kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年12月29日

政治的なスタンスもブレなくはっきりさせてきたポップスターは、多くの人にとっての「あしながおじさん」だったことが、死後わかった。

クリスマスの時期は "season of goodwill" であり、英語圏では(というか私は個人的に英国の事情しか知らないようなものなので「英国では」と言うべきなのかもしれないが)新聞や雑誌などに「心あたたまる話」が「クリスマス・ストーリー」として掲載される。必ずしもクリスマスと関係する話でなくてもよいようで、「通りすがりの人の親切のおかげで命が救われた」とか、「カラスに優しくしたら、そのカラスが光る石を持ってきてくれた」といった、誰がどう読んでも心があたたまるような物語を、私もこれまでに何度か読んだことがある。Twitterではこの時期に現実に起こる「よい話」が大きな注目を集めることがあり、数年前にアイルランドで、誰かが落とした財布の持ち主を探すために、自分の時間を削って霙交じりの冷たい雨の降るダブリンの町を歩いて回っている若い女性のことがしきりにRTされていたと思う。そういえば昨年(2015年)は、このクリスマスの時期に、ガーディアンに掲載されたハーパー・リーの回想を読んだのだった。

だが今年は、そのような、この時期の風物詩たる「よい話」を読んでいない。気づかなかったのだ(コルム・トビーンによる文学論のような記事は読んだが)。今年は11月の米大統領選挙後は何もかもが無茶苦茶で、米国の新政権の人事の話だけでも報道機関のサイトは連日大騒ぎで、それに加えてシリアのアレッポ戦の最終局面で人道危機が発生していたり、南スーダンが本当に危険な状態になってきていたり、英国ではサッカー界で過去行なわれてきた未成年者に対する性犯罪(性的虐待)の実態が次々と明らかになったりと、ひどいニュース、深刻なニュースがたくさんあったので、単に私が見落としていたのかもしれない。それにそもそも、最近私はネットをあまり見ていない。どこを見てもひどい話ばかりであることに加え、どこを見ても陰謀論者ばかりでいろいろうんざりして(例えばアレッポのあの女の子を「プロパガンダ」呼ばわりすることに血道を上げてる人は、彼女のアカウントが仮にプロパガンダででっち上げられたものだったとして――そうだった場合、あの母子は、リビアの「レイプされた」女性のように、西洋諸国のどこかの保護下に入ることになるだろうが――、そのことがアレッポや他の都市でのアサド政権による自国民への無差別的暴力という根本的な問題に影響を及ぼすとでも思っているのだろうか。湾岸戦争のときに「プロパガンダ」があったのは事実だけど、だからといって誰かが「サダム・フセインの暴虐などというのは西側の宣伝に過ぎない」とか言い出したら、サハフ情報相が乗り移ったのかとツッコミ入れるよね)、ネットでものを読む時間を大幅に減らしていたのだ。

そんなわけで、今年はクリスマスのシーズンは「よい話」を読まずに過ぎてしまったのだが、クリスマスが明けてから、まさにクリスマスっぽい「人の善意」の話をたっぷり読んでいる。現実に起きたことに関連しての記事で。

その「現実に起きたこと」というのは、クリスマス・デイの朝、ひとりのスーパースターが自宅のベッドの中で冷たくなっていたこと。

そして「よい話」というのは、そのスーパースターがこれまで、困っている人、苦境にある人のために、どんなことをどのようにしてきたかということ。

日本語でも記事があるが、当然のことながら英語圏のほうが情報量が多いので、英語圏で見ておこうと思う。

ジョージ・マイケルという人がこういう人だったということを、私は今回、初めて知った。決して「派手な生活に慣れきったセレブ」ではなかったのだ。

もう少し、前置き。ジョージ・マイケルの訃報についてまとめたときに、ライターのSarah Kendziorさんの下記のツイートをみた。





ここで参照されているのは、1990年のインタビューである。アルバム、"Listen Without Prejudice, Vol. 1" を出したときのものだ。Sarahさんが参照している部分を、"that song" の文脈を明確化するため前段を含めて見てみよう。
http://www.nytimes.com/1990/09/16/arts/recordings-george-michael-on-fame-and-freedom.html?pagewanted=all

If there is a link between ''Praying for Time'' and ''Freedom 90,'' the two songs on the album that make the strongest statements, it is their lyrical connection to television. In ''Praying for Time,'' Mr. Michael declares sarcastically, ''This is the year of the guilty man/ Your television will take a stand.'' The gloomy lyric describes a world in which ''the rich declare themselves poor'' and where ''charity is a coat you wear twice a year.'' The song's starkest lines imagine people huddled behind their doors, clinging to material possessions and screaming, ''What's mine is mine and not yours.''

''No event inspired the song, just life in general,'' Mr. Michael said. ''It's my way of trying to figure out why it's so hard for people to be good to each other. I believe the problem is conditional as opposed to being something inherent in mankind. The media has affected everybody's consciousness much more than most people will admit. Because of the media, the way the world is perceived is as a place where resources and time are running out. We're taught that you have to grab what you can before it's gone. It's almost as if there isn't time for compassion.''


ここで語られている曲、Praying for Timeのビデオ。カラオケの練習用か、ファンが作ったトリビュートのように見えるかもしれないが、この「黒地に白文字で歌詞が表示されるだけ」のビデオがオフィシャルのプロモビデオである(ジョージ・マイケル、尖ってる……このとき27歳。「俺の顔なんか見なくていいから、歌をちゃんと聞いてほしい」というメッセージだろう)。


訃報があった日に回覧されていたこれがとても強く印象に残っていた。

そして突然の死の衝撃が少しおさまったころ、ジョージ・マイケルが名前を出さずにいろんなチャリティ団体や個人に金銭的支援を行なっていたことが明らかにされ、それが大手の報道で注目されだした。











日本語ではスズキ・アコさんがBarksに書いているが:




これらの「報道記事」以上のことが書かれているのが、インディペンデントに掲載されているピーター・タッチェルのエッセイである。ビアンカ・ジャガーがフィードしている。




Anyone who remembers George Michael solely for his music is missing the real importance of him
PETER TATCHELL, Tuesday 27 December 2016
http://www.independent.co.uk/voices/george-michael-music-icon-dead-activism-iraq-war-homophobia-a7496321.html

ピーター・タッチェルはゲイ・ライツの活動家であり人権活動家。超有名人なので、彼の活動に関してはググるだけでいろいろわかる。つい最近は、労働党のジェレミー・コービンの前で「シリアで一般市民が苦境に置かれていることについて、行動を起こすべきだ」という抗議を行なったことがニュースになっていた。

1980年には、ピーター・タッチェルは既にゲイ・ライツの活動を行なっていたが、その彼がジョージ・マイケルに初めて会ったのは、マナー・ハウス駅(フィンズベリー・パークの東の端)のそばにあったパブの2階(小規模なゲイ・ディスコ)でのことで、ジョージはまだ10代だった。「踊りが上手く、かかる曲すべてに合わせて歌っていた。いい声をしていて、歌手になるんだと言っていた。あのころは歌手志望の若者は大勢いたが、私は、この子はひょっとすると、本当に成功するかもしれないなと思った」とタッチェルは回想している。

その3年後、ジョージは「ワム!」で大ヒットを飛ばす。

そして「ワム!」として売れていたころにも、ジョージ(カムアウト前)はマナー・ハウスあたりのゲイ・クラブに顔を出していたという(驚)。ハリンゲイに「ボルツ Bolts」というゲイ・クラブがあって、そこの常連だったそうだ。それについて、タッチェルは「私たちの中には、Boltsに通っているということは、ジョージは無意識にマスコミによって同性愛者であることを暴かれたがっているのではないかと考える者もいた。そうすればこそこそ隠れて二重生活を送る必要もなくなるのだから」

そのジョージが本当にカムアウトしたのは1998年、ワム!の解散後ソロになったあとで、ジョージは30代半ばになっていた。そのカムアウトに至った経緯がまた、「こんなに芸能ゴシップらしい芸能ゴシップはない」というシロモノなのだが、それは記事でごらんいただきたい。

1980年には既にゲイ・ディスコに来ていたジョージ・マイケルが、自身のセクシュアリティを公にするまでには18年ほどを要したということについて、訃報があったときに読んだいくつかの記事では、「本人の回想録に書かれているが、お母さんの反応を予想したためだった」ということが書かれている。お母さんが(おそらく宗教上の信念で)保守的な考え方をしており、息子がゲイだと聞かされたらショックを受けるだろうということだ。

だがタッチェルの文章には、他の要因も並べられている。
In the 1980s, he chose not to reveal that he was gay because he feared a negative reaction from his parents, fans, record company and, particularly, the tabloid press. Back then, the red tops were vicious to gay public figures. They were vilified and smeared. Being gay was portrayed as a scandal and shame. The tabloid press besmirched many a career during that time.

This was also the era of Aids, which was often dubbed "the gay plague". Gay men were blamed for the deadly virus. Public attitudes became much more homophobic. Gay-bashings and murders rocketed. It was a fearful period to be gay, let alone a gay public figure. I wish George had come out then, as he could have helped counter that tide of prejudice. But I understand why he didn't.


ここにあるような「タブロイドによるバッシング」は、ジョージ・マイケルのカムアウト後も、実際に行なわれた。







そのThe Sunが、訃報を受けて、 "You were someone special, George" などと書いている。




スキャンダルを焚きつけ、逆張りして部数を稼いでいるようなタブロイドも、今回は死者を罵倒するのではなく単に「ポップスターの突然の死」という扱いをしているのは、読者の態度が変わったからだ(「ゲイだからって、何?」)という受け取り方もあるが(下記)、The Sunに関してはほんと、「おまえが言うな」であろう。




さて、インディペンデントへの寄稿でピーター・タッチェルは、ジョージ・マイケルの性的指向について書いたあとで、彼の「社会的良心」について書いている。
As well as being a brilliant composer and singer, George had a social conscience, did message music and raised lots of money for good causes.


そして、既に見たPraying for Timeでの「格差社会」への怒りや、2002年のShoot the Dogでの米英政府批判(イラク戦争)、2003年のThe Graveでの反戦の思い……。
"Shoot the Dog" was a brave move that lost George fans in gung-ho patriotic America. But he stuck to his principles and showed his critics that he wasn't a mindless, hedonistic pop heartthrob.


この点はほんとに……「アメリカ」というマーケットから締め出されたくないアーティストにとっては、「アメリカ批判」はそんなに気軽に手を出せるトピックではない。「アメリカ批判」を聞きたがる層(それもお金を出して)をターゲットにした音楽(ポリティカル・パンクとか)なら話は別かもしれないが、ジョージ・マイケルを売ってきた人々(レコード会社の重役やAR)がジョージ・マイケルに望んでいたのは、そういう音楽ではなかっただろう。むしろ、彼には "mindless, hedonistic pop heartthrob" でいてもらったほうが、ビジネス上はおいしかったはずだ。だからこそあのような曲を出したことは "brave" と言われる。



※歌詞は: http://www.azlyrics.com/lyrics/georgemichael/shootthedog.html

ジョージ・マイケルは若いときから政治的だった。原発が事故を起こしたときに、それについて思っていることを自分の曲の替え歌に乗せて歌った超メジャーなシンガーソングライターが、当初は自分だと明示せず、「そっくりさんですよ」という情報をマネージメントがばら撒いて様子見をしていたくらいなのが普通である現在の日本では(最終的には、そういうことをしても大丈夫そうだと判断したのだろう、その替え歌はコンサートでも普通に歌っていたようだが)、80年代〜90年代の英国のポップスやロックの人たちの光景は、想像つかないくらいに「政治的」に見えるだろう(もちろん、全員がそうだったわけではなく、「政治的な態度」とは距離をとっていた人たちもいるが)。今のアメリカのレディ・ガガなんかは非常にはっきりしているが、あのくらいの活発さだと想像するとわかりやすいかもしれない。

80年代にマーガレット・サッチャーと激しい闘争を繰り広げた炭鉱労働者の労働組合のアカウントが、次のようにツイートしている。




この炭鉱夫ストへの支援のことは、訃報が流れたときに非常に数多くツイートされていた。










今はもう「炭鉱労働者への支援」という活動はないが、当時のそれに相当する存在として、NHSがある。そして、いつのことなのかが明示されていないので正確にはわからないのだが、ジョージ・マイケルは1997年に亡くなった母親への医療に感謝して、カムデン(そのころに彼のロンドンでの家があったのがカムデンだったと思う)のラウンドハウスでNHSの看護士だけのために無料コンサートを行なった。






そのような彼が、ひそかに行なってきた善行(それはgenerocityという言葉で表現されるような、金銭的な善行である)が、突然の死で衝撃を受けた人々の口からどんどん語られた。まず、コメディアンのデイヴィッド・ウォリアムズが「スポーツリリーフ」で英仏海峡を泳いで横断したときには、ジョージ・マイケルは5万ポンドを寄付したという(5万ポンドというのは、非常にペイのよい仕事をしている人の年収程度。日本の感覚では「1000万円をポンと寄付した」というくらいのことだ)。




また、ジョージの善行を列挙した文章も多く回覧されていた。


ここにあるキャプチャの内容を箇条書きにすると:
・17歳で作曲した「ケアレス・ウィスパー」を(ワム!結成後の)21歳で出したときに、作詞・作曲のクレジットにアンドルー(アンドリュー)・リッジリーの名前も加えた。(これは、ワム!で組んでたリッジリーに収入が行くようにという配慮。プロコルハルムの裁判のこととか思い出して、涙が出てくるよ)

・「ラスト・クリスマス」での収益はすべて、Band Aidに寄付した。(Band Aidはボブ・ゲルドフとボノが中心となって、当時のスターたちが集結して行なったチャリティ企画。Do They Know It's Christmas?)

・看護師に無料でコンサートのチケットを出した(前述のNHS看護師のためのライヴのこと)。

・「公表しない」という条件付で、ガンにかかった子供たちとその家族のもとを訪問した。

・「ヘルプ・ア・ロンドン・チャイルド」に毎年£100kを寄付していた。

・賞金の出る視聴者参加型のテレビ番組に出た女性が、体外授精をうける費用を捻出するために£15kを勝ち取らねばならないと語ったのを聞いて、ジョージが小切手を送った(後述)。

・炭鉱労働者支援ライブに出演した。

・看護師になるための勉強をしている学生が、学費を捻出するためにバーで働いていたのだが、ジョージ・マイケルは彼女にこれで学費ローンを返済してくださいと£5kのチップを渡した。

・不正確情報(マーク・ボランの息子を支えたのはデイヴィッド・ボウイだ)。

特に、体外受精の人が、寄付のことを知っているジャーナリストのような人たちが突然の訃報でそれを語りだすまでは、自分の不妊治療にお金を出してくれたのがジョージ・マイケルだとは知らなかったとツイートしているのが、大きく注目された。本当に、「売名目的での寄付」とはまったく逆だ。




これらについては、下記にまとめがある。
http://www.celebitchy.com/517341/george_michael_gave_away_millions_to_charity_and_worked_to_keep_it_private/

ジョージの善行はまだある。悪質な犬のブリーダー活動に反対するキャンペーンを支援していた(ジョージ・マイケル自身、大変な犬好きだ)。ホームレスの施設(シェルター)でボランティアとして働いていた(が、そのことは言わないでほしいと施設の職員に告げていたため、死後になってから明らかにされた)。ロンドンの町で路上生活を送る人に食べ物を届けていたという話もあった。まだほかにもあるかもしれない。

ジョージ・マイケルは有り余るほど持ってるカネを、社会のため、他者のために惜しみなく使っていた。それも、自分の名前を出さずに。

クリスマス・デイの朝、この世を去ったスーパースターは、その死によって、このような「クリスマスらしく、心あたたまる話」をたくさん解禁していった。

クリスマスの翌日、ボクシング・デイの試合でのセルティック(スコットランド・プレミアリーグ)のサポーターたち。



※この記事は

2016年12月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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