kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月19日

再掲する。なぜ「はてブのコメント」を非表示にしているか。

16日に、はてブでこんなことが言われていたことに今(19日)気づいた。はてブはもうほとんど使っていないので気づくのに時間がかかる(が、それでいいと思っている。リアルタイムなんちゃらとやらはTwitterだけでいい。無限に情報を取られ、時間を吸い取られるだけだ)。

fhatena2.png
※必要のない部分はマスクした。(じゃないと「槍玉に挙げている」とか「さらしている」と言い出す人が出ないとも限らないので。)

これに対し、当方は次のように申し上げた。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20150119#bookmark-239256201
わざわざ手間をかけてはてブの「コメント一覧」を非表示にしたのはなぜかは、とっくの昔に説明してあります。 http://nofrills.seesaa.net/article/368419337.html


当方、こないだも、たかがはてブのブコメ一覧の非表示で「うさんくさい」などと書き捨てられたばかりである。非表示にしてあるため、「うさんくさい」なる発言に「はてなスター」をこぞってつけるようなイナゴが集まってきたわけではないから、ウザさは最低限度におさえられているが、まったくうっとうしい。

しかるに本件の場合はエントリのテーマが「言論の自由」であり、「ブコメ(なるくだらないスペースの一覧)の非表示」に違和感を覚える人がいるのはそれなりに納得できるので、「ブーイング」の主にキャプチャ画面をidコールで伝えようとした。(個人的には、発言することによって、「ブーイング」のようなくだらない、子供じみた行為でうざい思いをさせられるのはたまらんと思ってるし、だからこそ非表示なのだが。私の時間は有限であるし、私はあなたに何の義理もない。)

ところが、である。。。





画像のURLは:
https://pbs.twimg.com/media/B7sTpGTCUAERCZ0.png:large

というわけでvoilaですよ。まったく、本気で心底、たまらんわ、これ。。。なんでこんな維持コストが。。。

※この記事は

2015年01月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:39 | TrackBack(1) | ブログ関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

わかりやすいところにしつこいほどリンクをしてあるのを読みもしていないかもしれない者から、当方が「罪深い」と批判されている件について。
Excerpt: まただよ。心底うんざりだ。 id:fusanosuke_n また「ブコメ非表示」の話ですか。ページの上部に理由へのリンクがあっても、あなたのように、それすら読まず好き勝手なことを言う人が多いから非表..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-09-22 21:05





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼