フィデル・カストロから国民への最後のメッセージは、「死んだ後、個人崇拝はしてくれるな」というものだった。自分の名を冠したモニュメントは作るな、道路にも自分の名をつけるな、と。

11月25日(現地。日本では26日)にその死が公表され、翌日には遺言に従って遺骸は焼かれた。かねてより、「個人崇拝」に反対してきた人だった(チェ・ゲバラはハバナの大きな広場に面した大きな壁にどかーんと描かれているが)。そしてフィデル・カストロは小さな箱に収まって特別の車に乗せられ、首都ハバナから、島の反対側の端にある革命発祥の地、サンティアゴ・デ・クーバへと運ばれ、12月4日に同地で国葬が執り行われる。運ばれていく沿道には人々が並び、「コマンダンテ」を見送った。

From 29 November to 3 December the casket carrying his ashes traveled along a 900 kilometre route to Santiago de Cuba, tracing in reverse the route of the "Freedom Caravan" of January 1959 in which Castro and his rebels took power.

https://en.wikipedia.org/wiki/Death_and_state_funeral_of_Fidel_Castro


現在ブラジルを拠点としているガーディアンのジョナサン・ワッツ記者(以下、日本時代の著書『ほんまのロンドン』での呼称にちなみ、「ジョンさん」)が、ハバナからサンティアゴへの旅程を同時にたどって詳細な記事を書いている(後述)。この記事には入っていないが、ジョンさんのSNSで沿道の様子がわかりやすく紹介されている。




最初の方で、画面右で市民が振っている2本の旗がある。1本はキューバ国旗、もう1本の赤と黒のは、私は調べなければわからなかったのだが、バティスタ政権を倒した「7月26日運動」の旗だ。画面をよく見ると、電柱か街灯の柱かはわからないが道路脇に立っている柱にも、画面中央奥の建物の脇にも、この赤と黒の旗が翻っている。沿道に立っている市民は、半分くらいは白と黒という地味な服装だが(学校の制服かもしれない)、中には誰がどう見ても「ド派手な普段着」の人もいる。一方の手で国旗を掲げ、もう一方の手を胸に当てて居住まいを正している人もいるし、拍手をしている人もいるが、多くはスマホで撮影をしている(一眼レフのカメラで動画撮影をしている人もいるが)。手を上げて、さようならと呼びかけている様子の女性は、フィデル・カストロよりは年下だろうが、それでもかなり高齢のようだ。