GFA承認についてのレファレンダムでは圧倒的多数が「賛成」と投票した)ことが書かれていて、「GFA賛成のロイヤリストは、ホールから出るペイズリーを罵り、この恐竜め、お前の時代は終わった、といった言葉を投げつけたものだった」という内容のことが書かれている。

それから、「しかし、ペイズリーは、自身が述べるように、皮の分厚い生き物(a thick-skinned beast)であった」と展開し、次のように書いている――これは、ペイズリーを「賞賛」している一節である、といってもよいだろう。
He took the taunts, rebuilt his position, undermined his unionist rival David Trimble, and in the end succeeded in his aim, making the DUP the biggest unionist party.

彼は罵倒を甘受し、体勢を立て直し、ライバルであるデイヴィッド・トリンブルを崩し、最終的にはDUPを最大政党にするという目的を達成した。


そして、GFAから10年後、再びこのバルモラルのキングズ・ホールに来たペイズリーは、今度は批判を浴びせられることもなく、ただ支持者から喝采を送られている、と続く。

引退式には数百人が集まり、「イアン・ペイズリーのこれまで」をまとめた映像を見た、その映像にはヴィヴァルディの『四季』が用いられていた、とあるのだが、じゃあ最後は「冬」か? いや、たぶん「冬→春→夏→秋」じゃなかろうか、とひそかに思う。(笑)

それと、『四季』という点ではもうひとつ。昨年の自治議会再起動イヴェントのときのスピーチで、ペイズリーは、the Byrdsのカバーしたピート・シーガーのTurn Turn Turnに用いられている聖書の一節 (To everything, there's a season ...) を壇上で引用して、「紛争」の季節の終わりを告げていた。

その部分を少し引いておこう。
To every thing there is a season, and a time to every purpose under the heaven:

A time to be born, and a time to die; a time to plant, and a time to pluck up that which is planted;

A time to kill, and a time to heal; a time to break down, and a time to build up;

A time to weep, and a time to laugh; a time to mourn, and a time to dance;

A time to cast away stones, and a time to gather stones together; a time to embrace, and a time to refrain from embracing;

A time to get, and a time to lose; a time to keep, and a time to cast away;

A time to rend, and a time to sew; a time to keep silence, and a time to speak;

A time to love, and a time to hate; a time of war, and a time of peace.

http://en.wikisource.org/wiki/Bible%2C_King_James%2C_Ecclesiastes


ペイズリーは「愛と平和の季節」の人ではない。「憎悪と争いの季節」の人だ。ペイズリーがあれほどに煽動しなければ、UVFもUDAもあれほど勢いづくことはなかった。(だったらIRAがどうだったか、についてはただの憶測しかできないのでここでは差し控える。)

しかしながら、「引退」の段になって、ペイズリーは「平和の季節」の人として描かれるのだ。

That seemed a fitting theme for a leader who has been a man for all seasons - sometimes a rabble-rouser, at others a devoted family man, often a by-word for intransigence, but in the final extraordinary year of his leadership a symbol of reconciliation, a man who forged an unlikely partnership with Sinn Fein's Martin McGuinness, someone who for decades had been his bitter enemy.


こういう記述のどこがどうおかしいのか、それを言葉にしようとするとムカムカして書けなくなる。

何が「和解の象徴」ですって? 同じことを、「ユニオニストの大義」のために殺し、殺され、家を追われた人たちに言ってごらんなさいってんだ。

DUPが少数勢力だったときに、誰がDUPを「民主主義として無視できない存在」と扱っただろう。シン・フェインだって同じことだ。

「北アイルランド和平」ってのは、憎悪の扇動者のイアン・ペイズリーと、IRA司令官のマーティン・マクギネスが「チャックル・ブラザーズ」になって、めでたしめでたし、という物語なのか? そうではあるまい。

ペイズリーが撒いて植えつけた「憎悪」の種はあまりにも深く根付いているし、マーティン・マクギネスに至っては、「民主主義」の名を借りて何をやっている/やってきたんだ、という。

こんな記事、読み流せばいいのだが、それができない。というのは、これは明らかに、「あのように頑なだったペイズリーを翻意させたのは、トニー・ブレアの功績」というトーンに裏打ちされているから。

ヘイ・フェスティヴァルのガーディアン・ポッドキャストでジョナサン・パウエル(英外務省出身)が明確にそういうことを語っている。それだけではない。しばらく前から、英国が「テロリストと対話」というのを、「あの北アイルランドで成功したたったひとつの冴えたやり方」みたいに位置づけてプロモートしようとしていて、つい先日は、よりによって北アイルランド警察のトップが「アルカイダとの対話をすべき」と述べるということになってきて、要するに「NIメソッド」が「確実な何か」としてそこに現れようとしている。

これが気持ちが悪いのは、この「メソッド」には「根本原因 root cause」への視座もなければ、「責任追及」への姿勢もないからだ。

「チャックル・ブラザーズ」という「和解の象徴」の影で、「戦争の季節」の汚いものは隠蔽されている。

どこまでが「IRAの過激派の分派」でどこまでが「英当局のスパイ」だったのか判然としないオマー爆弾事件は、事実上実行犯の特定と訴追は断念され、現在は「民事訴訟」という形で裁判が続いている(Real IRAに対する賠償請求)。

「紛争」の時代の、英当局とロイヤリスト武装組織(テロ組織)の「癒着」の典型事例である2つの事件は、一方は真相追及がほぼ絶望的(パット・フィヌケン殺害事件)、もう一方はつい先日、いろいろと重要なデータの入ったディスクが紛失(ローズマリー・ネルソン事件)。(フィヌケン事件では、事件のすぐ後に立ち上げられた調査委員会が集めた資料の保管庫が放火されている。)

いろいろと「英国的」な感じがするし、これが「現実」ってもんなのかもしれないが、それにしてももういいかげんウンザリだ。

ペイズリーの引退式に招かれたゲストの中にマクギネスがいなかったことについて、BBC記事は「DUPの支持者にとっては、彼が来ることは耐え難いことだっただろう」とか書いているが、その直前に「和解のシンボル」と書いておいて、よく言うよ。「支持者」が実際に見ることはいやがるものが「シンボル」かよ。冗談がきつすぎる。

それを隠蔽するかのように(笑)、記事では、英国の政界から下院議長やNI担当大臣、ウェールズのファーストミニスターが招かれていたことを書き、かつてペイズリーが最大の敵のひとつとしていたアイルランド共和国政府からは、首相がメッセージを送ってきた(しかもその首相に対し、ペイズリーはかつて「たらこ唇 fat lips」と呼んだ、とかいう話も)、ということが書かれている。

ああそうですか。

続けて、ピーター・ロビンソン新党首がペイズリーを「アルスターの最も偉大な指導者」と讃えたとか、ペイズリーのスピーチは、いつものと比べれば穏やかなものだったとか、そういう「レポート」の部分。

His speech, low key by his standards, ran through his life, emphasising his spiritual values and his opposition to alcohol and gambling.

このBBC記事はかなり遠回しに書いてるけど、別のBBC記事だっけか、「キリスト教根本主義の説法」って言ってたよね。それ自体特に珍しいものでもないと思うけど。

ペイズリー的には、「かつて警察の人々を殺して回っていた連中が、現在では警察を支持している」ことが「紛争」の季節の終わり、ということのようだ。(ただし、「まだ完全な終わりではない。アーミーカウンシルが解散するまでは」という展開があるのだが。)

で、総体的には10年前の(GFAのときの)キングズ・ホールと比べて、今回はずっとハッピーなビッグ・イアンなのでした、という結び。ばかばかしい。

どうでもいいけど、この引退式のディナー、一人分が£100だったそうです。

※この記事は

2008年06月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:45 | Comment(0) | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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「彼はman of peaceであった」という《歴史の書き換え》がなされるときに(イアン・ペイズリーに寄せて)
Excerpt: イアン・ペイズリーの死については、大量の文章が書かれ、それ以上に大量のツイートがなされた。既に前項で一部を記録してあるし、前項に入れてあるChirpstoryのアーカイヴでも記録はしたが、それではとて..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2014-09-15 01:24





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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