kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年01月18日

今朝の雪/みぞれ(東京)

昨日(日曜日)の午前中は晴れていた。そこに雲が流れてきた。

Winter is coming

この雲がそのまま、ふたをするように留まって、日曜日の午後からは曇りになった。夜になって、ばしゃばしゃと音を立てて雨が降り出した。やがて、しんと静まり返ったので外を見てみたら、雪が積もっていた。

そして月曜の朝。

o=o=o=o=o

積もった雪の上に雨が降り注いでいた。冷たい雨は路面で雪と混ざり合っていて、ほとんど流れていかない。

Icy rain/snow

Walk the line

Complicated

雪というより「大根おろし」だ。

雪の重みと雨の勢いと、ひょっとしたら風で、木々の細い小枝が落ちてきていて、雨を含んだ雪の上に散乱している。

Juan Miro was here.

Dada

Rest

A perfect circle

マンホールの縁のところだけ温度が高いのだろう。丸い形が浮かび上がっている。

A perfect circle II

A perfect circle III

路面に埋め込まれた金網の下は雨水溝。大雨のときはごうごうと雨を飲み込んでいく網に、雨と混ざった雪が詰まってしまっている。仮に気温が上がって雪が融けても、流れていかない。明日の朝は「でこぼこのスケートリンク」になっているだろう。それにここは日陰なので、人に踏み固められた雪は、1週間くらいは融けずに残るかもしれない。

Frozen

こんな状態でも自転車のタイヤのあとがある。押して歩いているのだろうと思うが(雪道で自転車に乗るのは極めて危険だ)。

Bicycle!

狭い路地、人ひとりが通れるだけの除雪。私も、例年のごとく、ちりとりを使って(うちには「雪かきシャベル」などというすばらしいものはない)通路が確保できる程度に雪をどかしたが、半分水、半分雪で、重さが尋常ではなかった。

A path

積雪量はこのくらい。

This much

Had a fall

早めに咲き出した花が凍えている。

Icy

'A week ago, I thought it was warm enough. Then this!'

Hearts

その後もしばらく雨は降り続いていたが、午後3時ごろには完全に晴れわたっていた。車が通る道はもうかなり融けているが、日陰になる路地などは、今晩から明日の朝は大変かもしれない。

Cleared up

……と、東京の私のいるあたりではこんな感じで、のんびりしているように見えるかもしれないが、鉄道にも影響が出て「混乱」という点では今日はひどかったし、怪我をされた方も多い。このあたりでこれだけの影響があったのだから、山沿いのほうはもっと大変だろう。東京都の天気予報は明日以降は晴れとなっているが、まだ悪天候が続く地方もあるという。被害が出るようなことにならないよう、願うばかり。





サムネイル用の写真:
snow18jan2016-min.jpg
タグ:写真

※この記事は

2016年01月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼