kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年06月18日

米国に戦後イラクについての計画など何もないことをブレアは知っていた。

またガーディアン/オブザーヴァーが飛ばしているのかとも思ったが、情報源から素直に考えれば本物だ。2003年3月の開戦前、トニー・ブレアは米国側に(大規模)戦闘終結後の具体的なプランがないということを知っていた。あのピーター・マンデルソンがチャンネル4の番組(ブレアの10年間のまとめ)のインタビューで語ったそうだ。

開戦前に米国は戦闘終結後のことを何もプランしていないということをブレアは把握していた、ということが事実として明るみに出たのは今回が初めてである。

Blair knew US had no post-war plan for Iraq
Nicholas Watt, political editor
Sunday June 17, 2007
The Observer
http://politics.guardian.co.uk/tonyblair/story/0,,2104989,00.html

The disclosures, in a two-part Channel 4 documentary about Blair's decade in Downing Street, will raise questions about Blair's public assurances at the time of the war in 2003 that he was satisfied with the post-war planning. In one of the most significant interviews in the programme, Peter Mandelson says that the Prime Minister knew the preparations were inadequate but said he was powerless to do more.

'Obviously more attention should have been paid to what happened after, to the planning and what we would do once Saddam had been toppled,' Mandelson tells The Observer's chief political commentator, Andrew Rawnsley, who presents the documentary.

'But I remember him saying at the time: "Look, you know, I can't do everything. That's chiefly America's responsibility, not ours."' Mandelson then criticises his friend: 'Well, I'm afraid that, as we now see, wasn't good enough.'.

つまり、開戦前、ブレアは側近(マンデルソンはそのひとり)に対し、「私も何もかも全部をすることはできない。それ(戦闘終結後のプランニング)はアメリカのすべきことであって、われわれのすべきことではない」と語っていた。(何だよそれ。丸投げですか。)

ブレア退陣の秒読みが始まった今頃になってマンデルソンがそういう話をメディア(チャンネル4/ガーディアン/オブザーヴァー)にしているという事実も興味深い、というか味わい深い。さすが、違いのわかる男だということにしておこう。なお、マンデルソンはセバスチャン・ラヴではないが、特にカリカチュアライズされたときの「前髪パラリ」の髪型はよく似ている(分け目が左右逆だが)。

で、オブザーヴァー記事の下の方には、CPAでブレマーのdeputyをしていたジェレミー・グリーンストック(元々は外交官)のコメントも出ているが、これがまたひどい(下記参照)。「終わり」(=退陣)が目の前に迫っているからこそようやく、「事実」として語られているのだろうが、ということは2003年2月から3月の英国会および国連安保理でのブレアおよびストローの言説は、すべて「事実」というより「フィクション(架空)」だったということになる。あるいは「妄想」の域に達していたものもあっただろう。
Sir Jeremy Greenstock, Britain's envoy to the postwar administration in Baghdad, confirms that Blair was in despair. 'There were moments of throwing his hands in the air: "What can we do?" He was tearing his hair over some of the deficiencies.' The failure to prepare meant that Iraq quickly fell apart. Greenstock adds: 'I just felt it was slipping away from us really, from the beginning. There was no security force controlling the streets. There was no police force to speak of.'

さらに言えば、ブレアは現在もなお「私は間違ったことはしていない」とか「正しいと信じたことをやってきた」と強弁しており、国内向けに「イラク戦争に際しての私の判断のせいで労働党への信頼に傷がついたわけではない」という内容のことを言い続けている。それらすべて砂上の楼閣というか、かなり重要な部分を隠して重ねてきた弁解(「嘘」ですらない)であり、あるいはエクストリーム・謝罪である、ということが、退陣直前になってようやく、マンデルソンとかグリーンストックといった、「ブレアの批判者たち」ではない人たちの口から、メディアに語られた、ということになるだろう。ここで証言している連中すべて、手は血に濡れているとしても、ここで語られていることが結局は「ブレアはプードルだ」(つまり英国内向けに、「本当に悪いのはアメリカであってブレアではない」)という言説を強めるためであるとしても、これはひとつの重要なステップになりうる。ただし、ほんとに「重要なステップ」になるかどうかはわからない。たぶんならないだろう。マンデルソンだの何だのは、ブレアにとって本格的にやばいことにならない範囲で発言しているという前提で考えなければならないのだから。

この番組ではマンデルソンのほかにもうひとり、キーパーソンがインタビューに応じている。2003年に駐米英国大使となったデイヴィッド・マニングだ。マニングは政治家ではなく外交官で、2001年9月11日以降のあの決定的な時期に、首相の外交顧問をつとめている。(これは、米国でいえば当時のコンドリーザ・ライスのようなポジションだ。)

※マニングについては、山本浩さんの『決断の代償 ブレアのイラク戦争』という本(講談社、2004年)にとても詳しい。(この本は英米の「外交」の裏舞台についての読み物としては非常に参考になる。ただしブレアについて97年的ロマンティシズムあふれた「強力なリーダーシップ、若い改革者」というトーンが基本なのが私にはどうも・・・だし、今読むとたぶん怒るよりむしろ白けると思うけど。「読み物」ではなく資料たっぷりで論文っぽいのをお探しの方は、梅川正美教授編の『ブレアのイラク戦争―イギリスの世界戦略』をどうぞ。英国政治がご専門の学者さんたちによるわかりやすい記述の良書です。)

マニングのインタビューの部分を、オブザーヴァー記事から(太字にしたところ以外は内容は山本浩さんのご著書にあるのと本質的には同じで、特に新味はないかも):
... Sir David Manning, now Britain's ambassador to Washington, says: 'It's hard to know exactly what happened over the post-war planning. I can only say that I remember the PM raising this many months before the war began. He was very exercised about it.'

Manning reveals that Blair was so concerned that he sent him to Washington in March 2002, a full year before the invasion. Manning recalls: 'The difficulties the Prime Minister had in mind were particularly, how difficult was this operation going to be? If they did decide to intervene, what would it be like on the ground? How would you do it? What would the reaction be if you did it, what would happen on the morning after?

'All these issues needed to be thrashed out. It wasn't to say that they weren't thinking about them, but I didn't see the evidence at that stage that these things had been thoroughly rehearsed and thoroughly thought through.'

On his return to London, Manning wrote a highly-critical secret memo to Blair. 'I think there is a real risk that the [Bush] administration underestimates the difficulties,' it said. 'They may agree that failure isn't an option, but this does not mean that they will avoid it.'

英国は、というかブレアは、英国と米国がやるゼっつって乗り込んでいって結局はどうにもなっていない(どころか軍事的には非常に危ういことになっている)アルバニア、コソヴォを雛形として考えていたに違いないと私は思うのだが(あと、アルバニアは「武装組織を政治的に取り込む」という点では北アイルランドに共通点がある)、イラクについても、バルカンのように「実はどうにもなってない」ということを目立たなくしておけるとでも考えていたんだろうか。外交のプロ(マニング)がこういう警告をしていたのに、ブレアは「あとは神の御意思」とかお祈りでもしてたんだろうか。

1992年総選挙でジョン・メイジャーの保守党に敗れて退陣した元労働党首で、現在はブリティッシュ・カウンシルのトップであるニール・キノックは、今回、「当時ブレアは戦後処理計画に問題はないと断言していた」と番組で語っているとのことで(オブザーヴァー記事参照)、となると、当時のブレアはマニングをはじめとする人々の警告を無視していたか、聞いてはいたが理解できなかったか、それよりも米国政府を信じていたか、根本的にアホであるか、0点のテストは隠しておきたいのび太くん的メンタリティで英国という軍事大国を動かしたか、いずれにせよばかばかしいことこの上ない。2年前なら私も怒っていただろうが、実際のところ、もはやそんなエネルギーも残ってない。英国民のみなさんはどのくらい怒っていることだろう。

なお、このころに、外務大臣だったジャック・ストローも米国側のイケイケな空気にアタって頭痛を覚えていたという記述も読んだことがある。ラム爺がたしか欧州を訪れたときに「英国が軍隊を出さなくてもわれわれだけで・・・」と発言していた。この点についてもオブザーヴァー記事に書かれている。つまり、米国は英国に対し、軍隊を出さなくてもいいから(政治的)支援は頼む、というようなことを言っていた、と。

このことは今回、コンドリーザ・ライスによって事実であると認められている。
Condoleezza Rice, then Bush's national security adviser, confirms that the President offered Blair a way out. Bush told Blair: 'Perhaps there's some other way that Britain can be involved.' Blair replied: 'No, I'm with you.'

珍しく、ブッシュの言葉が正確でブレアの言葉がおかしい。ブッシュの言うBritainが、ブレアの返答ではI(私)になっている、この気持ち悪さ。ブレアは、自分個人の判断と、国民の意思を受けて行動する自分の立場とを完全に混同しており、国は国民の意思で動かされるべき、ということを根本から否定している。英国は議会制民主主義であり、ブレアは大統領ではないのに。(そこらへんの問題は、ブラウン政権下で新たな法的縛りが加えられることになりそうだが。つまり、軍隊を動かすのは首相判断と国家元首の承認だけではなく議会に諮らねばならない、というように。)

また、英国は米国の提言(「軍隊を出さなくても」)を受け流して軍隊を出したことによって、「米国の意思イコール『国際社会』の意思」というイラク戦争での図式を完成させるために最も重要な(クリティカルな)判断をした、ということになる。もしも英国が「カネと、戦闘終結後の人材は、(国会で諮ったあとで)出すが、戦闘の段階では軍隊は出さない」という判断をしていたと仮定すれば、2003年の「有志連合 coalition of willing」とか、その後の「多国籍軍 multinational forces」といった線は不可能になっていたかもしれない。(英国が軍事的に参加していなければオーストラリアは参加していなかったかもしれないし、スペイン、イタリアなどEU古参諸国もどうかわからない。日本は自衛隊の海外派遣を本来業務にするためにも、いずれにせよ「日米同盟」で突き進んだだろうが、それでもそこにいたるまでの議論には「アメリカが単独でやっていることを『国際社会』と呼んでいいのか」という反対意見が、「どうせいつもの反米」と片付けられないような形で入ってきていただろう。)

英国が担当している南部、特にバスラもバグダード同様にひどいことになってきていることが伝えられているが(日本の陸上自衛隊が行っていたサマワも、住人たちが国外に脱出しているそうだ・・・数週間前にネットで見た「イラク人がヨルダン国境で追い返された」というレポートに「サマワから来た人」の短いインタビューがあった)、もしも英国が軍事的に参加せず、南部も米軍がやってたら、と考えるだけでぞっとする。(ほんとは、今の状況でも「ぞっとする」を軽く超えているので、「もしも南部も米軍がやっていたら」は「ぞっとする」を軽く超えて2回転宙返りするくらいになる。)

※この記事は

2007年06月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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