kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年12月26日

【内容紹介】France24によるタリバン支配地域のレポート、ほか

2007年11月16日の当ブログのエントリ、「アフガニスタン、タリバン支配地域のレポート」
http://nofrills.seesaa.net/article/66976221.html

ここで紹介したFRANCE24(フランスの英語ニュース)によるアフガニスタン取材レポート(2007年11月16日付)、Meet the Talibansのだいたいの内容を以下に。

取材班が入った地域は、首都カーブールのすぐ西に広がるWardak県。レポートが始まって27秒のところで地図が出てくる(下記キャプチャ画像参照)。冒頭の、スタジオのキャスターによる概略説明によると、最近再び盛り返したタリバンは政府軍・NATO軍に対する攻撃をさらに強め、自爆攻撃、外国人の誘拐などを行なっている。取材班が入った地域はアフガニスタンでも最も危険な地域のひとつである。

wardak-mp.png

取材を行なった記者はClaire Billet(クレア・ビレ)さんという女性で、同行しているアフガニスタン人男性ジャーナリストが通訳などを担当、ほかにカメラマンが1人と、車の運転をする人が1人、同行していると思われる。取材は英語で行なわれており、通訳者はパシュトー語と英語の通訳をしている。取材に応じたのはタリバン司令官でもかなり上のほうの人と彼の部下数名で、取材期間は、見たところ、1泊2日。初日は取材班はタリバンの戦闘部隊にインタビューを行ない、そこでタリバンの使っている武器についての説明を受ける。その後成り行きで急遽翌日も取材を行なうことになったようで、2日目は彼らの支配地域内の小学校を訪問し、教師や学童に取材している。

Meet the Talibans-Exclusive-EN-FRANCE24
http://www.youtube.com/watch?v=H_F29PxYTck


このレポートについてのFrance24の記事(文字のもの)は:
http://www.france24.com/france24Public/en/special-reports/20071116-afghanistan-taliban-nato-soldiers-victims-landmines/20071115-afghanistan-taliban-claire-billet-iranian-arms
ただしレポートの内容の半分くらいしかない。

以下、大体の内容:
00:00-00:51
スタジオのキャスターによる概略説明。

00:52
レポート開始。

00:59
記者のナレーション 「朝の5時、私たちはカーブールを発って、中部のワーダック県に向かいました。同地の有力なタリバン司令官が取材に応じてくれるとのことです」

01:15 助手席のアフガニスタン人ジャーナリスト(通訳者・ガイド役を兼ねる)が説明する。
【要旨:以下同】
ガズニ県の県境に来ましたよ。ドイツ人が誘拐されたのはここらへんです。タリバンが完全に掌握している地域です。気をつけなければなりません。金目当ての犯罪者連中に誘拐されないように。それから、政府に逮捕されないように。それから、これから会う人たちにも気をつけておかねばならないし、(タリバンの)別のグループは(取材に)合意していないかもしれません」

01:47 後部座席のフランス人記者、頭からすっぽりとブルカをかぶる。
「顔を見られないように、ブルカをかぶるようにアフガニスタン人のジャーナリスト(以下、通訳者)に指示されました」

02:06
「誘拐事件があってから、この道路を使う人はいなくなりました。南に向かえばカンダハル、アフガニスタンで最も危険な地域です」

02:14 数珠を持った手が画面に。
「NATOと米軍、アフガニスタン政府の軍の物資輸送車列も襲撃されています。襲撃の痕跡も見られます」

02:23
フランス人記者 「あれは何?」
通訳者 「トラックですね。これから会いに行くのと同じ人たちに襲撃されたものです」

02:34 トラックの残骸を追い越す。
記者のナレーション 「進んでゆくほど、あたりは戦場の前線というべき様相を呈してきます」
通訳者(別のトラックを指して) 「あれもそうですね」

02:52
「これから会いに行くタリバンの人たちとの連絡は数ヶ月前から取ってきました。私たちが本当に現れるのかどうかの確認で電話をかけてきました」

02:58 通訳者さんが携帯電話で話をしている。
通訳者 「バイクで迎えに来ているそうです」など段取りの打ち合わせ
誰の言葉か不明のヴォイスオーバー 「速度を落とせ」

03:20 カメラに布がかけられる。
「2人の男性が、道路の脇で待っていました。彼らが私たちをタリバン司令官のところまでエスコートしていくのです。1人が車に乗り込みました」

英語のヴォイスオーバー・女性(たぶん記者) 「こんにちは。どうですか、順調にいっていますか」
英語のヴォイスオーバー・男性(タリバンの案内役) 「この車の前をバイクが行きます。ええ、あれですよ」

03:40
通訳者 「遠いんですか?」
タリバンの案内役 「1時間半ってところですかね。バイクには武器を積んであります」
通訳者 「カラシニコフですか?」
案内役 「ええ、襲撃があった場合に備えて常備しています」

03:59 雲ひとつない青空、砂色の大地、車を先導するバイク……。
フランス人記者ナレーション 「それは、単に私たちを警護するだけでなく、自分の身も守るのだということでした。彼らにはこちらが何者か、わからないのですから。そして軽く1時間は、曲がりくねった道を私たちの車は進んでいきました」

04:11 
記者 「ここはタリバンが押さえている地域ですね」
案内役 「そうです」
通訳者 「地域全体をですか」
案内役 「ええ、そうです。全域がタリバンの掌握下にあります」

04:20
「グループと落ち合う場所にたどり着くまでにはまだしばらくかかりました。そこは人里はなれた谷でした。グループはだいたい20人でしょうか、全員が顔を覆っています」

04:35
「司令官へのインタビューを開始する前に、彼は見せたいものがあると言いました」

04:40 ブルーシートを広げて地面に座るタリバンの戦士たち。武器がシートの上に並べられる。

04:40
司令官(アブ・タィヤブ Abu TAYEB) 「これが私たちの持っている中で最も強力な対戦車地雷です。何種類か持っています。上部を取り除いて遠隔操作も可能ですし、中に爆薬を詰めておいて、戦車が通ったときに爆発するようにもできます。遠隔操作をするときにはここに爆発物を入れ、ここに電気系の装置をセットします(など、地雷についての説明が長い)」
タリバン戦士 「イラン製ですよ」
司令官 「イラン製だって? 中国製だろ」

05:18 画面いっぱいに対戦車地雷のアップ。
「それ以上細かいことは、彼らは話そうとしませんでした。司令官は『アブ・タィヤブ』という名【訳注:「タィヤブの父」の意味】で通っており、オマル師の右腕の《聞き取れない人名だが、記事からはMansour Dadullahだと思われる》から命令を受けているといいます。アブ・タィヤブは、この県では、自分の配下に1,300人いるのだと説明しました」

05:32 司令官の姿(サングラスに腕時計の男)。
司令官 「カーブールにもうちの戦士はいて戦闘準備もできているのですが、本格的な戦闘に入るのは来年になってからでしょう」

05:42
「司令官の話では、作戦数は数百だとのこと。戦士には2種類いるのだと彼は説明しました。オマル師がここに滞在していたときに任命された戦士はここに留まっています。しかしアブ・タィヤブは5つの県の監督責任者をつとめており(つまり、この県の外にいる戦士たちと、県内の戦士の2種類)、合計数千人を配下においています。彼はアフガン全域にわたる指揮権を有する旅団長です」

05:56
司令官 「フェダイーンとは、イスラムのために戦う者、国境線は関係ありません。それからムジャヒディーンも重要です。フェダイーンは自爆攻撃を実行することができます。手足はもちろん、あらゆるテクニックを使って攻撃します。我々はフェダイーンです、タリバンのフェダイーンです」

06:24
「『フェダイーン』とは、『死ぬことすらいとわぬ者』を意味し、彼ら自身は『タリバン』よりむしろこの語を使っています。『ムジャヒディーン』という語も使います。これは『宗教のために戦う者』という意味です」

06:35
司令官 「ムスリムの間には国境線はありません。我々はみな兄弟です。あそこにいるのはイラクのムジャヒディンの《固有名、聞き取れない》です」

06:45 イラク人のアップ(ぼかしがかかっている)
記者のナレーション 「そのイラク人は顔を覆っていませんでした。このグループの中で顔を覆っていないのは彼だけでした」
通訳者 「あの人はイラク人だそうです」
記者 「じゃあ彼はパシュトゥン語は?」
司令官 「パシュトゥン語はできません。(それに彼は話をしたがりません)」
記者(通訳のタイミングがずれて) 「じゃあアラビア語で?」
通訳者 「『彼は話をしたがりません』と」

07:06
「本質がどのようなものであれ、彼らは近隣の国と関係を持っています」

07:12
司令官 「これらの武器は古いものです。(1979年の)ソ連に対するジハードのころのものです。しかし、今では新しいものがどんどん来ていてそれが中心です。対戦車兵器のあれもそうです。サダム・フセイン政権のイラクから入手しています」
07:28
通訳者 「あれはイラクのものだそうです、サダムの」
記者 「イラクの武器……」
カメラがパンして、RPGか何かを写し、しばらく、驚いた記者と戦士との間で「ほんとにイラクの?」というやり取り。

07:41
記者 「高いんですか?」
司令官 「いや、そうでもないですね。300から350ドルで入手できます」

07:51
「質問したいことがあったら何でも訊いてくださいと言われたので、イランの役割について質問しました」

07:57 いろいろな武器を抱えた男たちの列をカメラがなめる。
司令官 「あなたがたには計画があるでしょう。イラクとアフガニスタンに続いてイスラム教徒の土地を占領する計画が。イランについては、あなたがたは単に攻撃の口実を探しているだけでしょう。イランの武器があるのなら持っていらっしゃい。イスラム教徒の土地を占領する口実になるでしょう」

08:16
「インタビューは終了しました。装備をまとめて帰る支度をする時間です。このグループにとって今日はまるで休日のようです。彼らは私たち取材陣を守り、司令官を守ります。それが任務でなければ、ほかの数千人と同じように、この地域のどこかで戦闘を行なっていたでしょう。私たちは一緒に食事をどうかと誘われました。空気が一気に軽くなりました」

08:34 火にかけた鍋で肉を煮込んでいる様子。
タリバンの人の雑談 「こうやってね、ぶつ切りにして煮込むと美味いんだ」
記者のナレーション 「おいしい煮込み料理です」

08:47 鍋を囲んで、タリバンの人たちの会話。
通訳者 「記者さんはこういう料理でよろしいですか、それともフランス風のほうがお好みですか?」
記者 「いえいえ、アフガニスタンのお料理で」
(一同ちょっと笑)
タリバンの人 「これはただのアフガン料理じゃないですよ、ジハディの料理ですから」
タリバンの人 「おい、油多すぎだろ」
タリバンの人 「ビニールシート持って来いよ、あとクッションも」
(司令官か? サングラスを掛け直す男)

09:19
タリバンの人 「この中で一番の大食漢は?」
タリバンの人 「あいつあいつ」
ぽっちゃり型のタリバンの人 「俺、笑われてるし(笑)」
隣の人(ぽっちゃりさんのおなかを叩いて) 「笑い事じゃないよな」
ぽっちゃり型の人 「ははは。たくさん歩くからたくさん食べるんですってば」

09:36
「ちょうどよい息抜きになったようです」

09:38 ぽっちゃり型の人のアップ。
タリバンのぽっちゃり型の人 「ここだけではなく、この地域全体がタリバンの支配下にあります。部隊がいくつもあります。地域の人たちはみな助けてくれます。そうじゃなかったらここにはいられません」

09:52
「しかし、1人だけぽつんと離れたところにいます。あのイラク人です。司令官の説明では、彼は自爆者として選ばれており、出発の日を待っているのだそうです」

10:00
司令官 「そうです、彼はずっと祈り続けています」
取材陣 「彼とはどうやって話をするのですか?」
司令官 「私はアラビア語で話をします。他の者たちは身振り手振りで。彼らアラブ人は私の特別警護要員です(から離れたところにいるのです)。私たちも彼と同じように祈ります。私たちには死ぬ覚悟はできている。銃弾にやられて死ぬのであれ、自爆して死ぬのであれ、私たちは同じように祈ります」

10:23
司令官はこれ以上はこのイラク人について語りません。彼の指令下には彼と同様のアラブ人戦士が何人もいるそうです。そして、自爆することを決めるのは本人だ、と。

10:30 祈りの声。
「お祈りの時間です」etc

10:48 祈りの光景。
記者ナレーション 「先ほど、司令官に近い人が、なぜ自分が武器を手にしたのかを語ってくれていました」
声だけ 「私は聖なる戦いのためにここにいます。私たちムスリムは、祖国がアメリカに侵略されたので、戦っているのです」

10:59 上で「声だけ」出てきた人のの姿。名前はOari (OR Qari) Mohammedと読める。
モハメッドさん 「彼らは私たちの宗教を破壊するために侵略したのです。私たちにとって最も大切なのはイスラムです。イスラムのため、血を捧げ、家族を捨て子供たちを捨て、家を捨ててきたのです。そして、イスラムの次に最も大切なのは、私たちの国です」

11:16 やけにピクニックじみた食事風景。
「私たち取材班は、司令官の隣に座って食事をいただきました。司令官が私たちを信頼してくれるようになっているのが感じられました。泊まっていきなさいと言われました」

11:34 バイクで出発する人たち。
「アブ・タィヤブ司令官は自分の車に乗り込み、私たちを戦士のひとりの家に連れて行ってくれました。場所が特定されないよう、到着するまでカメラのスイッチは切りました」

11:41 いきなり室内の映像。ランプの光。
タリバンの人 「過去において、ソ連の兵士が多くの人を殺しました。集団墓地を作るほどで、ソ連軍は気にもしなかった。それでも少なくとも、ソ連軍は私たちを侮辱はしなかった。アフガニスタン人は死ぬことは恐れていません。しかし侮辱はされたくない。文化的にも、宗教的にも、政治的にも。アメリカ人はアフガンの女性を軽侮し、アフガンの文化を軽蔑しているのです」

12:02
「こういった感情は、正当な理由があろうがなかろうが、ますます多くの人たちに共有されるものになっています。

就寝する前に、翌日の予定を決めました。私はこの地域の学校を訪問したいと思っていました。アフガニスタン南部では、タリバンは「非宗教的教育には反対である」として、多くの学校を焼き払いました」

12:17 翌日朝の映像。学校。
「そして翌日、ウォルダクの戦士たちは、私たちを地域の学校に連れて行ってくれました。この学校では500人を超える男子学生が、15人の教師のもとで学んでいます」

12:25
生徒(英語で) 「My name is [sorry, inaudible]. I'm studying English. (私の名前は〜です。英語の勉強をしています)」

12:30 教科書が写される。
生徒と記者・通訳者とのやり取り、フランス語交じり? 聞き取れず(すみません)

12:40
「この学級では14歳から17歳の生徒が、3年にわたって、英語を学んでいます。校長先生が成果について説明してくれました」

12:50 ノートが写される(日本でも使われているような、罫線入りのペンマンシップのノート)。
校長 「この学校の教師は政府から給与を受け取っています。しかしちゃんと教えられる教師や教材の確保は大変です。教科書は生徒が自費で買わなければなりません」

13:04 黒板で問題の答えを書く子供。
子供 「2かける2は……えっと、4」

13:07
「このチームが私たち(取材陣)を各教室に案内してくれました。事情をしっかり把握している複数のタリバンの人たちも同行しました。生徒たちは、アフガニスタンのほかの地域と同様に、全国統一カリキュラムに沿って勉強を進めています」

13:22 校長のアップ。
校長 「1年生から、宗教、地理、歴史、化学、生物、物理、数学を勉強します」

13:30
「確かにここはタリバン支配地域です。ですが教師たちはムジャヒディーンとの間にはまったく問題はない、と言います」

13:42 髭の白い教師(Mohammed Naim Kuraichiさん)
教師 「現在のところ、タリバンは私たちに教育をしっかりやってくれと言っています。彼らから警告を受けたことも、脅迫を受けたことも、一度もありません。私たちの権利を侵害するようなことは何もしていません。タリバンは私たちに協力し、私たちを支援してくれています」

13:54 スカーフで顔を覆い、目しか出していない銃を持った男たちの姿
「もちろん、もしここにタリバンがいて会話を聞いていなかったら、この先生が同じことを言ったかどうかは不明です。私はタリバン戦士のひとりに、この学校では宗教教義以外のことを幅広く教えていますが、その点についてはいかがですか、と尋ねました」

14:05 黒いターバンに黒っぽいスカーフの男の姿(Fedaylという名が出る)
男 「自分としては、子供たちには学校に通ってもらいたいと思っているし、私たちの子供たちは全員、学校に通っていますよ。教育は必要ですから。私たちは、学校など潰せと考えているわけではありません。男の子も女の子も、みんな学校で学んでほしい。しかしながら現状、この県では女の子の教育は(学校ではなく)、モスクでムッラー(宗教者)が行なっています」

14:30 学校の建物の外に出る子供たち
「タリバンのメンバーの口からこのようなことが語られるとは、予想外のことです」

14:36
「学校訪問の締めくくりに、国の歌(national song)が歌われました。そしてこれが、私たち取材班の短い訪問の終わりでもありました」

14:47 歌が響く中、子供たちが歩いていく。
「司令官と部下の戦士たちは戦闘に出かけていました。私たちはカブールに戻りました――新世代のタリバンと出会ったのだ、という奇妙な気持ちを抱いて」

15:07
Report by Claire Billet
Adapted by Gulliver Cragg

15:12
スタジオのキャスター 「さて、ここからはカブールのクレア・ビレ記者と結んでお伝えします。クレアさん、女性で外国人記者であるあなたがタリバンと接触するのは難しくなかったのでしょうか。最近も外国人の誘拐事件がありましたが」

15:25
クレア 「そうですね、この国では女性であることと、記者であることとは別のことです。記者にとっては、タリバンと接触するのは大変難しいことです。彼らは戦場にいるのですから。タリバンとはいってもいろいろなグループがあり、1つのグループが了承しても別のグループはダメだということもあります。実際、記者が2人誘拐されています。また、犯罪者(bandit)にさらわれることもありえます。単に金目当てで外国人を狙うのです。ですが女性としては、逆だという印象です。タリバンは、というか私が会ったタリバンの人たちは、非常に丁寧に、敬意をもって私を扱ってくれました。私が女性だからといって話を拒む、ということもありませんでしたし、誰だかわからないようにする目的で着用していたブルカも取りなさいと言ってくれました」

16:25
キャスター 「彼らはずいぶん打ち解けて話をしてくれたようですが、なぜあんなにオープンに話をしてくれたのだと思いますか」

16:33
クレア 「そうですね、彼らは伝える必要があると思っていたのではないでしょうか。つまり自分たちは何者であるのか、ということをはっきり示したかったのではと思います。ジャーナリストがこのような取材をすることは簡単ではありません。アフガニスタンでは(外国の)ジャーナリストといえば、外国の軍隊にエンベッドしているのが常です。タリバン側から取材をする者はほとんどいません。彼らは私にプロパガンダについて、外国のプロパガンダについて語りました。現在彼らはスポークスパーソンを置いており、自分たちの戦いについて、記者にもっと取材してもらいたいと考えています」

17:17
キャスター 「以上、クレア・ビレ記者でした。クレアさん、ありがとうございました」


追記:
クレア・ビレ記者のレポートで、タリバンが使っている対戦車地雷が中国から来たのかイランから来たのかでちょっとヤバげな場面がありましたが、同じFrance24のレポートで12月13日付けで、アフガニスタン西部国境地帯での武器取締りの様子が報じられたものがあります。

Weapons Traffic Iranian Border-Report-EN-FRANCE24
http://www.youtube.com/watch?v=NwzfGKUqXVg

内容:
最初の30秒くらいは、押収された対戦車地雷の刻印を見て「対戦車地雷、イラン製、これもイラン製」という場面。その後はナレーションで「西部国境警察の本部に保管されている押収された武器だ」。

35秒くらいで、「警察の副署長が、数ヶ月前にこれらの武器を押収した地点に、私たち取材班を連れていってくれるという」。

40秒くらいで砂漠を走る車。「砂漠にある拠点から約120キロ、イランとの国境、ゴーバーン(Ghorban)に向かう」。

50秒くらいで副署長の説明。「これから向かうのは、密輸業者が麻薬類などを運び込んでくる地点です」。

1分5秒くらいで、「2時間走り、車が止まった。数百メートル先はイラン領内である。通常のパトロール中に異状を感じたのはこの地点だ。

1分18秒で、国境警察の隊長のMollah Zarinさん。「この洞窟の入り口が石でふさがれていました。石をどかすと、洞窟の中に地雷が5つありました」。

1分30秒で、「数は少なかったが、発見のインパクトは大きい。イランがタリバンを支援しているという証拠になるかもしれない。しかし司令官は、まだまだわからないことが多いのだという」。

1分45秒で隊長。「見つかった地雷がいつからここに置かれていたのかわかりません。誰が持ってきたのかも、どんな目的なのかもわかりません。タリバンの聖なる戦いは何年も続いていて、その前にはムジャヒディーン(対ソ連のことか?)がありました」。※この部分、ボイスオーバーがちょっと聞き取れてないかも。

2分くらいで、「30年も戦闘が続いてきたアフガニスタンには、世界中の武器がある。地雷についていた刻印も、イラン政府がタリバンを支援しているとの証拠にはならない」。

2分10秒で副署長。「イランからアフガニスタンへの銃(武器)の搬入は確認されていません。したがって、国境で武器の密輸があるかどうかは何ともいえません」。

2分24秒くらいで、「しかしアフガニスタンでは武器の闇取引は実際にある。そしてほかのどことも同様に、それは***(金属音で私には聞き取れず)。全世界で闇で流通している武器の9割が、元々は正規軍のものであったとされている」。

で、このレポートのYouTubeページのコメントに、「地雷の刻印はイラン軍のものではない。第一、イラン軍は刻印にあのような文字は使わない」とありますが、それが正しいのかどうかは私にはさっぱりわかりません。Wikipediaの「対戦車地雷一覧」のページを見たのですが、見ただけで物量に圧倒されました。

確認の目的で、レポートの23秒の時点のキャプチャ。(ちょっと画面が暗くて刻印が見づらいので、色調を補正してあります。)
kokuin01.png

この地雷について、ちょっと調べてみたところ、地雷禁止のNGOのアンブレラ組織(だと思う)、Landmine Monitorの年次レポートを参照すると、最新版(2007年)では確認できないにせよ、2001年版では、イラン・イラク戦争のときに両軍が設置した地雷についてのセクションで、次のように述べられている。
The minefields emplaced by Iran are believed to contain the following types of mines: PMN and M14 antipersonnel mines, and TMN 46 and M19 antitank mines.

ウィキペディアを参照すると、TMN 46はソ連製、M19がアメリカ製で、France24のレポートに出てきた「押収された地雷」はM19に非常によく似ていて、中央の丸い蓋の部分というか、そこに乗ったらどかんと行く部分(ヒューズのところ)が同じものに見えるが、本体の色が違う(米国製のM19は通常オリーヴ色だそうだが、レポートに出てくるのは黄色かベージュ。ただし色は使用される場所に応じて変えられるだろう。砂漠なら緑より黄色が保護色だ)。

比較のため、France24のレポートのキャプチャと、ウィキペディアにあったM19の画像(クリックで原寸):
M19_anti-tank_mine.jpg

※追記は以上。



WardakのSyachoobという町(たぶんカブール側)の出身の人が撮影した、2007年5月のSyachoobの様子(ホームビデオ、たぶんパシュトー語、字幕なし):
http://www.vimeo.com/227603
(2分30秒くらい)

この地域に食料などを運び込んだ援助組織の2007年12月19日付のプレスリリースによると、この地方は山岳地帯で標高が高く起伏も激しく、孤立した地域である。アフガニスタンではこの数年旱魃が続いているが、この地域での影響はとりわけひどい。というのは標高が高いために冬が長く(6ヶ月間)、ただでさえ作付けできる土地が少ないというのに、作物の栽培・収穫ができる時間も少なく、そこに旱魃が被害を与えている。土地を持たない世帯や、一家の大黒柱が亡くなったり身体不自由になっている世帯は特に困窮しており、貴重品を売り払うか借金をするかしなければ、冬を越すだけの食料さえ得られない状態である。この援助組織が夏に調査をしたところ、特に女性と子供の栄養失調は深刻な状態であったという。しかしながら、本格的な冬が始まる前に食料を運び込もうとした援助組織は、肝心の運送を担当するドライバーを見つけるのに苦労する――あまりに危険な地域なので誰も行きたがらない。ようやく見つかったドライバーのトラックは60年前にソ連で製造されたもので、それも予定していた配給地点にまでは行けず、山の上で配る(人々にわざわざ山を登ってもらわなければならない)ということになった。

厳しい地域である。

12月25日付のカタールの英語メディア、ガルフ・タイムズに、アフガニスタンのこの1年をまとめた記事が出ている。

Six years on, Taliban still a force to be reckoned with
Published: Tuesday, 25 December, 2007, 01:26 AM Doha Time
By Farhad Peikar
http://www.gulf-times.com/site/topics/article.asp?cu_no=2&item_no=191790&version=1&template_id=46&parent_id=26

概要:
アフガニスタンに平和が訪れるという希望を示すものは何も見えないまま、また1年が終わろうとしている。激しい戦闘や掃討作戦にもかかわらず、タリバンは衰える気配がない。

2001年に米国主導の軍隊が侵攻を開始してから6年になるが、2007年は最も暴力的な年となった。6000人以上が暴力的な形で死亡した――ほとんどは反乱勢力だが、アフガニスタン軍や外国の軍の犠牲者が数百人、一般市民は少なくとも1000人死亡している。この数値は、前年の数値の5割増しである。米軍だけでもこの1年で100人以上を失っている。

2007年に行なわれた自爆攻撃は120回以上にもなる。自爆という手法は2003年まではアフガニスタンでは見られなかったものだ。最悪の被害をもたらしたのは、11月に、比較的平和な北部のBaghlanで起きたものだ。このときの犠牲者は80人以上で、国会議員も6人含まれていた。

路上での攻撃での軍側の死者は数百人にのぼる。この手法はイラクの反乱勢力のやり方をコピーしたものだと考えられている。

2001年の政権崩壊直後には、米国やアフガニスタン政府からはがたがたになっていると言われていたタリバンは、かつては平穏だったHerat, Badghis, Wardakといったカブール西側の地域に進出してきている。

反乱勢力側も、5月に南部ヘルマンドでの米軍主導の作戦で殺害されたMullah Dadullah(ダダラー師)をはじめ、重要な位置を占める野戦司令官80人ほどを失っている。また、死者数は、正確な人数はわからないが、数千単位にのぼるとされている。それにもかかわらず、タリバンの勢いが衰える気配はない。タリバンは、パキスタンの部族地域にあるアフガニスタン人難民キャンプや、国境付近のパシュトゥーン人地域から、人を集めていると考えられている。また、ケシの栽培によって、タリバンの戦費の多くがまかなわれていると推測されているが、ケシ栽培は今年「警戒」レベルに達したほど盛んになっている。

アフガニスタン南部や東部では、失業が深刻化しており、愛国主義的傾向も強まっている。タリバンはそういった地域から人を集めている。一般市民の犠牲もあとを断たず、中央政府とそれを支援する西側諸国に対する一般国民の信頼は損なわれている。Oxfamの調べによると、今年戦闘のとばっちりを受けるなどして死亡した一般市民の半数は、外国軍からの攻撃で死亡しているという。

専門家は、家宅捜索を行なったり攻撃的にふるまったりしている外国軍の人員がアフガニスタンの文化を理解していないことが、タリバンへの支持を強めるのに貢献していると語る。

春には外国軍・政府軍側とタリバン側双方が大規模な攻撃をしかけたが、どちら側にもさしたる勝利にならなかった。双方が相手に多大な損害を与えたと勝利宣言をおこない、戦意高揚をはかったが、そこで持ち出された数値はそのまま鵜呑みにできるものではなかった。

アフガニスタンの著述家で政治評論家であるカシム・アクガール(Qasim Akhgar)は、「今年はタリバンにとってはプロパガンダの一年だった」と語る。今年、タリバンはアフガニスタン南部と東部のいくつかの地域を掌握し、新たな手法をつかって誘拐を行なうようになっている。イタリア人記者を誘拐し、代わりに投獄されていた5人の幹部を釈放させるなどしている。この後にはアフガニスタン人のアシスタントを誘拐し、政府に囚人との交換を要求したが、その要求がはねつけられると人質を殺害した。これにより、自国民が苦しんでいるのに政府はまったくかまわないのだという怒りが広がった。

誘拐事件はまだまだほかにも起きた。韓国人23人が誘拐されたときには、人質の解放をめぐって直接交渉を韓国政府に強いた。これが、2001年に政権から追放されて以来はじめて、タリバンがオープンな形での記者会見を行なうことにつながり、西側諸国の支援を受けた政府のオーソリティが揺らぐ形となった。

国境を越えて戦闘員や武器がタリバン側に渡っているとの証拠もある。アフガニスタンにオフィスを複数置く国際シンクタンクのSenlis Councilは、先月紅葉した報告書において、「戦闘員はいろいろな国から入ってきているが、とりわけパキスタン、ウズベキスタン、チェチェン、中国が、彼らの言う『世界規模の聖戦』のための戦場として、アフガニスタンを使うようになってきている」と述べた。

NATOのISAF(International Security Assistance Force)は、およそ38の国々(some 38 countries)から41000人の兵士を擁して活動しているが、さらに兵士や備品を送ることについては意見が割れている。米軍、英軍、カナダ軍は、日常的に南部や東部で反乱勢力と戦闘を行なっているが、ドイツ軍、フランス軍、スペイン軍などほかのNATO諸国の軍は、戦闘が激しい地域への派兵を拒んでいる。

現場のNATO軍司令官はNATO諸国に対して兵員の増強を要請しているが、アフガニスタンのカシム・アクガール(Qasim Akhgar:上述)は長期的に治安を回復するには、アフガニスタンの治安部隊をさらに強化する必要があると述べる。「この国の問題を恒久的に解決したいのであれば、この国の治安部隊を訓練し、装備を与えるべきだ」


ガルフ・タイムズの記事で言及されている「ケシの栽培」は、ときどき、「アフガニスタン情勢」を伝える記事で象徴的に用いられている。「神社の桜」の写真で「日本」を語らせるように、「ケシ」の写真で「アフガニスタン」を語らせることができる、というだけでもげんなりする。

たまたま、今日のBBC NEWSのトップニュースで「ケシ」に「アフガニスタン」を代弁させているので、キャプチャ画像。
kes-afg.png

※この記事は

2007年12月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このレポートでクレア・ビレ記者のインタビューに応じた司令官(サングラス)の直属の上司(というべきなのかどうか)、Mansoor Dadullahが、オマル師によって解任されました。

Taleban sack military commander
Last Updated: Saturday, 29 December 2007, 17:14 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7164277.stm

[quote]
Taleban leader Mullah Omar has dismissed one of his top military commanders, Mansoor Dadullah, accusing him of not following orders.

...

A Taleban statement did not say how Mansoor Dadullah had disobeyed orders. But it said his associates should carry on with their duties as usual.

"Mansoor Dadullah does not obey the rules of the Islamic emirate and violates it.

"Therefore it was decided not to appoint any post in the emirate to him," the statement said.

Mansoor Dadullah has been heading Taleban operations in Helmand, Kandahar and other southern provinces ...
[/quote]

深読みしすぎかもしれませんが(というか、深読みしすぎだと思いますが)、「ヘルマンド」というと、国連とEUの職員(アフガン情勢の専門家)が「タリバンと会っていた」としてアフガン政府から国外追放になったばかりですね。。。
http://nofrills.seesaa.net/article/74895279.html
Posted by nofrills at 2007年12月30日 12:47
France24のレポートの中でタリバンの野戦司令官が「来年にはカブールで攻撃」と言ってましたが、この「予告」どおり、カブールで、外国人が宿泊する高級ホテルがタリバンに攻撃されました。自爆と銃撃の波状攻撃だったようです。タリバンのスポークスマン、Zadihullah Mujahid がタリバンがやったことだと認めています。

http://www.guardian.co.uk/afghanistan/story/0,,2240693,00.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7187592.stm

BBC記事によると、死者はノルウェーのジャーナリスト、Carsten Thomassenさんとアメリカ人ら少なくとも6人で、同ホテルにはノルウェーの外務大臣も宿泊していたが地下室にいて無事だそうです。ノルウェーの外務省関係者は、女性の遺体があったことを証言し、おそらくはホテルのジムの従業員だろうと述べています。
Posted by nofrills at 2008年01月15日 11:54

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼