kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年11月15日

【メモ】アマラのあの「暴行ビデオ」の当事者たちの「処分」

2006年2月、英国の日曜タブロイドthe News of the World(The Sunの日曜)に1本のビデオが持ち込まれた。そのビデオは、2004年初めに、イラク南部アマラで、英軍が「暴動」を「鎮圧」する光景がとらえられたものだった――というか、英軍兵士が、デモ隊に加わっていた少年を基地まで引っ張ってきて、暴行を加えている様子をとらえたものだった。撮影者は、鼻息をぶおー、ぶおーと言わせて、Yes! Yes! と興奮した声を上げていた。詳細は、teanotwarに投稿した過去記事参照:
http://teanotwar.seesaa.net/article/24755163.html
http://teanotwar.seesaa.net/article/24755164.html

このビデオは英国社会に衝撃を与え、元SASの人とかからも非難の声が相次いでいた。

アマラはその後かなりの混乱状態になり(バスラ以上に)、英軍の兵士がかなり死んだり負傷したりしていたと記憶している。2006年10月にはムクタダ・サドルのミリシア(武装組織)がアマラを制圧した。
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article1916342.ece
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1928049,00.html

それっきり、私が巡回している範囲で「アマラ」の名前を見ることがほとんどなくなっていたのだが、12日月曜日に久しぶりにBBCでAmaraの文字列を見た。

Army major cleared over conduct
Last Updated: Monday, 12 November 2007, 14:02 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/lancashire/7090377.stm

An army officer from Lancashire whose troops were filmed apparently beating Iraqi teenagers has been cleared of failing to control his men.

A Ministry of Defence (MoD) inquiry found Major James Faux, from Preston, was not involved in the beatings which happened after rioting in Al Amarah.

つまり、アマラのあの映像の当事者だった部隊の将校が、部隊を統制下においておくことができなかったとして訴えられていたが、その将校自身はあの暴行には加わっていなかったことで無罪となった。

この将校は、現在はドイツの英軍基地にいるそうだ。

あの暴行映像では、当初、3人の兵士が逮捕されたと報じられた。

Video fallout hits UK Iraq troops
Last Updated: Sunday, 19 February 2006, 22:44 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4729032.stm
Three soldiers have been arrested in relation to the video, the Ministry of Defence said last week.

Cpl Martin Webster, of 1st Battalion The Light Infantry, was arrested on the day of publication, while a further two unnamed soldiers were arrested two days later.


彼らがどうなったかというのも、12日のBBC記事に出ている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/lancashire/7090377.stm
None of the soldiers faced criminal charges - one was disciplined internally by the army, but the rest were cleared.

つまり、あの暴行で刑法罪に問われた兵士は誰もいなかった。1人が、軍内部で処分を受けただけだった。

この件でとりあえずどうなったんだっけなと調べようとして、Googleに上の引用部分に出てくる固有名などを入れても、わかることはあまりたくさんない。BBCの検索でもほとんど何もわからない。

でも、Google newsで検索していたら、こんな記事が見つかった。出たばかりの記事だ。

Growing suicide toll among troops
By Thomas Harding, Defence Correspondent, and James Kirkup
Last Updated: 3:25am GMT 15/11/2007
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/11/15/ntroops115.xml

いわく、イラクとアフガンにいたことがあって自殺した兵士の割合は、作戦で死亡した兵士の10パーセントにも及ぶ。(←記事を読みながら直訳しているので分かりづらい日本語ですみません。)

自殺した17人が、イラクやアフガンで非常にひどいものを目撃した、とMoDが認めたらしい。MoDが徹底した秘密主義を破ったということなのか、イラクやアフガンはそれほどにひどいということがあまりに知れ渡っているということなのか。(英軍の作戦で北アイルランドとフォークランドを経験した人たちの深刻なPTSDの例もネット上で探せばいくつか見つかるのだが。)

うーむ。この記事はあとでゆっくり読もうと思う。あと、日本での報道もあわせてメモっておこう。「事実」だけで構成される記事で短いので、全文を。
海外派遣の自衛隊員16人、在職中自殺…対テロ・イラク

 政府は13日に閣議決定した答弁書で、テロ対策特別措置法とイラク復興支援特別措置法に基づき海外に派遣された自衛隊員のうち計16人が、在職中に自殺していたことを明らかにした。

 社民党の照屋寛徳衆院議員の質問主意書に答えた。

 答弁書によると、今年10月末現在、両法に基づき海外に派遣された隊員のうち在職中に死亡した隊員は、陸上自衛隊が14人、海上自衛隊が20人、航空自衛隊が1人。このうち、死因が自殺だったのは、陸自が7人、海自が8人、空自が1人だった。派遣と死亡との因果関係については、「一概には申し上げられない」とし、退職後に自殺した隊員の数については、「把握していない」とした。

 テロ特措法に基づきインド洋に派遣された海上自衛隊員は延べ約1万900人。イラク特措法に基づき派遣された隊員は、今月7日現在、陸自が延べ約5600人、海自が同330人、空自が同2870人。

(2007年11月13日23時58分 読売新聞)


いずれにせよ、アマラの件はもう少し調べてみたい。

※このエントリは調べもののメモなので、コメント欄なし。

※この記事は

2007年11月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼