kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年05月24日

イスイス団: 「ビートルズ」と呼ばれた拷問・殺人集団の全員の身元がわかったらしい。4人とも西ロンドン出身だ。

あの集団の個々の構成員については、無視しておくのが一番だと思ってはいるのだが、殺害された湯川さんや後藤さんにも関係することなので、ブログに書くことにした。

西洋人のジャーナリストや支援ワーカーを拘束してきた「イスラム国」を自称する勢力(ISIS, ISIL, またはIS。ネットスラングで「イスイス団」)で、人質の監禁・拘禁・拷問や、フォーリーさん、ソトロフさん、ヘインズさん、ヘニングさん、カッシグさん、湯川さん、後藤さんの殺害とプロパガンダへの利用において最も直接的な役割を果たしていた「イギリスのしゃべり方をする4人の男たち」(「イギリス訛り」ゆえに、「ビートルズ」とあだ名されていた)の全員の身元がわかったそうだ。全員が、西ロンドンからシリアに行った者たちだった。

イスイス団のこの「ブリティッシュ・アクセントの4人」を区別するために、人質の間でつけたあだ名(記号)がジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人だった(ザ・ビートルズにはいい迷惑かもしれないが、「イギリス人で4人」といえばザ・ビートルズ、と誰もが納得する存在だということは確かだ)。

■「ジョン」
4人の中で最も有名になったのが、人質殺害ビデオでイスイス団の残虐性を見せ付けていた「ジハーディ・ジョン」で、これは幼少時に家族ともどもカタール(←すみません、間違えて書いてました)クウェートから英国に移住し、西ロンドンで育ち、かなりまともに教育を受けていた(つまり「社会からの落伍者」ではない)モハメド・エムワジという人物(26歳か27歳)だった。この人物については既に相当量、書いているのでそちらをご参照いただきたい。なお、モハメド・エムワジは2015年11月12日、シリアのラッカにおける米ドローン攻撃で標的とされ、死亡した(偶然のタイミングだが、11月13日夜にフランスのパリで行なわれた同時多発攻撃の直前のことだった)。

■「リンゴ」と思われる人物
次に身元が判明したのが「リンゴ」と思われる人物だった。2016年2月7日付のワシントン・ポスト報道(同日付で記事を出しているバズフィードとの合同調査)によると、アレクサンダ・コーティという32歳の人物で、エムワジと同じく西ロンドンの出身だ。エムワジと大きく違うのは、コーティは改宗してイスラム教徒となったという点である(20代はじめにイスラム教徒の女性と知り合ったときに改宗した。子供を2人作ったあとで別れたそうだが)。ちなみに民族的バックグラウンドとしては、父親(本人が物心つかぬうちに死去)がガーナ系で、母親がギリシャ系キプロス人だという(ガーディアン報道によると、コーティ本人のもともとの宗教はギリシャ正教)。なお、これは米国の情報当局がそう述べているということで、英国側はノー・コメント、コーティの家族もノー・コメントだとWaPo記事は伝えている。

そして、ロンドンでの彼の様子については:
Kotey − known as Alexe to his friends − attended the Al-Manaar mosque in London, as did Emwazi, and friends recalled that he stood out for his radical views.

One former friend said Kotey used “to have this stall outside the mosque, and those guys used to openly preach and argue about what they thought was their cause or ideology.” The friend, who would only discuss Kotey on the condition of anonymity, said Kotey also advocated suicide bombing, arguing with those who said it was forbidden by the Koran.

Kotey also became involved with a network of extremists known as the “London Boys” who advocated violence and have been linked to terrorist attacks and plots in the United Kingdom.

https://www.washingtonpost.com/world/national-security/another-islamic-state-jailer-who-held-western-hostages-identified-as-londoner/2016/02/06/a0f11d28-cc10-11e5-ae11-57b6aeab993f_story.html


コーティが英国を離れたのは2009年。ジョージ・ギャロウェイ(このころは国会議員だったと書いてあるけど、そうだっけ。もう忘れた)が組織したガザ地区への支援物資輸送のプロジェクト、Viva Palestinaに参加し、そのまま英国には戻ってきていないという(バズフィードの記事によると、車列がガザ地区に入ったあと、コーティは行方をくらましてしまったと参加者のひとりが語っている)。英情報当局がマークしていたこのプロジェクト参加者の中にいたのがReza Afsharzadeganという人物。これがイスイス団の「ロンドン・ボーイズ」と呼ばれるロンドン出身者たちのキーパーソン(リーダー)で、エムワジとつながっていた。ただ、コーティがいつシリアに行ったか、いつエムワジと知り合ったかははっきりしていない(ただし、上に引用した部分にあるように、コーティとエムワジは西ロンドンの同じモスクに通っていた。ラドブローク・グローヴの「過激派」のモスクだ。ラドブローク・グローヴってのは、有名なポートベロのストリート・マーケットのすぐ近くで、駅には観光客もいるような「メジャー」な場所である。そのモスクは、2014年に全面的に方針が改められているという)。

コーティが育ったのはシェパーズ・ブッシュ地区で、地元のサッカークラブ、QPR(クイーンズ・パーク・レンジャーズ)の熱心なサポーターだったという。イスイス団の「ビートルズ」では、「リンゴ」と呼ばれた男が「生まれ育ちはシェパーズ・ブッシュ、かつてはQPRの大ファン」などとネットに書き込んでいたという。

バズフィードの記事には、米情報機関から得たというコーティの出生証明書がリンクされている。1983年12月、ハマースミスの病院で、コーティ夫妻の間に生まれた男の子だ。20代の初めに改宗したということは、2000年代半ばということになる。そのころ、何があったかというと、イラク戦争。ちなみに、2005年7月7日にロンドン地下鉄で自爆したジャーメイン・リンゼーとサマンサ・ルースウェイトは、イラク戦争に反対する反戦デモで知り合って結婚している。

また、WaPo記事には「家族はノーコメント」とあるが、バズフィード記事には、「この記事が出たあとに家族のステートメントが出た」として、本人と家族はもう何年も会っていないこと、家族は大変なショックを受けていることが書かれている。

コーティが「リンゴ」だったと断定するには及ばないようだが(元人質の証言が食い違っていたりすることが原因らしい)、おそらくは「シェパーズ・ブッシュ出身で元QPRサポ」とネットに書き込んでいた「リンゴ」はコーティだろうと考えられているということは、先ほど触れたとおりだ。その「リンゴ」がどのような態度で人質を扱っていたかについて、2014年6月に解放されたオランダ人が回想録で次のように述べている。

A Danish hostage, Daniel Rye, who was released in June 2014, recalled in a memoir how “Ringo” had kicked him 25 times in his ribs on his 25th birthday, telling him it was a gift. Rye wrote that “George” dominated the group of jailers and was the most violent and unpredictable.

Rye also recalled being taken to an open grave where a suspected spy was shot by Emwazi on “George”’s instructions while “Ringo” filmed. Rye said the Britons forced him and other hostages to climb into the grave and photographed them.

https://www.buzzfeed.com/janebradley/unmasked-the-second-member-of-isiss-beatles-execution-cell


つまり、「リンゴ」は、人質の25歳の誕生日に「プレゼントだ」といって25回、蹴りをお見舞いした。グループのリーダーは「ジョージ」で、その指示に従って「ジョン」がスパイと疑われる人物を撃ち殺し、「リンゴ」が撮影していたという。あと、ここに書かれているのはmock executionの様子。ひどいね。

で、コーティが英国を離れた2009年のジョージ・ギャロウェイのガザ支援プロジェクトだが、これはギャロウェイ本人は参加者(数百人規模だった)のバックグラウンドはチェックしていると述べていたにも関わらず、当局が特定していたジハディストが何人も参加していた。それについて、バズフィード記事には:
Viva Palestina was beset with controversy when, the day before its departure, nine of the volunteers were arrested under the Terrorism Act by Lancashire police. All were later released without charge, and Galloway branded the move an attempt to “smear and intimidate the Muslim community”.

However, a list of the convoy volunteers obtained by BuzzFeed News reveals that three of the men who travelled alongside Kotey are now known as extremists. Among them was Afsharzadegan, who was in the same sub-group of 25 volunteers. The British-Iranian terror suspect travelled to Somalia in 2006 to be trained by a top al-Qaeda operative, and intelligence agencies believe he was sent back to Britain with instructions to recruit members for al-Qaeda and al-Shabaab.

Afsharzadegan was a leader of the London Boys network, through which Emwazi is believed to have been radicalised.

Another member of Kotey’s group on the convoy, Amin Addala, has also been named in court as a member of the network. And a third volunteer, Manchester-based Munir Farooqi, was convicted of terror offences in 2011 after attempting to recruit two undercover police officers to join the Taliban in Afghanistan. He was sentenced to life imprisonment.

https://www.buzzfeed.com/janebradley/unmasked-the-second-member-of-isiss-beatles-execution-cell


ジョージ・ギャロウェイというのはイラン寄りの人物で、イランの英語チャンネル、Press TVに番組を持ってたりしているのだが、「ロンドン・ボーイズ」のリーダーで、2006年にソマリアに行き、アルカイダやアッシャバブの人員集めを行なうよう指示を受けて英国に戻っていたAfsharzadeganという人物は、イラン系だそうだ(イラン人でアルカイダの活動をしている人は、数は少ないが、いる。シーア派の国家で、スンニ派の過激主義というのはおかしく聞こえるかもしれないが)。

コーティの友人で、一緒にこのプロジェクトに参加していた人物は、「ガザに行く車列が、彼を変えてしまった」と回想している。ロンドンからガザまで車に支援物資を積んで、外界と隔絶された状態で、使命感に燃えているときに、完全に「あちら側」に行くことを決める何かがあったのかもしれない、と記事を読みながら思う。

そしてこの友人氏は、「格差が目に見えすぎる西ロンドン」(富裕層しかいないチェルシーのようなエリアと、お世辞にも恵まれた環境とはいえないシェパーズ・ブッシュが隣り合っている)ゆえに「怒りをかきたてられ」た若者という「コーティの中の深い部分」のことを語っている。友人氏はかつてそういう「怒り」を分かち合っていたのかもしれない。しかし、カルト集団にはまってロンドンを離れてしまったのはコーティだけだった。

ガーディアンの記事にあるのだが、モスクの前に陣取って、パンフレットを配り、論争をふっかける……このコーティという改宗者についての記事を読むと、VICEで昔やってた「ロンドンでデモをするイスラム過激派に突撃取材」という映像を思い出す(アンジェム・チョーダリー一派の「酒を禁止せよ」、「シャリーア法を英国に」系のデモ)。「そういうの」がイスラムのおしえなのだと信じていたのだろうか。

特定された時点で、コーティの居所はわかっていない。

■3人目
ワシントン・ポストとバズフィードがアレクサンダ・コーティが「ビートルズ」とあだ名されたセルの一員であることを報じてすぐ、ガーディアンがコーティについて別途確認し、3人目を特定したという記事を出した(2016年2月8日付)。英国人のイスイス団メンバーとしてずっと顔と名前がわかっていた人物で、やはり西ロンドン出身。アイネ・デイヴィス(31歳)である。エムワジやコーティと同じモスクに通い、友人同士だった。

デイヴィスは、ロンドンに残している妻のアマル・エル=ワハビが、非合法団体(テロ組織)への資金援助の罪で起訴され有罪となったときに、英メディアで報道されたジハディストである。それについては過去に少し書いている。抜粋しておこう。

アイネ・デイヴィスもまた西ロンドンで育ったイスラム過激派である。

2014年8月、妻の裁判のときのテレグラフの調査報道記事。
http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/terrorism-in-the-uk/11038871/British-jihadist-at-the-heart-of-terrorist-network-terror-in-Syria-and-Iraq.html

デイヴィスはハマースミス育ち。この記事が出たときには30歳になっていた。

彼に資金(現金)を届けようと計画した妻のアマル・エル=ワハビは27歳……彼女は幼馴染の同い年の女性に、トルコまで運んでいってほしい、お礼はするからと言って現金を入れた下着を身に着けさせたが、空港のチェックでひっかかり、御用。裁判の結果、この「運び屋」役の女性は「そのお金がシリアの武装活動に使われるとは知らなかった」とのことで無罪。首謀者のアマルは有罪となった。

アマルが送ろうとした金額は2万ユーロ(ざっくり、250〜260万円という見当でよいはず)。警察当局はこれだけの資金を集めたネットワークを追跡しようとしている。

アマルは夫のデイヴィスに完全に操られているということが法廷でも明らかだった。(今は昔と違い、遠隔地にいても通信で常に「つながっている」状態なので、こういうことに関して距離は問題にならないようだ。)

夫から妻子に、ジハード戦士のなりをしている写真が送られれば、妻の側からは4歳の子供に「一本指」のポーズをとらせた写真が送られる。

デイヴィスは2度結婚歴があり、それぞれの結婚で2人ずつ子供がいる。一番幼い子供は、彼が出て行ったとき、まだ生後2ヶ月だった。

テレグラフが当局に取材したところ、デイヴィスが「ジハード戦士」となった過程は、英国ではよく見られるものだった。何十人もの同様の「戦士」たちと同じく、彼もまた犯罪者から国際テロへと進んでいった。また、多くの「戦士」たちと同じく、彼もまた貧乏で機能不全な家庭の出身だった。

1984年2月11日にハマースミスの病院で生まれたAine Leslie Junior Davisだが、出生証明書は母親のFay Rodriguezという名前だけで、父親の欄は空欄だった。が、どうやら父親はBennoというニックネームで呼ばれる人物で、百貨店のジョン・ルイスで働いていたということがわかった。母親のフェイ・ロドリゲスは自身のFBのページで、ロンドン西部の私立学校で働いていると書いているが、実際には給食調理の会社で派遣されているようだ。

フェイ・ロドリゲスにはほかに2人、イスラム教に改宗した子供がいる。Aineの状況については彼女はコメントを拒否した。

Aineの父親には13人の子供がいて(母親は4人)、Aineは5歳のときにガンビア(父親の故郷か)の祖母のもとに送られた。その後、何度か英国に戻ってきていたようだが、17歳のときにロンドンでずっと暮らしていくことを決めた。しかしここで彼は地元のギャングと関わるようになる。

(1984年生まれの彼が17歳というと2001年か。ストリート・ギャングの活動の全盛期かも。)

2004年6月、彼は銃の所持で有罪となり、2年間少年院に送られる。このころの彼はギャングの間での拳銃の販売の仕事をしていたという。そしていずれかの段階でイスラム教に改宗し、施設内で過激化されていったという。

2002年から2010年の間に、彼は大麻所持などで6度、有罪となった。2010年4月には、警察に「ギャングが武器を持ってけんかをしている」との通報が入り、Davisは現場から逃げ出した。逃げる途中でズボンから大量のカナビスを投げ捨てたが、結局、£680をポケットに入れた状態で逮捕された。売る目的で麻薬を所持していたとして逮捕された彼は、しかし、有罪を認めたことで単なる麻薬所持ということで罰金刑という軽い刑で済んだ。

仕事はほとんどしておらず、私生活も荒れていた。ある女性との間に2人の子供をもうけたあとに、彼はアマル・エル=ワハビと出会い結婚。アマルはモロッコ生まれの両親を持ち、ロンドンで育った。親元で暮らしていた19歳のとき、2006年に西ロンドンのアクラム・ロード・モスクで3つ年長のデイヴィスと出会った。このとき彼は既にイスラム教徒になっており、「ハムザ」と名乗っていた。

当時「ハムザ」といえば、西ロンドンで活動していたアブ・ハムザだ、といったこともこの記事には書かれているが、実際、アマルが資金を送ろうとした件でアマルの家が捜索されたときに、アブ・ハムザや、アンワール・アル=アウラキの説法が入ったDavisのiPodが出てきたそうだ。またKindleにはアブドゥラ・アッザムの本がいろいろ入っていたという。

アマルは彼との出会いについて、「私が働いていたモスクに、彼がお祈りに来ていたのです。(モスクは男女別だが)私が仕事から上がるときに彼が来るので、いつも鉢合わせていたのです。それがきっかけで親しくなりました」と語っている。

こうして、彼女は家がいろいろ大変で、といったことを彼に話すようになったという。両親は2人の交際には渋い顔をしていた(犯罪者でヤクの売人ですからね……)。

テレグラフ記事は、「デイヴィスは彼女をひどく扱い、支配していたことは明白だ」と書いている。

デイヴィスがイスラムの宗教学校に行くために2人はイエメンに渡ったが、アマルに子供ができたので2人はロンドンに戻ってきた。そして2009年の大晦日に出産したのだが、その2ヶ月前に2人は別れた。その2年後、またよりを戻すのだが、このころまでにはデイヴィスは中東に行き、サウジアラビアに巡礼に行き、イエメン、エジプト、カタールにも赴いていた。

アマル・エル=ワハビは夫について、「麻薬のディーラーでギャングだった過去から逃れようとしている」のだと語り、2人は和解したとも述べている。2013年5月、2人の間には2番目の子が生まれたが、その2ヵ月後にデイヴィスはトルコに行って、そこからシリアに行くと告げた。

それを聞いたアマルは「混乱した」と言っている。「いつも、俺は行くよ、行くからね、と言っていたんですが、本当に行くとは思っていなかったので」

そして電話やテキストメッセージで、別の妻を娶るなどと言ってきたので、それだけは思いとどまってほしいということで、彼女自身もシリアに行くことに同意した。しかし、現金を届けようとしたことで、彼女は有罪判決を受けた。

(前年の)12月4日にデイヴィスは「元々、おれとおまえとでは考え方も違っていたからな。どちらにもぴったりの配偶者を神様、お与えください。おまえは俺のことを真剣に考えてなかったってことだ。来るな、お前の国にいろ」などと伝え、アマルは彼の思ったとおり、「絶対に行くから、別れるとか言わないで」と返事をした。それが今回の「現金密輸事件」の背景だという。

……というわけで、この「イスラム過激派」のケースには、宗教的理念とかイデオロギーとかいうのとはまた別の、「支配」の問題がある、というのがテレグラフの報告。

http://matome.naver.jp/odai/2142553638026464301


妻のアマルが有罪になったのが2014年8月。デイヴィスはその1年3ヵ月後の2015年11月に、トルコで逮捕された。パリで行なわれた同時多発攻撃と同じような攻撃を、イスタンブールで計画していたという容疑だ。トルコ当局が逮捕したと明らかにされた時点ですでにデイヴィスは「ビートルズ」の一員と思われるという報道はなされていたが、それが改めて確認されたのが2016年2月のようだ。有料登録していないと読めないが、タイムズの記事は次のように書き出されている(デイヴィスが「ポール」なのか「ジョージ」なのかは微妙。4人のリーダー格の「ジョージ」なんじゃないのかなあと思うけど、タイムズは「ポール」と書いてる)。

The British accomplices of the Islamic State killer from west London known as Jihadi John were unmasked yesterday as a pair of street radicals.

Mohammed Emwazi became known as John when western hostages nicknamed their captors after the Beatles because of their English accents.

The kidnappers known as Paul and Ringo have been identified as Aine Davis, who is in custody in Turkey for suspected terrorism, and Alexe Kotey, an Anglo-Greek convert to Islam.

http://www.thetimes.co.uk/tto/news/uk/article4685368.ece


■4人目
最後、4人目のメンバーが特定されたと報じられたのが、2016年5月23日のことだ。やはり最初はワシントン・ポストバズフィードだが、他のメディアも一斉に伝えている。例えばガーディアン:
Fourth member of Isis 'Beatles' identified
Shiv Malik
Monday 23 May 2016 20.50 BST
http://www.theguardian.com/world/2016/may/23/fourth-member-of-isis-beatles-identified-el-shafee-elsheikh-london

El Shafee Elsheikh(エル・シャフィ・エルシャイク)という名の「4人目」もやはり西ロンドン出身者で(ホワイト・シティ。シェパーズ・ブッシュと隣接している地域)、年齢は27歳。生まれたのはスーダンで、内戦を逃れ、家族に連れられて英国に移住したのが1990年代の初め(本人が物心つく前だろう)。父親はロンドンで通訳・翻訳をしており、息子がジハディストに加わって戦うためにシリアに渡航したのは2012年初めだったと語っている。

2012年というとまだイスイス団は「アルカイダのシリア支部」だったが(アルカイダからイスイス団が完全に分派したのが2014年はじめ)、エルシェイクはアルカイダの側(つまりヌスラ戦線)にではなくイスイス団に入ったということだ。記事が出た時点ではアレッポ(アレッポ市なのか県なのか記載がないが、県だろう)に住んでいると考えられている。

息子はものすごいスピードで過激化されていったと語る父親は、「過激なことを言うようになったのは、一時的なものだろうと思っていたんです。来月になればもう忘れているだろうと」と述べている。「息子の様子がどうもおかしい」というのは、ロンドンのイスラム教徒の間では、そのくらいありがちなことなのかもしれない。

また、父親は「過激主義に走る移民家庭の子供たち」について「無理もない」と理解を示してもいるが、そこは私は読むだけにしておく。そして父親は、あれよあれよという間に傾倒を深めていった息子が、「私たちに何かができる前に、出て行ってしまった」と回想している。

Elsheikh’s father said the UK had not taken the threat of radicalisation seriously enough. “Unfortunately the lenient way of our government here in tackling the radicalisation machinery in the mosques was complacent … So they go there [to the mosques] and they listen to a version of Islam which is synonymous to Isis and al-Qaida and all these radical terrorists. So they have the propensity to [believe] this erroneous version of Islam.”

He added: “We tried to handle this in a mild, considerate way, but before we could do anything he [his son] just left.”

http://www.theguardian.com/world/2016/may/23/fourth-member-of-isis-beatles-identified-el-shafee-elsheikh-london


※「政府は過激なモスクを知っていてそのままにしている」というのはその通りだと思う。監視し情報は把握しても、手を出さないのが情報機関なり警察なりのやり方の基本。

エル・シャフィ・エルシャイクがシリアに行ってしまったあと、母親はエル・シャフィの弟のマフムードを、ロンドンの過激派(ラディカル)から引き離しておくために、スーダンに連れていった。そして、スーダンの英国大使館に、マフムードのパスポートを没収してほしいと要請した。しかし、英国大使館は「息子さんは大人なので、旅券を所持する権利はあります」として要請に応じなかった。そしてマフムードもまたイスイス団に加わってしまい、2015年4月、イラクのティクリートで死んだ。

エル・シャフィが2012年にシリアに行ったことについて、最初に警鐘を鳴らしたのは、ケンブリッジ市議会のサラ・アル=バンダー元議員(Salah al-Bander)だった(英国に亡命したスーダン人のコミュニティのリーダーだそうだ)。元議員によると、エル・シャフィはかつて、シェパーズ・ブッシュの地下鉄駅の前に小さなストールを出して演説(説法)をしており、ごく短期間の間に「完全に過激派に変貌して」いった。「エル・シャフィは本当に物静かで、親切で、内省的な若者だったのです。なのに非常に短期間で、非常に過激化されてしまい、すべての物事に関して非常に極端な見方をするようになっていました。ほんの数週間のうちにです。今でも、あんなに早く進行するものかと思っています」

そして元議員は、先ほどの父親の発言とも重なるような見解を示している。

He said there was too much focus on individuals but not on incubating factors that had given rise in the area to a “production line of young jihadis”.

“Nobody is making any effort to look at the production line,” he said.

http://www.theguardian.com/world/2016/may/23/fourth-member-of-isis-beatles-identified-el-shafee-elsheikh-london


この青年の家族で、メディアで発言しているのは父親だけではない。バズフィードには母親のインタビュー記事が出ている。

My Son The ISIS Executioner
Jane Bradley
posted on May 24, 2016, at 1:00 a.m.
https://www.buzzfeed.com/janebradley/my-son-the-isis-executioner

子供のころから機械いじりが好きだったエル・シャフィは、孤独を好む物静かな人物だった。2011年、成長して自動車修理や遊園地の遊具の調整をするようになっていた息子がずっとヘッドフォンでCDを聞いているので、母親がヘッドフォンを取り上げてみると、流れてきたのは憎悪の奔流だった……悪名高い、アルカイダとつながりのある西ロンドンの説法者、Hani al-SibaiのCDだった。そのとき初めて彼女は、自分には理解できないイデオロギーに息子を奪われてしまうのではないかと思った。

バズフィードの(母親のインタビューではなく)報道記事のほうにはこうまとめられている。

The first sign of his radicalisation came in 2011 when his mother caught him listening to a CD by Sibai promoting jihad. He then started attending sermons at three local mosques, and his mother says his transformation was almost instantaneous. Within 17 days, she says, he had become a radical Islamist who donned long robes, grew a beard, and began espousing the holy war.

A close friend of the family who asked to be named only as Blgiss said she also noticed a swift change in Elsheikh’s behaviour, describing how the once “quiet and respectful” boy would come back from prayers “arguing for hours” with his mother about Islam. “One day I remember, he came up to her like this,” she said, pointing aggressively at Elgizouli’s face, “and said: ‘You know, Allah says your mum can be your enemy.’”

Elsheikh began distributing Islamist literature and “Arabic perfume” from a street stall outside Shepherd’s Bush station, and soon persuaded his younger brother, Mahmoud, to start going with him to sermons. Their mother told BuzzFeed News she was powerless to intervene because, as a single woman, she could not enter the mosque. “If I go without a man I can’t enter,” she said. “I need to go inside, I need to see what the imam say to my son.”

https://www.buzzfeed.com/janebradley/fourth-isis-beatle-exposed


母親のインタビューより:
“My kids were perfect,” she says now, with a look of blind incomprehension. “And one day it suddenly happened.”

Elgizouli’s disbelief at her sons’ sudden transformation echoes the experience of hundreds of families across Britain who have lost their children to ISIS. More than 800 British citizens have travelled to Syria and Iraq to wage jihad in recent years. All four members of the “Beatles” were ordinary young men from the same pocket of west London where Elsheikh was raised, and were radicalised in its mosques. Mohammed Emwazi was remembered by his schoolmates as a “nice guy” who loved football and S Club 7 before he found extremist Islamism and became “Jihadi John”. Friends of his fellow guard Alexanda Kotey said he was “quiet and humble”, an avid Queens Park Rangers fan who considered himself “as British as they come” before his conversion. Elsheikh, his mother says, was “very, very clever”, quiet and kind-hearted, a “very nice boy”. At the heart of her story is the same question being asked time and again in communities across the country that are struggling to get to grips with the spread of extremism: What makes these studious, unassuming young men susceptible to an ideology that so swiftly turns them into killers?

https://www.buzzfeed.com/janebradley/my-son-the-isis-executioner


母親のインタビューをとった記者のツイート:



エル・シャフィーとマフムードの両親はスーダンの共産主義活動家で、それが原因で亡命を余儀なくされたという。イスラム教の信仰は持っているが「リベラル」で(息子2人を両脇にした母親の写真を見ればわかるだろう)、エル・シャフィーがいわゆる「イスラム過激派」の思想にはまってしまったのは、家庭にそういう環境があったからではない。一家の父親は、1993年に英国に亡命して数年後に妻と3人の息子たちを置いて出奔してしまい、母親はひとりで働いて息子たちを育てた。

やがて一番上の息子のカリドが西ロンドンのギャングとつるむようになり、弟のエル・シャフィーがナイフで背中やわき腹などを何度も刺された。カリドは、弟を刺した人物を探し出し報復。これがきっかけで西ロンドンのギャング抗争がヒートアップし、カリドのいるチームの10代メンバーが相手方のメンバーを撃ち殺すという事態に発展(2000年代のロンドンではよくあった話。地域新聞でなら報道記事があるかもしれないが、全国紙ではないかもしれない)。これにより、銃撃を行なったメンバーが有罪となり、カリドも銃器所持で10年の判決を受けた。頼りにしていた「お兄ちゃん」を刑務所に送られたエル・シャフィーとマフムードの兄弟は大きなショックを受け、不安定な状態となった。

このころ、エル・シャフィは、子供のころにカナダの親戚を訪問したときに知り合ったエチオピア系の女性と結婚したいと母親に告げていた。母親はこれを歓迎し、2010年に二人はカナダで結婚した。新婚夫婦はロンドンで生活を始めるはずだったが、英国のイミグレの制度のせいで、妻が英国に入国できない。1年粘ったあとで、エル・シャフィは単身ロンドンに戻ってきて、車の修理工の仕事に戻った。彼が西ロンドンでうごめく「イスラム過激派」に影響されるようになったのは、そのころだった。

……これは明らかに、「制度への怒り」が背景にあると思う。そういう人に、「イスラム過激派」は「何でも話せる仲間」として接近する。

やがて、悪名高いHani al-Sibaiの説法のCDをヘッドフォンで聞くようになるエル・シャフィに最初に接近したのは、エリトリア人のイスラム過激派活動家を父親に持つ若者だったという。家に訪ねてきたその若者が、ジハードを熱く語っているのを母親は耳にして、「この家に足を踏み入れてジハードの話をするなんてこと、二度としないでください。うちの子たちに宗教について教えるのは、私の仕事です。あなたは口を挟まないで」と言い渡した。若者はその場では謝ったが、数日後にまた訪れてきていた。

そして、エル・シャフィは戻れないところまで行ってしまった。弟のマフムードは戦いに行って死んでしまった。

When BuzzFeed News approached her, Elgizouli was unaware that her son had been identified as a member of the “Beatles”, though she knew he was working for ISIS. She wondered if the terror group just wanted him for his skills as a mechanic, and allowed herself to hope that one day the spell might break and he would come home.

“I hope,” she said, “he changes his mind. I hope so. I hear now many boys run away … I hope Shafee is one.”

When she hears that intelligence agencies have identified her son as a member of the execution cell, she drops her head into her hands and rocks backwards in her chair, wailing. “No, no, not Shafee,” she cries, and her friend Blgiss comes running from the next room. She sobs uncontrollably, speaking in rapid Arabic interlaced with Shafee’s name, making cutting gestures across her throat. Blgiss grabs her around the shoulders and shouts: “You are his mother. He is a grown man. You did not do this.”

Later, when the sobs have lessened, she shakes her head and says: “That boy now is not my son. That is not the son I raised.”

https://www.buzzfeed.com/janebradley/my-son-the-isis-executioner


記事についての私のツイート:




※この記事は

2016年05月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼