kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年10月28日

ワーパミを持っていたのにイミグレに拘束されたアフリカ人に賠償金

EUのパスポートを持っていない場合、「まったくの他人事」ではないかもしれないひどい話。

Tourist wrongly detained in jail
Last Updated: Sunday, 28 October 2007, 09:32 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7066077.stm

Stripped of all dignity
Sunday, October 28, 2007
http://www.sundaylife.co.uk/news/article3104729.ece

ジンバブエ出身のフランク・カコパさんは、2003年からイングランドで働く建築技術者。彼はイングランドに行く前は2年ほど、ダブリンで同じ仕事をしていた。2005年8月、彼は家族旅行で北アイルランドを訪れた。サンデー・ライフ(ベルファスト・テレグラフの日曜)の記事によると、一家は週末を利用してジャイアンツ・コーズウェイなどを見よう、と出かけたのだそうだ。ベタベタに「観光」である。

そして到着したベルファスト・シティ空港で、彼はイミグレに止められた。彼はそのとき、UKパスポートは持っていないにせよ、イングランドに居住し就労していることを証明する書類(給与明細、運転免許証、銀行の残高証明書、銀行のカード、子供たちのパスポートやヴィザなど)は持っていた。

カコパさんのステータスは、記事からははっきりとはわからないのだけれども(legal residencyだったということだが、「レジデント」かどうかはそれだけではわからない)、記事にあることから考えれば「レジデント」ではなく「外国人労働者」だったと思われるが、イングランドにいる職場の上司が、「その人はうちで雇用している人物で、合法的就労です」ということを直接イミグレに伝えたのだそうだ。サンデー・ライフの記事によれば、イングランドとアイルランド共和国のイミグレ当局も「その人は不法入国者ではない」と北アイルランドの当局に伝えたそうだ。少なくとも労働許可証(ワーパミ)は持っていたということはその場で判断できなくてどうする、というか。

しかし北アイルランドのイミグレ当局はカコパさんを「不法就労者」、「アサイラム・シーカー(難民申請者)」だと疑い、彼の身柄を拘束し、Maghaberry jail(マガベリー刑務所)に入れた。刑務所では彼は裸にされて所持品検査をされた。

マガベリー刑務所ってさぁ、ほんとに「刑務所」なんだよね、独立した入管の拘置施設とかではなく(入管の施設ならよい、という話ではないのだが)。NIって入管の施設と刑務所の別がないんか。うへぇ。

マガベリーについて検索してみたら、UDAの囚人同士が上等!モードになって大変とか、あといちいちリンクはしませんが、リパブリカンのPOW (prisoner of war) が収容されている件についてとか、刑務所の環境(condition)が劣悪である件とか、いろいろ記事があるんですが、私の記憶に間違いがなければ、UDAのジョニー・アデールがぶち込まれていたのもこの刑務所だったはず。2003年にはReal IRAが「ダーティ・プロテスト」を開始したという報道もあり(これはあまりおおごとにはならなかった)、要するに「ベルファストの刑務所」だ。また、ここにいるのは武装組織関連の囚人だけでない。一般の刑法犯(殺人、強盗、窃盗など)もここで服役している。

カコパさんは2日で身柄を解放されたが、一緒にいた妻子は彼が身柄を拘束されたときに空港のロビーにいて(家族がイミグレを通れて、ワーパミを持っている本人が通れなかったというのは、誰がどう見てもイミグレ係官の頭がおかしい)、カコパさんが連行されていくのを見ていたそうだ。刑務所に入れられた後、カコパさんは電話をすることも許可されず、弁護士を依頼するなど法的な手段を講じることもできなかったそうだ。

今回、イミグレを提訴して£7,500の賠償金で和解したカコパさんは、先週ベルファストを訪れ、サンデー・ライフのインタビューに次のように語った。

「裸にされて身体を探られるなど、まるで動物扱いです。尊厳なんてものはまるでありませんでした。子供たちは『パパをどこに連れて行くの』と泣き叫んでいました。これまで生きてきて、あれほどの屈辱を感じさせられたことはありません。今までで一番ひどい経験でした。どんな人であっても、あのような目にあうことがあってはなりません。」

「黒人だからというだけで拘束され収監されたんです。イミグレの別室(detention room) にいたのは全員黒人でした。偶然ではないでしょう。」

別室での様子を、サンデー・ライフは次のように書いている。これはヒースローで大変な目に遭った日本人の経験と大筋同じだ。
Mr Kakopa spent several hours being repeatedly quizzed by officials before being told he was being detained.

つまり別室では、何度も何度も(同じ)質問をされる。これは「うそをついている場合は答えにブレが生じるから」という前提でのこと。そしてイミグレ・オフィサーは「こいつはうそをついている」という前提で、「うそをついていること」を証明するために尋問を行なうので、答えにブレが生じるまで延々と質問を繰り返す。(これは「英国のイミグレ」に限った話ではない。)

人間は、あんまり何度も同じことを言わされていると、相手に自分の言いたいことが伝わっていないのではないかと不安になるなどして、ことばを変えたり、別な表現をしてみたりするものだ。あるいは、最初に話をするときに、あんまり詳しく述べる必要はないと判断し、適当にはしょってしまうということもよくある。(「私の姉の夫の兄が」とか「私の義理の兄の兄が」と言わず、「私の知り合いが」、「知ってる人が」などと表現しておく、など。) イミグレはそういうところにツッコミを入れてくる。で、「ボロ」が出るまで数時間、飽き飽きするまで尋問が繰り返される。

つまり、観光であろうが何であろうが、入国するだけで「犯罪/不法行為を行なおうとしている人物」として、つまり「犯罪者」として扱われる、というのが標準、というか。むろん、最初にその点について疑問の余地なしということを示している人(エントリー・クリアランスを済ませている人)は大丈夫、というのが一般論なのだが、カコパさんのケースではイングランドでワーパミで働いているのにこの扱い、たまたま彼があたったイミグレの係官が平常心でなかったに違いない。

っていうか、経験上、英国の官僚主義者って一度「ノー」と言い出したらとことん「ノー」、それこそ「雨は降っていない」と一度言い出したら、現に雨でびしょぬれの人が目の前にいても「降っていない」と言い続けるものだということは私は知ってはいるのですが、それがここまで極端な形で示されているのも珍しい。家族は問題なく入国できて、お父さんはダメ。しかも子供たちのパスポートを持っているのはお父さんなのに。まったく意味不明。

BBC記事によると、イミグレでは例によって「個別のケースについてのコメントはいたしません」なのだが、これらの記事から類推される背景としては、カコパさんと同じような条件の人物(国籍または肌の色、年齢、身長など)についての「要注意リスト」みたいなのがイミグレ内部で出されていて、そのオフィサーが過剰反応した(ワーパミも給与明細も運転免許証も無視した)ということか、と思う。

カコパさんのインタビューから:
"I told them that they were not taking me from the detention room and leading me out past my family in chains. I told them they would have to drug me and carry me to the van.

"When they told me I was going to a detention centre I had this vision of my wife and children also being taken to a detention centre.

"From there I had no freedom, I had no contact with my family, I did not know what my family was going to do."

「家族の前を、鎖につながれて連行されていくのなどまっぴらだと言いました。やるなら引きずっていけ、と。収容施設にいくのだと言われたとき、妻と子供も同じように収容施設に連れて行かれる光景が浮かびました。その先は一切の自由はありませんでした。家族に連絡することもできず、家族がこれからどうするのかもわかりませんでした。」

こういうことはヒースローでもないわけではなく、イングランドで開催される会議のために同じ便で渡航した東洋人2人が、まったく同じ書類を持っていたにも関わらず、1人は問題なく通過できて1人は別室、というようなこともあったとか、まあいろいろ聞いてはいます。(ゆえに「イミグレは運しだい」と言われる。)

カコパさんは空港からマガベリー刑務所に移送され、複数の官吏の見ている前で全裸にされて身体を検査された(strip search)。カコパさんは「彼らにとってはそれが仕事なのかもしれないけれども、こちらとしては、死ぬまで忘れられない経験だ」と語っている。

それから、彼はすでに囚人が1人入っていた房に入れられた。そこですぐに具合が悪くなり、カコパさんは刑務所の病院に入院した。

その間、家族はイングランドに戻り、カコパさんのワーパミをNIのイミグレに送った。カコパさんが収容されたのが土曜日で、夫人がワーパミを送付したあとの月曜日に彼は釈放された。といっても、単に、ベルファストに戻れる囚人用の交通機関の切符を渡されて刑務所の門の外に出されただけだったそうだ。

なお、この件では、NIのEquality Commission(平等委員会: ECNI)が、カコパさんとイミグレ当局との間に入って和解の手続きが進められたようだ。法的根拠はthe Race Relations (Northern Ireland) Order(「北アイルランド人種関係法」かな)。
http://www.equalityni.org/
http://www.ofmdfmni.gov.uk/index/equality/equality-commission.htm

2002年に研究のためにNIを訪問された日本の大学の学生さんの研究報告が下記に。
http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/law/2003_07_j.html

少し引用:
 インタビューに応じてくれたEquality CommissionのLynの話によると、雇用差別や教育における宗派差別は年々減少傾向にあるとはいえ、まだまだ問題は数多く残るという。Lynの所属するEquality Commissionでは差別を禁止する法律を作り、毎年その従業員におけるプロテスタントとカトリックの割合や新しく採用した人の宗派の割合などの細かい報告書の提出を求めている。そのことが差別撤廃の大きな契機になったといっていた。政府の強制力で今は雇用差別が徐々に減ってはいるが最終的には強制力なしで実現したいということである。また、近年ではプロテスタントやカトリックのほか、華僑やアジア系住民が増えていることから、それらに対する差別撤廃措置を講じる必要が出てきているということである。

北アイルランド紛争は「宗教紛争」や「宗派紛争」ではなく(プロテスタントは「教皇という権威」を否定するから、その色彩はもちろんあるのだが)、「民族紛争」、「人種差別」の問題である。東洋人からは、見た目では違いなんかわからないような人たちが2つの「民族」に分かれていて、一方が一方を差別していたところから発生している。

ECNIはそのことを踏まえて設立された機関だが、近年の「移民」の増加(旧英国領だけでなく、EU新加盟国など)は旧来の「差別」とは別の「差別」(カトリックだプロテスタントだという話ではない、もっとストレートなゼノフォビア)という問題も顕在化させ、現在はECNIはそういった「(肌の色や言語による)差別」に取り組み、また、結局のところ「宗教右翼」であるプロテスタントの政治家たちが公言しているようなホモフォビアにも取り組んでいる。

なお、映画『ホテル・ルワンダ』でツチ族とフツ族について、アメリカ人記者(ホアキン・フェニックスが演じた)が「俺には違いはわかんないけど」と言いつつホテルのスタッフに質問をしていたが、あの映画を作った監督は北アイルランド出身で、当事者として「紛争」を知っている。(そのわりには映画は物足りないと私は思ったが。)「外部の者が『俺には区別がつかない』と言うような差異」で「族」を分けることの無意味さはわかっていても、分けることがなかば習慣化していたら分けずにはいられないのかもしれない、というのを私は『ホテル・ルワンダ』を見たときに感じたのだが。

北アイルランド/アイルランドでのこの点については、少なくとも、清教徒革命後、チャールズ2世のときの審査律(カトリック寄りの国王と対立する議会が「カトリックは公職に就けない」ということを法的に規定した)にまではさかのぼれる話で、そうそう単純な話ではない。審査律は19世紀前半、ロバート・ピール首相のときに撤廃されたのだが、「差別」というのは法律が撤廃されたからといって消えるものではない。まして北アイルランドでは「自治政府」という名のアパルトヘイト政権(プロテスタント独占)がカトリックに対し公然と差別を行なっていた(選挙区でカトリックが不利になるように境界線を引く、など)。そして、審査律撤廃から130年余りを経た1969年に、米国の黒人の公民権運動に触発された形で、北アイルランドでも「公民権運動」が起きた、ということが「紛争」の始まりにある。(「紛争」におけるカトリック側のもうひとつの重要なファクターである「アイリッシュ・リパブリカニズム」が、70年代には完全に主役の座を奪うのだが。)

アイルランドにおけるカトリック差別法については:
http://en.wikipedia.org/wiki/Penal_Laws_%28Ireland%29
※Penal Lawといっても「刑法」ではありません。ややこしいわね。

で、このころにはまだ「権威」は「英国王」でありChurch of Englandであり、またそのアイルランド出張所みたいなChurch of Irelandであって、プロテスタント諸派(プレスビテリアン、メソジスト、クエーカー、etc)はカトリックと同様に「差別」されていた、というのも、言ってしまえば「ややこしい」話である。(だからアイルランド問題と北アイルランド紛争を「宗教」つまり「カトリック対プロテスタント」で語ると、わけわかんなくなるのだが。)



なお、ジャイアンツ・コーズウェイは世界遺産であり、地質学など専門的な関心の的だし(ただし普通に「観光」するには岩と海だけで物足りないとの話も)、アントリムの海岸は風光明媚で知られている。そういう「観光資源」を有した北アイルランドは、「紛争」がほんとに終わった(2005年7月にはIRAが「武装闘争の停止」を宣言している)あとは、観光客の数をぐっと増やしている。当局も観光に力を入れている。

※この記事は

2007年10月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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