kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年06月25日

BBC Newsのトップページは「見渡す限り、Brexit」の様相だ。

guardian25june2016b.png英国のEUレファレンダムの結果が出て、キャメロン首相が辞意を表明して、EUの偉い人は、ありていに言って、「激怒している」状態……ということが伝えられている。左図は6月25日(土)午前7時ごろ(日本時間)のガーディアンのUK Editionのトップページのトップ記事より。そのときのページ全体のキャプチャはこちらにアップしてある

「激怒」するのも無理はない。UKIPが保守党の票を食うという事態が進行するなか、キャメロンが保守党内からの突き上げによって実施したEUレファレンダムだが、その前にキャメロンはブリュッセルで、EU加盟国首脳を巻き込んで、「英国はEUに対し、物を言えるのだ」ということを示すため、「エクストリーム交渉」のようなことをしていた。そのことについて、当ブログでも少し書いている。(あとでリンクする。)

EUにしてみれば、英国の保守党の党内事情につき合わされ、巻き込まれ、振り回されたわけだ。それだけではない。今回の結果によって、英国以外のEU加盟国(フランス、オランダのような「西欧」も、ハンガリーのような「東欧」も)が「われわれも英国のようにレファレンダムを行なえば、EUというくびきから解き放たれる」という主張をする政治勢力が台頭するという脅威に立ち向かわねばならない。

現在、同じく25日の午後11時半を回ったところだが、BBC Newsのトップページは「見渡す限り、Brexit」の様相だ。



以上、取り急ぎ。今日は、主要紙すべてコンビニで買ってきた。どこもかしこも「怒れる大衆&ポピュリズム対エスタブリッシュメント」というトーンの分析が出ていた。それはそれで正しい。私もそう思う。でも、それだけではない。

6月15日、ジョー・コックス議員が殺される前の日に、ガーディアンに長文記事が出ていた。この結果が出た今だからこそ、いっそう「必読」と言える記事である。「怒れる大衆」だけなら、こういう結果にはなっていないはずである。

Brexit: how a fringe idea took hold of the Tory party
http://www.theguardian.com/politics/2016/jun/15/brexit-how-a-fringe-idea-took-hold-tory-party


※この記事は

2016年06月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼