kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年09月09日

「アルカイダのリシン・テロ計画」という神話を解体する

バスラの英軍撤退とか、英軍上層部が米軍をけなしているとか、イラク中部でSASが1人死んだ(カルバラかな? サドル派民兵が分派して暴れているらしいし)とかいろいろあるのだが、ひょんなことから2003年に北ロンドンの住宅街で起きた「リシン発見か」事件(<東スポさんではないが、この「か」が重要)について、GlobalSecurity.org(以下、「グロセキュさん」)の中の人が説明している文章を見つけたので、それを優先する。

「グロセキュさん」は、最も信頼されている軍事・安全保障情報サイトのひとつ。変なアジテーションがないサイトだ。拠点は米国。私はよく参照させていただいている。

グロセキュさんは、2003年のUKでの「リシン発見か」事件についてこれまでも熱心に取り上げてきた。結局あの事件は「幻」だったのだが、事件当時のインパクトがあまりに強く、またいい加減な情報や情報操作のために流された情報が増殖させられて(増殖するままにされた)、何かすごい話になってしまった件については、そのまま放置されているようなものだ。グロセキュさんはそれを「神話 mythology」と呼び、それに対する警戒を呼びかけている。

ブッシュ政権の「テロとの戦い」の最も恐ろしい側面は、どんな爆弾を使ったとかいうことではなく(それも恐ろしいのだが)、民主主義を根本的に蝕む「恐怖」を、世の中を動かすために使っているということだ。私はアメリカのことはよく知らないから何ともいえないのだが、イギリスは、ブレア政権というのがブッシュ政権とは違って、基本的に「弁護士」っぽいというか(ブレアもストローも政界入りする前の職業は弁護士、ほかは60年代学生運動の担い手だった人とか大衆紙のジャーナリストとか、とにかく「言葉」がスゴい人たちだった)、「言葉」で「(とりあえずは)穴のない理屈」を仕立て上げることに長けた人たちで、しかも「煽り」が上手い。彼らは口では「民主主義」と言い、「民主主義」の形式は整えていたが、実際には嘘八百のデタラメ三昧だった。

「リシン」の件は、そんな英国の政治的指導者が、言葉を使い、警察を動かし、軍を出動させ、「何かわからないけどものすごく怖いことが起きている」という「イメージ」を人々の間に行き渡らせた「テロ未遂事件」(ただしまぼろし)だった。(それはまるで日本での「幼女誘拐」が「フィギュアをいっぱい持っているおたく」に結び付けられるような乱暴な話だ。)

というわけで、グロセキュさんの記事。

Renewing the mythology of the London ricin cell
Not worth a tin full of beans
By George Smith, Dick Destiny
Published Friday 7th September 2007 09:31 GMT
http://www.theregister.co.uk/2007/09/07/london_ricin_cell_myth/

【概要】
欧米のテロリズム研究のかなりの部分には、あなたがたはサメかと思わされる。泳ぎ続けていなければ死んでしまうといわんばかりだ。

これによって2つの結果がもたらされる。まずは、何かを書くか、死に絶えるかという状況。そこでは神話を更新するためにはどの死体を無視してよいのかを考えつつ、過去の戦場に忍び寄る方向性が生じる。もうひとつは、テロリストはまるでビザンチン様式のように込み入ったネットワークと恐ろしい能力を有していると主張するための、新たな、テロリズムについての分析。

この夏に出た、『ロンドンのリシン・セル "The London Ricin Cell"』と題された記事【訳注:リンク先PDF】もその一例だ。書いたのはロンドンのGlen Segellで、Strategic Insightsの8月号に掲載されている。この媒体は、「モンタレー海軍大学の現代紛争研究センターの制作するオンライン誌(隔月刊)」だそうだ。モンタレー海軍大学はカリフォルニア州にある。

ここで問題の『ロンドンのリシン・セル "The London Ricin Cell"』を見ておいていただきたい。表紙には NPS Presentation: July 2006 とある。

2006年7月のものが、なぜ2007年の8月号で発表されるのか、わけわからん。「ウィリアム・モリスの生活と芸術」とかいうテーマならそれでもいいのだが、時事でしょう。しかも海軍大学で。

続き。
『ロンドンのリシン・セル』は、逮捕された容疑者のひとり、Kamel Bourgassについて、現在一般に事実と認められていることをほとんどすべて書き換えている。つまり、2003年1月に(英国の大衆紙)デイリー・ミラーが「アルカイダの毒物班」について書きたてたようなことを、検討を加えずまた繰り返して書いているだけなのだ。多少トーンは落ち着いているものの。

『ロンドンのリシン・セル』なるこの文での分析からは、また、2件の重要な、立証された事実が抜け落ちている。現場で発見された(リシンの原料となる)トウゴマの実 (castor beans) の数はわずか22であったこと。それから、容疑者たちが逮捕されたフラットで当初「リシンが検出された」と発表されたが、その検出は誤りであったこと【訳注:→ワシントン・ポスト】。官僚仕事でのミスやら不明瞭な言葉や、英国での緘口令のために、こういったことがわかったということが白日の下にさらされたのは、2005年になってからだった。

ロンドンからイラクへ、そしてアフガニスタンのアルカイダの潜伏場所へと伸びている「リシン・ネットワーク」があるという主張は、裁判で退けられた。しかし英国政府筋は、この事件を結ぶに当たって、従前どおりの「ロンドンからイラクへ、そしてアフガンへのネットワーク」という主張を繰り返し、それをニュースに流したのである。

そろそろウンザリしてきたでしょうか。私はウンザリです。こういうことをやるから、「政治への信頼」が失われたり、「タブーに挑む」無根拠な推測が「理性のある人のやること」に見えたりするんじゃないかと。民主主義を破壊しているのは誰だと。

で、ウンザリしてるところで何なのですが、ここからがグロセキュさんの話の本題。
GlobalSecurity.Orgのシニアフェローとして、私はリシン製造についての情報を、弁護側の証人となった法医学者のDuncan Campbellに提供した。私が法廷での証拠、中でもBourgass被告が持っていた毒物の化学式を知っているのはこういう事情だ。そしてその結果として、私はこの裁判について、英国のマスコミが報道を許可される前に、米国で記事を出すことができたのだ。

あのとき、「グロセキュさんに出てるのに、なんで英国で報道がないのーー」と思ったのは、こういう事情だったんですね。やっぱり、ですけど。さすがに私も2004年にはそろそろ「BBCが当てにならないとき」が何となくわかるようになってきましたが、リシン裁判のときはそもそも何もなかったので「怪しい」とさえ思えなかった。ああ、闇は深い。(高い英語処理能力を持ちながら安易ななんとか論に飛びついてる人たちは、こういうことにそのエネルギーを注いでほしいと思う次第。)

続き。
その結果、米英の多くのジャーナリストから電話やメールでコンタクトがあった。その対応をしている間に、英国政府がリシン事件裁判の結果についての情報操作をしているということが明らかになった。それは確固とした方針があり非常によく計画されたキャンペーンだったし、いくらかは成功した。

私とずっとメールで連絡を取っていたタイムズ紙の軍事記者、Nick Fieldingは、ロンドン市警の対テロチームのお偉いさんが、この件が同紙で同報道されるのかについて同紙のお偉いさんと面会したと伝えてきた。その結果、検察側の言い分に反するようなことはほとんど書けないのだと。

どっかーーん。こんなことはわかってはいたのだが(マードックに買い取られたあとのタイムズは御用新聞、政権が労働党であれ保守党であれ)、どっかーーーーん。タイムズでこれなら、ガーディアンへの圧力もひどかっただろうし(実際に記事を取り下げさせられているとのこと)、BBCはいわずもがな。

で、Nick Fieldingの名前がここで出たことで、今後もしこの記者が窮地に立たされたら、当然、誰かがdefend Fieldingで動くだろうから、そしたらまたお伝えします。

そしてその結果は惨憺たるものだった。米国ではリシン裁判に時間をかけた数少ないメディアは、陪審が反乱を起こし(renegade)、脅威であるテロリストどもを自由の身にしたのだという印象を与える報道を行なっただけだった。裁判において検察官のNigel Sweeneyの口から出たことばが(米メディアで)何度も繰り返された。Sweeneyは、Kamel Bourgassの所持していたメモは「遊び半分で書いたような製造法ではない。……専門家が検証し、実験でも実証された製造法だ」と述べていたのだが。

実際には、まったく反対だった。

それを証明するために、私たちは出所と意味についての説明をつけて、法廷での(英語に)翻訳された証拠(=被告のメモ)をサイトで公表した。

被告のKamel Bourgassはアルジェリア人で、彼の日常の言語はアラビア語だ。

海軍大学の『ロンドンのリシン・セル』の記事では、国連安保理でコリン・パウエルの弁じた全く根拠のない推測やら、ブッシュ政権の代弁者でしかないアリ・フライシャー(報道官:当時)やリチャード・マイヤーズ参謀長の述べた全く根拠のない言葉、つまりイラクとロンドン・欧州の間でリシンが行き来しているなどというものが、また改めて述べられている。その言説には根拠がないとわかっているのに、そういう注意書きもされていない。

「リシン・リング」は、組織犯罪と「軍閥の支配」に関連した「大量破壊兵器のネットワーク」の一例として扱われ、それゆえにこういうことが起きているのだ。つまり、これはただリシンに限らず、もっと大きな話の一部として行なわれている。

The Strategic Insights誌に掲載された記事は、「ロンドンのリシン・セルは大量破壊兵器ネットワークであるとしっかりと主張できるのは」、ロンドンで発見されたリシン製造法が、アフガニスタンで発見されたものと同じであるからだという。

しかし実際には、ロンドンで発見されたのとアフガニスタンで発見されたのとは同じではない。

これを理解するには、ジハディストの文書で発見されているリシン製造法は、2件のアメリカのソースから発したものであるということをまず念頭に置いておいていただきたい。1件は、1984年の "The Weaponeer" という冊子でKurt S*****が書いたもの(後に1988年の "The Poor Man's ************, Vol. *" に再録)、もう1件は、1988年にM****** Hutchkinsonが出した "The ********'s Handbook" である。これらの文献のコピーを私は(弁護側証人の)Duncan Campbellに提供した。つまり、英国の法廷に提出したのだ。【訳注:文中、人名など固有名は一部伏せました。安易にこれについての情報を集める人がいると、人が死ぬ事態にもなりかねないので(私はそれはいやです)。知りたい方は原文をご参照ください。】

The Strategic Insights誌の記事では、問題の製造法はHutchkinsonのものであるという。しかし実際にはそうではない。その製造法にある手順が、Bourgass被告の持っていた製造法にはなかったのだ。

ここで原文では、それらが「違う」ということの意味の解説が入りますが、そこは本筋とはあまり関係がないので省略します。(しかしこういう説明を読むと、「事実」がいかに大切か、「解釈」が「事実」を上回ることがいかに危険か、そういうことを考えますね。Guildford Fourなど「IRA容疑者」についての一連の「誤審、冤罪」は「解釈」が「事実」を上回ることで発生していたのだけど。)

……結果として、検察側はBourgass被告の所持していたリシン製造法が、アフガニスタンのアルカイダと関係しているということを立証できなかった。(私が資料を提供した)Duncan Campbellは、Bourgass被告の持っていた毒物の式を、Yahoo!のサーバ上で発見した。

Yahoo!のサーバということは、geocitiesかな。私もウェブスペースを持っていますが、Yahoo!アカウントさえあれば誰でも登録できますね。GeocitiesがYahoo!傘下に入る前は、メールアドレスだけで使えていたと思います(記憶不確か)。

もうひとつ、Bourgass被告の所持していた製造法について重要なのは、基本的に使い物にならないようなしろものだったということだ。これは(検察側の)Nigel Sweeneyの述べていることとはまったく反対だ。しかるに(海軍大学の)『ロンドンのリシン・セル』ではそのことにはまったく触れていない。おそらくそれに触れたら、リシン事件は「大量破壊兵器を拡散させるセル」の存在を示す事件であるとの理屈がつかなくなるからだろう。

まったくもう、先日のイラン人女性難民申請却下の件で、英内務省の文書では1998年かそれ以前の「イスラム圏」についての「専門家」の説明が、2006年に「イラン」についての有効な説明として扱われているというのを見たばかりですが、こうやって、古い情報に基づいて書かれたものが(それが意図的にであれ、単に記事にするのが遅れたからであれ)、「2007年8月号」として世に出てしまうことは、ただのウッカリとか編集都合とかいう事情であったにしても、困ったものです。

このあとはBourgass被告(現在は別の罪で服役中。逮捕しに来た警官を殺したことで殺人罪で有罪)の持っていた製造法のどこがどうダメなのかの話が少し続きます。そこは省略。Hutchkinsonの製造法はトンデモだったということで(コーン・フラワーと水と肉でボツリヌス菌ができる、とか)。(英国でも60〜70年代にそういう「ハンドブック」のようなものはあった、という話はロンドンで古書店のおっさんから聞いたことあるよ。日本人が古書を見に来るのは珍しいと歓迎してくれてあれこれ見せてくれたのだが、そのときに「今は非常にレアで市場に出回らないから高いんだ。うちにも今はない」みたいに。で、その当時、ロンドン市警はああいう「ハンドブック」がガチだと思っていたんだろうか。IRAのマニュアルじゃああるまいし。)

ともあれ、グロセキュさんは専門家魂が揺さぶられたのか、警察・検察が「専門家の書いたもの」と断定したことについてツッコミを入れ放題に入れている。そして、そんな程度でも単純な人は「ジハディスト」ということで単純に信じ込んでしまった、と。

で、その後は、海軍大学のメディアに掲載された例の論文の話で、いやもう、私これどうでもいいんで、日本語化の手間はかけません。

ただ、この論文に関連して、炭疽菌についての話が出ている箇所は、引用だけしておきます。
As part of this "WMD proliferation network," Segell also restates a claim that anthrax was discovered in Afghanistan by US forces. While this idea continues to circulate due to the inevitable persistence of very bad news reports in Lexis, bioweapons expert and historian Milton Leitenberg has exposed it as a canard. Having done research including interviewing of the military and declassification of documents on the subject, Leitenberg has stated and written unequivocally that no anthrax was found.

この件、そういえば聞いたことがあるかもしれないくらいにしか記憶がないのですが、結局見つかってもいない炭疽菌がアフガニスタンで見つかったと、そういう話が流れるままにしていたと。

ばかばかしい。ここまでされていて、アメリカの軍人が政治指導者に文句を言わないのが不思議だ。

グロセキュさんの記事の最後の部分:
In late July, Mouloud Sihali, one of the alleged members of the "ricin cell" related in interview to The Guardian how he came to be part of the Kamel Bourgass trial, even though he did not know that man until he saw him "in the dock". Sihali had been dragged into it by bad luck and coincidence, by the fact that a man with which he had shared a room for a brief period, Mohammed Meguerba, had his address in a pocket when authorities arrested the latter in an immigration raid. The police subsequently arrested Sihali. In the meantime, Meguerba had been released and fled to Algeria where he was recaptured and tortured into a confession that yielded Bourgass's name.

Sihali would probably be dismayed but unsurprised to find that he was still unfairly painted, although not by name, as a member of a "WMD proliferation network" in an American scholarly journal devoted to the study of war and terrorism. The demands of the war on terror often require a supply of bad guys, new and old, even when they're not.

日本語化するのもばかばかしい。ロンドン市警は、英国の警察は、IRAをめぐる数々の冤罪事件で何も学んでないじゃん。映画『プルートで朝食を』でもキティが現場にいたアイルランド人だからというだけで容疑者となり、警察署で殴られ自白を迫られるが、あれはコメディだからああいう展開になったけど、実際にそれで14年も投獄された人、獄中で病死した人がいた(ジェリー・コンロンとその父親、映画『父の祈りを』を参照)。

しかも、アメリカでは、この無関係な、ただ巻き込まれただけの人が、いまだに「大量破壊兵器拡散ネットワーク」の一部とな? しかも戦争とテロリズムの専門誌で?(海軍のメディアだが。)

ジェリー・アダムズがいまだに「テロリスト」扱い@2006年というのとは話が違う。GAは限りなくクロに近いグレーだが(<あ…)、この人は単に「前のフラットメイトのフラットメイト」じゃないか。

「事実」などどうでもよいのだろう。あの人たちは「法」もどうでもいいみたいだし、もちろん「人の命」もどうでもいいみたいだし、じゃああの人たちがどうでもよくないものって何だ、となると陰謀論に転がりやすくなる。

あ、このかわいそうな人のインタビュー@ガーディアンは:
http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,,2135806,00.html



「リシン発見か」事件について:

昔からあった「英国でのテロリズム」が、2001年9月11日以降どのように「今のテロは違うテロ」として扱われたか、先日のジョン・ステュワートのダブヤおちょくりお茶吹き芸での「連中は靴は手に履くんだ!」もすごかったけれど、2001年8月までReal IRAがロンドンで爆弾を仕掛けていた英国では(その後同年11月にRIRAによってバーミンガムがやられたが、バーミンガムは運良く車両発見がうまくいったので被害はなかった)、「このテロはあのテロと違う」ということは、「空気」として、当時は笑いにできそうにもなかった。

っていうかブレアは真剣なおかつ必死だった。片方の手一枚の舌で「テロリスト」を糾弾し、片方の手一枚の舌で「元テロリスト」を「政治家」として扱っていた。その正当化のために「自爆するかしないか」という、いやー、どっちが凶悪ですかって話になって、そんなユルくてグダグダなことでは「テロ」(抽象名詞)との戦いはできんのではないかといいたくなるような、「現実的」な路線がとられた。私は東京で呆れながらぽかーんと眺めていた。英国的な、あまりに英国的な。

そういう時期の金字塔みたいな(<日本語の選択が変)事件が、「リシン事件」だった。

当ブログでの過去記事は「リシン」のタグをつけてある。
http://nofrills.seesaa.net/tag/%83%8A%83V%83%93

■「ロンドンのリシン」事件を覚えていますか?〜判決が出たという件について情報求む [2005/04/13 09:51]
http://nofrills.seesaa.net/article/22706861.html

■「ロンドンのリシン事件」をコンテクストに位置づける 1 [2005/04/13 10:10]
http://nofrills.seesaa.net/article/22706971.html

■「ロンドンのリシン事件」をコンテクストに位置づける 2 [2005/04/13 10:19]
http://nofrills.seesaa.net/article/22707057.html

■「リシン」報道。 [2005/04/15 17:57]
http://nofrills.seesaa.net/article/22707120.html

■2003年の「リシン」事件の過去記事 [2006/08/23 16:01]
http://nofrills.seesaa.net/article/22706734.html

事件発生当時の私のメモから:
(19) ロンドンで激毒物押収。
2003-01-08 (Wed)

ロンドン警察のテロ対策部隊は日曜日,北ロンドン,ウッド・グリーンのあるフラットで激毒物リシン(Ricin)を押収,フラットの住民ら男女6名(北アフリカ出身)を,テロ対策法(the Terrorism Act 2000)により逮捕。

リシンという毒物は,ある植物の種子に含まれる蛋白質で精製は比較的容易。イギリスでは70年代末に,リシンを仕込んだ傘を用いた殺人事件が起きている。

詳細は記事をお読みください。→BBC NEWS|This is London # already dead

(37) ロンドンの「リトル・アルジェ」。
2003-01-15 (Wed)

ウッド・グリーンでリシンが見つかった事件で逮捕されたのは北アフリカ,アルジェリア出身の人々だったとのこと。ということで,BBC NEWSに,ロンドンのアルジェリア人街についての記事が出ている。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/2653203.stm

※記事内にあるBlackstock Roadというのは,手元の地図で確認しましたが,Wood Greenではなく,Finsbury Park駅の東南側,Arsenalのグラウンドまで行かない辺りの通りです。

(50) モスクを捜査。
2003-01-20 (Mon)

警察の反テロ捜査担当が、過激なイスラム主義を説くアブ・ハムザ師の拠点であるFinsbury Park Mosqueを捜査,何人かを逮捕。詳細情報はまだ(20日昼時点)出ていません。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/2675223.stm

(13) モスクから追放。
2003-02-05 (Wed)

コロンビア号の空中分解・墜落事故について,イスラムの過激な人々の口から「アッラーの下した罰である」という発言があったことは日本でも報じられている通りのようです。

「イスラエル人とヒンドゥー教徒とアメリカ人が搭乗していたので罰が下された」との発言をして世間から非難を浴びたアブ・ハムザが,Finsbury Park Mosqueから正式に除名されました。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/2724135.stm

でも本人は「私はやめない」と言っているみたいです。(上の記事の右にある音声リンクによると。)

(28) 心底呆れた話。
2003-02-07 (Fri)

2月7日にYahoo! JAPANで見つけた記事。
イラク問題:英政府の報告書が雑誌を盗用 つづり間違いも一緒

3日に英国政府が「イラク攻撃は正当なものだ,なぜなら」ということで公にした報告書(情報機関の情報をまとめたものとのこと)の半分以上が,12年前(湾岸戦争時)の雑誌に掲載された米国人大学生(正確には大学院生らしい)の論文にそっくりで,さらに他の雑誌に掲載された2論文とそっくりな部分もあるとのこと。

すっぱ抜いたのはチャンネル4らしいです。(毎日の記事より。)で,この毎日の記事の最後の方にある政府の弁解というのが,これまた全然答えになってないんですが,参考までに,BBCでの記事はこちら。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/2735031.stm

(38) ヒースロー空港,厳戒態勢。
2003-02-12 (Wed)

軍隊が出動してヒースロー空港およびその近辺を警備しています。記事にはto increase security in London「ロンドンの警備強化のため」とあります。

何らかの情報もあったようなのですが,イスラム教のEidという祝祭の時期なのでそれにかこつけて過激思想を抱く人々が行動するかもしれないという恐れがあったとのことです。

ムスリムからは反発も起きている模様。
BBC NEWS
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/2747677.stm




それと、今回のグロセキュさん記事を読んで、裁判の終わり方についてはやっぱりグロセキュさんでしか扱われていなかったんだということが今さら「事実」としてわかって、私は心底、トニー・ブレアについて、「トニー……恐ろしい子!」と思っている。当時の内務大臣は誰だっけ? 

というときはこれだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Blair's_Cabinets
……うはーーー、David Blunkettだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/David_Blunkett#Home_Secretary
くーーーー。



この件で、2006年に「ジェリー・アダムズがテロ監視リストに載っていたために米国で飛行機に乗れず」事件(大笑)の記事を読み返していたらこんなのが出てきたのでメモ。自分の孫引き、しかもソース不詳の記述を何も、とは思うのだが、「資料」に対する態度の一例として。
アメリカは20年前の英国の状況を述べたものを、うっかりなのかしれっとなのか知らんけど、とにかく「今年の人権報告書」として公的に出す(数年前に実際にあった。英国が北アイルランドにおける数々の悪行で欧州人権法廷で問題になっていたころのことを、現在の状況と取り違えた)ようなことがあるので、今回のテラー・ウォッチ・リストも何らかの手違いかもしれない。

※この記事は

2007年09月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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