kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年12月04日

フィデル・カストロ(の遺灰)、最後の旅

フィデル・カストロから国民への最後のメッセージは、「死んだ後、個人崇拝はしてくれるな」というものだった。自分の名を冠したモニュメントは作るな、道路にも自分の名をつけるな、と。

11月25日(現地。日本では26日)にその死が公表され、翌日には遺言に従って遺骸は焼かれた。かねてより、「個人崇拝」に反対してきた人だった(チェ・ゲバラはハバナの大きな広場に面した大きな壁にどかーんと描かれているが)。そしてフィデル・カストロは小さな箱に収まって特別の車に乗せられ、首都ハバナから、島の反対側の端にある革命発祥の地、サンティアゴ・デ・クーバへと運ばれ、12月4日に同地で国葬が執り行われる。運ばれていく沿道には人々が並び、「コマンダンテ」を見送った。

From 29 November to 3 December the casket carrying his ashes traveled along a 900 kilometre route to Santiago de Cuba, tracing in reverse the route of the "Freedom Caravan" of January 1959 in which Castro and his rebels took power.

https://en.wikipedia.org/wiki/Death_and_state_funeral_of_Fidel_Castro


現在ブラジルを拠点としているガーディアンのジョナサン・ワッツ記者(以下、日本時代の著書『ほんまのロンドン』での呼称にちなみ、「ジョンさん」)が、ハバナからサンティアゴへの旅程を同時にたどって詳細な記事を書いている(後述)。この記事には入っていないが、ジョンさんのSNSで沿道の様子がわかりやすく紹介されている。

Farewell Fidel. Cubans watch the passage of the ashes of the man who dominated their lives.

A video posted by Jonathan Watts (@watts.jonathan) on




最初の方で、画面右で市民が振っている2本の旗がある。1本はキューバ国旗、もう1本の赤と黒のは、私は調べなければわからなかったのだが、バティスタ政権を倒した「7月26日運動」の旗だ。画面をよく見ると、電柱か街灯の柱かはわからないが道路脇に立っている柱にも、画面中央奥の建物の脇にも、この赤と黒の旗が翻っている。沿道に立っている市民は、半分くらいは白と黒という地味な服装だが(学校の制服かもしれない)、中には誰がどう見ても「ド派手な普段着」の人もいる。一方の手で国旗を掲げ、もう一方の手を胸に当てて居住まいを正している人もいるし、拍手をしている人もいるが、多くはスマホで撮影をしている(一眼レフのカメラで動画撮影をしている人もいるが)。手を上げて、さようならと呼びかけている様子の女性は、フィデル・カストロよりは年下だろうが、それでもかなり高齢のようだ。

遺灰がハバナを出発する前に、大規模な追悼式典(首都での葬儀)が行なわれた。その様子は、式典に参加した「フィデルの友人」がTwitterで伝えていた。




ジェリー・アダムズはTwitterのヘビー・ユーザーだが、ハバナからのTwitter利用には、多少手間取ったようだ。





※この若い人は同行しているシン・フェインの人。

訃報があったときのアダムズのTwitter:

















そしてハバナ入りした後のに戻ると:






※この人のツイートで「なぜさかさまなのか」などは考えないほうがいいです。たぶん意味はないので。(単にスルーすべき案件が多すぎる。)






ハバナには1981年のロングケッシュでのハンストの記念碑があるんですね。















アダムズはこのあとすぐにアイルランドに戻り、12月3日には党のイベントに出ている。

ちなみにアイルランド共和国という国家は、成立後、共産主義や左翼思想に対しては非常に敵対的な姿勢で臨んでおり(映画Jimmy's Hall参照)、二大政党と言える政党はどちらも右翼でどちらも反共である。それらの大政党の連立パートナーとなる労働党や緑の党はむろん左翼政党だが、国としては、どちらかというと、フィデルが死んでマイアミでお祭り騒ぎをしていた人たちに近いほうだ。しかし、1950年代以降にリバイバルしたシン・フェインはアイルランド共和国のそのような方針とは一致しない政党で、特に1969年に分離した暫定派(現在のシン・フェイン)は、思想的にはソーシャリストである。シン・フェインも中ではいろいろあって一筋縄ではいかないが、1980年代に当の主導権を握ったジェリー・アダムズらは左翼ゲリラの「武装闘争」の理念と手法をとり、国際的なつながりの一部でもあった。アダムズとカストロの写真があるのは、そういう文脈でのことだ。

カストロの死去に対するアイルランドの反応は、ウィキペディアにまとまっている。コメントを出したヒギンズ大統領は、大統領になった後はどの政党にも所属していないが、元々は労働党の政治家である。



さて、フィデル・カストロの最後の旅を追ったジョンさんの記事:
Fidel Castro's last journey maps story of leader's triumphs and shortcomings
Jonathan Watts in Santiago de Cuba
Friday 2 December 2016 20.00 GMT
https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession

ジョンさんは10月に、めちゃくちゃな状況にあると報じられているベネズエラを車で縦断し、人々に話を聞いて、一本のとてもおもしろい記事をまとめている。英語なので読めないという方は、「100ドル札1枚がこんなに増えました」という写真つきツイートだけでも見てみてほしい。その記事の数日後には、経済情勢がひどいことになっているため、逼迫している医療現場についての報告もまとめられている。

もちろん、ベネズエラ(産油国)とキューバの間には太いつながりがあり、故ウーゴ・チャベス前大統領はフィデル・カストロとは非常に親しかったのだが、そのつながりもまた、フィデルの遺灰と一緒のキューバ縦断の旅で改めて見えてくる。

フィデルの遺灰を載せた葬儀用の車は、11月30日にハバナを出発した。

Now, as then, the parade is labelled La Caravana de la Libertad (the Caravan of Liberty), but freeing Cuba has come to mean something very different after 57 years of authoritarian one-party rule.

The first major town on the route of the procession is Cienfuegos, an industrial centre that highlights the lofty ambitions, poor execution and bad fortune of the Castro government.

https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession


Cienfuegosの場所や概略はウィキペディアを参照。「高い望みを掲げつつ、実行となるとぐだぐだで、ツキにも恵まれなかったカストロ政権の特徴をよくあらわしている工業都市」。

キューバはかつてこの近くに、ソ連からの技術支援で、原子力発電所を建設しようとしていた。プロジェクトの開始は1981年。そして、1キロワットも発電しないまま、ベルリンの壁の崩壊(1989年)のあとの流れの中で、中止された。

Today, all that is left is a giant hulk of the abandoned reactor – the same model as the one that melted down in Chernobyl – and the nearby “Nuclear City”, a community of Soviet-style tower blocks.

“This was seen as the city of the future in the beginning, but nobody thinks that now, not at all,” said a local shopkeeper. The failure of the project did nothing to dim her affection for the leader who commissioned it. “I cried yesterday. I love Fidel. I’ve been watching his speeches all day on TV.”

History is now in danger of repeating itself. After the Soviets left, Cuba turned to Venezuela for support and energy.

Castro persuaded Hugo Chávez to supply 96,000 barrels of oil a day, most of it processed at the refinery in Cienfuegos. But with Venezuela now in the midst of its own crisis, this has fallen by more than 15% in the past year and more cuts are expected. In July, street lighting was dimmed by 50% and state enterprises were told they must reduce energy consumption by 25%.

“There have been interruptions at the refinery,” said Dagmara Quirós, whose family works inside. For her, it was not a big deal; in recent decades, Cubans have grown used to intermittent supplies of fuel, electricity and basic goods. She and her daughter were more concerned about completing a paper chain to drape outside their home, before the funeral procession arrived. “I love Fidel. He’s done a lot for my family,” said Quirós, a hospital cook.

https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession


このくだりなど、流れに絡め取られるようにして読んで、そして「電気がよく止まる」という日常より、「フィデルの遺灰の通過を出迎えるための家の外の飾りを完成させる」という非日常に重みが置かれている、ダグマラさんの生活のこの一瞬が、手に取るように伝わってくる。

もしも、80年代の核開発(原子力発電のための)が断念されていなかったら、彼女の家族は製油所ではなく原発で働いていたかもしれない。そういうミクロなレベルのこともあるが、もし80年代のプロジェクトが断念されていなかったら、2002年にジョージ・W・ブッシュが「悪の枢軸」と名指しにした中に、ひょっとしたら……といったことも考えてしまう。実際、当時ジョン・ボルトンがそのような主旨で発言をしているのだが、あの人はベルリンの壁が崩壊しなかったパラレル・ワールドの住人だったのだろう。そして2016年が終わろうとする今、年明けてすぐに米国の大統領になるのは、ボルトンの住んでたパラレル・ワールドよりさらに斜め上のパラレル・ワールドの住民たちを側近として引き連れたドナルド・トランプだ、ということに思い当たる。

フィデル・カストロの訃報に際して、Twitter上の英語圏では「昏睡状態から目覚めたフィデルがニュースをチェックすると、トランプが米大統領に当選していたので、『もういい、俺はイチ抜けた』と言ってこの世からオサラバしたのだ」といった軽口・ジョークがたくさん流れていたが、そのジョークがただの放言系ジョークではなく、よい「風刺」になっているという現実が、何と言ったらよいのか、ただただ空おそろしい。

記事は先に進む。

次の街はSancti Spíritus、ジョンさんがInstagramに投稿した映像を撮影した街だ。

We next catch up with the procession at Sancti Spíritus, a city famed in revolutionary history for one of Castro’s most democratically idealistic speeches, given at 2am in the pouring rain during the original Caravan of Liberty on 6 January 1959 to a huge crowd eager to find out what the nascent revolution would mean for the country.

Castro reassured them that they would not see more of the same oppression they suffered under Fulgencio Batista. “Will we ban freedom of the press? No. Will we ban freedom of association? No!” he thundered in a rhetorical question-and-answer. Seven years later, the same city was the site of mass executions as the communist government battled an insurgency.

https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession


バティスタ政権による抑圧に人々が苦しめられたことを言い、「報道の自由は保証する。結社の自由も保証する」と演説したこの街で、その7年後、自身が政権をとっていたカストロは、反政府反乱を弾圧、大量処刑を行なった。

その街で、イギリスという西洋民主主義国の、ガーディアンという「進歩的」な読者層を抱える新聞の記者が撮影し、SNSにアップした(することができた)映像は、「7月26日運動」の旗が掲げられた通りでその旗を振る市民の映像だ。(一方で、ジョンさんのSNSにも、ガーディアンの記事にも、「キューバのチェルノブイリ」の写真はない。)

どうしても思わずにはいられない。5年後のホムス。10年後のアレッポ。シリアの「革命の都市」は、どうなっていくだろうか。

シリアでは事実、こんなことが既に起きている――1980年代に街が丸ごと政権によってつぶされたあと、ハマには国内各所から人々が移住してきた(移住させられてきた)。そして、やがては、そうやってあとから引っ越してきた人々が街の大半を占めるようになり、反乱の記憶は街には刻まれることなく、政府側が破壊した史跡は再建されて、引き続き、観光名所としてガイドブックに掲載されるような存在となった。

そのSancti Spíritusの街をあとにして、取材者たちは「何も失敗していないすばらしい国、キューバ」として喧伝されそうにはない光景を見ている。
To get back ahead of the slow-moving procession, we have to take a detour of close to 100km (62 miles) through the economically stagnant hinterland of the island. The road is rutted. Some of the fields alongside are used for tobacco and sugar cane crops, but most is scrubland. There are more oxcarts and donkey rigs than cars.


一方で都市部では、沿道に並んだ若い人々は、葬列よりも携帯電話・スマホの中に流れてくる雑多な情報に熱心だという。
In the city of Bayamo, there are countless billboards and memorials to this history of revolution. But many in the younger generation are more interested in the latest news and gossip in their email inboxes and Facebook timelines. According to official statistics, 30% of people on the island have access to email, much of it through a restricted domestic intranet rather than the world wide web. But wider access is possible from the growing number of Wi-Fi hotspots in every city park, where the benches are now full of people staring at cellphone, tablet and laptop screens.

On Facebook – which is now ubiquitous among students and journalists – an intense discussion this week focused on whether individuals should choose their own way of marking Castro’s death. One widely shared clip was of an accidentally broadcast argument between two newscasters who were disputing whether it was appropriate to open the show with the words “Good Morning”, which might seem too cheery in the current period of mourning.

https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession


「グッド・モーニング」は不謹慎なのではないか云々というテレビ局内部での議論は、うちら「昭和の終わり」を知っている者には「お元気ですか?」を思い出させる。

このバヤモの街で、ジョンさんは対照的な2つの市民の声を紹介している。

In Bayamo’s central park, most people echoed the official line which can he heard on every TV and radio channel in blanket coverage throughout the day. “It’s impossible to get any better than Fidel,” said Beatriz Licea, a medical student, as she checked her email. “He was an incredible man. Very intelligent. Incomparable.”

A more nuanced tone was struck by Lionel Ortega, who moved to the US two years ago and is now back visiting his family. “I’ll go to the procession. Fidel was the greatest president of all time. But he did good things and bad things. I’m neutral. Politics is ugly here, like everywhere,” he said. “I’d like a few less restrictions. If there were a little more liberty in Cuba, this could be the perfect country.”

https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession


この医学生のような人はきっといっぱいいて、ほっといたら「フィデル・カストロ記念病院」や「フィデル・カストロ記念国際平和野球場」みたいなのをばんばん作ってしまう感じだったのだろう。だからこそ「死後、私の名前を道路などに冠することは禁止」的な遺言をフィデルは残し、弟のラウルはそれをはっきりと国民に示したのだろう。それに、"Politics is ugly here, like everywhere" ということを一番よく知っていたのは、フィデル・カストロ本人だろう。死んだらuglyなことを平気でする政治家という立場からは解放され、それゆえになおさら、「言論の自由を弾圧するようなことはしない」と演説していた、希望に満ちた革命家として自分が「個人崇拝」の対象になっていく可能性は高かっただろう。フィデル・カストロを政治利用しようとする人々は、きっとどこにでもいるのだ。Politics is ugly.

葬列は最終目的地のサンティアゴに到着し、市民の出迎えを受ける。

Yet, along with the widespread and mostly genuine grief, some hope this might be a turning point. With the passing of the revolutionary commander-in-chief, Cuba has an opportunity to rebalance the way it looks at the past and the future.

Without forgetting the extraordinary courage of the rebels and the achievements in healthcare and education, there could be less of a fixation on recent history and revolutionary heroics, and more emphasis on economic development, technological advances and political opening.

Ask anyone today what they want in the future and the stock response is “a continuation of Fidel’s ideas”. But press a little more about their hopes, and some open up.

Carmen Pérez (whose name has been changed to prevent repercussions) is a black housewife in her 30s, who intends to take her son to the memorial. A child of the revolution, she says she loves Castro as a father but also knows there is a time when children must come out of the shadow of their parents.

“I’d like to see a lot of changes. I’d like a vote to choose my leader. I’d like a free press and freedom of expression. Now if I say what I think I could go to jail,” she says. “Lots of people think like me, but many pretend to be something they are not. Some of those who cry for Castro are shedding crocodile tears.”

...

Pérez does not want another revolution. She would prefer a gradual move towards democracy. Her feelings are contradictory, as is often the case for those in mourning.

“I can’t imagine a better leader than Fidel,” she says. “It’s complicated. I love him like a father. But we need change. And that can only happen when there is no Castro in power.”

https://www.theguardian.com/world/2016/dec/02/fidel-castro-last-journey-cuba-funeral-procession


はっきりしているのは、これは「ひとつの時代の終わり」であるということだ。もう、「ああいうこと」を言う人はいなくなった。「ああいうこと」をする人はいなくなった。記事中のカルメン・ペレスさん(仮名)が「父親」になぞらえているが、まさに、(家父長制のもとで)父親が死んだ状態なのだ。

ガルシア=マルケスを読み直さないとね。

408760621X族長の秋 ラテンアメリカの文学 (集英社文庫 カ)
ガブリエル ガルシア=マルケス 鼓 直
集英社 2011-04-20

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ジョンさんは、この記事に関連して、こんなツイートをしている。




成果の出なかったプロジェクトの残骸と、生きもの。照りつける太陽。

父親は、不在である。



ジョンさんの記事の最後のほうには、Sancti Spíritusで撮影された10歳くらいの女の子2人の写真がある。並んでニコニコ笑っている2人は、一方は学校の制服と思われる白ブラウスにエンジのスカーフといういでたちだが、もうひとりはアメリカのディズニーのキャラクターもののTシャツである(『アナと雪の女王』)。

時間は流れているし、時代は動いている。

※この記事は

2016年12月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼