kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年02月21日

「スクーン・ストーン」と「ブラーニー・ストーン」



アイルランドのコークにあるブラーニー城の「ブラーニーストーン(雄弁の石)」が偽物なのではないかとの研究についてのAFPの記事だが、何かわかりづらいので調べてみた。(スコットランドとアイルランドのナショナリズムが絡んだ話だけに、かなりややこしいのだが。)

この記事は、たぶん、英文で読んだ方がわかりやすい(話をはしょっていないので)。
http://www.news.com.au/story/0,23599,23249433-38200,00.html

日本語のAFP記事がわかりづらいのは、写真がちょっとミスリーディングなせいもあるかもしれない。写真は「英ロンドンのウェストミンスター寺院のイングランド王戴冠用のいすの下に据えられた『運命の石(Stone of Destiny)』、1952年2月26日撮影)」だそうだが、この石はブラーニーストーンではない。ブラーニーストーンの写真は、ブラーニー城のサイトを参照。なお、英国/イングランド史方面では、AFPの記事の写真の石は、"Stone of Destiny" よりも "Stone of Scone"(「ストーン・オヴ・スクーン」と読む。「スコーン」ではなく)と呼ぶほうが通りがよいのではないかとも思う。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stone_of_Scone

さらにこの「スクーン石」について、ウィキペディアから
Traditionally, it is supposed to be the pillow stone said to have been used by the Biblical Jacob. According to one legend, it was the Coronation Stone of the early Dál Riata Gaels when they lived in Ireland, which they brought with them when settling Caledonia. Another legend holds that the stone was actually the traveling altar used by St Columba in his missionary activities throughout what is now Scotland. Certainly, since the time of Kenneth Mac Alpin, the first King of Scots, at around 847, Scottish monarchs were seated upon the stone during their coronation ceremony. At this time the stone wassituated at Scone, a few miles north of Perth.
この石は、聖書のヤコブが使っていたピロー・ストーンであるとされている。一説によると、ダルリアダ王国のゲール人がアイルランドに住んでいたときに王の戴冠式に用いていた石で、彼らがカレドニアに渡ったときに持ってきたとされる。別の説では、この石は聖コルンバが現在のスコットランドの地で布教活動をした際に持って歩いた移動式祭壇だという。事実としては、847年ごろにケネス1世がスコットの王だったころには、スコットランドの王はこの石に腰掛けて戴冠式を行なっていた。このときこの石は、パースの北数マイルのところにあるスクーンにおかれていた。

Another tradition holds that, in gratitude for Irish support at the battle of Bannockburn (1314), Robert the Bruce gave a portion of the stone to Cormac McCarthy, king of Munster. Installed at McCarthy's stronghold, Blarney Castle, it became the Blarney Stone.
別の説では、1314年のバノックバーンの戦いにアイルランドが援軍を送ったことに感謝したロバート・ザ・ブルースが、この石の一部をマンスター王コーマック・マッカーシーに送ったという。それがブラーニー城に置かれ、ブラーニー・ストーンとなった。


で、「スクーン石」は、AFPの記事には「ロバート・ザ・ブルースが1314年の戦いで援軍を送ってくれたアイルランドのマンスターの王にお礼として石の一部を送ったあとでイングランドに持ち去られた」ように書かれているが、スクーン石をロンドンに持っていったのはエドワード1世@1200年代末じゃなかったっけ、と思ってウィキペディアを見るとやはりそう書いてある。(ウィキペディアがソース、というのもちょっと心細いのだが、ここはお手軽に。)

1296年にエドワード1世がウェールズの後に手を伸ばしたスコットランドから戦利品として持ち帰り、ウェストミンスター修道院で木製の椅子(St. Edward's Chair)にはめ込まれた(これによってエドワード1世は、ウェールズを吸収したイングランドと、スコットランドを統べることをシンボライズした)。以後、歴代のイングランド王はこの椅子で戴冠するようになった。

ということになっているが、エドワード1世がスクーン石を持ち去ろうとしたときに、スクーン城の人たちが本物を隠したのではないかとかいう説もある。その裏づけは、スクーン石について残されている文書にある特徴が、今の「スクーン石」と一致しないことだそうだ。

1328年にスコットランド王国とイングランド王国の間で和平交渉があり、エドワード3世が石をスコットランドに返却することに合意したが、それは和平条約には組み込まれておらず、以後600年にわたって石はイングランドに留め置かれた(というのはウィキペディアの記述ですが、スコットランドのナショナリズムの影響を強く感じます)。このあとちょっと、イングランドとスコットランドの関係についての詳しい記述があるのだけどそれは飛ばして20世紀。

1950年の12月25日にスコットランド人の学生4人がウェストミンスター・アベイに侵入し、この石をスコットランドに持ち帰るため運び出した。このときに石は2つに割られ、別々の車で、この学生たちによって密かにスコットランドに移動された。そしてグラスゴーである大物政治家に渡されて、石工のロバート・グレイによって修復が行なわれた。それからスコットランド国教会がこの石を修道院に保管していたが、ロンドンの警察が居場所を知らされて、結局はウエストミンスターに戻された。(1950年ごろというと、スコットランドのナショナリズムがかなり先鋭化していたころではないかと思います。)

で、このときにロンドンに戻ってきたのはレプリカではないかとか、いろいろな説があるらしい、と。

そして最終的には1996年(メイジャー政権)、英国政府はスクーン石を、戴冠式に使わないときにはスコットランドに置くべきであると決定し、同年11月15日にイングランドとスコットランドのボーダーで引渡しの式典が行なわれて、エディンバラ城に移された。

――というのが、Stone of Scone(またはStone of Destiny)の来歴で、これ自体はアイルランドにあるブラーニー・ストーンとはあまり関係がない。関係があるとすれば、「13世紀末にエドワード1世がイングランドに持っていったスクーン石はすりかえられた偽物で、本物はスコットランドにあった」という説だろう。じゃなければ14世紀にロバート・ザ・ブルースが「援軍サンクス、まじ助かった」っていってアイルランドに石をプレゼント、ということはできない。つまりこの説は、「反イングランド」なものが根底にあるのではなかろうか。(スクーン城はイングランドを出し抜いた、奴らは偽物を持って行った、みたいな。)

ブラーニー城のサイトでの説明では、「スクーン石はイングランドに持っていかれた」ということがまったく書かれていない。(^^;)
http://www.blarneycastle.ie/pages/stone
Some say it was Jacob's Pillow, brought to Ireland by the prophet Jeremiah. Here it became the Lia Fail or 'Fatal Stone', used as an oracular throne of Irish kings ... . It was also said to be the deathbed pillow of St Columba on the island of Iona. Legend says it was then removed to mainland Scotland, where it served as the prophetic power of royal succession, the Stone of Destiny.

When Cormac MacCarthy, King of Munster, sent five thousand men to support Robert the Bruce in his defeat of the English at Bannockburn in 1314, a portion of the historic Stone was given by the Scots in gratitude – and returned to Ireland.

Others say it may be a stone brought back to Ireland from the Crusades - the 'Stone of Ezel' behind which David hid on Jonathan's advice when he fled from his enemy, Saul. A few claim it was the stone that gushed water when struck by Moses.

Whatever the truth of its origin, we believe a witch saved from drowning revealed its power to the MacCarthys.

# なんか、とてつもなくスゴい話になっているんですが。モーゼまで出てきてるし。

で、今回のAFPの報道の要は「スクーン石」はほとんど関係がなくて、「ブラーニー・ストーン」として知られているものの「現在の石は安全衛生面の理由から1888年に使い始められたもの」という指摘を、「考古学者で建築史家のマーク・サミュエル(Mark Samuel)氏とケイト・ハムリン(Kate Hamlyn)氏」が著書でおこなった、ということだ。しかし、ブリテン島とアイルランドにおいては「考古学」という分野は政治的主義主張、ナショナリズムとのつながりがとても深いということがあるので、いろいろと背景を見ないことには何ともいえないと思う。あるいは、結局は「観光アトラクション」となっているあの有名なブラーニー城の目玉が実は・・・という商売的な話なのかもしれない。

で、そこまでの興味もリソースもないので調べるのは中断するけれども、件の書籍は下記のものらしい。何かスゴそうだけれど。
Blarney Castle: Its History, Development and Purpose
Mark Samuel , Kate Hamlyn
Published by Cork University Press
http://www.styluspub.com/Books/BookDetail.aspx?productID=138805
This new book sets the castle in a wider context which includes aspects of social, architectural and local history with particular focus on County Cork, including the history of the area around Blarney, the Gaelic society which built the castle, the function of the castle and the gradual development of the property from a well-defended family seat to a major tourist attraction. At the same time it sets the castle within a wider context of national history and events. Since the site controlled a natural route to Cork City and was at the very edge of English Rule in Ireland, there is a relative wealth of extant documentation. Thus the book uses the evidence of both the building itself and of historical material to interpret the castle.


amazon.co.jpで買えるみたい。
1859184111Blarney Castle: Its History, Development and Purpose
Mark Samuel Kate Hamlyn
Cork Univ Pr 2007-12-30

by G-Tools


※この記事は

2008年02月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:43 | Comment(0) | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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[Scotland]スコットランド伝国の「運命の石」とは何か
Excerpt:  数日前のことになるが、id:nofrillsさんが、スコットランドの「運命の石」について書いている(「スクーン・ストーン」と「ブラーニー・ストーン」)。、加藤も少しだけこのブログでその石について書..
Weblog: ブリスタ@はてな
Tracked: 2008-02-26 15:35





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼