kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月30日

突然亡くなったように見えたレミーの最後の日々。あの状態でこの飛ばしっぷりは、すごい。



「今まで死んでなかったことが不思議」などと言われつつ、「ガンで突然の死 (sudden death from cancer)」という、凡人にはよくわからないものを迎えて他界したモーターヘッドのレミーの最後の日々を、『ローリング・ストーン』が記事にしている。

Lemmy's Last Days: How Metal Legend Celebrated 70th, Stared Down Cancer
By Steve Appleford December 29, 2015
http://www.rollingstone.com/music/news/lemmys-last-days-how-metal-legend-celebrated-70th-stared-down-cancer-20151229

大まかには次のような内容だ。

記事の最初のほうは、12月13日にハリウッドのサンセット大通りにある「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」で開催されたレミー70歳の誕生日パーティの様子を細かく伝えている。

パーティーの企画と仕切りは元ガンズ&ローゼズのドラマー、マット・ソーラム。スラッシュやビリー・アイドル、セバスチャン・バック、ザック・ワイルドといったハードロックやパンクのミュージシャンたちのステージを上階のバルコニーから見ていたレミーは、弱々しい様子ではあったが、オーラは健在といった感じだったようだ。

メタリカのドラマー、ラーズ・ウルリッヒがこの日のために飛行機でやってきて、レミーと一緒に座っていたが、レミー自身、この誕生会の前日にヨーロッパ・ツアーから戻ってきたばかりで、すっかり疲労していた。右手が震え、ひざの上に杖を乗せていた。

この欧州ツアーは、12月11日のベルリンでのライヴが最終日だったが、モーターヘッドは1月にはまた欧州でのツアーを行なうことになっていた。

悲報がもたらされた日、ロンドンからは「ハマースミスのチケット取ってたのに」という声がいくつか流れてきた。






『ローリング・ストーン』の記事はこう続く。

For the last two years, health problems weighed heavily on the trio, beginning with Lemmy abruptly cutting short a 2013 concert in Wacken, Germany. He suffered from diabetes and a heart arrhythmia, and he soon underwent surgery to implant a defibrillator, but he returned to the road as always, with two acclaimed performances at Coachella the next year, followed by tour dates around the world, and a new album, Bad Magic, released this past summer.

この2年間、モーターヘッドには健康問題が続発した。まず、2013年にレミーの判断でドイツでのライヴが途中で中止となった。レミーは糖尿病と不整脈を抱えており、除細動器を埋め込む手術を受けた。しかしその後はすぐにいつものようにロードに復帰。2014年のコーチェラ・フェスのときの2度の演奏は語り草になったし、コーチェラの後も世界中をツアーして回り、この夏には新作アルバム、Bad Magicもリリースされた。

つまり、健康状態に問題はありつつも、レミーはバンドの活動を休んでいなかった。いつもどおりに突っ走っていた。

が、ライフスタイルは変化した。1日に2箱だったタバコが、1週間に1箱になった。少なくとも40年にわたって、ジャック・ダニエルを毎日半ガロン(1.8リットル強)飲んでいたが、それがウォッカ&オレンジジュース(スクリュードライバー)になり、日に4〜5杯だけになった。ただし、毎日のスピードは変わらず。

そして、「最近の何週間かで、レミーはスロー・ダウンし始めた」と記事は書いている。この24年間、モーターヘッドのマネージャーをつとめてきたトッド・シンガーマンによると、(ツアー先でも)「サウンドチェックはもうやらなくなってました。インタビューも受けようとしませんでしたね。何もできなくなってたんですよ」。それでもレミーは、演奏は予定通りに行なった。「ファンのため、あの状態でなおライヴをやろうとするために、どれほどのエネルギーと豪胆さが必要だったことか。2週間前に最後のライヴをやって、そしてぱったりと倒れた。まるで『ロッキー』みたいな映画になりそうな話じゃないですか。これぞ最高のレミーの姿勢ですよ。レミーは死につつあったんです。本人は気づいてなかったにせよ、身体は感じていたはずです。レミーには何も残されていなかったんです」

モーターヘッドは基本的に「レミー」で、ドラムとギターは、1975年にバンドが始まって以降、何度も入れ替わってきたが、1975年のファースト(の4曲のうち1曲)から83年リリースの6枚目のアルバムまでずっとドラムを叩き、一時離れるも、1987年から92年までまたラインナップに加わっていたドラマーがフィル・テイラーだ。1954年生まれで、レミー(1945年生まれ)より9歳下のテイラーは、2015年11月、肝臓の病気のために他界した。テイラーの死に、レミーは深い悲しみを表明している。
I'm feeling very sad at the moment, in fact devastated because one of my best friends died yesterday. I miss him already. His name was Phil Taylor, or Philthy Animal, and he was our drummer twice in our career. Now he's died and it really pisses me off that they take somebody like him and leave George Bush alive. So muse on that. We're still going, we're still going strong, it's just first Wurzel and now Philthy, it's a shame man. I think this rock'n'roll business might be bad for the human life.

今、非常に悲しい気持ちで、というか打ちのめされている、実際。昨日、一番の友人たちの一人が死んだので。既にもう、さびしい気持ちがする。彼の名前はフィル・テイラー。またの名を「フィルシー・アニマル」(※filthyにPhilをかけたダジャレ。意味は「汚い動物」)。うちのバンドが始まってから今まで、2度、ドラムを叩いてくれてた。その彼が死んでしまった。フィルのような奴を奪っておいて、ジョージ・ブッシュはまだ生きているんだから、まったくうんざりする。そんなことをつらつら考えてみるのだが、バンドはまだ続いてて、しっかり活動し続けてて、でも最初はワーゼル(※1984〜95年に在籍していたギタリスト。1949年生、2011年心筋症のため没)で、今度はフィルシー。残念だ。この、ロックンロール・ビジネスっていうやつは、人間の生命にとっては、悪いものなのかもしれない。

https://en.wikipedia.org/wiki/Phil_Taylor_%28musician%29


フィルシーの死は、レミーにとって、特に大きな打撃となった、とローリング・ストーンの記事は書いている。マネージャーのシンガーマンは、レミーがステージを降りたらほとんど何もできないほどエネルギーが低くなっていたのは、友人たちを失っていくことと、自身の健康問題とで気持ちが落ち込んでいたことと関連するのではないかと見ている。

Twitterを見ると、11月下旬にツアー先の欧州で、ギタリストのフィル・キャンベルが急病で病院行きとなり、ベルリンのライヴが中止され、ハンブルクのライヴも日程が変更されている。








欧州ツアーの日程はこんな感じだった。
http://www.setlist.fm/setlists/motorhead-33d68059.html

11月20日と21日に連続でミュンヘン、24日がフランクフルト、25日がルートヴィヒスブルク、ここでフィル・キャンベルの病気のために中止になったドイツでの日程が数日あり、12月1日にスウェーデンのヨーテボリ、3日にノルウェーのオスロ、4日がスウェーデンのストックホルム、1日移動日があって6日がフィンランドのヘルシンキと、これが60代の轟音バンドのスケジュールかと戦慄するほどだ。そして、ひょっとしたら何もなければこれで日程終了だったのかもしれないが、9日にドイツに戻っていったん中止となったハンブルクのライヴを行ない、11日にベルリン。これでこのツアー(バンド設立40周年記念)のこのレッグは終了し、クリスマスを挟んで1月に再開する予定になっていた。

メンバーが病気になりながらも、このきっつい日程をこなして、精神的にも身体的にもくたくただろう。

その状態でも、レミーは12月13日にウィスキー・ア・ゴー・ゴーで行なわれた誕生会を楽しみにしていた、とローリング・ストーンの記事は報告している。招待客オンリーのこのイベントでは、マット・ソーラムが集めたミュージシャンの面々(GNRの新旧メンバー、メタリカ、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー、アンスラックス、スティーヴ・ヴァイ、ビリー・アイドル、スティーヴ・ジョーンズ、ビリー・ダフィなど)が演奏し、イギー・ポップやZZトップのビリー・ギボンズ、デフ・レパード、ジーン・シモンズ、トム・モレロといった人々のビデオ・メッセージが流された。セットチェンジの間にはフロアで女性ダンサーが踊り、女の子たちが席を回ってグッズを配ったりしていた。つまり往年の「ロックンロールなスタイル」そのもの。

この日の予定では、レミーがモーターヘッドのほかにやっているロカビリーのバンド、The Head Catが数曲演奏するはずだったが、結局、レミーはステージまで降りてくることはできなかった。

この時点では、誰もが「おとといまで欧州でツアーしてて、昨日欧州から米西海岸まで帰ってきたところだから、疲れているのだろう」と思っていたに違いない。

これで話が終わっていれば、レミー自身による下記の言葉通りだった。「もう年齢が年齢だからロックとかやってられなくなってきたな、と思ったら、そうなってしまう」




ハリウッドでの誕生日のイベントの2日後、レミーは胸の痛みを訴えて救急搬送された。しかし、検査をしても心臓の異常は見当たらず、翌日には退院となった。しかし、発話がスムーズに行かなくなっていたので、マネージャーのシンガーマンたちは脳のスキャンが必要だと考えた。脳卒中でも起こしていたら大変だ。

「なぜか口数が少ない。ろれつが回らなくなっている。そこでレントゲン検査を受けさせると、医師が『ああ、これはひどい。脳も首も全体的にやられています』と言うのです。土曜日、2日前にですね(※12月26日)、先生が検査結果を持ってレミーの家に来られて、余命は2ヶ月から6ヶ月ですと宣告したのです」

ガンだった。が、レミーの反応は静かだった。「本人以外の私たちより、本人のほうがよほど落ち着いてましたよ。口にしたのは『ああ、たった2ヶ月ですか』の一言だけ。先生は『そうです。レミーさん、ズバリ要点だけ申し上げますね。状態は悪いです。もう誰にも手の施しようがありません。一縷の望みがあると言えば、嘘をついていることになります』と」

マネージャーとしては、この宣告は公には伏せておいて、ただレミーは重病でしばらく安静が必要であるということだけ発表してはどうかという気持ちに傾いていたが、「レミーは『いや、そうじゃなくて、プレスリリース出してくれよ。ガンだっていうことをみんなに知ってもらいたい。悪いものだということ、それは知らせないと』と。それが彼の気持ちだったんですね」

こうして、近しい友人たちや家族に知らせたあとに、一般に告げるプレスリリースを出すという予定が立てられた。レミーの自宅に看護師が常駐するよう手配された。これから痛みが激しくなるのに備えて、モルヒネのキットが運び込まれた。レミーが通っていたサンセット・ストリップのレインボー・バー&グリルにあるレミーお気に入りのゲーム機がレミーの部屋に運び込まれた。

そしてシンガーマンたちが友人・家族に連絡をとり始めた。モーターヘッドのメンバー(パートナー)たちには、日曜の夜にレミーが話した。すぐにレミーに会いに来るよう、旅程が調整された。

シンガーマンは言う。「私にも衝撃だったし、ほかのみんなにとってもそうでした。レミーはこれまで世界中で何千という医師・病院に行っているのに、誰もこれを発見できなかった。レミーがこれまでにどのくらい血液検査やら何やらを受けてきたことか。それでいきなり末期がんですと言われても意味がわからない。それも治る見込みがあるとかいうことですらなく、ストレートに、『長くてあと6ヶ月です』というんですから」

そして月曜日(※28日)早く、医師が往診。この日かその翌日、オジー・オズボーンが来ることになっていた。レミーが数時間ゲームをして過ごしたところに、レインボー・バーのオーナーがお見舞いにやってきた。レミーは眠り込んでしまい、そのまま二度と目を覚まさなかった。

「バーのオーナーから電話がきて、『あの、レミーが今、私の目の前で息を引き取ったんですが』と」とシンガーマンはローリング・ストーンに語っている。

ローリング・ストーンの記事の最後は、レミーの死が公表されたあとのソーシャル・メディアなどでの反応と、ジーン・シモンズ(KISS)からローリング・ストーンに送られた写真(シモンズのTwitterでもアップされていたもの)とコメントを紹介している。

"Behind the Man and the Legend was a kind man who went out of his way to make you feel special," Simmons wrote. "The Lemmy I knew and loved always held out his hand to help new bands. I will miss him."


「あのレミー」として伝説的な存在だった人物は、心根は優しい人で、誰かのためにわざわざ何かをしてあげるような人だった、とシモンズは言う。新人バンドを支援するために手を差し伸べるような人だった、と。

なお、会いに行く予定を立てていたというオジーさんの反応は別記事になっている。
http://www.rollingstone.com/music/news/ozzy-osbourne-remembers-lemmy-he-was-my-hero-20151229
I phoned him up two days ago, and I couldn't make out one word he was saying. Yesterday, I got a text from his manager saying, "Lemmy's on the way [out], and he wants to see some of his friends." So my wife and I were just about leaving the door and the text came saying he'd gone.

「2日前にレミーに電話したのだが、何を言っているのか、一言も聞き取れなかった。昨日、マネージャーからテキスト・メッセージが来て『レミーがもういよいよということで、友達に会いたがっています』と。そこで妻と一緒にまさに家のドアから出ようとしたときにまたテキスト・メッセージが来て、レミーが逝きましたと」


……これはきつい。(;_;)

He must have been suffering for a while. You know, he's 70. He lived the rock & roll lifestyle to the max, but still it's sad when you lose a friend like that.

「しばらくつらい思いをしていたに違いない。70歳だ。最大限、ロックン・ロール的な(放埓な)ライフスタイルを送ってきた人だ。それでも、友人をあんなふうに失うことは、悲しい」


オジーさんは、昔、いかにろっけんろーな日々を過ごしたかといったことも詳細に書いている。が、レミーの「超人」っぷりを物語るのは、「無茶をしていた」エピソードばかりではない。

Anyway, I gave him a song that I wrote. He was great with lyrics, so I said to him, "Can you work on this?" I also gave him a book about the Second World War, about some general or something. He says, "Come back in two hours." So I come back and he not only wrote me a bunch of lyrics, he had three sets of lyrics and he said to me, "That book was crap also." I said, "What book?" "The one you gave me." He had read a book in an hour. I said, "Are you kidding me?" He said, "Do you like these lyrics?" And I think it was for "Mama, I'm Coming Home." And I said, "They're all right." And he goes, "What do you think about these?" He'd written me three sets of lyrics.


つまり、オジー・オズボーンが出したソロの曲で、作詞をレミーに依頼した。そのとき、第二次大戦マニアであるオジーさんは、第二次大戦マニアであるレミーに、第二次大戦に着いての本を1冊渡した。「2時間後にまた来てくれるかな」と言われて、オジーさんがその通りにすると、歌詞が3セットもできていただけでなく、「この本、ダメだなあ」と。「何の本?」と訊くと、「さっき渡されたやつ」と。つまり、1時間で1冊読んじゃってたと。

そのときにレミーが作詞した曲は:
http://www.metrolyrics.com/mama-im-coming-home-lyrics-ozzy-osbourne.html

To look at Lemmy, you'd never think he was as educated as he was. People look at the music we do and the way we look, and they go, "Oh, this bunch is a bunch of yobbos. They don't know what they're doing. They're bad people." But it's not true. Lemmy looks like an old biker, but he was so well read. He was very up on a lot of things. He was a very clever guy. On his bus on the first tour, he had a plaid suitcase and all he had in there was a pair of knickers and a pair of socks, and the rest was books. When he stayed with us, he'd stay in the library for three days, reading fucking books.

「レミーは、見た目からは、しっかりした知識があるようには見えないだろう。こういう音楽をやってると、その印象と見た目だけで、『ああ、あれはろくでもない連中だ。自分たちが何をしているのかもわかってない。ダメな人間だ』と決め付けられるが、実際にはそれは間違っている。レミーは老練のバイカーのような見た目をしているが、実によく本を読む人だった。いろいろな物事に実に精通していた。とても頭のよい人だった。最初のツアーのときに、格子柄の布製のスーツケースを持ってきてたのだが、中身は下着と靴下が1組のほかは、全部本だった。うちに泊まりにきたときには書斎でずっと本を読んでいた。


先に見た記事の感じだと、マネージャーは気づいていなかったようだが(毎日のように顔を合わせていたら逆に気づかないのかもしれない)、オジーさんはレミーがずいぶん具合が悪いのではないかと感じていた。数ヶ月前に顔をみたときにはとても痩せていて、「大丈夫なのか、肝臓でも悪いのか」と訊いたほどだったという(レミーはそんなことを言われて意外だという顔をしたそうだが)。オジーさんの妻のシャロンも、4月に南アで一緒にライヴをしたときにレミーが痩せてしまって、具合が悪いのではと心配していた。それほどの状態になっていたのに、最後までステージに立ち続けていた。ライヴをすることが気力の源になっていたのではないかとオジーさんは考えている。

I saw him a few months ago at the Roxy. ... He was very thin, very unwell, but he lived life the way he wanted and lived with the consequences. And I said to him, "Are you OK? Do you have kidney problems?" And he looked shocked. Nobody goes, "I'm going to die next year." I don't know why he kept going as long as he did.

To be honest with you, I think doing the gigs kept him going. He worked until the very end. It gave him something to get out of bed for. He was playing in Germany recently. He must have known he was very ill.

We did some gigs in South America with him in April, I remember my wife saying, "You should have seen Lemmy. He's lost a lot of weight and he really doesn't look too well." I was constantly texting him, saying, "If you need anything, call me." I was just looking at my phone, and there was a message from him that said, "Thanks for caring."


オジー・オズボーンの記事(というかたぶん談話の文字起こし)の最後。
You know what? There goes a hero for me. He was my hero. He was fucking great, a good friend. I'm missing him already. I'll never forget him. I don't think a lot of people will forget Lemmy. He'll be so missed in my camp. He was a good guy, a good man, a good friend of mine. He was just a fucking great dude, man. Not enough time for him.

God bless you, Lemmy. I'm so honored to have you a part of my life.

最後となった12月11日のベルリンでのライヴ、最後の曲。曲に入る前にメンバー紹介をしているのだけど、レミー、これ、ろれつ回ってないですよね……この人の場合、しゃべりがこうでも誰も不思議に思わない(「酒か、しょーもないおっさんだ!」と思う)かもしれないけど。



で、今回のこの欧州ツアーで不可抗力で延期となったままになってしまったのが、パリ。11月13日(金)の夜にあの同時多発テロがあって、パリは非常事態宣言が出されたために、大人数で集まることが禁止され、スポーツ・イベントやコンサートの類は軒並み中止。モーターヘッドは15日(日)にLe Zénithでやる予定だったのが、このために延期を余儀なくされていて、2月2日に予定が入ってたんですね。






この、パリの同時多発テロ後のインタビューのレミー。言葉ははっきりしているけれど、声がほとんど出ていない。これもタバコをふかしてるから、そのせいで一時的にしゃがれているんだろうと思ってしまうかもしれない。



15分強あるのだが、今はちょっと……2分くらいしか見ていられない。声の弱さがずしりと来る。

これで本人、「わかってなかった」はずはないと思う。

※この記事は

2015年12月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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