今日は、やりかけのものを終わらせて、"Peace before justice" というものについて書こうとしていたのだが、あまりにバカにされ頭にきたし、HTMLとCSSをいじっていたので、やりかけのものはやりかけのままだし、書こうとしていたものは自分の中で形を結びつつあった言葉が永遠に失われてしまったために書けなくなった。

1件、私には何の落ち度もないツイートを消すことにする。そして、どこかの知らない人が「私がナチの話をしたいときに、nofrillsが『ナチ』って書いた!」と盛り上がって、感激して絡んでくることを防ぐため、私ははてブからのフィードを除いては、今後「ナチ」、「ナチス」という言葉を自分のTwitterに自分で書かないようにする。

削除するのは下記のツイートだ。



「北アイルランドのおかげで自分のTLがナチナチしくなってていやすぎる」と私は書いた。12thのお祭りを目前に控えた北アイルランドでナチの旗が掲げられたというとんでもないニュースについての続報が続いているので、「あとで読む」的にRTしていったら、この図のようなことになってしまったのだ。

「ナチナチしく」というふざけた言い方はわざとしたのだが(本気でこんな画像を並べて喜んでいるのではないということを言いたい)、この日本語を読んで、「北アイルランド」の話を私が追っているためにこういうことになっているということ、つまり私が話しているのは「北アイルランド」のことで「ナチ」のことではないということが読み取れない人は、おそらくいないだろう。

しかし、このツイートに「ナチ」の話をぶら下げられた上に、めちゃくちゃめんどくさいことになった。ほとほとうんざりだ。

なぜ人の書いていることを読みもせず、自分の言いたいことを一方的にぶつけてきて、しかもそれが世間的にいわゆる「陰謀論」以外の何ものでもないというのに、こちらがまともに対応すると想定するのだろう。

私は、以前述べたとおり、「Twitterで『感想』などを話しかけてくる人」は、申し訳ないがスルーすることにしている。ブログの各エントリの下にも「個別のご挨拶は控えさせていただいております」と明示してある。また、Twitterのリプライ(メンション)は、申し訳ないけれどもほとんど見ていない。本当に心底くたびれてしまったので、今では1ヶ月に1度チェックするかどうかだ。本当に申し訳ないのだけれど、それがぎりぎりだ。個別のツイートのリプライを見たりとか、私がフォローしている方からのリプライはポップアップで通知されるとかいったことはそれとは別にあるけれども。

そういう「不人情」、「不義理」な方針をとっているのは、実際にTwitterでものすごくいやな思いを何度もしてきたからである。

2013年06月04日 私は胃液を吐きながら耐えていたが、きっと「理解のない、心の狭い、差別主義者」と思われていることだろう。
http://nofrills.seesaa.net/article/365129822.html

"私は「陰謀論者」ではない" というエントリの末尾に追記したときに、私はさらに異様な一段を付け加えた。文中での「たとえ話」について、「単に思いついただけでそれについて別に関心はない。思いついたということは関心がゼロではないのだが、そういう話はするつもりはないので、Twitterなどでもこの項をネタにそういう話をふってこないでほしい」という内容だ。

なぜこのようなことを付け加えたかというと、そのような「たとえ話」がきっかけで勝手に「雑談の相手」にされ、挙句、こちらが消耗するということが、過去において何度かあったからである。それも知り合いでも何でもない人から。


2014年08月07日 【お知らせ】なぜ私はTwitterでリプライを基本的に見ないことにしたか。
http://nofrills.seesaa.net/article/403313665.html