kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年10月31日

連合王国はややこしい。

2012年のロンドン・オリンピックで、男女サッカーでGB (Great Britain) として代表チームを組織する予定があったらしい。が、案の定、「微妙」ということになっているらしい。

IFA now opposed to GB 2012 teams
Last Updated: Tuesday, 30 October 2007, 19:47 GMT
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/7068231.stm

IFA(←「アイルランドのFA」ではなく、「北アイルランドのFA」で、the Irish Football Associationという組織。「アイルランド共和国のFA」は、Football Association of Ireland, 略してFAI。ややこしいことこの上ない)が「GB案」に反対する理由は:
However, Irish FA president Raymond Kennedy said on Monday evening:"The Scots and Welsh are very much against it and we'll be weighing in with them."

Kennedy added that the IFA "would not want to compromise our national identity".

つまり、英オリンピック・アソシエーションのサイモン・クレッグ会長は、「GB代表チーム」は実現されるだろう、というような発言をし、また「北アイルランドもサポーティヴである」と述べているが(GB = England, Wales and Scotlandなのだから、NIを入れるなら「GB」と言わないで「UK」と言ってほしいのだけど)、実際にはスコットランドFAもウェールズFAも反対しており、北アイルランドのFAも反対の立場を明らかにした、とのこと。

これ、実際、かなり複雑な話だと思う。ブラッターあたりは、何もわかっていないのか「1度限りのGB代表」を歓迎、みたいな雰囲気なのだが、そもそも「北」のIFAと「共和国」のFAIというややこしいことになったのは、元々はベルファストに拠点のあったIFAがアイルランド島全体のFAだったのが、1922年の南北分断で分裂したからだ。つまり、「南」「ユニオニストのベルファスト」とは別の拠点を求めた。そのへんの説明は:
http://en.wikipedia.org/wiki/Football_Association_of_Ireland

そういう「歴史的経緯」があるところで、そんなに簡単に進むかよ、ということなのだが、しかしラグビーはそんなでもないのに、サッカーはほんとにがっちがちだ。その理由は私にはわからない。先シーズンまでセルティックでプレイしていたニール・レノンは北アイルランドのプレイヤーで、NI代表として40キャップという人だが、自分のネイションとしているのは「アイルランド」なので(アイリッシュだし)、「統一アイルランド」を口にしたあとに「殺す」という脅迫状を送りつけられて、代表を引退した(2002年)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Neil_Lennon

ところで、FAIでは、試合のときには共和国の「国歌」("Amhrán na bhFiann"、『兵士の歌』)を用いている。これは、アイルランド独立戦争に至る時期に対英反乱勢力(つまりアイリッシュ・ナショナリスト)の「兵士」たちが歌っていたものである。映画『麦の穂をゆらす風』では、英軍に一斉拘束された主人公の部隊のメンバーたちが、リーダーが拷問を受けている間にこの曲を歌う、という非常に印象的な場面がある。
http://youtube.com/watch?v=oWLiIK-EMlc

他方、IFA(北アイルランドFA)では "God Save the Queen[King]" を用いる。
http://jp.youtube.com/watch?v=3FaJ2Ijp6Dc
※音量注意。パブでの観戦の様子のホームビデオなので、「歌う」というより「がなる」に近い。

一方で、南北の境界線を超えているラグビーのアイルランド代表では、1995年から、"Ireland's Call" という曲を「アンセム」として用いている。この曲は、そのために特別に作られた曲で、現在ではラグビーのほか、クリケット、ホッケーなどのアイルランド代表の試合で用いられている。ちなみに、"Ireland's Call" が作曲される前のラグビーの試合では、ベルファストで開催されるときは "God Save the Queen[King]" を、ダブリンで開催されるときは "Amhrán na bhFiann" を用いていたそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ireland_national_rugby_union_team#Flags_and_anthems

ちなみに、スコットランドのFAは、いくつかある「スコットランドのアンセム」のうち、 "Flower of Scotland" を用いている。この歌はラグビーのスコットランド代表でも用いられる。
http://youtube.com/watch?v=nOI3ZBllZw8

ラグビーの6ネイション・カップでのスコットランド対イングランドの国歌のシーンもYouTubeにある。スコットランドは "Flower of Scotland" で、イングランドは "God Save the Queen" である。
http://youtube.com/watch?v=0hutHBq9w7Q

ウェールズは "Hen Wlad Fy Nhadau" (←ウェールズ語。英語にすると "Land of Our Fathers")をアンセムとして用いている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hen_Wlad_Fy_Nhadau

クローク・パーク(ダブリン)でのウェールズ対アイルランドの国歌の部分のホームビデオ:
http://youtube.com/watch?v=CnlxmgaplT0

で、UKというかGBとしては、"God Save the Queen" が国歌である。でもこの曲は、「イングランドの歌」ではない。イングランドFAはこの曲を使っているが、いっそのこと「新ナショナル・アンセム」に切り替えてはどうか、という声もある。一番人気のJerusalemウイリアム・ブレイクの詩に曲をつけた賛美歌)は、2004年からクリケットのイングランド代表がアンセムとして用い、またラグビー、サッカーでもよく歌われている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2969509.stm

イングランドのアンセムの問題については:
http://anthem4england.co.uk/

※この記事は

2007年10月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼