kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年01月18日

オバマの理想化と、チェルシー・マニング

2016年が2017年になって、ブラウザの中に私が見る世界は、「さよなら、バラク・オバマ大統領」のムードに満たされている。私が見ているのは英国の大手メディアのごく一部だが、特にBBC Newsには、米国のメディアでもないのにここまで……と思うことが何度かあった。その「さよなら」ムードの盛り上がりには、この次の大統領に就任するあの人物が「とんでもない」の一言では片付けられないくらいにとんでもない、ということが大きく寄与しているのだろう。つまり、「さようなら、まともなアメリカ」ということだ。(日本語圏ではどうなのか、知らない。書店の雑誌コーナーなど見たところ「相場」だの「トランプ・バブル」だのといった話ばかりが目に付いて、うんざりした。)

「この先への不安」が広く共有されるとき、大きな流れとして「過去への郷愁」だとか「現状への愛着」が起きるし、それが支配的になるのが常だ。バラク・オバマ大統領の任期2期8年の終わりに際し、「過去への郷愁」は生じているようには見受けられないが(さすがに誰も、オバマの前を懐かしんだりはしていない)、「現状への愛着」は日を追うごとに強まっているように見えた。そのピークが先週(1月9日から15日の週)の前半で、私は完全に、見てるだけで食あたりを起こすような状態となって、ニュースサイトにアクセスすることすらほとんどやめていた。バラク・オバマというまっとうな人を正当に評価することは必要だし、当然のことだ。しかし、次がひどいからといって、美化はいけない。次がセクハラじじいだからといって、今のオバマ・ファミリーを理想化しつくすようなことをして、「バラク・オバマの8年」を語ってはならない(確かに理想的な家族だろうが)。しかし、目に見える(狭い)範囲では、そういうムードが横溢していた。

そのときに、ブログに書いておこうと思って、メモ用紙に殴り書きした単語の群れがあるのだが、見事に意味不明、ダダイストの自動書記かと思うくらいに意味不明だ。私は何を思って、何を言語化しようとしていたのだろう。うん、「エジプト」はわかる。2013年、モルシ政権を転覆させたタハリール広場の「デモ」で、国際メディア(すでにアルジャジーラは追い出されていたが)のカメラに常に移る場所に掲げられた大きなバナー。それは、エジプトとはほとんど関係なく、基本的に「すべてオバマが悪い」というもの、バラク・オバマを批判する「反オバマ」のものだった。でも、そのことを今思い出して、私は何を書こうとしていたのだろう?

そんなふうにぼんやりとしている中、任期の終わりまであと2日というときに飛び込んできた超ビッグニュースがこれだ。

日本のメディアではどうだか知らない。BBCやガーディアンではトップニュースだ。

bbcnews18jan2017s.png


記録はとってある。全体から見れば、ごく少ししかとれていないが、どうせこんな程度でも「長い」とか文句を言われるのだろう。(私はこれを作成するにあたり、これの何倍の文字情報を見ていることやら。)

ウィキリークスに情報を流したマニングの恩赦について、日本の大手報道が報じていそうにもないことの記録
https://matome.naver.jp/odai/2148471362598559001

「恩赦」といっても、チェルシー・マニングについては、「刑の取り消し」「即時釈放」ではなく「刑期の大幅短縮(減免)」であり、マニングが釈放されるのは5月17日とまだまだ先だ。それに、そもそもマニングはあんな長期の刑(35年)に処せられるべきではなかったし(35年はdispropotionateとしか言いようがない)、収監中にあんな目にあわされるべきではなかった。彼女が自殺未遂で病院に運ばれたと報じられたのはかなり最近のことだが、自殺未遂に追い込まれたこともひどければ、その情報が外部に出された経緯もかなりひどかった。彼女はあまりにつらい思いをさせられた。それは第一義的には、バラク・オバマ政権の内部告発者を敵視した政策ゆえだ。だが、それでも、任期最後にオバマが行なった「チェルシー・マニングの刑期の大幅短縮」は、正しいことであると讃えられており、オバマへの感謝の言葉が多くウェブ上にアップされている。

あとで書き足すかもしれない。今はこれだけ書くのが精一杯だ。

※この記事は

2017年01月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼