kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年09月30日

ビルマ、現地からの写真

東京は金曜日まで無茶苦茶暑くて、土曜日からいきなり寒い。金曜日は部屋の気温は35度だった。今日は15度。この3日で、真ん中の25度というのがない。まるで「ブッシュかビンラディンか」みたいに極端。

というわけで今日は、ビルマ現地からの写真を見ていた。ビルマってほとんど何も知らないから(ニュースでやっていることくらいしか知らない)、誰が何の目的で何をしているのかがまったくつかめていないも同然なのだが、そういうときはとりあえず写真だ。(イミフメイ)

ラングーン(ヤンゴン)では街路で警官が持ち物検査をしており(英語でいうstop and search)、バッグの中にカメラが入っているとそれだけで逮捕されてしまうような状況であるとの報告もある(29日)から今後は写真が出てくるかどうかまったくわからないが。

現地写真の前にまずはパリから。エルメスのバッグでも有名な(←この紹介の仕方はどうよ、というのはおいといて)女優のジェーン・バーキンが、フランスでの運動に深く関わっていて、Dr Sein Win(National Coalition Government of the Union of Burmaの「首相」)のスピーチで英語からフランス語への通訳をしている光景と、セゴレン・ロワイヤル、ジェーン・バーキンがDr Sein Winを迎えている光景。
Jane Birkin and Dr. Sein Win in Paris, France Jane Birkin, Segolene Royale and Dr. Sein Win in Paris, France
# CC photos (by-nc-nd) by Hughes Leglise-Bataille
# Hughes Leglise-Batailleさん(以下「Hugoさん」)の写真は、 Protest at Myanmar embassyのセットと、 Protest for Burma at Trocadéroのセットにも。Hugoさんは英語もフランス語もできる方で、説明などは英語です。

私はジェーン・バーキンがここまで熱心なアクティヴィストだったということを知らなかったので、それだけでも驚。と同時に、ヴァネッサ・レッドグレーヴを連想したり(そういえばジェーン・バーキンが先日亡くなったミケランジェロ・アントニオーニの『欲望 Blow-Up』にはヴァネッサ・レッドグレーヴもジェーン・バーキンも出ていたなあ)。

では現地写真。

まず、Burma-Myanmar Genocide 2007というグループブログのフォトギャラリー。何人かが共同で運営しているブログのメンバーがまとめて写真をストックしている。現時点で全部で400点以上ある。このトップページにある写真は、メンバーの写真から1枚を掲示してあるだけで、それぞれの写真をクリックすることで、各メンバーの写真が一覧できる。ブログで紹介するなどした写真をまとめておいてあるという感じで、大手メディアが配信した写真も含まれているが、現地で誰かが撮影したと思われる写真も多い。(何枚か、凄惨な写真もあるので、血を見ると倒れてしまうような方はご注意を。)

それから、flickrでひとり。英語を使う人だ。
http://www.flickr.com/photos/naingankyatha/

一番古い日付の写真が2007年9月24日で(投稿は25日)、現時点で投稿されているのは28枚、いずれも今回の一連のデモの様子を撮影したもので、一番新しいのは29日付け。これを撮影してアップしている人の無事をひたすらに祈る。

それから、flickrをいろいろ見て回っていたら、サンフランシスコ在住のAlanさんが、知己である英国人ジャーナリスト(在タイのバンコク)、Jeanny Hallacyさんから送信された写真を、Burma Uprisingというセットで公開している。(Jeanny Hallacyさんはビデオジャーナリストでドキュメンタリー作家。現在はPBSとChannel Fourで仕事をしている。過去の作品にBurma Diary (1997)など。IMDBも参照。)

このセットは、Alanさんご自身が1990年代に撮影したタイとの国境地帯の難民キャンプでの写真13葉を含めて、現時点で35葉の写真で構成されている。1990年代の写真と、Jeannyさんのポートレイトを除いた21葉は、すべて、今回のラングーン(ヤンゴン)での「反軍政デモ」の様子を撮影したもので、この写真をAlanさんに送信したJeanny Hallacyさんが撮影したものではない。Alanさんは送られてきたものをそのままアップロードしたそうだ。写真のタイトルも元々つけられていたままで、タイトル部分におおよその場所や日付の入っている写真もあれば、何ら情報のないものもある。

長井健司さんが射殺された現場のすぐ近くのあの大きな交差点で撮影されたものが2枚ある。1枚目の写真では、路上に座る人々が背後から撮影されている。右端に僧侶の姿があるが、それを除いては僧侶ではない一般の人々だ。遠景には楯を持った機動隊が道路を封鎖しているのが確認できる。

同じ場所で撮影された2枚目の写真では、何か話をしているらしい僧侶1人と、それに耳を傾ける数名の人々。遠景にはやはり機動隊。

おそらくズームで寄ったのだろうが、大通りを封鎖する機動隊をとらえているのが4枚目

3枚目5枚目は車が何台も停められた細い通り(食堂か何かが並んでいる)で、数名の人々がこちらに向かって走ってきているところ。

6枚目は雨の中を行進する僧侶たち。みなまだ若い。20代だろう。僧侶の列の外側を一般の人々が固めている。僧侶の一人が托鉢に使う鉢を逆さまに掲げて何かを叫んでいるようだ。この「鉢を逆さま」というのは「お前からの喜捨は受けない」という意思表示だそうだ。この写真には「9月24日」の日付がつけられている(写真タイトル)。

7枚目は桃色の衣を着た尼僧たちの行進。まだとても幼い顔もある。こちらも列の外側を一般人が手をつないで固め、沿道には大勢の人たちがいる。画面右端に、機動隊の車だろうか、水色の大型車のようなものが頭だけ出ていて、そこにはオリーヴ色の制服だと思うが、そういうものを着用した人物の姿が確認できる。日付は9月24日。

8枚目も僧侶の行進。逆さまにされた鉢が画面の中央に確認できる。そのすぐ左には旗。場所はnear Yay Kyaw township Rangoonだそうだ。日付は9月24日。

9枚目はスーレ・パゴダと市役所の前の広場。デモ隊の到着地点であろう。日付は9月24日。

10枚目は、高齢の僧侶が一般の人々の中で話をしている光景。僧侶は立派な杖と赤い紙袋を持っておられる。集まった人々の中には男性も女性も、10歳くらいの子どもも、誰かに抱かれた幼児もいる。西洋人らしき顔も群衆の中に確認できる。

11枚目も同じ僧侶と群集。フレーミングの関係だろう、子どもの姿が10枚目より多く確認できる。また左後方には路線バスと思しき車の姿がある。

12枚目は行進していく僧侶たちと一般の人々。みな雨でずぶ濡れだ。

13枚目はとても若い僧侶(10代の修行僧だろう)の行進の列。裸足で、アスファルトで舗装されていないように見える場所を歩いていく姿。

14枚目16枚目はオレンジ色の横断幕を掲げた僧侶たちの行進。横断幕にはビルマの文字で何かが書かれているが、キャプションによるとこれは 'Let the People's desire be fulfilled' つまり「人々の願いのかなわんことを」というような意味であるとのこと。

15枚目も僧侶たちの行進。旗がくくりつけられているのはただの竹の棒だ。

17枚目はスーレ・パゴダの前。僧侶たちの列と、両脇に一般の人々。

18枚目は行進する僧侶たちの外側の一般の人々をとらえた写真。手をつないで僧侶の列の外側を固める一般の人々の中に、女性が何人か確認できる。

19枚目は一般の人々の行進。遠景にスーレ・パゴダが見える。

20枚目は一連の写真のなかで最も「平和的」な空気を感じさせるものだ。まだ空もわりと明るく、雨もそれほどではなかったようで路面には水がたまっていない。逆さまの鉢を掲げた僧侶の隣の僧侶は笑っているし、その向こう側の脇を固めた一般の人たちも笑っている。後方の、旗を掲げた僧侶の後ろの僧侶も笑顔で、最前列にはブッダか弥勒か、はっきりとわからないが仏様の絵姿を掲げた僧侶。

21枚目はスーレ・パゴダ前の広場の群集と僧侶。19枚目と同じ絵姿を掲げた僧侶が確認できる。空は暗く、路面はすっかり濡れている。


ところで、28日に長井健司さんについてflickrで書いたときに何もわからなかった、「9人の死者」のうちの8人(長井さんを除く)だが、2人のご遺体の写真がネットで確認された。(以下のリンクはご遺体の写真へのリンクです。血を見ると倒れてしまうという方はクリックしないようにしてください。)

まずは、先日も少し触れたが、Ko htike blogの28日記事にアップされた、後頭部か首を撃たれたと思われる若い男性。

それから、flickrでWozzさんという方がアップしたコラージュで、右上の角にある青年。上の若い男性の写真と同様、DVBにアップされたもので、Tシャツは血でぐっしょりになり、こめかみに穴が開いて、脳みそが見えているようだ。DVBのサイトではPhotosからたどれるが、キャプションは "Another young demonstrator was shot dead on 27 September in Rangoon." となっている。

合掌。

これらのほかに、やはり27日の日付で、道路わきの側溝に千切れた葉っぱが飛び、その中にピンク色の物体が視認できる写真がある。

彼らの28日記事によると、27日にラングーン(ヤンゴン)のTarmwe地区でSPDCに撲殺された若い男性の脳が飛び散ったものの一部だそうだ。彼らはゴムでコートされた警棒ではなく金属のごっつい警棒を使っており、殴られた男性は頭蓋骨が砕けてその場で息絶えてしまったという。亡骸は当局が運び去ってしまったそうだ。

合掌。

※この記事は

2007年09月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:29 | Comment(3) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 ジェーン・バーキンはイギリス出身で全編ドイツ語の映画に出演しているという、
よくわからない経歴が好きです。

 こんなカタチでビルマという国を知ることになるとは何とも悲しいことですね。
平和ボケと言われようが、日本に生まれてよかったみたいです。
Posted by shu at 2007年10月01日 00:21
>shuさん
私は顔が好きです。で、私にはやはり「ミック・ジャガーの妹」に見えるんですが。<ジェーン・バーキン

この人、フランス語がひとこともできないときにフランスに渡ったんですよね。私には真似できないと20代のころに思ってました。(誰も真似しろとは言っていないけど。)

そのうちに彼らが、平穏な、それこそ何の変哲もない「近所のネコ」とか「今日の昼ごはん」とかの写真を楽しんでアップロードしてくれることを願って。
Posted by nofrills at 2007年10月01日 00:44
犠牲者名のリストです。10月1日現在。
http://ko-htike.blogspot.com/2007/09/news-stop-bloodshed-in-myanmar-concern.html

Death list by junta violent crush (from AAPP)

Name: Ko Soe Than (b) Si Tone
Address: 716 , 26 Street , No 5 Quarter, S/Okkalapa
Age: 41 years old
Date of death: 27 September, 2007

Name: Kenji Nagai
Adress: Nakano Ward, Tokyo, Japan
Age: 50
Date of death: 27 September, 2007
Remark:He is a photo journalist of freeland

Name: Myo Min Htun
Address: 287 , 24 Street , No. 7 Quarter, S/Okkalapa
Age: 22
Father: U Than Htun
Date of death: 27 September, 2007

Name: Zayar Naing
Address: Mahor Video rent shop , Thura 2 Street, No. 9
Quarter, S/Okkalapa
Age: 18
Date of death: 27 September, 2007
Remark: He is a tenth student of Basic Education High
School- BEHS (2) School , S/Okkalapa, Rangoon

Name: Pho Zaw
Address: Dan Ohn Set, Marga street, N/Oakkalapa,
Rangoon
Age: 40
Date of death: 29 September 2007

Name: Sunny (alais) kalamalay
Address: Bo Htun Zan Quarter, Daw Bon, Rangoon
Age: 18
Date of death: 29 September 2007

[UPDATE on Ko Htike]
Name: Ven, Thila Sara
Address: Yuzana monastery, Myintkyina, Kachin State
Age:
Date of death: 26 September 2007

Name: Tun Tun Lin
Address: 1060. 13 street, 7 ward, S/Oakkalapa, Rangoon
Age: 31
Date of death: 27 September 2007
Posted by nofrills at 2007年10月02日 11:55

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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