kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月19日

Zenbackのコードを外しました。

Zenbackさんのサービスをずいぶん長く使わせていただいていた。いつコードを貼ったのかは記録をしていないが、2010年12月に via @zenback でツイートしているので、4年以上使ってきたことは確かだ。

Zenbackは、コードを設置するだけで「TwitterやFacebookなどのソーシャルボタン」「関連した内容の自分の記事」「関連した内容の他のZenbackユーザーの記事」「その記事についての最新のTwitterのつぶやき」などを表示してくれる便利なウィジェットで、精度もけっこう高く、ありがたく使わせていただいていた。こういうサービスがあれば、2003年にブログがどかーんと流行ったときに大注目された新機能である「トラックバック」は廃れるよなあ、という思いもした。

しかし、最近どうにも様子が変わってきた。

それは、Zenbackさんの問題ではなく、登録している「ブログ」の質が変わってきたことが原因だと思う。例えば1つ前の記事に「関連するみんなの記事」として表示されていたものだが、どうにもおかしいのだ。Zenbackの本来の目的とはかけ離れた「リンク」だ。確かに、タイトルだけは合致している。しかし中身が……




こんなページは「ブログ」ではない。「リンク集」ですらない。上記のキャプチャの場合は「ブログ本文」の部分のテクストの量は限りなく少なく、キーワードは一応含んでいるという程度に過ぎず、実際に、とあるバイラルメディアへの踏み台でしかない。このような「踏み台」ページは、一般的に、ページ内にどんなものが埋め込まれているかわからない。(上記キャプチャはAdBlockなどをONにした状態で表示させている。)

I don't like spam私のブログを見に来た人が、「変なものを踏んでしまう」ようなリスクはなるべく低くおさえておきたいと常に思ってきたし、それ以前に、私自身が何より嫌いなのがスパムなのだ。「踏み台」ページは基本的に「スパム」だと思うし、それにURLやページタイトルはそのままで、ページの内容が書き換えられたりしたときに対応できるのだろうか。元々テクスト量が極少なのにリンクされているという段階で「え?」という気がする。

本件の場合、キーワードが時事的に「ホット」なもので、botでページを作成するようなスパマーなども狙っている。そういうのに対応できる仕組みではない場合、ちょっと……というのが正直なところだ。

それでも、こちらの設定で好ましくないと思ったページはリンクしないように指定できるのならよいのだが、Zenbackさんの場合はそれが上限10件である。その枠は、デタラメを流すような「2ちゃんまとめ」などでとっくに使い果たしている。












メモ。HTMLについてはここ。
http://faq.seesaa.net/article/261492416.html

※この記事は

2015年02月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼