kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年06月13日

米フロリダ州オーランドで、歌手が撃ち殺された翌日に、(それとは無関係に)クラブが襲撃され、50人も殺された。

Euro 2016が始まって、イングランドとロシアの(それぞれにとって最初の)試合が行なわれるマルセイユが荒れるなどしていて、それについて書こうとしていたときに、とんでもないことが起きてしまった。(それをTwitterでフォローしていて、うっかりLikeの頻度の制限を超過したようで、@nofrillsのアカウントが現在使えない。やることはやったので、数日様子を見るが、Twitterでのアップデートはしていない。)

その「とんでもないこと」が起きたのは、米フロリダ州のオーランドという都市である。といっても私はアメリカについては何も知らないので、その都市についても検索しないと基本情報もわからない。ウィキペディアを参照すると「フロリダ州中央部、オレンジ郡の郡庁所在地であり、全米屈指の観光・保養都市として知られる」、「市近郊にはウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート、ユニバーサル・オーランド・リゾート、シーワールドなど幾つものテーマパーク・遊園地を有している。またゴルフ場も100ヶ所以上を数える。豪華なリゾートホテルが林立し、郊外には幾つものショッピングセンターやアウトレットモールがある」、「手つかずの自然も多く残り、自然保護区が多数指定されている。デイトナビーチなど近郊の海岸にはビーチリゾートが発展しており、世界中から多くの観光客が訪れる」という。要するに、非常にメジャーな都市だ。

その都市名は、その「とんでもないこと」が起きる前日にすでに、大ニュースになっていた。日本でも東京・小金井のライヴハウス(小金井は東京でも郊外で、あんなところにライヴハウスなんてあるんだ、っていうような場所)で若い女性歌手がストーカーに刺されて瀕死の重傷を負うという事件があったが、フロリダ州オーランドでも、若い女性歌手がライヴハウスで何者かに銃撃されるということが起きた。私はその事件を、TwitterのTrendsにいきなりトップで出てきたハッシュタグ、#PrayForChristinaで知った。




小金井での事件の被害者の女性歌手は、刺されて意識不明になっていたが、何日もしてから意識を回復したと報じられている(本当によかったと思う)。オーランドで撃たれたクリスティーナ・グリミーにも、彼女と同様に持ちこたえてほしいと願っていた。クリスティーナは、私はまったく見たことも聞いたこともない歌手だが、22歳で、これからがんばっていこうという人だ。スターであるセレーナ・ゴメスのチームの一員として活動したこともあったそうで、セレーナ・ゴメスのファンの間で回復を祈る言葉が行き交っていた。本人のTwitterのアカウントでは、少し前に、スターであるクリスティーナ・アギレラと会ったときのことが楽しげにツイートされていた。芸能界にようやく足がかりを得たところだったのだろう。Twitterでは「彼女が好きで、The Voice(オーディション番組)のあのシーズンを最後まで見てた」という人もいた。クリスティーナ自身の過去のツイートから、「神」に関する言葉を画像にしてRTしている人もいた(彼女は非常にしっかりとした信仰を持っていたようだ)。みなが祈っていた。

しかし、彼女は持ちこたえられなかった。映像を見ると、非常に広い音域のある、強く印象に残る声の持ち主だ。その声でこれから成し遂げようとしていたことがあっただろうに、気の毒でならない。










クリスティーナを撃ってから自殺した銃撃犯については、事件当初、「クリスティーナの元カレ」という話がTwitterで飛び交っていたが、結局、それは単なる「うわさ」で、警察では加害者と被害者の間に直接の関係は認められないと述べている。可能性としては思い込みの激しい「ファン」だった、というのはあるが、立証はされていない。

いずれにせよ、加害者は、100人ほどが見に来ていたライヴが終わったあと、歌手本人が物販コーナーで客と交流しつつ、CDやグッズなどを買ってもらうという時間を狙っていたのだろう。それも、歌手本人を確実に撃てるよう、客がはけてしまうまで待っていたのだろう。

何かの強い思いがあって、加害者は歌手を殺したのだ。









一方、歌手銃撃の翌日に同じオーランドで起きた事件は、無差別的な大量殺人である。

……と、あっさり書いているが、2日連続でOrlandoという地名が「銃撃事件」についてモニター内に流れてきたとき、私は少なからず混乱した。ひょっとして名前が同じだけで別の都市なのではないかと思った。しかし「フロリダ州」に「オーランド」は1つだけだ。




このツイート↑を投稿した時点で、最初の銃撃から2時間経ってなかった。なお、私はBBCのフィード(下記)を見て気づいたが、この時点ではアメリカの大手メディアはこの事件をほとんど報じていなかったようだ。「CNNは欧州大陸の話ばかりだ」とか、「ABC NewsもNBC Newsも扱っていないが、BBC Newsが報じてる」とかいうツイートが、私が上記を投稿する前後にどかどかと出ていた。








ちなみにBBCでの最初のツイートは下記。




襲撃されたのが土曜の夜のゲイ・クラブということで、加害者はゲイ嫌悪のキリスト教の宗教保守や極右かもしれないし、イスラミストかもしれないと反射的に思ったが、この時点ではそういう話は報道には一切出ていなかった(個人の「つぶやき」などではあったかもしれない)。まだ「何が起きたのか」、「何が進行中なのか」もはっきりしていないタイミングで、何が「うわさ」で何が「事実」なのかもわかっていなかった。そのときに警察が、当該のクラブで銃撃があったという事実と、大勢が(撃たれた結果)負傷しているという事実を認めたタイミングで、BBCが速報を出した。

その時点でのBBC記事に書かれていたのは、クラブの場所など基本情報と、襲撃されたクラブのFacebookのアカウントの投稿内容程度だった。そのFBの投稿が:




「みんな、Pulseから出て、とにかく走ってください」

そのFB投稿につけられたリプライで、Pulseの中で起きていると伝えられていることは、信じがたいようなことだった。




このころのツイートは、またいずれ「まとめ」たいと思うが、何とか逃げ出した人が無事を報告するツイートもあれば、現場にかけつけた報道記者の実況ツイートや、クラブにいた人へのインタビュー映像のツイートもあり、襲撃されているクラブの中からのツイートもあった。クラブの中からのツイートは、その人がどうなったのかを私は確認する勇気を持たない。現場実況ツイートの映像で、私はあの音を聞いていた。

ともあれ、私が最初に事件に気づいてから2時間後くらいに、襲撃者は死んだという警察の確定がきた。そのときには死者数は「少なくとも20人」とされていた。一方、クラブにいた人は「店の中には少なくとも100人はいた」とインタビューで語っていた。何十人殺されたか、正直、わからない、と思った。事件を知ったときから、2015年11月13日のパリのバタクランが思い出されてならなかった。バタクランでは100人近くが殺されていた。客でいっぱいのクラブやライヴハウスのような場所で、客に向かって水平撃ちが行なわれたらどんなことになるか……

そして、襲撃者が死亡したことが確定された数時間後に、現場の惨状をまざまざと示す恐ろしい数字が伝えられてきている。




APの映像。

※この記事は

2016年06月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:07 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼